ガラクタ置き場
夕野草路
二重振り子――小説を書く意味についての考察――
「見たまえ。振り子だ」
教授は突然、こう宣言した。
言葉の通り、それは振り子だった。
細いナイロン製の透明な糸の先に、金属の球が付いている。教授は、おもりと反対側の糸の端を摘まみながら、トン、とおもりをつつく。おもりは弧を描きながら、右へ、左へ、往復運動を始める。
確かに、振り子だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「では、これはどうだろうか?」
教授はもう一つ、同じ振り子を取り出した。その振り子の糸の先を、もう一方の振り子のおもりに繋げる。簡単に図示すれば、こんな構造になるだろうか。
――――〇――――〇
上の図を縦にしてもらえれば、概ね、そんな感じだ。
「これは二重振り子と呼ばれるものだ」
「振り子が二つ、繋がっているから?」
「そう。だから、二重振り子」
「単純ですね」
「そう。単純だ。では、私たちはこの単純な構造がどのように動くか、予想できるだろうか?」
「出来るでしょう」
ボクは即答していた。
「おもりの重さとか、糸の長さとか、諸々の変数が分かれば、予測できます」
しかし、教授は言った。
「予測できない」
「まさか」
ボクは教授の言葉が信じられなかった。
理系の端くれとして、科学が万能だと信じている訳ではない。
それでも、ボクたち人類は月にさえも足跡を付けた。
そんな人類の科学が、これほど単純な構造の予測すらできないというのか。
「本当に、出来ないんだ」
そう言って教授は、吊り下げられた重りを持ち上げると、離した。
最初、二重振り子はできの悪いブランコのように、かくん、かくん、と左右に揺れていた。しかし、有る時を境に、突然、二重振り子が暴れ出した。
まるで生き物のようだ。その様子は、コンクリートの上で、のたうち回っているミミズのようにも思えた。眺めていると、ちょっと吐き気がしてくる気味の悪さだ(youtubeに二重振り子の動画はたくさん上がってます。興味が有る方は、試しに検索してみてください)。
そんな二重振り子を眺めながら、教授は言う。
「一応、理論的に予測することはできる。しかし、実際の運動は、理論とはまるで異なる」
理論とは一体。
「しかし、教授。何故、そのような事が起こるのですか?」
「例えば、おもりを持ち上げる時に付いた、手の油」
「手の油と言っても、そんな大した量は付かないでしょう」
「もちろん。1ミリグラムにも満たない量だろうね。しかし、その1ミリグラムにも満たない量が、この二重振り子の動きをまるで変えてしまう」
「……他には?」
「例えば、心臓の鼓動。君に指先から伝わるかすかな振動。後は、君が吐く息。それに、君の体温とか」
「そんなほんの僅かな事で、二重振り子の運動は変わってしまうのですか?」
「そうだよ。「ほんの僅かな事」で、まるっきり異なる事象が現れる。それこそ、この二重振り子が〈複雑系〉《カオス》と呼ばれる理由だよ」
「カオス……」
「そうだよ。〈複雑系〉だ。そして、私たちが今、生きているこの世界も、〈複雑系〉に分類されている」
「この、世界も……」
「だからね、「ほんの僅かな事」が、この世界を変えないとも言い切れない。例えば、君が電子の海の片隅に書き散らした、クソみたいな駄文が、この世界を変えないとも言い切れないんだよ」
そう言えば、最初はそんな話題だった。小説を書くこともそうだけれど、ボクのありとあらゆる行為に何か意味が有るのだろうか。そんな相談をしていた気がする。いきなり振り子を出されたときには面食らったけれど。
「じゃあ、教授。ボクの駄文が、誰かの心にほんの少しだけ響いて、その誰かが別の誰かにほんの少しだけ影響を与えて、そんな事が玉突きのように連鎖して、この世界が変わる。そんな事が、有るのでしょうか?」
「有るかもしれないし、無いかもしれない。どんな意味があるかは結局、分からない。分からないけれど、意味が無いとも言い切れない」
「なんだか、よく分からないんですね」
「そうだよ。なんて言っても、この世界は〈複雑系〉だからね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます