二輪式タイムマシン

「――いちばんたいせつなことは、目に見えない」


 絵本に書かれていた、そんな美しい一文は、忌々しい騒音にかき消された。


 その音は、バイクの音だ。掃除機の音を数倍大きくして、不規則にして、時折、不愉快な破裂音を混ぜたような音だ。

 

 そんな騒音が続いた。


 しばらく経って、ようやく音が小さくなった。


 ふう、と息を吐いた。


「お父さん。いま、なんて言ったの?」


 ベッドの中の息子が言った。


「あ、ああ。ごめんね」


 父はそう言って、再び絵本を読み始める。


「――いちばんたいせつなことは、目に見えない」


 騒音、再び。


 名文はかき消された。


 ここは郊外の閑静な住宅街なのだが、夜中になると、時折、バイクの集団が騒々しい音を吐き散らしながら駆け抜けていくのだ。


 近くに幹線道路が有るのだ。普段から車どおりは多くないので、バイクを走らせるにはうってつけなのだろう。


「今日は、多いなあ。夏が近いからかな」


 父が言った。

 

「ねえ。お父さん。あの人たちは、なにをしているの?」

「バイクに乗っているんだ」

「どうして?」

「どうして? どうしてか……」


 父は少し考え込む。


「だぶん、ああやってバイクに乗ると、気分が良くなるんだよ」

「うそだ。うるさいだけだよ」


 息子の言うとおりだった。確かにうるさいだけだ。燃料も消費するし、事故に遭って怪我、下手したら死ぬ可能性もある。


 彼らが騒音を撒き散らす合理的理由が、何一つ分からない。


「お父さん?」


 何か、無いのだろうか。


 彼は考える。


 息子も、自分も、納得できるような何か。


 数分後、父は閃いた。閃いたままに呟く。


「……未来に行けるよ」


 息子が目を輝かせた。


「みらいに!?」

「そうは言っても、そんなに遠くの未来には行けない」

「どのくらい?」

「そうだな……」


 

 相対性理論によれば、時間の流れ方は人によって違う。


 光の速さに近ければ近いほど、時間は早く流れる。


 何も宇宙船である必要は無いのだ。


 バイクだって、移動しているのだから、止まっている我々よりは光の速度に近いはずだ。


 ならば、流れる時間も早いはず。僅かでも。


 父は、頭の中で簡単に計算してみる。


 あの幹線道路の制限速度は時速60kmだが、彼らに限って法定速度で走っているはずがないだろう。もしかしたら、2倍くらいは出しているかもしれない。


 面倒だ。


 簡単に100kmで良いだろう。


 彼ら、どのくらいの頻度でバイクに乗るのだろうか。


 週に2、3回だろうか。


 これも面倒だ。


 一生、乗っていることにしよう。


 そして、これも簡単の為に、彼らの人生は100年だと仮定しよう。


 そうして父は、諸々の変数を大雑把に決めた。


 答えを弾き出す。


「1秒にもならない」


 百年、バイクに乗り続ければ、未来に行ける。


 百年と、1秒後、という未来に。


「1びょうにも?」

「ああ」

「どうして、バイクにのるの?」


 少し考えてから、父は言った。


「意味なんて無いんだ」


 間もなくして、息子の寝息が聞こえてきた。

 

 父は本を閉じ、灯りを消した。

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ガラクタ置き場 夕野草路 @you_know_souzi

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