第4話 ソルウェインとイリーナ その1
◆
ブラムへの報告を終えたカミュは、本部を出ると自分の家へと向かった。
カミュは他の団員同様に住宅区で生活をしていた。カミュが執行人を請け負ったときに、自ら先程までいた本部兼用のブラムの家を出たのだ。その方が『敵』に内通する者を探りやすかったからだ。そのため、群狼団長ブラムの後継者は、今ではあばら屋住まいであった。
だがカミュは、あまり不自由を感じていない。
群狼の拠点には、正団員が副業でやっている雑貨屋や鍛冶屋、酒場や食堂が何軒かある。だから、『草採り』と馬鹿にされていても実はそれなりに稼ぎのあるカミュにとって、生活に困ることはなかったのだ。
執行人としての報酬は高額であるし、酒場には
荒事稼業の傭兵団ゆえに薬草の需要は高い。しかし薬草採りは、それ一つでは苦労するわりに報酬が少ない。それ故に競合相手がほとんどいなかった。
カミュは
初めの頃は体力のなさ、剣の腕の未熟さゆえであった。苦労をして採ってきた薬草もそのまま雑貨屋に渡していた。しかし、なんとか稼ごうと独自に丸薬や粉薬、塗り薬に貼り薬と、さまざまな薬の制作をしているうちに、気がつけば彼の数少ない趣味のなかに薬作りが加わって今に至っている。
カミュは部屋につくと、いそいそと愛用の黒いハーフプレートを脱ぎ、奥にある作業場へと向かう。二部屋しかない家で、一部屋を薬作りの作業部屋に当てているのだ。
作業部屋に入れば、ところ狭しと置かれたガラス瓶が立ち並ぶ、何台もの棚が目に飛び込んでくる。中には乾燥させた薬草類が詰め込まれており、室内は異様な臭気で充ち満ちていた。
そんな棚に埋もれるように、小さな作業台と椅子が一脚だけある。
カミュは薄暗い部屋でランプの油に火を灯すと、椅子に腰を下ろした。目の前にある小ぶりな挽き臼の取っ手を握る。消えたザンザを追う前に採ってきた薬草の処理が残っているのだ。
「さて、と……」
乾燥させた薬草を臼に挟み込んで回そうとすると、
ガチャン、ギュィッ――――!
家の戸が短く形容しがたい音を立てながら勢いよく開かれた。
カミュは思わずビクリと飛びあがる。
しかし戸を開けた人物は、家の主がそんなことになっているのもお構いなしに、床板を踏み抜かんばかりの勢いで奥へと入ってきた。その足音は、誰が入ってきたのかも、その人物が今どんな形相をしているのかもカミュに教えてくれる。
「カミュっ! 帰っているわねっ」
奥の部屋の扉もノックもなしに勢いよく開けられ、眉毛を釣り上げ頭から湯気を噴かんばかりの少女が肩を怒らせて姿を現わした。
腰まである真っ直ぐで美しい青色の髪は優雅に踊っているが、まだ微かに幼さが残る美しい顔は綺麗な眉をつり上げて鬼のような形相になっている。
しかし、カミュは動じない。彼女のこの顔もカミュには見慣れたものだった。二人の付き合いは、もうかなり長いのだ。
「……イリーナ。お前、ノックぐらいしろっていつも言ってるだろう。手元が狂ったらどうしてくれる? 危ないだろうが」
カミュはいま握っていた石臼を指差しながら、じっとりとした眼差しで作業部屋の入り口に立つ少女を見た。
細身で小柄。子鹿を連想させるような少女の名は、イリーナ・クロアといった。カミュの幼なじみだ。
彼より一つ年下の彼女は、まだカミュが幼い頃に兄のソルウェイン・クロアに連れられてこの群狼の拠点へとやってきた。
町や村と違って子供がほとんどいないこの拠点では、互いの存在が貴重だった。二人が互いを友人とするのに、大して時間はかからなかった。それ以来の腐れ縁だった。
イリーナは髪に手をやり払いながら、苛立たしげにドカドカと床板を踏み鳴らしてカミュに詰め寄る。そして、改めて睨めつけるように視線を鋭くすると口を開いた。
「そんな細かいことはあとでいいのよ。それより、あんた。さっきのアレは何?」
「さっきのって?」
カミュは彼女の様子に何を気にすることもなく、真顔で首を傾げた。
「もう、どうしてあんたは……っ。さっきウザルに薬草がどうのこうのって馬鹿にされてたじゃない。なんで言い返さなかったのよっ」
そう言われて、報告に行く前に誰かに馬鹿にされたなと、カミュは思い出した。
「ああ……あのことか。だって、いつものことじゃないか。言われるたびに言い返していたら、キリがないだろう」
「なんで、あんたは、そうなのよっ! いつも、いつもっ! そんなだから、いつまでも馬鹿にされるんじゃないっ! もっとビシッと言ってやれば、あいつらもあんたを馬鹿にしなくなるわよっ!!」
「一体何を怒ってるんだお前は。馬鹿にされたのは俺なんだから、何もお前がそんなに怒らなくてもいいだろう?」
カミュがそう言うと、イリーナは口をぱくぱくとさせる。そして、低く唸り出すと口を尖らせ、じっとりとした目をカミュに向けた。
「それは……そうなんだけど。でも、なんか嫌なのよ」
「お前だって、グータラだなんだって、しょっちゅう俺を馬鹿にするじゃないか」
「私はいいのっ」
「何でいいんだよ……って、お前どこか行ってたの?」
カミュはイリーナの装いがいつもと違うことに気づく。そして、そういや最近静かだったなと、ようやく思い始めた。
彼女はいま、麻でつくられた厚手のブラウスとズボンに白く塗られた革製のブレストアーマーを着込んでいた。腰には、愛用の細身の剣を差している。そしてその肩には、先ほどまでのカミュ同様に頑丈さだけが取り柄といえる厚手の革袋を担いでいた。
「私はあんたと違って努力家なの。王都に行ってたのよ」
イリーナは、小さな鼻をふふんと鳴らして胸を反らした。
トラン=キアはヴァレリア王国の北西部にある地方都市だ。ここから王都ルカクまでは四百キロメア以上ある。トラン=キアには飛空船の定期便が離発着する港もあるが、一介の傭兵がおいそれと乗れるほどに運賃は安くない。王都ルカクに行こうとすれば、ちょっとした旅になった。
「ふーん……で、その努力家のイリーナさんは、またなんで王都になんて行ってたんだ?」
カミュはからかうような口調で言うが、イリーナは気にしない。よくぞ聞いてくれましたとばかりに、にっこりと笑う。
「紋章を宿しに行ってたのよ。見て見て、これ」
イリーナは胸元のボタンを外すと、お世辞にも大きいとは言えない胸の谷間から小さなペンダントを取り出してカミュに見せた。
そのペンダントには、月桂樹とオリーブを背景にクロスが入っている。ミラ・インストレルの
それは、紋章を宿した者のみに許される特別なものだった。
「……こりゃ、驚いた。最近は紋章も金で買えるようになったのか?」
カミュの目は大きく見開かれて、取り出されたペンダントをまじまじと見ていた。
「そんな訳ないでしょ! あんたは神の祝福をなんだと思ってんのっ。まったく可愛くない。どうせなら、もっと素直に褒めなさいな。なんなら崇め奉ってくれてもいいのよ? 私もこれでエリートの仲間入りなんだから」
イリーナは人差し指をピンと立てて小鼻を一つ鳴らすと、自慢げに説明した。
「ヘエヘエ、イリーナサマ。ゴリッパデゴザイマス」
カミュは棒読みの言葉を吐きながら面倒くさそうに拍手をする。
「本当に可愛くない。でも、ま、いいわ。私は今とっても幸せな気分だし、許してあげる」
「ほーか、ほーか。そりゃあ、ありがとう。ま、冗談はここまでにして、おめでとう。お前、頑張ってたもんな」
「ふふ、ありがと」
今度はイリーナも素直な笑みを浮かべた。
「これで兄さんのお荷物ではなく、力になってあげられると思うと、本当に嬉しいの。お父様が戦で命を落としてからというもの、兄さんには苦労かけっぱなしだったから」
ソルウェインとイリーナは、ヴァレリア王国の下級貴族の出身である。
ソルウェインが十二歳、イリーナが七歳の時だった。彼女らの父親が戦死し、親戚筋はその時に手の平を返した。しかも当時とある貴族の下で騎士になるべく修行を積んでいたソルウェインは、父親が戦死するとすぐに、その貴族の館を追い出されたのである。
元々、もう暢気に修行をしていられる状況ではなくなったのは間違いない。しかし、唯一頼れる伝手までをも失ったのは、当時のソルウェインにとって本当に痛かった。もう彼には、己の命を危険に晒す道しか残されていなかったのである。
手に技能を何も持っていなかった当時のソルウェインにとって、母を助け、まだ幼い妹を食べさせるためにそれなりの収入を得る方法など、他にはなかったのだ。だから彼は、そのとき少年ながらに傭兵の道を選んだのである。
そして父親の死から三年後、母親の方も無理がたたって倒れ、そのまま命を落とした。それ以降は、兄妹二人だけで生きてきた。
「別にソル兄は、お前のことをお荷物だなんて思ってないだろ。それに昔は兎も角、最近はお前だって団員として頑張っているじゃないか。普通に、俺なんかよりもよっぽど仕事をしていると思うぞ」
口に出しては言えないが、カミュはこの頑張り屋の幼なじみがどれほど努力してきたかを知っていた。だからこそ、するっと心が本音を口にする。
まして、今回彼女は紋章を宿すことに成功したと言う。それが可能であった人間がお荷物などであろう筈がないのだ。紋章持ちなんて、そもそもそれほど多くはいない。先ほどイリーナが言っていた通り、紋章持ちはそれだけでエリートなのである。それがどこだろうと、それこそ王宮でもやはりエリートとして扱われる。紋章持ちとは、そういう存在なのだ。
傭兵団のような民間組織では、多くても一組織二人、三人もいればいいところだった。紋章持ちが一人もいない傭兵団が大半なのだ。群狼では、カミュを除いてもブラム、ドラゴ、ハス、ソルウェインと四名もいて、これにイリーナが新しく加われば五名となる。しかし、この数は群狼という組織の強みなのであって、これが普通ではなかった。どこのどんな組織であろうと、そのほぼすべてが紋章の加護を持たない者たちで構成されているのである。
今までのイリーナも、その中で頑張ってきたのだから、彼女がそんな自分をお荷物と表現したのは謙遜が過ぎるというものだった。
カミュはそう言いたかったのである。しかし、彼がそれを口にした途端、イリーナは深いため息を吐いた。
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