第161話 葛藤


 トールは仰向けで寝ている状態。


 その顔に、足を踏み下ろすだけで終わる簡単な作業だ。

 潰れたトマトみたいに脳漿をぶちまけてくれるだろう。


 後のことは知ったことか!


 コイツは俺から雪姫を奪ったんだ。

 なら俺もコイツの命を奪う権利があるはずだ。


 足音を立てないよう、ゆっくり近づく。

 起きられてもしたら面倒だ。万が一逃げられてしまうことも考えられる。



 

 そして、トールが寝ている横に立つ。

 

 どんな夢を見ているのか知らないが、幸せそうな寝顔に見える。

 自分がこれから顔を踏みつぶされるとも知らず、のんきなものだ。


 ふと、眠る前の歓談で、トールが嬉しそうに話していたことが頭に浮かぶ。


 ああ、そうか。ようやく自分の将来が開けそうになったと言っていたな。

 今まで物乞いくらいしか道が無かったトールに、ようやく明るい未来が見えてきたんだ。そりゃ嬉しいに違いない。


 『もし、ヒロがこの街に寄ってくれることがあったら、バーナー商会に顔を出してくれ。僕の権限でできる限りサービスするよ。その時までに出世できるよう頑張るから』



 あの時のお前の言葉は、嘘だったのか?

 俺は嬉しかったんだぞ。短い間だったけど、仲間だと認められて様な気がして。



 ほんの少し躊躇が俺の中に生まれる。

 

 しかし、それくらいでは俺は止まらない。

 さあ、コイツの顔を・・・




 トン



 その時、微かに響く、床を叩くような音。



 何の音だ?これは・・・いつも俺が良く聞いている白兎が足を鳴らす音?

 いや、白兎は今夜、玄関で見張りをしているはず・・・


 音の鳴った方を見ると、機械種ラビットが青い目を光らせてこちらを睨んでいるように見える。


 そういえば、1番小さい子供がラビットを持ち込んでいたな。

 今日は一緒に寝るからといって放さなかったのだ。


「んんん?何?朝なの・・・んんん?あ、ヒロさん?トイレ?」


 そのラビットの隣で寝ていた子供が起きてしまった。

 目をこすりながら、上半身だけを起こして、俺に尋ねてくる。


「いや、ちょっと・・・あ、ごめん。起こしちゃったかな」


「・・・なんだ。じゃあ、寝よう」


 再びポテンと横になる子供。


「・・・・・・・・・」


 子供が従属しているラビットは俺を見つめたままだ。

 もう俺の従属する機械種ではない。

 自分のマスターを守るために、不自然な行動を取る俺を警戒しているのだろう。


 しばらくそのラビットと視線を合わし続ける。


 どうやら向こうから視線を外すことは無さそうだ。

 たまに耳がピクピク動くところが、白兎によく似ている。

 同じ機種なんだから当たり前か。

 それに白兎の教えを受けたから、ある意味白兎の愛弟子でもあるのだ。



 もし俺がこのままトールの顔を踏みつぶそうとしたなら、どうなるのだろう。

 このラビットは俺を敵と判断して襲いかかってくるかもしれない。

 できるなら白兎の愛弟子とは争いたくはないな。




 トールへの憎しみは消えていない。

 俺の中の内なる咆哮もコロセコロセと喚いている状態だ。


 しかし、俺の頭の冷静な部分が、これ以上の行動を止めろと訴えてきている。

 そして、さっきまで感じていた、心地よいジュード、トールへの友情めいた感情。


 この拠点に来て、最初にチームについて色々教わったのはトールからだった。

 俺が食料についてタブーに触れてしまった時に、フォローを入れてくれたのも。

 たまに馬鹿な話で盛り上がることもあった。

 食堂ではいつも隣に座って、雑談を交わしていた。

 多分、この拠点内で最も会話が多かったのが、トールだったのではないだろうか。

 



 なんで・・・なんで、お前が・・・お前とは上手くやっていたと思っていたのに。




 その時、俺の心の中に雪崩れ込んできたのは、怒りではなく、悲しみ。

 信じていた者から裏切られたという痛み。

 

 それらが雨のように降り注ぎ、俺の中に燃え上がる怒りの炎を弱めていく。 






「ふうううううぅぅぅ」




 大きくため息をついて、自分の中に滞る熱いモノを吐き出す。


 もう気勢が削がれてしまった。

 再度、トールを殺そうとするだけの勢いはない。


 冷静に考えれば、トールは俺の根も葉もない噂を雪姫に吹き込んだだけに過ぎない。

 たったそれだけの罪でトールを殺してしまうのは、どう考えても筋が通らない。


 トールは俺を陥れようとしたが、そこに命の危険があったかと言われたら、否と答えるだろう。

 鐘守とスラムの少年の戦力差で言えば、争いになるわけがない。

 俺が発掘品を差し出して、対価としてマテリアルを貰って終わりになるだけだ。

 雪姫は、あれだけ逆らった俺に対しても、ギリギリまで命を奪おうとはしなかったのだから。


 ただ、俺が予想以上に強かったことと、度重なる行き違いが結果として、雪姫の命を奪うことになってしまった。

 

 運が悪かったのだ。

 俺も、雪姫も。



 しかし、それはそうと、俺の感情は別の物だ。

 もうトールに友情を感じることは無いし、指も治してあげようとは思わない。


 未来視で見た2年後の俺は、よくトールを許してあげたと思う。

 トールに負い目があったとはいえ、治療まで施してあげていた。

 この異世界で2年も過ごせば、俺はあそこまで成長できたということなのだろうか?





 俺は皆を起こさないよう、忍び足で部屋を出る。


 トールの近くにいるだけで不快な気持ちになってくる。

 もう同じ部屋で寝るなんて、耐えられそうない。


 

 ロビーまで行くと、他のラビット達と円陣を組んで見張りをしていた白兎が、俺を見つけてピョン、ピョンと跳ねながら胸に飛び込んできた。


 ボフッ

 

 正面から受け止めて、抱えてやると甘えるように顔を擦りつけてくる。


「おいおい、今は見張りの時間だろ。自分だけ抜け出すのはズルいぞ」


 頭を一撫でしてやって、床に降ろす。

 すると、了解っとばかりに、ピシッと両耳を立ててから円陣へと戻っていく白兎。



 ロビーで時間を潰そうかと思ったけど、ここにいたら白兎の邪魔になりそうだ。

 アイツにとっても愛弟子達との最後の晩だなんだし・・・



「・・・真夜中の散歩と洒落込むか」








 真夜中のスラムをただ歩いている。

 所々にある照明が、歩くには支障が無い程度の灯りを降り注いでくれる。


 人通りは少なく数えるほどだ。

 流石にこの時間だと、出歩く用事のある奴なんていない。

 精々、俺のように居場所に居ずらくなった奴が、うろついているくらいだろう。

 

 

 こうやって夜のスラムを歩いたのは、ディックさんを探し回った時くらいだな。


 その時の光景が目に浮かぶ。


 確か、ディックさんは黒爪団の奴等に袋叩きにされていたっけ。

 その時は黒爪団とは分からなかったけど。


 確か総会からの帰り道、ジュードはディックさんも黒爪団と交流を持っていたと言っていた。

 しかし、それは所詮ディックさんが一方的に思っていただけだったようだ。

 ディックさんが足を失ったと分かったら、その場で暴行を加える所から見ると。


 その時、ディックさんも裏切られたと感じていたのだろうか。

 あの後、特に黒爪団への恨み言は言わなかったけれど。

 


 


 とても綺麗とは言えないスラムの通りを、フラフラと目的も無く進んでいく。


 外に出ようと思ったのは、自分では消化できない思いを紛らわせる為だ。

 しかし、しばらく歩いて冷静になってくると、『自分は何をしているのだろう?』という疑問が湧いてくる。

 真夜中の散歩と言えば聞こえがいいが、ただ単に時間を潰す為に徘徊しているに過ぎない。


 昼はあれだけ時間が無いと言っていたはずなのに・・・

 もっと他にできることはないだろうか?



 その時、俺の頭に浮かんだものは、まだ達成できていない課題の一つ。


 

 黒爪団の団長、黒爪への対処。


 総会でも触れられていたが、黒爪団の団長である黒爪はサラヤに執着しており、事あるごとに狙われているらしい。

 放っておけば必ずチームトルネラの災いとなるのは間違いない。 

 

 俺は黒爪団の団長を殺すと誓った。


 なぜだか分からないが、アイツだけは許せないという思いが湧き上がってくる。


 『必ず・・・・と黒爪を殺して!お願い!そうすれば、私は・・・』


 誰かとそんな約束をしたような・・・


 うーん。思い出せない。


 しかし、時間も余っているんだし、偵察ぐらいはしておくべきか。

 ちょうど深夜だ。もし、皆寝静まっているようなら、忍び込むのも容易いはず。

 チャンスがあれば、その場で仕留めにかかってもいいかもしれない。

 どのみちあと1日しかないのだから。



「よし、黒爪団の拠点へ忍び込むとしよう」


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