第百六十九節 総ての原点へ還るなら

「……誰だ、貴様は」

「あら、忘れたの? 私は一時たりとも忘れたことはないけれど」


 並々ならぬ怨念が籠った視線を向けられ、『女王』は首を傾げる。


 記憶にある限り、目の前の彼女に何かをしたことはない。尤もセルリアンの統率者として、何時いつかの出来事でフレンズの恨みを買っていたとしても寧ろ当然の事ではある。


 ただ不可解に思うのは、とても思念が強いこと。

 よほど大切なモノを奪われてしまったのだろう。


 それ程の大事をしでかして、当の『女王』の側にさっぱり覚えがないというのも不可解である。彼女を殆ど名指しにして「覚えている」と宣うのだから、一度くらいは顔を合わせている筈だが。


 ひゅるひゅる。

 すとん。


 そこで天啓が一つ、思考の隙間を埋めるように落ちてきた。


「成程。


 ついさっきソウジュにされた秘密、憎たらしくも屈辱が頭にこびり付いていたお陰で直ぐに思い至った。


 自分はカシオペア座のセルリアン。

 目の前の白い狐が遭遇したのは、『本物』だったのだろう。


 道理で覚えがない訳だ。


「何、思い出した?」

「いや」


 僅かに俯き、くくっと口元に笑みを湛えて一呼吸。

 再びキュウビを直視すると、目を見開いて『女王』は言った。


「ただの一片も、覚えがない」


 正体への確信を得た相手から放たれた、立て板に水を流すような淀みない否定。


「ああ、そう」


 キュウビは小さく息を吐く。

 ぐっと手に力が入り、虹色の粒子が身体から漏れ出す。


 止めどない殺意が観えた。


「だったら、そのまま消えるがいいわっ!」


 指先から稲妻が走った。


 閃光が幾度となく屈折しながら『女王』へと迫ったかと思うと、直撃する寸前にまるで花が開くように光は分かたれて、放射状に抉り取ったような傷が黒泥の身体に刻み込まれる。


 その雷は蒼い炎を纏っている。

 四神の加護は雷罰の権能をキュウビに与え、狐火の貌を変化させたのだ。


 セルリアンを殺すための術だけあって威力は凄まじく、これまでどのような攻撃を受けても即座に修復されていた『女王』の身体に、一朝一夕では癒えないダメージを与えた。


「……これは」

「驚いた? 貴女のインチキ染みた回復能力もこれで無意味よ」


 だが言葉の態度と裏腹に、キュウビは内心非常に警戒している。

 女王がこの程度で御せる存在などとは微塵も思っていないからである。


 力を受け取るのに十分な地力があれば、四神の加護を受けることに特段の制約はない。の戦いでも多くのフレンズが加護を行使し、個々のセルリアンに対して対等以上に戦った。


 それでも当然、女王との戦いは苦難を極めたのだ。


 無尽の取り巻き。

 油断ならない精鋭。

 生きる暴虐たる女王。


 セルリアンに対する攻撃の威力が増大するとはいえ、その程度の足場では力不足になるほど乗り越えるべき様々な壁が高かった。


 特に、女王など。

 消えない傷をどれだけ刻み込まれても斃れない常軌を逸した耐久力は、最終的にヒサビ達に『封印』という手段を択ばせる主な要因となった。


 要約すれば。

 傷つけるだけでは第一歩に過ぎないのだ。

 心臓を穿たなければ、未だ勝利ではない。


「三人とも、まだ戦えるかしら」

「全然、問題ないよ…!」

「頼もしいわね」


 最低限の確認を交わし、キュウビとソウジュは挟撃を始めた。


「……」


 両側から圧し潰すように迫る雷霆と氷霜を交互に見つめると、『女王』は迷いなくソウジュのいる方に移動する。どちらも見た目の威圧感は相違なく大きい、しかしこちらの方がより安全だ。


 氷点下に達する風と鋭い氷の刃がセルリウムの皮膚を容赦なく切り裂いて凍り付かせる。傷を受けた部位が氷に置き換わったかのような凍傷、生き残るために切除を迫られても不思議ではない。


 だが緩慢ながら、身体は癒えていく。セルリアンに対する特効を備えたキュウビの雷撃よりは、まだ許容できる範囲の損傷である。


 そして、狙いはソウジュではない。


(あの子狐だ。コイツから始末する)


 本来であれば、リウキウで確かに仕留めた。

 奇妙なことに生きてはいるが、一度は死の淵に追い詰めた相手だ。


 どんな方法で生き延びたかは知らないが、『女王』の敵ではない。


「っ!」


 攻撃の間合いに入る数秒の隙間。

 クオの側も狙いに気付いた。


 だが疾い。


 回避の体勢に移る前に『女王』の爪がクオを捉えて―――



「――――



 瞬間、世界が夜になる。

 輝きに歪められた空に満月が浮かぶ。


 そしてクオは真円の力をその身に宿すが、その程度の力で『女王』を止めることはできない。


 


 眼前に爪が迫る。


「クオッ!」


 視界を塞ぐ氷霜を抜けてきた『女王』の姿と、その直前に立つクオの姿を視認し、”転移”を行使して助けようとするソウジュ。


「……!?」

「ふふ…♪」


 だが不可思議。

 そっと手でそれを制止して、クオは正面から『女王』の攻撃を受けた。


(何が目的だ…?)


 相手の不可解な行動に訝しむ。

 だが恰好の獲物が無防備のままにしているのだ。

 そのまま突き進まない手はない。


「その傲慢、後悔させてやる」


 爪を振り抜く。


 動かない的にその攻撃はよく刺さり、が宙を舞った。



「……あははっ」



 そして、望月が血に染まった。


 異変が起きたのはその直後のことである。


(なんだ、この液体は…?)


 クオから飛び出し、『女王』の体表に纏わりつく粘性が高く赤い液体。

 何かの攻撃の兆候かもしれないが、正体が解らず暫し戸惑う。


 そして答え合わせの時は、すぐに訪れた。


「ぬうッ!?」


 全身に走る激痛。


(攻撃か、何処から…っ!)


 四方八方、見ても静寂。

 否、それは奥よりの苦痛。

 身体の内部から、全てが引き裂かれているのだ。


「まさかこの赤い液体が……くそっ!」


 これが目的でクオは攻撃を受けたのかと『女王』の中で合点がいく。だがこちらも確かに深く傷を与えたのだから、無事ではない筈だ。


 筈だ。


「待て、貴様…」

「もう一発っ!」


 全身血塗れで病んだ姿をしているが、クオはこれ以上なく元気だった。愛の血漿を固めた大剣を『女王』目掛けて突き出し、過去に自分がされたように胸を一思いに貫いてしまった。


 あらゆる防御を貫通する一撃が、『女王』を襲う。


 彼女はその馬鹿力でなんとか剣を引き抜き、乱暴にセルリアンを生み出すことで命からがら彼女の攻撃範囲から逃れることが出来た。


 これで一度、戦闘は仕切り直し。


「クオ、その傷は…」

「平気だよ、ほらこの通り」


 頃合いを見て心配の言葉を掛けるソウジュに、クオは胸を張って溢れんばかりの元気さをアピール。


「だからって危ないよ、お願いだから身体は大事にして…?」


 だからと言ってどう安心できよう。

 ソウジュの声には不安定な湿り気が交じる。


 語気は強くない。


 だが何と言うべきか、有無を言わさぬ危うさが見えて。


「う、うん…」


 さしものクオも、大人しく首を縦に振るしかなかった。



 ―――視点は打って変わって。



 クオから何とか逃れた『女王』に、キュウビが背後から声を掛ける。


「あら、時間が経って案外脆くなったものね。嘗ての貴女の姿は何処へ行ってしまったのかしら」

「黙れッ、私の知らない話をするな!」


 予想外の反撃を受け、自然治癒の範疇を逸脱した損傷に耐えかねて、”しらばっくれる女王”のヴェールも剥がれてゆく。


 最悪の状況だった。

 よりにもよって彼女に後ろを取られるとは。


 視界の外で見えてはいないが確実に、いつでも『女王』を撃てるように攻撃の用意はしているのだろう。


 四神の加護。

 血月の劇毒。

 蟹の鋏。

 アルゴの権能。


 相手の全員が彼女を傷つけ得る武器を持っていて、尚且つ確実な連携を以て彼女を討たんと迫って来る。


 もうなりふり構ってなどいられなかった。


(やるしかない、使しかない…!)


 不幸中の幸い。

 件のは地中にある。

 一度だけなら、使える。


(だが、どうする?)


 これを使ってキュウビに一矢報いても、状況はあまり好転しない。

 精々、一歩手前の戦況に逆戻りをするだけ。


 思い出さなくては。


 自身が目指していたを。


「アルゴを、手に入れる」

「…あら、何か言った?」


 キュウビの言葉を無視し、腕の先を鋭くして地面を掘る。

 すぐさま姿を見せた石板を握りしめ、輝きを解き放つ。


 身が灼けるような苦しみを覚えながら、『女王』は叫んだ。


「最早この身体がどうなろうとも、構わないッ!」


 月が太陽に塗り替わり。


 止まる。




§


§


§





「――――――え」


 見えなかった。

 反応できなかった。

 誰も、解らなかった。


 ソウジュの足は地面から浮いていた。

 全身が触腕に絡め取られていた。


 気付かぬ間に背後に回っていた『女王』が彼を完全に捕まえて、その命の行く先を掌握してしまったのだ。


 どす黒い声が地に響く。


「動くな」


 恐ろしい声に、咄嗟にソウジュを助けようと動きかけていた三人の身体が止まる。


「私を攻撃すれば、コイツの命は無いものと思え」

「そ、ソウジュ…!」


 彼の首に爪が宛がわれる。


 一瞬で助けるには少し遠い。

 どんな方法を使ったのかも理解できない以上、安易な手出しは危険だ。


 現に捕らえられているソウジュでさえ、『女王』にその首を掻き切られる前にアルゴ座の”転移”を発動できるか、状況は五分五分と言ったところだ。


 しかし彼にはとある気付きがあった。


 ふたご座とろくぶんぎ座の力のお陰で、大気に残る奇妙な星座の輝きの気配を察知することが出来ていたのだ。


(これは…座…?)


 日時計座。


 その言葉に、彼は聞き覚えがある。


 かなり前にリクホクで、そう。

 アスに聞いた。


 その石板の成れの果ての姿を、彼も見た。


(時間に関わる星座。その力を使ったならこの奇妙な状況も理解できる。だけど…)


 あれは幻の星座。

 しかも、既にこの世界には無い筈。



 ―――いいや。



(『星は空にある。輝きはまた降って来る』)


 石板が一つしかないとは限らない。

 まさか彼女が幻の星座に関わりを持っていたとは、予想外だった。


(……ん?)


 リクホクにある幻の星座。

 そこに住んでいるアスとルティ。

 ルティが持つテレポートの能力。


 転移。


 アルゴ座の権能。


(まさか…)


 繋がりかけた星々。

 だが、今はそんなことを考えている場合ではない。


「おい、聞け」


 ぐっと締め付ける力を強めて、『女王』は命令を口にした。


「キョウシュウに転移するを空けろ。大人しく従えば、命は助けてやる」


 やはりそう来たか。

 態々アルゴ座の力を求めたのだ。

 結界を越えることが目的だったのだろう。


 ソウジュは悩んだ、従うべきか。


 だがこの状況で逆らうメリットがあるのか。

 反撃ならタイミングを改めるべきだ。


 少なくとも『女王』が握る切り札の残りがあと何回なのか、分からないうちに動くのは避けたい。


 それが、他の三人のためでもある。


「…わかった」


 ソウジュはアルゴ座の力を使い、キョウシュウの結界の内側に繋がるポータルを自分の背後に生成した。


 その場所の具体的な位置は分からない。

 ただ輝きを込めてその位置を念じたところ、自然とその穴が生まれたのだ。


 何処か変な場所にでも飛ばしてやろうかと思ったが、それが可能になるだけの技能がまだ彼には備わっていなかった。


 『女王』はそのポータルを見てニヤリとし、迷うことなく近づくと。



 ―――ソウジュごと、そこに入ろうとした。



「な…っ!」

「ソウジュっ!?」

「くっ、貴女…っ」


 驚く彼らに、呆れたような調子で『女王』は言う。


「生かしてやるとは言った。だが、解放してやるとは一言も言っていない。それに、ちゃんとキョウシュウに行くのなら然程問題は無いだろう?」


 くつくつと、嗤う。

 ソウジュの耳に、昏く囁く。


「来い。今まで散々邪魔をしてくれた礼に、面白い物を見せてやる」

「…っ!」


 キョウシュウへの長距離ポータルを開いた故に、アルゴの力は底を付く。


 拘束から逃れようと必死に藻掻き、他のを求めて鏡を取り出すソウジュ。しかし『女王』は空いていた触手でその鏡を軽く弾き飛ばすと、地面に転がったそれを一瞥することもなく進んでいく。


 宿願だったキョウシュウへの道を見つけた彼女にとって、あのような鏡さえも最早無用の長物であった。


「さらばだ」


 そして抵抗も虚しく、『女王』とソウジュはポータルに消えた。

 三人が後を追う暇もなく、空間の穴も間もなく散った。


 彼女が切り札を使ってから数分にも満たない。


 そんな短い時間に、全ては変わって……終わってしまった。



「あ、あぁ…」



 ある者は俯く。

 ある者は武器を地に置く。

 ある者は涙を流し、膝を突く。


 小さく零れた嘆きは、誰の物だろう。

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