第463話 取引2



「こちらが今回の取引でヒロ様が手に入れられた品になります」



 決定ボタンを押した後、20分程経過して現れたのが、今回の取引を仕切っているスネイル。

 取引が成立したことに対して祝辞を述べ、俺へと引き換えした品を届けに来たのだ。

 

 わざわざこの取引場の責任者がやって来るのは、それだけこの品が高額なことも関係するのだろうし、最後まで取引相手と顔を合わさない仕様の為であろう。



 恭しく差し出される木箱。

 受け取って木箱の蓋を開ければ、その中に宝石のごとく鎮座するのは、5cm程の晶石。

 通常の晶石は透き通っているが、銀晶石はその名の通り眩いばかりの白銀色。

 内から神々しいまでの光が溢れ出し、木箱を越えて天井にまでその輝きが届くほど。



 これが機械種を大幅に強化できる『銀晶石』。

 ただ晶冠に放り込むだけで、機械種の力を2、3割向上させるというのだから、その効果は計り知れない。


 戦闘力が2,3割向上するのではない。

 一つ一つの行動の結果が2、3割増しなのだ。

 

 斬撃一閃、砲弾一発ごとが2,3割増しの速度、威力になる。

 当然、防御力も耐久力も2,3割増し。

 となれば、実質戦闘力が倍近くになると言っても良いだろう。

 


 さて、コイツを誰に使ってやろうか?

 一つしかない以上、将来性と最大の効率を考えると………




「ヒロ様がご提供された『赭娼メデューサの遺骸』はすでに先方へとお引渡し致しております。あとはこの書類にサインを頂くだけですね」



 手に入れた品を前にして、俺がその使い道に頭を巡らせている中、スネイルが手にした書類を差し出してくる。

 


「あ、はい。すぐサインします」



 サラサラと自分の名前を書いて、商品の受取はこれで完了。  



「これで手続きは終わりですか?」


「はい、この度は市場のご利用ありがとうございます……………、あと、もう1品お預けになられている『マテリアルスーツ』はどうされますか?」


「あ………、それがあったか………」



 『赭娼メデューサの遺骸』は大反響であったものの、『マテリアルスーツ』の方は全くの音沙汰無し。結局、誰の引き合いも無く取引は終了してしまった。

 着れば超人になれるスーツであるが、常人であれば数秒以内に死ぬという仕様だ。

 誰も欲しがらなくても無理はない。



「…………ボノフさん、どうしましょうか?」


「来月にかけてみるという方法もあるけど、この様子だと保管料の無駄払いになりそうだねえ」



 ボノフさんも渋い顔。

 このブラックマーケットなら物好きがいるかもと思っていたが、そう何事も上手くはいかない様子。


 俺の方で持っていたとしても使い道が無い。

 たとえ10,000Mでも、売値が付けばよいなと思っていたけど………



「はあ………」



 少しばかり落ち込んだ表情でため息が漏れる。

 

 しかし、そんな俺を前にして、スネイルが声をかけてきた。



「もし、よろしければ、こちらでお引き取り致しましょうか?」


「はい?」


「せっかく私どもの市場をご利用を頂いたのに、この品だけ取引成立せずはこちらとしても申し訳が無い。あまりたくさんは出せませんが、それでよろしければ………」



 思いもよらないスネイルからの提案。

 俺のことを嫌っていたはずなのに、わざわざ提案してくれるだなんて。

 

 もしかして、俺よりもボノフさんを見ているのかな?

 俺への感情よりもボノフさんの顔を潰さないためにか?



「それは願ってもいない話ですが………」


「では、20,000Mでいかかでしょうか?」



 日本円にして200万円。

 俺の今の懐事情からすれば、子供の小遣いレベルだな。


 確かマテリアルスーツ(下級)が10万M、日本円で1,000万円くらいだったけど、それより低いってどうなんだ?


 まあ、使い道の無い自殺道具みたいなモノだから、仕方が無いのかもしれないが。

 実用品じゃなくて、笑い話のネタ用ならこんなものか。


 価格交渉してみるという方法もあるけど、向こうの善意みたいだし、あっさり『じゃあ要りません』と言われたらそれまで。


 ずっとコレを死蔵しているのも、あまり気分が良くない。

 苦労して手に入れた宝物なのだから、せめて何らかの意味のあるモノにしたい。


 だから、ここで少しでもマテリアルに換えてもらえるならばそれで………

 せっかく申し出てくれた先方の善意だ。

 ありがたく受け取って………


 

 …………んん? ちょっと待てよ。


 一応念の為…………




「これを引き取った後、どうされるんですか?」


「とりあえずは保管しておきます………、そのうち売り先や使い道が見つかるかもしれませんので【嘘】」



 その時、眼鏡のレンズの裏に輝く【嘘】の表示された。

 これはスネイルが嘘をついている証拠。




 !!!!

 コイツ………




 スネイルの目を真正面から見つめる。


 それなりに整った顔立ちだが、貪狼のような鋭い目が冷徹で冷酷そうな印象を与えてくる。

 愛想笑いを浮かべていても、漂う暴力の香りと狡猾さは打ち消せていない。

 向こうは若くしてこの場の責任者に昇りつめ、灰色蜘蛛と言う裏社会のでそれなりの位置にいる人間なのだ。

 


 

 やっぱりそうか。

 コイツ等みたいな人種が1ミリでも善意で動くことはありえない。

 ボノフさんの関心を買いたいからかと思ったが、あくまで俺が主体の取引に、わざわざ口を出してくるのは明らかにおかしい。


 ということは、スネイルはこれを手に入れたいと思っている?

 それはなぜだ?

 このマテリアルスーツに俺の知らない使い道でもあるのだろうか?


 

「……………」


「ヒロ様、どうされました?」


「いえ、ちょっと考えさせてください」


「!!! そ、そうですか………」



 おや?

 ちょっとだけ動揺が見て取れたぞ。


 もう少し反応を確かめてみるか。



「えっと、スネイルさん。マテリアルスーツの下級って、いくらぐらいの価値でしたか?」


「む………、そうですね。この辺りではあまり出回っていませんが、一般的には5万~8万M程度でしょうか?」



 ちょっと低い気もするが、まあそれくらいの価格帯だな。

 さて、どんな反応を見せてくれるか………



 俺が投げかけた質問に答えた後、スネイルは少し考えるような素振りを見せて、



「おっしゃりたいことは分かりますが…………、マテリアルスーツの下級は実用品です。しかし、この最上級は人間には全く使えないモノ。下級より低い価格となってしまうのも致し方ないかと?」


「ふんふん、なるほど。確かに自殺ぐらいにしか使えませんよね。でも、何か他の使い道ってご存知ないですか?」


「……………お恥ずかしながら浅学にして非才の身ですので、見当が尽きませんね」




 使い道を知らないと言う言葉に嘘は無いようだ。


 しかし、使い道を知らないのに、コレを欲しがっているのか?


 ………いや、この場合はこのマテリアルスーツ(最上級)を欲しがっている人を知っているということか。


 となると、先ほどの申し出の裏が見えてきたな。

 

 コイツはこのマテリアルスーツ(最上級)を高く買ってくれる所を知っている。

 それでこの機会を逃すまいと安く俺から仕入れようとしているのか。

 

 一体それは誰なんだろう?

 なぜマテリアルスーツ(最上級)を欲しがっているのか?

 何か俺が知らない使い道がこのスーツにあるのだろうか?

 





 さて、俺の取るべき選択は3つだ。


 まず、このマテリアルスーツ(最上級)を売らずに、こちらでその高く買ってくれる所を探すこと、または、その使い道を調べること。


 この場合は後で打神鞭の占いを使えばすぐに分かる。

 

 だが、不確定要素として、その高く買ってくれる所が俺と取引をしてくれるかどうか分からない。

 そもそも一介の狩人でしかない俺が会える人なのかどうかも不明。

 さらに言えば、もし上手く接触できたとしても、向こうがタチの悪い人間であった場合、俺をただの少年と見做して襲いかかってくる可能性も否定できない。


 また、その使い道が判明したとしても、俺の役に立つかどうか分からない。

 元々マテリアルスーツの強化は俺に適用されないのだ。

 故にその可能性も十分にある。


 

 最期の選択肢は、向こうが欲しがっている状況を利用して、価格を吊り上げること。


 この『真実の目』を利用すれば、限界ギリギリまで価格交渉をすることができるだろう。

 使い道が無いと思われていたマテリアルスーツが大金に化ければ儲けもの。

 それで俺の欲しいモノを手に入れたら良いのだ。



 果たして、俺はどれを選べばよいのか…………

 何が正解で、何が間違っているのか分からない中、俺の判断で決めなくてはならない。

 

 悩む。

 ものすごく悩む。


 できれば保留にしたいが、次の機会があるかどうかも分からない。

 このマテリアルスーツを欲しがっている所も、時間が経てば不要となることだってある。

 マテリアルスーツ(最上級)の使い道が俺の役に立つかどうかも分からない状況で、この有利な交渉ができそうなチャンスを逃すのも惜しい。


 だから、悩む。

 悩んだうえで、俺が口に出した言葉は………




「トイレを借りたいんですけど、いいですか?」









 本来であれば、向こうの善意で持ち掛けられた商談途中でトイレに行くのは失礼極まりない。

 だけど、俺が正しい判断を下すにはこれしか思いつかなかったのだ。



 トイレに駆け込み、すぐさま打神鞭を抜いて占いを行使。

  

 占う内容は『マテリアルスーツ(最上級)は俺、若しくは俺のチームの役に立つのかどうか?』


 もっと詳しく、『マテリアルスーツ(最上級)を欲しがっているのは誰か?』、若しくは『マテリアルスーツ(最上級)の使い道』を占っても良かったが、打神鞭の占いの結果は非常に曖昧であるケースが多い。

 問いかけが複雑なモノであればあるほど、精度も低くなるのだ。

 時間をかけることができれば、情報を補完していくこともできるが、この場では難しい。


 それを鑑みて、今回の占いは『役に立つ』『役に立たない』の単純な2択で結果が分かる質問にした。


 

 結果は『役に立たない』。


 打神鞭の指示に従い、トイレットペーパーを最後まで使い切り、その芯にそう書かれていたのだから間違いない。


 だとすれば話は簡単。

 俺の手元に置いておく必要は無いし、わざわざ欲しがっている先を探すのもリスクが高い。


 ここはスネイルと価格交渉を行い、できるだけ高値をつけてもらうこととしよう。



「久しぶりの商談だな。腕が鳴る………」



 洗面所で手を洗いながら、鏡に映った俺の顔は実に良い笑顔を浮かべていた。



 









「すみません、どうしても我慢できなくて………」


「いえ、こちらもお気遣いできず申し訳ありません」



 トイレから戻り、スネイルへ商談途中の不作法を素直に謝罪。

 向こうも内心はともかく、気にしていない様子を見せてくれる。

 

 

 さて、ここからが本番………



「それではヒロ様。先ほどの件ですが、20,000Mでマテリアルスーツ(最上級)をこちらに譲っていただく………ということで、よろしいですね?」



 スネイルは目を細めて、俺の首肯を促してくる。

 語尾は確認しているようだが、圧が強め。

 長身から見下ろされる迫力は、気の弱いモノなら頷いてしまいそうになる。


 だけれども…………



「ちょっと考えたのですが、やっぱり持ち帰ろうか思っています」


「ほう? それは何ゆえにでしょうか? 私どもがお付けした価格にご不満でも?」



 スネイルの声が低くなった。

 言葉こそ丁寧だが、口調にやや不機嫌さが混じる。

 多分、これはワザとだ。

 気分を害した様子を見せて、俺への圧を高める為だ。




 むむっ!

 瀝泉槍を手放している今の俺にはややキツイ。


 瀝泉槍は今、森羅に預けてある。

 当然ながら護衛でもないのに、武器を持ったまま商談するのはありえない。

 だから今は素のままの俺の精神で耐えるしかない。



「…………不満と言えば、不満ですね。でも、その原因は俺にあります。何せ大変苦労して手に入れたモノなので、たった20,000Mでは俺の狩人としてのプライドが許さないんです。それならこのまま持っておいた方が良いくらいに」


「狩人のプライドですか………」



 スネイルの表情が微かに歪む。

 取引を拒む原因が理屈ではなく感情と言われて戸惑っているのだ。


 理屈であれば、それを覆す反論もできるだろうが、感情は心の中のモノでしかない。

 それをスネイルが推し計ろうとするには、俺の情報が少なすぎる。


 

 よし、ここでもう少し揺さぶってみよう。

 


「それに、俺が出した品のせいでそちらに負担をかけさせてしまうのも申し訳ないです」


「それは…………気になさらなくても」


「明らかに全く使い道の無い品を引き取るのは、絶対にそちらの負担になりますよね。初めてお会いした仲なのに、そこまでしてもらうのは流石に心苦しい」

 

「その………全く使い道が無いと言う訳ではありません。鑑定士も言っておりましたが、どこにでも好事家がおりますから探せば欲しがる者もいるでしょう」


「そうなんですか? そうすると、このマテリアルスーツ(最上級)にはそれなりの価値があるということになりますが?」


「…………なるほど。ヒロ様はなかなかに手強い交渉をされますね」



 俺の今までの会話の流れを聞いて、納得がいったような顔をするスネイル。

 ここまでくると俺の意図が分かった様子。


 さあ、ここまでは順調。

 上手く話の流れをコントロールして、『使い道が無い』から『それなりの価値』まで引き上げることができた。

 

 あとは、このマテリアルスーツ(最上級)を、このスネイルがどこまで欲しがっているのか知りたい。

 『チャンスが来たから商談を持ち掛けてみるか』程度なのか、それとも『この機会を逃してなるものか』なのか。



「交渉? そうですね。それなりというなら、それなりの価格を聞けば、俺の考えも変わるかもしれないんですが」


「なるほど、それでしたら、価格を引き上げましょう。それでヒロ様の機嫌が良くなるなら多少の出費は覚悟します…………」



 ジッと俺の顔に強めの視線を送りながら、スネイルが口にした金額は、



「20万M、出しましょう! これぐらいが相場だと思いますが【嘘】」



 出てきた金額は日本円にして2,000万円。

 たとえ組織の幹部であれ、簡単に口にできない金額だ。



 しかし………

 


 そもそも相場ってあるのか?

 滅多に出回らないマテリアルスーツ(最上級)だぞ!

 相場なんてあるものか! 

 向こうもそれが分かっていて言っているのだろうけど。

 だから『真実の目』にも【嘘】と表示されるんだ。


 どうしても欲しい者がいれば価格は吊り上がり、そうでないのであれば二束三文。

 そういった類のモノなのだ。



 スネイルよ。

 貴方が付けた価格は俺の意向を翻す為のなのだろうが、それはこの『マテリアルスーツ(最上級)』を絶対に欲しいと力説しているようなもの。


 それはつまり、かなりの高値で売ることができるということ。

 ここまで必死になるくらいの高値でだ!

 

 俺がただの少年であれば。

 俺の手に『真実の目』が無ければ、その価格で頷いたかもしれないが……



「いきなりの10倍ですか………、随分と力が入っているようですが。もう一度聞きますが、スネイルさん。貴方はこのマテリアルスーツをどうしても欲しい訳ではないんですよね?」


「もちろんです。商品そのものが欲しい訳ではありません。これは先行投資みたいなモノです。優秀な狩人であるヒロ様へのご支援であるとでも思って頂ければ【嘘】」



 ニッコリと笑顔を浮かべ、スネイルは躊躇いもなく嘘をついた。



「そして、それはこの街の為でもあります。優秀な狩人への投資は街の安全を高めますからね。少々の持ち出しは安全を買うと言う意味では安いモノです【嘘】」



 『支援』に『街の安全』か。

 随分と断りにくいワードを繰り出してくるな。


 これを断るにはそれなりの理由がいる。

 少なくとも、向こうを形だけでも納得させる理由が無いと、面子を潰すことにもなる。

 下手をしたら、このブラックマーケットへの出入りも敷居が高くなるだろうし、今後、『灰色蜘蛛』との取引もやりにくくなる。

 

 それが分かっていて、このようなワードを出してきたのだろう。

 ここで頷いても良いんだが、そうすると、俺がスネイルに借りができたことになる。

 それはそれで面白くない。

 できれば、向こうから頭を下げて譲ってくれと言わせたいところなんだけど…………



 ふむ。

 ここは一度向こうを持ち上げておくか。

 好意には好意で返そう。

 たとえ表向きだけであっても、それは礼儀だ。



「『投資』、『支援』………、なるほど。よく分かりました。でも、もうすでにそちらからのご支援は十分に頂いておりますよ。今回の取引で手に入れることができたこの『銀晶石』。市場では何千万Mもするモノでしょう。こちらが提供した赭娼メデューサの遺骸と引き換えであっても、数百万Mは俺が得をした計算です」



 手の中にある『銀晶石』に視線を落としながら話を続ける。



「これは今回そちらがこの場を提供してくれたからこそ手に入れることができた品です。非常に感謝しているんですよ。その上でさらに20万Mものご支援を頂くのは申し訳なさすぎます。先ほども言いましたが、俺はもう十分に支援を受け取っているんです」


「いや、それは………」


 俺は慌てたように口を挟もうとするスネイルを遮って、続く言葉を捲し立てた。


「それに! 街の安全についてですが、俺は今のペースでいけば、あと4ヶ月で中央に行ってしまいます。そうなれば俺は街の安全には役に立ちません。もし、そちらが街の安全の為というのであれば、俺よりももっと相応しい若い狩人達がいるはずです。彼等なら俺よりももっとその20万Mを役立ててくれるでしょう。まことに勝手な言い草ですが、その方向で一度検討して貰えませんか?」


「……………」


 

 ふふふ、顔が引きつっているよ、スネイルさん。

 街の安全なんて、思っても無い言葉を口に出すから、足を掬われるんだよ。

 


 さて、どうするね?

 ここで諦めて引く?

 それとも何か別の言い訳を考えてみる?

 まさか、ここで実は………とか言い出さないよね?


 俺としては、取引を引っ込められても困らない。

 高値で売れなかったのは残念だし、せっかく手に入れたお宝をまた死蔵する羽目になるのだから良い気分はしない。

 

 だが、それだけなのだ。


 それに対し、スネイルは先ほどからこの商談を成立させようと必死だ。

 よほどの利益を見込むことができるのか、引くことができない理由があるのか。


 ここまで見抜かれてしまえば、あとはまな板の上の鯉。 


 向こうが欲しがっている品は俺の手の中にあり、今の俺はマテリアルに困っていない。

 さらに情報の量は圧倒的にこちらが上。

 『真実の目』による嘘発見と、『打神鞭の占い』によって、向こうの手の中は丸見え。

 そもそも交渉のテーブルに着く段階でそちらの負けなのだよ。



「……………」



 じっと考え込むスネイル。

 

 しばし、部屋の中に沈黙の帳が降りる。

 

 俺の後ろで様子を見ているボノフさんも何か言いたげであるが、この場では特に間に入る気はないらしい。 

 

 俺とスネイルだけの商談。

 

 ここに来て、佳境を迎えることとなり………

 



「降参です、ヒロ様。正直に申し上げましょう」



 やや吹っ切れたような顔でスネイルは降参を口にした。



「私どもは、今回お預かりしましたヒロ様の『マテリアルスーツ(最上級)』が欲しい。前々からある取引先から問い合わせを受けておりまして、探していたところなのです。ですから、コレをぜひ売ってほしいと思っています」



 先ほどまでの言葉を180度翻し、いきなり裏事情を語るその態度はいっそ清々しい。

 


「つまり、さっきまで嘘をついていたと?」


「はい、安く手に入れようとすれば、本当のことを申し上げるわけにもいきませんので」



 悪びれることなく嘘を認めるスネイル。



「気分を害されましたか?」


「いえ、それぐらいでは別に。商売人であれば、安く買おうとするのは当然でしょう。見抜けない方が悪い。しかもこのブラックマーケットなら尚更」



 商談での商品の性能や契約内容以外での嘘は良くある話。

 嘘の嫌いな俺でも、商談の中では嘘をつくことがある。

 

 『もうこれ以上は値引き無理です!』とか、『あと残り1台しかありません!今、ここで決めて頂かないと……』とかの言い回しは、営業トークの基本的なテクニックだ。


 別に怒るようなことではないが、俺から安く買おうとした以上、そちらもそれなりの出費は覚悟してもらおう。



「で、結局、嘘がバレたスネイルさんは、いくら付けてくれるんですか?」


「はははは、これは手厳しい。そうですね、嘘をついてしまったという失点も込みしまして………」



 スネイルはジロッと俺と真正面から目を合わせてくる。

 その目には強い光が感じられ、これから放つであろう言葉にかなりの意気込みを乗せてくることが分かる。


 

「ズバリ……100万M出しましょう。ちなみにこの価格は先方が付けた額と同じです。これ以上は赤字になりますので、これが限界です【嘘】」



 固く力の入った表情。

 声に籠る圧力。

 握りしめた拳。


 その全てが本気と誠意を表す態度なのであろうが……… 




 ぷっ!


 ………イカン、つい、吹き出しそうになってしまった。


 ここまで自信満々で述べた言葉が【嘘】って………


 いやあ、俺もこの眼鏡がなきゃ、分からないことだけどさあ………


 逆に考えると恐ろしいな、この『真実の目』は。


 こんなモノをかけた相手に商談なんて絶対にやりたくないぞ。




 スネイルはまだ視線を逸らさず、俺を真っ直ぐに見つめたまま。

 そうすることでその言葉に真実味を乗せているつもりなのだろうが、全く何の役にも立っていない。


 

 力一杯頑張っている所を申し訳ないが、俺はこれで終わらせるつもりはない。

 これも勉強だと思って諦めてくれ。


 さあ、圧倒的有利な立場での商談を始めますか。

 









 結局、マテリアルスーツ(最上級)は300万Mでスネイルに売り払うことになった。

 

 おそらくはもう少し行けたのかもしれないが、途中、あまり追い込むのも悪い気がしてそこそこで切り上げた。


 だが、スネイルとしては全くの想定外であったのだろう。

 顔は引き攣り、汗をかいていないのに何度も顔を拭っていた。

 最後、俺が頷いた後は、心底安堵し、しばらく立ち上がれないほどの放心状態であった程。




 

 俺へと支払うマテリアルカードを用意する為にスネイルは退室。


 再び俺達だけとなった部屋で、ボノフさんは俺へと話しかけてきた。



「本当にヒロは何者だい? 腕っぷしも強くて、交渉事までプロ顔負けとはね」


 ずっと後ろで俺とスネイルの商談を聞いていたボノフさんは半分呆れ顔だ。



「たまたまですよ。向こうも俺が若いから、手加減してくれたんだと思います」


「あれだけスネイルに百面相をさせておいてかい? アイツの顔色があそこまで変わるのは初めて見たよ」


「あははははっ、睨みつけられた時はちょっと怖かったですけどね」



 これは商談だと腹をくくれば、瀝泉槍が無くても多少の威圧は耐えられる。

 伊達に20年近く営業をやっていたわけではないからな。



「臙公を狩る狩人が良く言うよ。アタシからすれば、人間なんかよりレッドオーダーの方が何倍も怖いね。何せ話が通じないんだから」


「そうですか? 偶に話ができるレッドオーダーと遭いますけど?」


「話が通じるレッドオーダーはもっと怖いよ。絶対に高位機種だ。会った瞬間に殺されてないなら、もっと生き地獄を味わされるってことだからね」


「それは確かに」


 

 あの臙公の学者もそうだったからな。

 水も食料も無い空間に人間を閉じ込めて、一縷の希望だけ与えて、じりじりと絶望させながら最終的には餓死させていたし。



「でも、俺からすれば、やっぱり怖いのは人間です。なぜならレッドオーダーは倒せば良いだけですが、人間だとそうはいきませんからねえ」


「…………頼むからこの街の人間相手にドンパチは止めておくれ。ヒロが持つ戦力が全力で暴れたら、この街は壊滅してしまうよ」


「もちろん、心得ています。俺が力を振るうのは、俺と俺の周りに仇なす者達だけですから」



 俺の返事を聞いて、何とも言えないような顔をするボノフさん。

 そして、何かを言おうとして口を開きかけた時、



「マスター、お客様です。おそらくスネイル様かと……」



 背後の秘彗から声がかかった。



「何人かの人間と一緒にこちらに近づいてこられます。あと、機械種も1機いるようです」



 さらには森羅から追加情報が入る。



 複数人?

 なんだろ? 大金を運ぶからなのか? それも機械種の護衛付きで………

 でも、300万Mどころじゃない『銀晶石』はコイツ1人で持ってきたはずなのに。


 もしかして、マテリアルが惜しくなって襲いかかってくるんじゃなかろうな?


 

 パタパタ


 白兎からは向こうから戦意は感じないという情報が投げかけられた。



 ならば、単純に念を入れているだけか。

 商品なら不要だけど、マテリアルを持ち運ぶ際は、それなりの人数で運ばないといけないという規則でもあるのだろうか。


 ここで扱われている商品は目立つから、後で探し出すこともできるけど、マテリアルカードがどこかへ行ってしまったら、もう誰のモノなのかも分からない。

 カードに名前を書いていても、中身を移し替えたらそれで終わりだし。


 まあ、一応、用心はしておこう。

 最悪は俺が盾にでもなって、ボノフさんだけでも守らないと。





 トントントン




「………はい、どうぞ」



 やや扉の方を警戒しながら返事をする。



「失礼いたします」



 ガチャ



 

 扉を開けて入ってくるのはスネイル1人。

 やや困惑しているような顔での登場。

 

 入ってくるなり扉を閉めて、随分と後ろを気にしているようだ。


 

 んん?

 なんだ?

 随分と狼狽しているようだけど………

 ひょっとしてマテリアルが用意できなかったとかじゃないだろうな?

 それで有耶無耶にする為に武力行使に来たとか?



 半身に構え、どのようにでも対処できる体勢のまま、スネイルに問いかける。



「どうかしましたか? 何かアクシデントでも?」


「いえ、ご安心を。300万Mのマテリアルカードはこちらに………」



 スネイルは懐からマテリアルカードを差し出してくる。


 一瞬手を伸ばすのを躊躇したが、ここで受け取らないという選択肢は無い。

 

 ワンテンポ置いてから、スネイル越しに扉へと注意を払いながらも、マテリアルカードを受け取った。


 ささっと親指で操作し、内包されたマテリアル金額を表示させる。


 カードに映し出された金額は300万M、日本円にして3億円。

 


 うむ、間違いない。

 支払いを渋っていたわけではなさそうだ。


 3億円と言えば、商会であっても大金と言える。

 それを1時間もかからずに用意できるのだから、この市場で動いているマテリアルはかなり巨額なものなのであろう。


 しかし、こんな薄いカード一枚に元の世界のサラリーマン生涯年収以上の金額が入っているとは思えんな。


 すでに慣れてしまったが、少し前の俺なら触るだけでも手が震えてしまっていただろう。



「確かに受け取りました」



 受け取ったマテリアルカードはすぐさま空間拡張機能付きバッグに入れる………と見せかけて、七宝袋の中へと収納。

 万が一のことがあってはいけないから、俺が持つ貴重品は大抵七宝袋の中に入れているのだ。



「では、これで本当にヒロ様との取引は全て完了致しました」


「はい………、色々とありましたけどね」



 俺がそう言うと、スネイルは少し顔を顰めて何か言いたそうな表情を浮かべ………結局何も言わずに押し黙った。


 多分、色々言いたいことがあるのだろうけど、ぐっと我慢している様子。


 まあ、俺のせいで儲けがかなり減ってしまったからね。

 気持ちは分からないでもない。


 でも、スネイル的には思う所があるようだが、俺的には今回の取引は大満足。

 ずっと死蔵していたお宝の処分もできたし、後は帰って『銀晶石』を試すだけ………



「ところで話は変わりますが、ヒロ様に少しお願い事がありまして………」


「え? 俺にですか?」



 帰った後のことを考えていた所へ、なぜかスネイルの口から俺へのお願いと言う言葉が飛び出す。

 

 なんだ? お願いって………まさか!



「…………返しませんよ」


「いやいや! そういうのではなく! …………実は今回ヒロ様が取引された『銀晶石』をご提供されたお客様が、ぜひ、赭娼を持ち込んだ人にお会いしたいとおっしゃっておりまして………」



 んん?

 俺に会いたい?

 

 いや、向こうは俺だと知らないけれど、どんな人間が赭娼を持ち込んだのかを知りたがっていると言うことか。

 このブラックマーケットで、ここまでお互い顔を合わせない仕様なのに、わざわざ取引が終わった相手に会いたいとは………



「別に俺は会いたくありませんが?」


「そこを何とか………、私共にとってもかなり有力な取引先の方でして………」



 スネイルがそう言い訳染みた言葉を口に出した瞬間、



「何を言っているんだい? それを上手く躱すのがアンタの仕事だろ!」



 ボノフさんが前に出てきて、スネイルを叱り飛ばす。



「ヒロは嫌だって言っているんだから! ソイツに言ってやりな、断られましたって!」


「ですが………、その………」



 ボノフさんの剣幕にスネイルもタジタジだ。

 スネイルも無茶を言っているというのは承知の上なのだろう。

 だから強くも出れない。

 

 だけど、ここまで灰色蜘蛛の幹部らしいスネイルが遠慮しないといけない相手って誰なんだろう?

 

 まあ、俺にしても、この『銀晶石』をどうやって先方が手に入れたのかを聞いてみたい気もするが………


 しかし、高額商品を交換した見も知らぬ相手といきなり会うのは、気が引けるし、リスクも高い。

 どんな相手かも分からないのに、顔を合わせるのは危険すぎる。

 スネイルには悪いけど、ここは断固として………… 

 

 

 会うという選択肢を頭の中で切り捨てかけた時、俺の耳に入ってきたのは、



「相手は、これ以上ないほど身元のしっかりした方です! 先に名を告げても良いとおっしゃっていましたので言いますが、征海連合のレオンハルトと言う方です!」


「え? レオンハルト!」


 

 それは確か新人狩人の交流会で聞いた名だ。

 

 思いがけない名前に、つい、大きく反応してしまった。



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