第百七十二節 再び、継ぎ接ぎの悪魔と
霧に沈んだ森が、ひどく懐かしい。
前に来た時にはソウジュと、他にも何人か付き添いのフレンズが居た。
彼女達も今はナカベの辺りで元気にしているのだろう、もしくはまた別の場所で暮らしているのかもしれない。
……しかし、今は違う。
クオはキュウビと二人で、このリクホクの地に訪れていた。
「話には聞いていたけれど、本当に霧が濃いのね」
「もうちょっとしたらよく見えるようになるよ」
四神の二柱と、シェラたち二人はゴコクで待っている。
今日はアスとルティに会いに来ただけなのだから、大勢でゾロゾロと押し掛けるのも悪いと思ってこうした。
しかし、だ。
大人数を揃えて賑やかに友人を訪ねられるのであれば、そんな風に物事を考えられる状況であったならば、それほど良い事は他に無いだろう。
まあ、無いもの強請りも程々に。
クオの言った通り、しばらく歩くことで彼女たちは霧を抜けることが出来た。
「ふうっ、息苦しかったわ」
キュウビが大きく息を吐き出すと、吸い込んでいた霧が白い靄となって空気中に漂った。まるで寒空の下のよう、心境を映す薄い青色の鏡のよう。
しかし希望は潰えていない。
向こうに見えた小さな家が、その光だ。
「話の中身は準備できた? 私は彼女たちと初対面だからあまり役に立てないかもしれないけど」
「いいよ、任せて」
クオは覚悟を決めていた。
ソウジュを救うために、何を躊躇うことがあろうか。
扉を叩いて、呼び掛ける。
「アス、いる?」
すると、少しして返事があった。
「うむ、ちょっと待っておれ」
クオは直ぐにアスの声だと分かった。
言われた通りに待っていると、扉が徐に開いてアスが姿を見せた。
その姿は以前と全く変わらず、元気そうに見える。
「おっ、クオではないか。久しいのう」
「久しぶりだね、アス」
扉の隙間から覗く部屋の中にはルティの姿もあった。
彼も元気そうで、クオは安堵する。
彼こそが作戦の要だからだ。
「……ソウジュが居ないようじゃが、今日はどうしたのじゃ?」
「そ、それがね…」
寸前に。
言い淀む。
覚悟した筈なのに。
いざ喉から飛び出そうとした言葉が舌先でつっかかる。
「…っ!」
―――ソウジュが連れ去られた。
言ってしまえばそれだけだが、そんな単純な事実さえも声にしてしまうとあの情景が脳裏に蘇り、毒のように肺を蝕む。
途轍もなく痛い。
「……中でゆっくり話そうか。後ろのお主も、こやつの連れなのじゃろ?」
「ええ、お言葉に甘えて」
扉を大きく開け放ち、二人を仲へと招き入れる。
キュウビが部屋に入った後、尚も立ち尽くすクオの背をそっと撫でる。
「クオ」
「うん…」
「安心せい、わらわが力になるぞ」
そう言って、クオの目の端に浮かんだ涙を拭った。
§
果てには息も絶え絶えになりながら、キュウビの助けを借りることなくクオは起こったことの顛末を全てアスに対して語ることが出来た。
凍て付くような無力感が心を苛む中でもクオがなんとか負けずにいられたのは、それこそ目の前にいるアスとルティの存在が大きい。
サンドスターによって成された薄くも厚い、無限とばかりの距離を持たん結界を通り抜ける唯一の策。
それこそが、ルティが持つ『転移』の力。
これこそが、夜空にたった一つ浮かんだ希望の星。
自分の知る全てを話し終えたクオは、恐る恐るといった調子でアスの顔色を窺った。そんな風に下手に出てしまうのも致し方のないことで、これを逃せばもう本当に真っ当な手段が残っていないのだ。
まさか、希望に相対するのがこんなにも辛いことだとは。
今日この時を迎えるまでクオは露ほども知らなかった。
「ふむ、仔細は把握した」
紅茶を口に含んで、アスは静かに肯く。
漏れる息が緊張の音を奏でる。
だがそんな空気を打ち払うようにアスはニコっと笑い、言った。
「もちろん手を貸そう。わらわもルティも、ソウジュには大きな恩があるのじゃ。それに困っている者をみすみす放っておくなぞ、パークの職員として失格もいいところじゃろう?」
ヒトの身で、身体面では非力だとしても、最後の瞬間までジャパリパークを守るために戦い続けた職員の数々。
その記録を識り、憧れを抱いているアスが、どうして彼女らを見捨てられようか。
されど疑ってしまうのは怖いからだ。
自分が救われてもいいと信じ切れないからだ。
そのような恐れに対してアスは、これ以上ない好意でその迷霧を払うことにした。
きっと。
いいや必ず。
彼らならそうしただろうから。
「もちろん、わらわは本物の職員ではないが」
「いいえ」
しかし。
キュウビが一つだけ否定する。
「貴女の心意気は、彼らと同じくらい立派なものよ」
「……そうかの」
「他ならぬ私が保証してあげるわ」
そう念押すとアスも、自嘲することを諦めたように微笑む。
「では、お主を信じるとしよう」
「~~☆」
鈴を転がすようにルティが鳴いて、場の雰囲気はさらに和やかになった。
§
リクホクで彼女らの協力を取り付けた後、クオたちはすぐさまゴコクに戻ることにした。ルティの力を借りることにより今度はほんの一瞬で、作戦会議の場へと舞い戻ることができた。
改めてルティが持つ『転移』の力を再確認し、作戦の成功を確信する。
ゴコクで準備をしながら待っていたナトラたち一行も、突然の出現に驚きながら順調な経過を喜んだ。
「それで、次はどうする?」
「実験をしましょう。この力がどれくらい通用するのか」
一行は建物の外へ出て、キョウシュウが見える海岸に向かう。
といっても、結界の影響でキョウシュウの島を直接に視認することは難しいため、あくまで”楽になればいいな”程度の緩い願掛けだった。
まあ、サンドスターの操作にある程度長けていれば、おぼろげに結界の存在を察知できるのだが。
「けど、どこに飛ぶべきかルティには分かるの?」
「多少なら雑でも構わないのじゃが、正確さを求めるなら景色なり何なり教えてやる必要があるじゃろう」
クオの問いに、ルティの能力をよく知るアスはそう返した。
「それなら心配はない」
「ゲンブ、いい方法があるの?」
「難しいことはない、地図と写真だ。ラッキービーストの助力を得れば、苦労なく手に入れられる」
ちらりと、ナトラとシェラを一瞥。
二人は自信ありげに頷く。
「だから、アタシたちがお願いしておいたんだ」
「ソウジュ君のために、できる事ならなんでもやるよ」
あまりの用意の良さにキュウビは驚いた。
「あなた、これを予期してたの?」
「そうではない。ただ、作戦の立案には必要だと考えたまでだ」
「言われてみればそうね。大きな問題に気を取られて忘れていたわ」
ナトラから写真と地図を受け取って、クリップボードの上で地図に印を付ける。
「直接神社に飛んでも良いが……念のため、近くの森を目的地にしよう」
「あの『女王』の奴が何かを察している可能性もあるからのう」
ゲンブとスザクはそんな会話を交わし、作戦の流れを組み立てていく。
その間にもアスはルティにキョウシュウの写真を何枚も見せて、転移先となる土地の地形や景色を彼に覚えさせていた。
「さて、先ずは無事に結界を越えられるか確かめないとね」
しばらくして双方の準備が終わったのを見計らい、キュウビが口を開いた。
「~~☆」
「ルティ、気を付けて行ってくるのじゃぞ」
ぱちっ。
アスと手を合わせて、沖へと向き直ったルティは飛ぶ。
ぐにゃりと彼の周囲が歪んで、瞬く間に姿は消えた。
「そしたら、戻ってくるのを待つとしましょう」
―――離れた空間を繋いで一瞬で移動すること。
それは物心ついてからのルティが数え切れないほど繰り返してきた日常の動作だったが、今回はこれまでの例とは些か事情が異なる。
外のジャパリパークとキョウシュウの内部とは結界の影響で普通に繋がっている空間ではなくなってしまっているから、直感に任せるだけでは転移が上手くいかないのだ。
そのような例は今回に限らない。例えば彼は異なる世界の間すら行き来することができるのだが、それだって少し力加減の感覚が難しい。
だが特異なことに、キョウシュウを包む結界はルティと同じ世界に存在していながら、世界を越えることよりも遥かに高い壁として存在していた。
のちにキュウビは、あの結界が元々『認識阻害』の効果を持っていたことがその違いの原因であると考察した。
では。
転移が難しくなったとして。
果たして何が変わるというのだろう。
「おかえり、ルティ」
「~っ☆」
零に近い長さの復路を戻ってきたルティをアスが迎える。
一通り彼の身体を確かめて、何も異常がないことを確認すると、行った実験の結果を彼に対して尋ねていく。
口に耳を添えて、こくりこくりと頷いて。
「……そうか」
重く、現実を理解した。
「どうだった?」
「そうじゃの、転移自体は恙なく行えた」
含みのある物言いに更なる試練の到来を予感し、クオは黙りこくる。
それが致命的なものではないことを祈りながら。
「だが予想以上の悪路じゃったようでな、背中の上を守りながら通り抜けるほどの余裕はなかったそうじゃ」
あの結界を抜けるのは相当に難しく。
背中の上に。
同乗者に。
気を配ってなどいられないということ。
「つまり」
「うむ」
誰かが聞けば、これも運命だと言うだろう。
「ルティが誰かを連れて、共に結界を抜けることは出来ぬ」
クオを連れて一緒にソウジュを助けに行くことも、ルティが向こうからソウジュを連れてキョウシュウを脱出させることも、どうにも叶わないらしい。
それを聞いた瞬間に、方針は決した。
「それなら決まりだな」
「ええ、そうね」
ルティは通れるのだ。
針に通す糸は在るのだ。
絶望などしていられようものか。
「どうにかして
単純明快。
それがいい。
クオはルティの頭を撫でて、ふわっと抱き締めた。
「ルティ、後でもう一回だけお願いできる?」
「~~☆!」
クオの頬に頭をごしごしとこすりつけて、”当然だ”と言わんばかりにルティは元気よく鳴いた。
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