第百七十一節 雨に流れる
彼女たちの心情を鏡にでも映し出すように、突然の雨がゴコクを襲った。
壮絶な結末を迎えたあの戦いのエピローグ。
三人はソウジュを連れ去られた悲しみに暮れる暇もなく雨宿りに追われ、シェラの待つログハウスへと急いで直帰する。
……だが、シェラに対して何を言えばいいのか。
一先ず、ゴコクに対する危機は去った。
しかしソウジュは独りキョウシュウに”転移”させられ、剰え最大の脅威たる『女王』までもが彼に伴ってそこに居る。
それを思えば今必要とするのは彼を救い出すための次の方策―――即ちキョウシュウを覆い隠す結界を越えるか、或いは消滅させるための手立てなのである。
だとしても、未来を見据えるのはもう少し後にしよう。
彼女たち……特にクオとシェラには、少なくとも一晩ほどの心を落ち着ける時間が必要だった。
「ソウジュ…」
軒先の下、小さなベランダ。
土に窪みを残す雨を眺めて。
クオは自分の潰れそうな心臓を胸の上から握りしめる。
呼吸の合間に身体が凍り付いて、その度にもう永遠に動けなくなったかのように錯覚した。
また、守れなかった。
手にした力と不釣り合いな無力感が心を苛む。
そんな時。
「ここにいたんだ」
ポツリと、自らに言い聞かせるように。
クオの背後から声がした。
「シェラ…」
「キュウビさんが、ごはん出来たって」
「…いいよ、そんな気分じゃない」
素っ気なく返事を吐き捨てて、黒い雨雲に視線を戻す。
シェラは体を隣につけて、共に一寸先の闇と向き合っている。
腕を伸ばし、手の平を容赦なく打つ雨粒を感じてクオは何を思うのか。
少なくとも、良い感情ではないであろうに。
「ねえ」
「わかってるよ。わかってるから」
クオはシェラが自分を責めに来たのではないかと思った。彼女の危惧は的を射たものではなかったが、それを確かめる勇気も持っていない。
自責の念が視界を尽く塗り潰すくらいに大きく膨れ上がって、感情が言葉を持つ前に自重で崩れてしまうのだ。
尤も、あの『女王』の突然の行動に対応できなかったのは事故という他ない。初見ではどうしようもない力であってこそ、紛れもなく『切り札』だと呼ぶことができるのだから。
……そんな風に冷静に考えられる心境ならよかったのだが。
「羨ましいよ。ボクはみんなみたいに戦えないから、ソウジュ君を助けに行くのだって難しいんだもん」
現に、先の戦いでは前線に出ることなく帰りを待っていた。ただ祈るだけの時間を過ごすことにも、強敵と命を削り合うのとは違った苦しみがある。
頼もしい背中も、今日は見る事さえできなかった。
「クオちゃん」
「…ん」
「はい、これ」
柵を支点に掴み所を失くしていたクオの手に、シェラは何かを握らせる。彼女が手を顔に寄せてその正体を確かめてみると、それは二つに重なった指輪だった。
指でつまんで吊り下げると、するりと重力に従って一方の輪が揺れる。
キラリと輪の天辺で輝く虹色の宝石からは、仄かにサンドスターの気配がした。
「ボクの宝物だけどあげる。これはねぇ、使われなくなったヒトの建物の中で見つけたんだぁ」
これも彼女の不思議な力で見つけたお宝なのだろう。
「すごいでしょ、ソウジュ君と半分こにしたら?」
「いいの、クオにくれて?」
「いいよ」
ニコっと笑って。
「ボクたちの分は、もっとすごいのを準備してるからっ!」
高らかに勝利宣言。
「……そっか」
クオの表情も綻んで、安堵の息が漏れる。
「そろそろ食べる?」
「うん、行くよ」
先程までよりも比較的朗らかな様子で、二人は部屋の中へと戻っていった。
§
翌日。
一刻も早く結界を解いてキョウシュウに乗り込み、ソウジュを『女王』の魔の手から救い出すため、キュウビたちは明朝に出発しゲンブの処へと赴いた。
「…ん、また来たのか」
ゲンブは昨日と同じ場所に留まっており、今度の来客が少し多いことに気付くと場所を変えて話をすることにした。
山麓の観測施設。
パーク運営時代に、自然環境を記録するために使われていた。
しかし特に重要な手掛かりがあるという訳ではなく、ここに来たのは単にフレンズの座る場所が十分に用意されているからだった。
「――おお?」
「まあ、貴女もいたのね」
そしてその手頃さから、ゲンブは彼女の仲間もこの場所に呼びつけていた。
他らなぬ『女王』への対処法について話すために。
「斯様な大所帯でどうしたのじゃ? 見るに、良い用件ではなさそうじゃが」
「解ってるなら、その揶揄うような言い方はやめなさい」
「まあまあ、お互い落ち着け」
早速ながら不穏な空気になりかけた二人をゲンブが宥める。
キュウビは呆れたように溜め息を吐いて、質問を投げかけた。
「ビャッコとセイリュウは結界の係?」
「うむ、その通り」
結界の本拠地たるキョウシュウから離れるほど、結界を維持するために吸い取られるエネルギーの量は少なくなる。
その分だけ残った彼女らに負担を強いてしまうが、直面している状況が深刻なだけに四神の半分にあたる二人がゴコクまで姿を見せる事になった。
「……それでやはり、セルリアンの女王が結界の外に?」
それこそ最大の心配。
ゲンブがキュウビに尋ねる。
「それが、思ったより複雑な事情があってね―――」
その事情とやらを、丸ごと二人に伝えた。
ソウジュが暴いた『女王』の正体。
カシオペア座による再現。
そしてアルゴ座を巡る戦いの顛末も。
そして全てを聞き終えた後。
ゲンブとスザクは、このことについて深く思案し始めた。
「―――星座のセルリアン」
「確かに、ある時期から妙なセルリアンが増えておったが」
スザクの何気ない一言にゲンブが耳聡く反応する。
「スザク、知っていて言わなかったのか」
「雑魚ばかりじゃ。普通のフレンズでも倒せるのじゃぞ」
「……むう」
スザクは時折適当だ。
却って”神らしい”といえばそうなのだが、ゲンブにとっては困った事態を招くことも少なくない性格である。
長い付き合い故、もう慣れたが。
「しかし長らくの間、星座のセルリアンも有象無象の一部でしかなかった。近頃の台頭は、その『カシオペア座の女王』によるものかもしれない」
彼女たちの間にもこの一件に通ずる危機への認識はあったようで、キョウシュウに侵入した『女王』が無視できない脅威であることが確かとなった。
これで、四神も協力してくれるようになる筈だ。
そうクオたちは思った。
……が。
「じゃが、結界は解けぬ」
「ど、どうしてッ!?」
彼女らの予想に反し、スザクは首を横に振るのだった。
「あのね、そんなこと言ってる場合じゃ―――」
「キュウビ」
短い言葉で休符を打って、加えて釘も刺す。
「お主がそこまで躍起になる理由、知らない訳ではないのじゃぞ」
そんな考えがないこともない。
だとしてもそれが全てではない。
「だったら放っておくの?」
「っ!」
「ソウジュ君…」
しょんぼりと目を伏せるクオとシェラ。
その様子に居た堪れなくなりつつも、スザクは胸を張って自身の態度を崩さない。
横からゲンブもフォローを入れた。
「キュウビよ、何も私達は意地悪を言っているのではない。『セルリアンの女王』の脅威もそうだが、簡単には結界を解除できない理由があるのだ」
言い訳がましく聞こえたらしく、キュウビは鼻を鳴らした。
「何が難しいのよ。あんなもの、少しサンドスターの流れを断てば勝手に自壊してしまうじゃない」
「その通りじゃが、そう簡単ではないのじゃ」
ゲンブらが言った理由。
それはどうにも、結界の構造に及ぶ問題らしい。
「もしも我らが結界の維持に必要なサンドスターを送ることを止めれば、あの結界は足りなくなった分を空気中から得ようとするだろう。力を失い完全に崩壊するまでの間に、パークにどんな影響を与えるか分かったものではない」
ありったけを吸い取られて、周囲の空間に存在しているサンドスターが根こそぎ奪い取られて消失してしまう。
謂わば。
サンドスターの真空。
このジャパリパークで実際にその様な現象が起きた事例は存在しないが、招く結果はある程度予想できるだろう。
例えばフレンズが、フレンズとしての姿を保てなくなるとか。
事態がどう転ぼうと碌なことにはならない。
「それで? だとしても方法はあるわ。空間に作用する術式には核が必要になるんだから、それを破壊すればまるごと御釈迦よ」
「では、その核は何処にあると思う?」
「えっ…?」
解決策については、キュウビの指摘の通りだ。
……では、それは可能なのだろうか。
「あの結界の前身はキョウシュウを中心として展開されたものじゃった。我々がそれを再利用した以上、核の存在する位置を変えることは出来ない」
コツコツと。
”詰み”に近付いていく。
否。
気付いていく。
「まさか、それって…」
「うむ、そこのちっこい狐にもわかったようじゃな」
ぽん、と。
力が抜けて、椅子に落ちる。
「結界の核はキョウシュウの中にある。それを破壊できる者といえば、ソウジュという奴と……あとは『女王』くらいなものじゃろう」
解決策と、助けたい人。
その双方が向こう岸にいるとき、船を持たない者はどうすればいいのだろうか。
たぶん、終わりだ。
「お主にも大昔に説明したのじゃが、そろそろ思い出してくれたか?」
「分かったけど、敵を閉じ込めるための結界としてそれはどうなの?」
苦し紛れの難癖にも、しっかりと解答が用意されている。
「安心していい。結界を再生する前にしっかりと確かめたが、生半可な者では気配を察知することさえできないほど厳重に隠匿されていた」
加えて、ヒサビの身を賭した直接的な封印もあった。それら『二重の拘束』が成立していた都合上、外側にあたる結界の役割は所謂緩衝材としてのものに限られていたのだ。
だから、最低限隠れてさえいれば彼女らも気にしなかった。
「―――その素敵な隠蔽が、今じゃ逆に厄介だけどね」
それも仕方がない。
まさか結界を解かないままにキョウシュウに入る方法が見つかるなど、予想外という他なかったのだから。
「とにかく何とかして、このことを彼に伝えないといけないわね」
「けど、その為にはキョウシュウに行かないといけないんだろ?」
「そのためのアルゴ座も、向こうにある…」
あわや強行突破か。
それだって上手くいくか怪しい。
どうにか結界を抜ける方法、無いものか。
考える。
考える。
考える。
「……あ!」
過去よりの糸が、脳裏に垂れる。
「クオ、何か思いついたの?」
「うん。一つだけ方法があるかも」
「ほう、それは?」
糸が切れぬよう、優しく握って。
クオは、明朗と目的地を告げた。
「リクホクに行こう!」
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