第441話 夢
床に手をついて顔を上げないまま跪いている俺。
傍から見たら絶望的な感じで落ち込んでいるように見えるだろうが、実際は屈辱を与えられたことによる憤りに耐えているだけ。
今すぐにでも莫邪宝剣を抜いて、バラバラにしてやりたい衝動を抑えているのだ。
だが、ここで学者に襲いかかるのは得策ではないだろう。
コイツを仕留める為には感情的にではなく、状況を見て判断すべきなのだ。
動くべき時は今ではない………
「ふむ? 吾輩が君の心情を精査に分析したのが、それほど堪えたのかね? ふはははははっ、自分の夢を分析されて落ち込むとは、人間とはこれだから面白い……」
未だ蹲る俺に対し、その原因である学者は随分と満足そう。
やはりレッドオーダーだけに人間が悩み苦しむ様子が楽しいのだろう。
「ヒロ………」
背後からアルスの心配そうな声が聞こえてくる。
だが、それ以上の言葉が続かない。
多分、何と声をかけていいのか分からないからか。
しかし………
ムンズッ
跪いている俺の肩を掴む手が一つ。
そして、そのままグッと持ち上げられた。
顔だけを傾け、その人物の顔を見れば、目に入るのはハザンの男臭い顔。
「しっかりしろ! 何を落ち込んでいるんだ?」
「………………」
「ハーレムとウタヒメの話か? そんなもの、男なら誰でも一度くらい夢見るだろう? それを指摘されたくらいで、気落ちしてどうする?」
「いや、その………」
落ち込んでると言うよりは怒りを抑えているだけなのだが、それをこの場で説明する訳にはいかない。
だが、ハザンは俺の態度を見て、励ましを続けてくる。
「俺だって女の子は好きだし、アルスだってそうだ。誰だって聖人君子じゃ居られない。俺も両親の痕跡を探すのが夢だと言っておきながら、その為のマテリアルを自分の欲望の為に使うことだってある。お前が気にし過ぎなんだ!」
「あははははは、ハザンの言う通りだね。2人でそういうお店に行こうかって話をすることもあるんだよ。僕だって木石じゃないから。もちろん、復讐のことを忘れはしないけど、それが全てでもない。刹那的な快楽を浸りたくなることだってある」
続けて告げられたアルスのぶっちゃけ話。
主人公っぽいアルスからは信じられないような内容だが、現実であれば当たり前だ。
物語のように清廉潔白な主人公なんて在り得ない。
理想に燃え、正義を愛し、人には優しく、それでいて欲望が薄いなど、もはや人間とは言いにくい。
「だから、ヒロ。君の夢はごく当たり前のものだよ。自分で卑下しなくていいさ」
「そうだ! 堂々と胸を張ればいい。もし文句を言う奴がいたら言ってやれ、男が女を好きで何が悪いんだ!……とな」
2人して俺を励ましてくれている。
俺からすれば全く見当違いなのだが、それでも2人からの暖かい言葉に胸が熱くなってくる。
…………この世知辛いアポカリプス世界に、似つかわしくない善人だな。
チームトルネラの皆といい、エンジュ達といい、俺は随分と良い人達に巡り合い続けているようだ。
「ありがとう。もう大丈夫」
2人にこれ以上心配をかけないよう軽く笑みを浮かべてみせる。
色々と励ましてくれたおかげで、俺の怒りも収まり、冷静な状態を保つことができそうだ。
そんな様子の俺を見て、アルス達もほっと一息。
臙公に取り込まれた異空間内ではあるが、ほんの少しだけ柔らかな雰囲気が漂い始め…………
パチパチパチパチッ!
突然響いた拍手の音。
振り返れば、学者が赤く輝く目をこちらに向けながら両手を打ち鳴らしていた。
「わははははははっ、いやいや、美しきかな、男同士の友情。うむうむ、素晴らしい! そんな素晴らしい友情で結ばれた君達へ、ぜひとも最後の質問を投げかけたい!」
まるでこちらを馬鹿にするような称賛。
そして、最後の質問を投下を示唆。
だが、その質問を口にする前に………
「まずは君達にこれを見てもらおうか」
学者は白衣から伸びる黒い手を何もない空間へとそっと差し入れる。
ズルッ
亜空間倉庫と思わしき空間から取り出したのは、
「!!!!」
3,4歳くらいの粗末な服を着た幼女。
ぐったりとしたままピクリとも動かない。
「安心したまえ、この幼い人間はまだ生きている」
幼女の手を人形のようにぶらんと吊り下げたまま学者が述べる。
「さて、最後の質問だが………吾輩が『今ここで君達が語った夢を諦めたまえ。でなければ、この人間を殺す』と言えば、どうするかね?」
「なっ!」
「むっ!」
驚いて目を剥くアルスとハザン。
「この人間を助けたければ、夢を諦めるとここで誓ってもらうことになる。もちろん、その場合は嘘は許さない。嘘をつけばこの人間諸共異空間の狭間を永遠に漂うことになるだろう」
眼鏡を光らせながら、口のパーツを笑みの形に動かす学者。
つまり、あの幼女を助けたくば、今語った夢を諦めろと言うことか………
うん?
でも、それって………
「おい、学者。ここで諦めると言って誓ったって、それに強制力があるわけじゃないだろ?」
ファンタジー世界なら、『ギアス』とか、『契約魔法』とかあるのかもしれないが、ここは辛うじて科学っぽい技術体系が築かれている世界だ。
そんな摩訶不思議な現象を機械種が起こせるとは思えない。
「ふむ、その疑問はもっともだが………」
俺の疑問に対し、学者が答える。
「それについてはノーコメントと伝えておこう。君の言う通り、この場で誓いを述べたところで、後でそれを翻すことは簡単だ。私が求めるのは、今、ここで夢を諦めることを誓ってもらうことのみ。だが、先ほども言った通り、嘘は許さない。もし、この場を切り抜ける為だけに嘘の誓いをするのであれば、君達は一生後悔することとなるだろう」
コイツとしては、俺達が本当に夢を諦めるのかどうかなんてどうでも良いだろう。
ただ、あれだけ熱く語った夢を容易く諦めると誓わせるのが面白いだけ。
とにかくこの場だけでも夢を諦めるつもりで誓わなければならない。
もしかしたら、何か強制的に誓いを守らせるような超常的なナニカがあるのかもしれないけど。
俺には通用しないと思うが、そう思ったままで誓いを口にするわけにはいかない。
もし、少しでも誓いを守らない気持があるのであれば、あの学者はそれを見抜く。
この場だけ真剣に誓うつもりで、切り抜けた後は『知ったことか』と破棄するのが一番だが、そんなことってできるのだろうか?
試すにしてもあまりにリスキーな挑戦だ。
あの幼女を確実に助けるには、本当に夢を諦める気持ちにならないと………
横目でアルス達を見れば、学者を睨みつけ、歯を食いしばっている。
当然だろう。話を聞いただけでも、彼等が夢に注ぐ熱意は並大抵のモノではない。
彼等にとって夢を諦めろというのは、あまりに残酷な仕打ち。
真面目であるがゆえに、口に出して誓った言葉を後で翻すのにも抵抗がある。
しかし、善人である彼等は幼女も見捨てられない。
そっと足元の白兎に視線を移す。
すると白兎は困ったように耳をピクピク
どうやら学者の周りに空間障壁が張り巡らされている様子。
しかも向こうの方が空間制御スキルは高いときている。
これではいかに白兎と言えど、あの幼女の救出は荷が重い。
縮地と倚天の剣のコンボであれば空間障壁自体は切り裂けるだろうが………
学者の手の中にいる幼女の身の安全を考えると、この場で仕掛けるのはリスクが大きい。
一瞬で頭を潰されたら蘇生もできない。
何をするにしても、あの幼女はこちら側で保護してからでないと危険過ぎる。
だからと言って………
俺もアルス達に倣って学者を睨みつける。
どこかに突破策は無いかを探る。
ほんの僅かでも隙があれば………
しかし、俺達3人に睨みつけられても学者は平然としたまま。
さらには何かを思いついたように、ポンと手を叩き、俺達に向かって新たな提言をぶち込んできた。
「ふむ? 悩んでいる様子だね。わはははははっ、確かに君達に夢を捨てろと言うのは酷な話。ではここで吾輩からの大サービスだ。夢を捨てるのは一人で良い」
!!!
コイツ………
「なんと吾輩は優しいのだろう。3人が夢を諦めるのではなく、たった1人で良いなんて。さてさて人間達よ、先ほどは美しい友情を見せてくれたのだから、今回もさぞかし美しいモノを見せてくれるのだろうね。期待しているぞ! わはははははははっ!!!」
…………………
一瞬、激発しそうになり、目を瞑った。
そして、ゆっくりと目を開ける。
視線は前。
しかし、俺には周囲の視界を確保する八方眼がある。
確認するのはアルスとハザン。
もし…………2人の視線が…………
良かった。
2人とも視線は学者に向けたままだ。
しかも、ギリギリと奥歯を食いしばっている。
ハザンの手はハンマーの柄を握りしめ、ギチギチという音をさせている。
また、アルスは歯を食いしばるあまり、口の横から血が流れている程。
きっと犠牲になるなら自分と思っているのだろう。
他人の夢を犠牲にしてまで、夢を貫き通したくないと青臭いことを考えているのかもしれない。
そんな2人だから……………
そんな2人のためなら…………
俺のつまらない夢くらい…………
まあ、そもそも、今回のことは俺が原因でもあるからね。
こんなことで友達の夢が失われるのは見たくない。
「一つ、確認だ! 学者よ。俺が夢を諦めると誓えば、その幼女はこちらに渡してくれるんだな?」
「ヒロ!」
「なんで!」
叫ぶような声をあげる2人を手で制す。
どうせ、できるはずがないと思っていた夢だ。
そもそも俺の器量でハーレムなんて不可能だ。
複数の女の子を囲えば、その扱いに困って頭を悩ませる未来しかないに決まっている。
1人の男に対して、複数の女性が同じところで生活するなんて、並みの男じゃ耐えられない。
現実的に考えて俺では無理がある夢だったのだ。
それに俺だって、概念的に考えていただけで、そこまで真剣な夢じゃない。
ただ、ネット小説の影響を受けて、そう思い込んでいただけに過ぎない。
「ふーむ………そうだな。それは約束しよう。夢を諦めると誓えば、この人間は君達に渡そう」
「死体を渡すとか言うなよ。危害を加えるのは許さない」
「フンッ! 随分と疑り深いな。まあ良い。危害を加えず生きたまま渡す。これは赤の女帝陛下に誓おう」
面白く無いような様子で答える学者。
ここまで言うのだから信用しても良いか。
………また、何か裏があるのかもしれないが。
「ヒロ! 君が犠牲にならなくても!」
「俺の夢は、誰かの夢を踏みつけて進むモノではない!」
なお俺を留めようとする2人。
だが、そんな2人を安心させるように太々しい笑みを見せてやる。
「気にするな。俺がそうしたいと思っただけだ。そして、この決断をした俺の意思を否定しないでくれ。それは俺に対しても侮辱だぞ」
「ヒロ……」
「む………」
有無を言わせぬ言い方で2人を黙らせ、俺は学者へと向き直った。
真っ直ぐに学者を見つめ、今まで俺と共にあった夢へとに決別宣言を行う。
「悠久の刃、ヒロ。ここに『豪華で安定した生活+ハーレム+ウタヒメ』の夢を諦めると誓おう」
「ふむ………、嘘ではないようだな。フンッ、つまらん………」
学者が抱えていた幼女の姿がフッと消え、俺とアルス達の間に音もなく現れる。
倒れ込む幼女に慌てて駆け寄るアルスとハザン。
そんな様子をどこか他人事のように眺めながら、先ほど手放した夢について思いを寄せる。
『豪華で安定した生活+ハーレム+ウタヒメ』
思えば、この異世界に来てからずっと抱えてきた夢だった。
最初にこの夢を語ったのはチームトルネラのディックさん。
夜の荒野でラビットへと挑んだ後の帰り道でのこと。
あの時はまさか応援されるとは思わなかったなあ。
すみません、ディックさん。
貴方に後押ししてもらった夢ですが、今ここで諦めました。
でも、後悔はしていません。
ふと、ディックさんが苦笑しながら、親指を上げてサムズアップしてくる光景が頭を過った。
なんとなく、そんな反応をしてくれるだろうなと思い、思わず苦笑いが浮かぶ。
さようなら、俺の夢、『豪華で安定した生活+ハーレム+ウタヒメ』よ。
これからは、『色んな街に恋人を1人ずつ置いて、グルグルとローテーションで訪問する、海の男みたいな生活』を目指すことにするよ。
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