第百七十七節 雪山の追撃
「はっ、はっ、はっ……!」
ぎゅっ、ぎゅっ、と地面を踏み鳴らしてソウジュはセルリアンから逃げていく。
ここは芝生と雪の境界。てっぺんから足元まで真っ白な雪山に差し掛かる登山道の始まり。
何の前触れもなく神社に押し掛けたセルリアンの集団に追い立てられて、北へ北へと元居た場所に背き続けているのである。
ルティも共に連れているが、彼の能力は使わない。それには様々な理由があるが、最たるものはこの島の現状だった。
神社から飛び出して逃げる最中のこと。
行く先々、そこかしこに蔓延るセルリアンの集団を目にした。
幸いにもソウジュたちは強い。
並大抵のセルリアンに遅れは取らない。
しかしやはり、この島から安全な場所が急速に失われていることもまた事実だと、ソウジュは感じた。
では、それがルティの能力を使うかどうかの判断にどう影響するのだろうか。
言ってしまえば簡単なことだ。
ソウジュは転移先の安全を懸念した。
例えばルティの扉を通った先にセルリアンの群れが居た場合、対処できるか分からない。
ただでさえ扉を通ったら、少しばかりの間はめまいが後を引く。そんな状態で、自身やルティを守りながら逃げ果せるかが分からない。
とどのつまり、不測の事態を嫌ったということである。
(だけど、予想通りだ…)
帆座の力で時折空中に飛翔しながら索敵をしてみたところ、川や森、平原といった地形にはセルリアンが溢れていた。
その反面、遠目に見えた真っ白な雪山には、その純白を濁らせる異物の姿が殆ど見られなかったのだ。
雪山はただでさえ過酷な環境だ。
セルリアンでもそこに滞在するのは辛いのだろうか。
もしくはこれらセルリアンを操る『カシオペア』は、ソウジュがあの極寒の地形に潜んでいる可能性を低く見積もったのだろう。
もしもそうであれば正しい推測だ。
ソウジュには元からあんな場所に行く気などなかった。
(寒さを凌ぐ方法もありはするけど、その『一番の方法』は海の向こう側だからなぁ…)
まだ一週間も経っていないが、クオの姿が懐かしく感じられる。
底抜けに朗らかな笑顔。
無邪気に甘えてくる仕草。
ふわふわの尻尾。
気持ちを隠せない耳の動き。
幾度となく『同調』によってその輝きに触れてきたからこそ目を閉じれば容易に想起でき、それが余計にもの悲しさを大きくする。
それでも。
幻だとしても、
瞼の裏に見えるクオは素敵で……
「……あいたっ!?」
「~~っ!!」
ソウジュの背中に痛みが走る。
ルティがバシッと喝を入れたのだ。
「ごめん、ちゃんとするよ」
「~☆」
頬をつねって目を覚ましながら、この現状が悪い夢などではないという現実に胸を打たれつつ。
ソウジュは緑に別れを告げて、静謐な死が渦巻く極寒の世界へ足を踏み入れた。
§
雪山を横切る劇的な逃避行の様相。
ソウジュが深い雪に脚を取られたり。
軽い身のこなしのルティに雪から引き抜いてもらったり。
そんな風に四苦八苦しながら先へと進んでいると、そう長く経たない内にそこそこ大きな建物が視界に映る。
ソウジュの目には、雪山の温泉宿のように見えた。
空も地も真っ白でよく見えないが、まだここより高い地形があることは見える。周囲に他の人工物は見当たらないため、この雪山で彼らが憩うことの出来る唯一の場所になるのかもしれない。
無策に山頂を目指すよりは、ここに身を潜めた方がよいだろう。
もちろん追手の側も、こういう場所を重点的に調べるのだろうが……
「先に入って、守りを固めた方が有利だよね」
何より、寒い外に野晒しのまま居たくない。
今後の行動をどうするにしても、落ち着ける場所が欲しかった。
中に入ると、やはり放置された家屋の雰囲気がソウジュを迎えた。
サンドスターのおかげか、設備自体は完全にダメになっている訳ではなさそうだが……手すりや戸棚に指を滑らせてみれば、塊を成す灰色の物体が嫌な形で年季の入り方を教えてくれる。
それ以外には何もない。
ただの、無人の宿。
客観的にみればそうだ。
(だけど不思議と、何もないとは思えない…)
お宝が見つかるとか。
実は誰かが隠れているとか。
そんな”ハッキリ”とした気配ではなく。
初対面の相手に妙なシンパシーを感じてしまうような、出所も正体も分からない親近感がソウジュの心に沸いたのだ。
もしかすると過去にここに住んでいた誰かは、ソウジュと似た境遇にあったのかもしれない。
そんな確かめようのない予感がしていた。
「~~?」
「よしよし、休んでていいよ」
彼の神妙な心持を察したのか、ルティが寄って来る。
しかし今の心中を丁寧に話しても仕方がないので、来るセルリアンの襲撃に備えて休ませておく。
おそらく居場所は知られてしまった。
いつ、雪山に『カシオペア』が訪れてもおかしくない。
ソウジュ自身も休むべきだろう。
だが気が張って落ち着けなかった彼は、何か面白い物を探して宿の中をゆるりと散策することにしたのだった。
「……露天風呂か。まああって当然だよね」
お湯は流れていない。
湯舟には、乾いた水垢がこびりついている。
たったこれだけの景色で胸がきゅっと締め付けられた。
いたたまれず、ソウジュはそこを後にする。
そのまま廊下を歩いていると、ついに面白そうな物を見つけた。
「機械がある。まだ動くのかな」
彼の知識には無いが、外の世界には”ゲームセンター”と呼ばれる施設があり、そこにはいわゆるアーケードゲームの筐体が大量に並べて置かれてある。その一つが、この温泉宿の一角にも設置されていた。
パッと見た限り、ゲーム機に傷や凹みは見えない。
角や隅の部分にわずかに錆が確かめられる程度。
触れば何かが出来るかも。
そう考えたソウジュは、知らないながらも目に付いたボタンやレバーを適当にガチャガチャと動かしてみる。
「あっ…!」
すると力を込めすぎたのか、レバーが根元から折れてしまった。
押し込んだボタンも、奥に引っ掛かって戻ってこなくなっている。
結局ソウジュは何も分からないまま、その機械を放っておくしかできなかった。
望み通りにならない結果に肩を落として、ルティの所へと戻ろうとしたその時。
「―――ッ!」
突如、全身に重くのしかかる威圧感。
そして宙には扉が現れ、中からルティが飛び出してきた。
「~★!」
姿を見せるなり一目散にソウジュへ飛びついたルティは、普段通りの天真爛漫さを見せながらも仕草の節々には焦りと畏れを表出している。
ソウジュも同様に感じていた。
並大抵のセルリアンには到底発せない、よく知る強者の気配を。
響いた、声。
「さて、何日ぶりだったろうか。このような過酷な地にまで足を伸ばすとは、余程のこと私を恐れていたらしい。」
光の差し込む廊下の向こう。
ソウジュたちの逃げ道を塞ぐように『カシオペア』が立っていた。
ぐっと息を呑み、ルティを下がらせてソウジュは彼女と相対する。
「確かに、この付近にだけは配下のセルリアンを置かなかった。孤島の中、限られた軍勢を効率よく振り分ける方法でもあったが……それと同時に、一種の罠としてもよく機能してくれた」
やんわりと嘲るように、近寄りながら彼女は云う。
「やはり貴様は、セルリアンの少ない場所を探り当てることが出来た。故にこそ他の場所ではなく、この雪山へと逃げ込んだ」
彼も疑問には思っていた。
セルリアンに見つかった以上、その親玉に所在を知られてしまうこと自体は織り込み済みだったが、幾らなんでも行動が早すぎる。
予め、こうしてあたりを付けていたのだろう。
「既に麓の周辺は包囲させている。この雪では満足に動けまい。大人しく、持っている鍵を渡してもらおうか」
「…鍵? 何のこと?」
「惚けるな。原典の封印と同じ気配を持つ存在を、手にしている筈だ」
封印。
その一言でソウジュにはピンときた。
(間違いない、アイツは結界の核のことを言っている。だけど、どこまで事情を知っている……?)
ハッキリと言及したことだ。
彼女もそれを求めているのだろう。
しかし内側に入り込めた今、結界を破壊したいようには見えない。
別の目的だろうか。
封印そのものに、何か意味を見出しているのかもしれない。
もしかすると彼女もソウジュと同じように、封印同士を接触させたときに起こるあの爆発的な現象に気が付いているのだろうか。
ともあれ、みすみす渡す訳にはいかない。
「
「遅い」
「ぐっ!?」
転機は一瞬。
目にも止まらぬ肉薄。
応戦しようとしたソウジュの胸倉を掴み、持ち上げる。
抵抗の及ばない様子を見て彼女は勝利を確信した。
だが。
頭上に、天窓のように現れた扉。
「……ん?」
ドサドサドサッ!
夥しい量の雪が突然、頭から彼女に降り注ぐ。
ルティが雪の底と『カシオペア』の頭上を繋いで、強引に呼び寄せたのだ。
「ありがとうルティ、助かったよ」
「~♪」
腕から解放されたソウジュはルティに受け止められ、感謝の印に彼の頭をわしゃわしゃと撫でてやった。
「ほう、その力」
だが相手もこの程度では終わらない。
触手を生み出し、身体を覆う雪を一瞬で吹き飛ばした。
「興味深いな、一体どこで……」
何か心当たりがあるようだ。
「ふむ、待てよ」
顎に手を当て、しばし思考する。
その間にも、逃げようとすれば触手が追撃をした。
一分程度の膠着状態が続いたが、ようやく合点がいったようだ。
「ああ、そうか。思い出した。リクホクに捨てた実験動物がいたな。結界を透過して転移できる能力を目指したが、結局のところ自分自身しか結界を越えることが出来なかった。故に、放棄した」
淡々と語った『カシオペア』。
その悪行の程に自覚はないようだ。
ソウジュとしては、嫌な予感が当たってしまって気分が悪い。
ルティも彼を助ける為に意気揚々と飛び出してきたものの、いざ彼女を目の前にすると気圧されているように見える。
「コイツを助けに来たのか? どうやら思った以上に、我々は奇妙な縁で結ばれているようだ」
よほどおかしいらしい。
まるで箸で食事をつまむように触手がルティを捕まえて、『カシオペア』の目の前へと彼を連れて行った。
止めようとしたソウジュも、他の触腕が地に圧しつけた。
二人の身体にきつく巻き付いて、体中のサンドスターを根のように吸い上げる。
「ルティ…ッ!」
「私が怖いか、失敗作」
ギチギチに縛られ、冷酷な赤い瞳に見つめられたルティ。
寒さによることなく、彼の身体は凍り付いていた。
「怖気づいて身動ぎもできないか、憐れだな。お前は新しい主人の足さえも引っ張ってしまう、最低な存在だ」
ケラケラ。
腹立たしい。
そんな嗤い。
「……ルティは、失敗作なんかじゃないっ!」
「知るか、私にとってはガラクタだ」
さも当然のようにそう吐き捨てた彼女は、そこで万事が上手く運んでいることにやっと気が付いた。
ソウジュも。
ルティも。
彼らの持ち物も好きに出来る。
身体の精気は触手が吸い取り続け、そのうち身動きも取れなくなるだろう。
これでもうお終いだ。
「―――ああ、そうだ」
そう思った瞬間に。
戯れが彼女の頭を支配した。
「貴様が持っているソレを、ここで奪うのは止めにしよう」
享楽。
そして拘り。
此処で終わらせてしまっても何ら問題は生じないが、あまりにもつまらない。
「火山の頂上まで持ってこい。貴様の可愛いペットと交換だ」
憎悪。
そして因縁。
ソウジュには必ず、君主の君主たる所以を思い知らせてやるのだから。
「そうすればそこで、『女王』の復活も見せてやる。貴様の所為でここまで長引いてしまった準備を、貴様自身の手で終わらせることによってな」
取引。
そして示威。
あらゆる輝きは、ヒトがそれを知ることで生まれたのだから。
「コイツの命が惜しければ、早く持ってくることだな」
彼には。
ソウジュには。
彼女の最大の邪魔者には。
誰よりも。彼女を知る者になってもらわねば。
そうでなくては。
誰かの記憶に深く刻まれなければ。
……どんな星も、輝けない。
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