第百七十五節 『僭主』の執着

 思えばそこには、彼女自身の意思など端から存在してはいなかったのだろう。


 子狐や、鴉や、兎に、鯨。


 ”カシオペア”の輝きを持つ彼女は数々の星座のセルリアンと全く同じように、ジャパリパークの片隅でその生を受けた。セルリウムが石板という名の誘蛾灯に吸い寄せられ、皮肉にもその灯りが蛾に喰われることによって。


「……?」


 彼女が生まれた後、しばらくは本能のままに彷徨っていた。


 キラキラしたもの。光り輝くもの。

 それを漠然と求めて、生まれ落ちた場所の近くをまだ身体で動き回ったのだ。


 そして彼女は、すぐ近くにあった建物の中へと侵入した。


 セルリアンだから別に、自然の中の人工物を見つけて”物珍しい”などといった感情を持つことはない。カシオペアがそこへ惹き付けられたのは、他でもない人間のの所為だ。


 星座は紛れもなく輝きを持つが、このような形で現れる輝きは非常に珍しい。やはり多くの場合では、人間やフレンズが何らかの形にもの……その中に輝きは宿る。


 だから言ってしまえば、建物自体を呑み込んでしてしまってもよかった。


 もう回らない印刷機でも。

 ヒビ割れて光を失ったモニターでも。

 コーヒーの染みが付いた紙コップでも。


 真っ先に手が届いた適当な何かを食べてしまえばよかった。

 そうせずに、彼女が『それ』を選んだのはある種のだった。


 彼女の選択。

 ジャパリパークに残された嘗ての事件の記録。


 他でもない、に関する書類の数々。

 極上のステーキを平らげるようにぺろりとその紙を呑み込んだ彼女は、瞬く間に姿を変えていった。


 破壊。

 混乱。

 畏怖。


 形式ばった一見無感情な書式の中に、人類が抱いた危機への感情が所狭しと詰め込まれている。いっそ女王ではなく、神や自然といった類の存在に向けるべき巨大な畏れがどこまでも論理的に議論されている。


 その思いを彼女は食べた。



 ―――カシオペア。

 ギリシア神話の中で、古代エチオピア王ケフェウスの妻として描かれた”王妃”。



 正しく”女王”という訳ではないが、その言葉に比肩する権力の大きさが”カシオペア”の名を持って生まれた彼女をその輝きへと惹き付けた。


 まさか人々は思いもしなかっただろう。


 自分たちが脅威に対抗するために集めた情報そのものが、いつかの未来でそれと全く同じ脅威を生み出すためのになってしまうとは。


 『カシオペア』は『女王』の全てを知った。

 他ならぬ人類にそれを教えてもらった。

 嘗て『女王』も、とある『過去』に永遠への渇望を教わった。


 『カシオペア』は知っていた。

 自分は飽くまでしただけ、本物の『女王』ではないと。


 しかし衝動があった。


 ありとあらゆる星がそのまま永遠に輝き続ける夜は、喰わなければ輝けない彼らにとって余りにも魅力的だった。


 だから『カシオペア』は『僭主』のまま、『女王』になることを決意した。


 輝きを、ずっと見ていたかったから。



 ―――そして今、目の前にある。



 他ならぬ自分の『原典』。

 本物の、『セルリアンの女王』が。


 かつての戦いでとある人間に封印され、今は火山の頂上で眠っている。


 一人の人間の生涯を揺り籠から墓場まで見守ることが出来る程の時間が経ち、それでも尚この封印は僅かばかりも揺らいでいない。


 誰もこれに干渉できなかったから?

 だとしても、ことがどれほど難しいか。


 此の封印こそヒサビという男が作り上げた一世一代のであるということ、誰が真っ向から否定できよう。


「だが、私がそれを破壊する」


 全てを呑み込み再現し、『永遠』を見つける。

 この無限に排他的な結界もその一つの形だが、『女王』の理想にはそぐわない。


 もっと大きく。

 どこまでも広く。

 誰も逃れられないように。


 ……しなければ、意味がない。


 遍く輝きを在る形のままのだから。


「今までご苦労だった。もう、消えていいぞ」


 そう言って封印の結界に干渉しようとする。

 触手を伸ばして表面に触れる。

 外形をなぞり、侵入できる隙間を探す。


 ……そしてかなりの時間が過ぎた。


 突破口が見つからないまま太陽は大きく廻り、状況が膠着したまま周囲の明るさのみが二転三転と変化する。


 だが『カシオペア』は一向に諦めない。

 目の前のゴールを一心に抉じ開ける。


 ソウジュを捕まえる為に手下のセルリアンを向かわせたことさえ、思考の隅っこへと追い遣られてしまっていた。この封印を解くを考えれば、いっそ彼など後回しにしてしまう理由も分からないでもないが。


「……」


 作業を続けながら、彼に言われたことを思い出す。


『まさかその女王と手を組んで、ジャパリパークを征服する気?』


 彼はそう疑問を呈した。

 セルリアンを統率する存在が増えることを危惧したのだろう。

 或いは単純に、強い敵が増えると思ったのかもしれない。


 しかしである。

 勿論この不明を責められる謂れが無いことも承知の上だが。

 なぜ『女王』が二人もと思うのだろうか。


 いったい何処に、複数の王が同時に在位できる正当な理由がある?


 くつくつと、『カシオペア』は笑う。


「まだだ、まったく足りない。支配者たる力も、その正統性も、ただしただけでは遠く及ばないのだ」


 『カシオペア』は『女王』の全てを知ったと、先程そう書いた。

 しかしそれは一側面のみを見た表現だ。


 彼女が再現したのは、『女王』。


 『彼女』が振るった力を振るい、彼女が語った言葉を語り、彼女が見せた姿を見せる。どこまで精巧に模っても、所詮は影の投影でしかない。


 だから知りたい。

 本物を。

 実際を。

 光を。


 そうして初めて、『カシオペア』はかつての『女王』が引き切れずに途切れた線の先端から、真に新しい続きを描き出すことができるのだ。


 その為に。

 

 その為に、

 この封印を解く。


「……そのつもりだったのだが」


 予想以上に封印が強固だ。

 このまま強引に解除しようとすれば、中身にまで影響が及ぶ。


 最もマシな結末で、”火山ごと大爆発”といったところか。

 そうなってしまえば全てが御釈迦。

 本物の『女王』も回収できるか分からない。


『―――壊すつもりなら、俺たちことつもりで続けな』


 そんな幻聴が耳に届いたような気がした。


「……おのれっ!」


 結局、手を止めざるを得なかった。

 より堅実に解くために、何かが必要だ。


「たしかこの封印を成した技術は、妖術といったか…」


 そのようなモノに対する知識は深くない。

 『カシオペア』自身も、ましてや『女王』も。

 ただこの封印を成した人物については、僅かに認識がある。


 ヒトの身でありながら最後まで『女王』に牙を剥く存在だったと、キョウシュウの外で『アルゴ』の情報を集めている間に知った。彼にその技術を与えた存在も考慮すれば、キュウビキツネもまた『女王』にとっては因縁の存在だといえるだろう。


 ただし『カシオペア』はあまり頓着していないようだが。


「所縁のある物を探すというのも、一つの手か」


 キョウシュウに残された痕跡の探索。

 それこそ、この島に隈なく行き渡らせた配下のセルリアンが役に立つ。


 彼女は外からの余計な刺激を排するべく瞼を下ろし、各地に伸ばしたが感じた無数の感覚にその神経を集中させた。


「ぐっ…」


 見える。

 聞こえる。

 触れる。

 判る。


 際限はなく、意識は引き裂かれるかのよう。


 数百を超えるを同時に見て理解しなくてはならないのだから当然だ。そのように多大な苦痛を伴うからこそ、喫緊の必要に駆られなかった今まではこの手段に頼ることは無かった。


 それでも。

 今は違う。

 彼女は無数に舞い込む情報を分別し、鍵を掴むその時まで続ける。

 何分も、何時間も。


 もし見つからなければ、何日でも彼女は続けるだろう。

 偏にによって。


「ふ、ふふふ……!」


 ヒサビこそ、『女王』にとっての因縁。

 では、『カシオペア』にとってのそれは?


 ―――ソウジュだ。


 彼女が初めに掴んだ『アルゴ』の力を破壊し、幾度にも渡って彼女の目の前に立ちはだかり邪魔をして、今も尚このキョウシュウの土地に潜んだまましぶとく好機を狙っている。


 だが最も重く、深く残った憎悪はやはり出会いの敗北だ。


 アレさえなければ。

 あんな邪魔を喰らわなければ。

 とっくの昔に自分が『王権』を掌握していたというのに。


 まだ『偽物』だ。

 彼の所為で。


「だからこそ、完膚なきまでに見せ付けてやらなければならない」


 自分こそが何より強い『女王』で。

 彼の行いは全て無益なものだったと。

 来るべき災いを避けることなど不可能だったのだと。


 ……何も知らずに自分を否定した彼に、示さなければならない。


 それこそが『カシオペア』の抱える最も強い感情で、今となっては唯一ともいえるの正体だった。


 フレンズも。

 セルリアンも。

 そこにある対立も。

 『女王』の存在さえも。


 ―――実はどうでもいい。


 リウキウの海に流され、点と点が線で繋がったあの時から。

 彼女の抱くあらゆる衝動の原点にあるものが、『ソウジュの否定』だったのだと気付いてしまったから。


 もはや全てが、立場でしかない。


女王わたしを、教えてやる…」


 だから。

 真の意味で本物を欲さなくなった彼女は。


 『僭主偽物』と呼んで違い無い。

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