第百七十六節 過去の残骸が交差して

 扉をくぐると、視界が渦巻きながら広がった。

 気を抜けば呑み込まれてしまいそうな深淵。

 青いトンネルが向こうへと続き、二人を遥か先へと誘う。


 そしてテレポートは一瞬だった。


 この摩訶不思議極まりない空間の雰囲気にゆっくり浸る暇もなく、彼の足は地に着くこととなった。


「よっ……と」


 長い道を歩くのとはまた違う、独特な疲労感。

 座りっぱなしの日中を過ごした後に近い、全身の強張り。


 久しぶりの慣れない感覚に、ソウジュの額には汗が浮かんでいた。


「ルティ、平気?」

「~♪」


 この能力の持ち主だからだろう。

 ソウジュと違って、ルティは元気そうだった。


 目眩が収まるまでの少しの間、植え込みを囲む縁石に腰かけて息を整える。


 そうして調子を取り戻したら、周囲に広がる神社の境内を探索し始めた。


「……けほっ、こほっ」


 まず初めに建物の中を見る。

 見るまでもなく、どこもかしこも埃を被っている。


 昔は綺麗に整えられていたであろう畳もその淡い緑色に見る影はなく、障子に至っては四角い区切りの一つ一つに灰色の塊が丁寧に添えられていた。


 この部屋は茶の間だろうか。

 真ん中にちゃぶ台と、奥に背の低い棚。

 何かがあるとすればあの棚の中だろう。


「見るしかなさそうだね」


 ソウジュは土足のまま部屋に上がる。

 礼儀は悪いが、それよりも足裏に埃が張り付くのを嫌った。

 加えてもう誰も住んでいないのだから、文句を言う人も居ない。


 こんなことに苦言を呈するほど暇なのなら、礼儀正しく振る舞って貰えるように掃除をしておくべきだ。


「箸やスプーンに……これだけ?」


 特に目ぼしい物は棚の中から見つけられなかった。

 縦長の小さな箱が右奥にあり、その中の少ないカトラリー。

 他の部分は空っぽで、本当に何もなかった。


 ……最初の部屋には早々に見切りをつけて奥へと進む。


 一通り見て回ったところ、大抵の部屋は見る意味もない伽藍堂。

 ここもおそらく図書館と同じで、住人が大抵の荷物を持って引き払ったのだろう。

 しかし幾つか、何か残っている可能性がありそうな部屋もあった。


 その一つ目が、台所。

 ただし期待は……それほどなかった。


 なにせ、台所だから。


「まあ、こんなものか」


 案の定、大した物はなかった。

 残された品も調理器具が大半を占めている。

 ちゃんと手入れをすればまた使えそうな程度の摩耗だった。


 よほど意表を突いてまで隠したいものがない限り、わざわざこんな場所に仕舞い込んでおく理由などないだろう。


 早々に台所での捜索を切り上げ、ソウジュは他の部屋へと向かった。


「~~!」

「ルティ、どうしたの?」


 そして廊下を歩いている最中、ルティが何かを見つけたようだった。

 ソウジュの袖を咥えて、ぐいぐいっと後ろへ引っ張る。


 そうやって連れられるままに向かった先は、縁側の向こうに広がる庭だった。


「…ここに、何かあるの?」

「~~★」


 ソウジュの疑問に肯いて、ルティはある一点に向かう。

 そこは何の変哲もない芝生。

 しかしルティは土に爪を立て、掘り出すような仕草を取った。


(ここほれワンワン……みたいな?)


 ブンブンと楽しそうに尻尾を振りながら地面と戯れている様子を見ると、本当に犬のように見えてしまう。


「よし、何が埋まってるか確かめてみよっか!」


 興が乗ってしまったのだろう。

 ソウジュも一緒になって地面を掘り始めた。

 ガサゴソ、ガサゴソと。



 ―――数分程度の時間が経つ。



「……ふぅ、やっと掘り出せた」

「~♪★」


 小さな共同作業の終わり。

 彼の手には土にまみれた漆黒の箱があった。

 手乗りサイズのブラックボックス。


 しかしその矮小なサイズに見合わない、何か途轍もなく大きいオーラがその物体の中心から放たれている。発掘作業の間も不思議なオーラを感じていたが、こうして手に取ってみると存在感は段違い。


 何故、此処にこんなものが埋まっていたのか。

 それを知る方法はもう残されていないだろう。

 だがコレの正体については、一つ嫌な予感がしていた。


「まさか…ね」


 アスの手紙によれば、結界のには妖術的な施しがされている。故にソウジュは、透明化や妖力の隠蔽などといった手法でそのを保護していると考えたのだが……。


 コツコツ、とその箱を叩く。

 軽い打音がして、妖力の反響を感じる。

 妖力によって形作られた糸を編んで、封印のようにを守っている構造に見えた。


 九割九分九厘、といったところ。


「ビンゴ、だね。まさか地面に埋まってるなんて」


 てっきりのようなものが神社の何処かに浮いていると想像していた。想定外の解を受け、肩透かしを食らったように彼は溜め息をついたが、しかしお目当てのは見つかった。


 移動できないオブジェクトではなく物理的な媒体としてを手中に収められたという点も、好き勝手に持ち運べるので非常に便利である。


 ただ、まあ。

 折角便利なところ悪いが。

 彼は今からこれを壊してしまう。


「まずは第一段階、順調にいって良かった」


 彼のすべき行動をアスが教えてくれたお陰だ。


 元々、らしんばん座の導きに従ってこの場所へと向かう予定ではあった。

 しかし成すべき事を知らないままの彼では、精々神社に積もった埃を頭に被って御仕舞いだっただろう。


 いや寧ろ、羅針盤の指し示す先が正確だということを確かめられた。

 もしかしたら今後、世話になるかもしれない。


「じゃあ、壊してみよっか」


 箱に手を掛ける。

 そう簡単にはいかないだろう。

 揚力を流して少しずつ術式の仕組みを探り、保護を解除するための取っ掛かりを探す。


 まるでパズルを解くような作業に没頭し、また時間が流れていくのだった。




§




 数時間後。


「……あーっ、わかんないっ!」


 彼はすっかりいた。

 どれだけ妖力の流し方に工夫を凝らして、至極丁寧に封印を触っても、中身のに辿り着ける未来が見えない。


 決して避けることの出来ない最後の道に立った壁。

 それを越えられないのだから、苦しみも一入である。


「ルティ、助けて~」

「~~…」


 隣で見守っていたルティに縋り付いて助けを求めるも、相手の方がどうすればいいのか分からず戸惑っている様子。


 ソウジュも本気で解決法を希っているのではなく、長時間の作業で溜まったストレスを癒したいというのが本音。ずっと集中しっ放しだったから、心だけでなく手足も疲れ切ってしまっている。


 封印解除の進捗は殆どゼロ。

 しかしながら、収穫が全くない訳でもなかった。


「逆の事なら、できるようになっちゃったな」


 そう呟いて、妖力の糸を編み出す。

 近くで適当に拾った石ころにその糸を引っ掛けると、あっという間に包み込んでその小石を『封印』してしまった。


 ことんと、地面に虹色の箱が転がる。


「……強度は、そこまでじゃないか」


 指先につまんで軽く力を込めてみれば、簡単にぐにゃりと凹んでしまう。

 見様見真似ではこの程度、再現できたこと自体を誇るべきか。


「似たような形の封印を作れるんだから、解く方だって何か良いやり方を思いつけてもおかしくないのに…」


 理論に対する理解は少なからず得られた。

 自分で作ったが故に、先程の封印は造作もなく解ける。

 虹色の糸がふわりと緩んで、小石は地面の砂利と見分けが付かなくなった。


 が、児戯。

 本物には遠い。


「いっそルティに持って行ってもらって、キュウビに解除をお願いしちゃおうかな」


 アスの手紙や今の状況から、ルティがソウジュを連れてキョウシュウの外に出ることは不可能なのだろうと幾らか察しがついている。


 しかし色々な物資を彼女が送ったように、彼もこの重要なを適切な人物の手へと受け渡すことが出来るのではないだろうか。


 特にキュウビなら、ソウジュよりずっと詳しいはず。


「ルティ、お願いできる?」

「~~♪」


 自慢げに鳴いたルティは、ソウジュから受け取った黒い封印を口にくわえて、中空に生み出した転移の扉へと飛び込んでいく。


 これで一安心。

 そう思ったが。


「…ルティ?」


 目に映る景色がおかしい。

 ルティは扉をくぐらなかった。

 開いたドアの入り口で、奇妙に動きを止めている。

 

 じたばた。

 無為に暴れる彼の手足。

 まるで壁に手を突きながら、前へ前へと歩こうとしているかのようだ。


 この奇妙な光景に、ソウジュは一つの解釈を導いた。


「もしかして、の?」

「……」


 申し訳なさそうに黙り込むルティから黒い箱を返してもらったソウジュは、すぐさま扉に向かってそれを投げつけた。


 コトン。


 区切られた空間の間際で黒い箱はピタリと動きを止めて。

 そのまま羽を撃ち抜かれた小鳥のように音もなく落ちた。


「…参ったなぁ」


 肝入りの策が一つ潰れてしまった。

 正真正銘、彼のみの力で解決するしかないらしい。

 だがそうすれば、あとどれくらいの時間が掛かるだろうか。


「はあ…」


 適当に折った枝を封印した赤い箱と一向に壊せそうにない黒い箱。

 両手に一つずつ持ってみても、重みに違いは感じない。

 なのに、それぞれが持つ意味は月とすっぽん程に異なる。


 いっそ力づくで壊せないものだろうか。


「こんな風……にっ!?」


 何も考えずに箱同士をぶつけてみたソウジュ。

 その瞬間、二つの箱の接点から眩い光が溢れ出た。


 キィィィィィィ―――ン……


 鳴り響く甲高い音は、片方の箱が鳴らした断末魔のようであった。


「……何が、起こったの?」


 光が収まった後、恐る恐るソウジュは目を開く。

 驚きのあまり思わず手放してしまったモノを探すが、結界のが封じられた黒い箱しか見当たらない。


 もう片方はといえば、ぐにゃりとねじ曲がった木の枝が足元に落ちているばかり。


 まさか、封印が壊れた?

 元々拙い真似事だから、不思議ではないが。

 しかし何だって急にこんな現象が起こったのだろう。


 数々の疑問が浮かんでは消える中、ふと拾い上げた本命の箱を見てみると。


「……っ!?」


 箱を構成する六面の内の一つ。

 おそらく、自作の箱とぶつけた面だろう。

 そこに僅かながら、穿たれたようながついていた。


 どれだけソウジュが努力を重ねても、傷一つ付けられなかったそれに。

 適当に作った封印の箱が一矢報いたのだ。


「まさか―――」


 一つの可能性が浮かぶ。

 どのように活かせるかは未だ不明だが。


「……試してみる価値は、ある」


 光明は差した。

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