第百六十八節 天を往く船の威光を

 と、驚嘆せねばならない。


 ソウジュとクオが協力してアルゴ座の権能を掌握した後に『女王』との間に繰り広げられた戦火は、僅かに息をつく暇も与えられない程に激しく、予断を許さない展開を見せる事と相成った。


 それほどまでに、”転移”の権能は圧倒的な力を持っていた。



 例えばそう、今目の前にある景色のように。



「食らえッ!」

「くっ…!」


 ソウジュは空間を跳躍し、『女王』の前方から一瞬にして背後に回る。


 けものプラズムを纏わせた傘の切先で、彼女の背中に鋭い斬撃を加えると、牙を持つ触手による『女王』の反撃をすかさず発動した”転移”で避けてしまった。


 当然ながら長さは無限ではない。

 瞬時に起こした”転移”では約2メートルが限度。


 だがその距離がコンマ一秒を争う戦いの中で凄まじく大きいこと、誰しも想像に難くはないだろう。


 ならば、発動の間隔にも限度があって然るべき。


 そう考えた『女王』は余裕を与えないために、背中の傷を癒しながらソウジュに向かって距離を詰めて間髪入れない追撃を行った。


「やっぱり、か…」

「嘗ての我が力、誰よりもよく理解している」

「だったら」


 傘を開いて触手を防ぎ、再び”転移”を解き放つ。


「これも、知ってる―――!?」


 『女王』は身構え、周囲の気配に気を配る。

 ソウジュが何処へと反応できるように。


「……?」


 だが妙だ。

 ”転移”が発動したというのに、ソウジュは変わらずそこにいる。


 ならば、何を…?


「…しまったッ!?」


 背後に、迫る気配。


「クオたちのことを忘れるなんて」

「案外鈍いな、女王さんよぉっ!」


 クオ。

 ナトラ。


 ソウジュは自身でなくこの二人を”転移”させ、自分に夢中になっている『女王』の意識を欺いた。


 刀と鋏。


 強大な力を湛えた刃物が背中へと迫るが―――『女王』よりも早く本能で攻撃を察知した触手が二本、それぞれ刃先へ噛み付いて主への攻撃を間一髪で防いだ。


「ぬ、うぅ……っ!」


 一進一退の力比べ。


 結末は呆気なく、鋏が身体の内側からお構いなしに触手を斬り捨てることによって決着を成す。言うまでもなく、ナトラがその刃にけものプラズムを纏わせ、無限の切れ味を与えたからだ。


 流れる筈のない冷や汗の温度を『女王』は額に感じた。


(コイツはやはり、まずい…!)


 ナトラの一撃必殺は余りにも危険だ。


 触手で捕らえたクオの刀も仕方なく手放し、砂を飛ばして彼女らの視界を奪いながら距離を取ることで一旦は逃げ果せることが出来た。


 だが、根本的な解決には至っていない。


 同じふたご座のクオはまだしも、直接関係のないナトラまで”転移”の恩恵を受けて奇襲を仕掛けてくるのは予想外だった。


(態々他人に力を施すなど、考えたこともなかったからな)


 それも、『女王』の致し方ない特性。

 果てない傲慢は、大きな長所と短所を併せ持つ。


「惜しかったな」

「ごめんソウジュ、捕まっちゃって…」

「いいよ、次はもっと上手くやれる」


 

 それはお互いに思っていること。


 ソウジュは有用な連携を確認し、の戦術を考える。


 『女王』は相手の力を目の当たりにし、警戒を強める。


 次も拮抗するのか。

 或いは均衡が崩れるか。


 空中のアルゴはまだ明るく、エネルギー切れを狙うにはまだ早い。


(―――駄目だ。コイツらの土俵に乗ってはならない)


 対応に回るな。

 相手を振り回せ。


 『女王』が、何故に下僕を慮る必要がある?


 そうだ。

 好きにしろ。

 ”転移”など使えばよい。


 ただし。


「貴様の望み通りに使えるとは思うな」

「……ッ!」


 疾かった。


 今の彼女にその権能が無いことは知りつつも、ソウジュはまるで『女王』が”転移”で彼に近づいてきたように感じた。


 そして逃げる隙も与えず、その触腕をコウモリの翼のように広げたかと思うと、まるごと彼らに覆い被せるように地面へと叩き付けた。


 砂が舞い、確かな手応えを感じる。



 ―――さあ、使え。



 三人同時だ。

 決して見捨てられないだろう。

 、どれだけ移動できる?


 生半可な距離なら直ぐに追い付いて仕留めてやる。


「……け」

「うん…?」


 『女王』はソウジュが慌てて"転移"を使ってでも、彼女の魔の手から逃れようとするものだと思い込んでいた。


 だが、未だその輝きは手の中に在る。


 そして、ソウジュの声が聞こえる。


ッ!」


 『女王』の思い込みはもう一つあった。

 それは、ある意味での誤謬。


 アルゴ座が完成すれば、それを構成する四つの星座の特性は消えてしまうものだと、身勝手にもそう考えてしまったのだ。


 ソウジュの言葉と共に、地面からが立つ。


「ぐうっ!?」


 りゅうこつ座だ。


『切り裂け』


 続けてソウジュの口から声色が響く。

 するとそれが当然であるかのように、『女王』の触腕は切り傷塗れになった。


 この理不尽な言霊は、おとめ座。


 体内に宝石が埋め込まれていたことを利用して知らぬ間に、ソウジュは三つ目の『共鳴』まで発動させていたらしい。


 これが完全体のふたご座。

 思わず寒気がする。


「化け物め…」

「それ、あんたが言うのか?」


 呆れたようにナトラは肩を竦める。


 またもや苦境に追いやられた『女王』はほんの一瞬、向こうの地面に忍ばせていたセルリアンを呼び起こそうかと思案した。


 特に輝きの強力な石板を隠しておいた故、役に立たないことはないが。


(……まだだ、あのは今は意味が薄い)


 せめて対等の戦況に持ち込み、その上で誘導する。

 そうしなければ、只の脅かしを越えはしないだろう。


 だがソウジュが相手に次の策を練り上げる時間を与える筈もなく、すかさず『女王』へと肉薄した彼は”転移”の魔の手を彼女に向ける。


 光、弾けて。


「いいこと思い付いた」

「貴様、何を…」

、行ってらっしゃい」


 その台詞を言い切る前にも、『女王』の視界は遥かな青へと染まっていた。


「くそっ、まさか私まで―――!」


 惚ける暇もなく彼女を引っ張る”9.8”。

 おそらく上空数十メートル。

 数秒の判断が勝負を分かつ。


 地上ではソウジュがナトラに、件の鋏を使うよう頼んでいた。


「タイミングよくやればいいんだろ、任せな!」


 とびきりの気合を込めて、刃のサイズは体躯の数倍。

 多少の身動ぎでは避け切ることの叶わない攻撃。


 『女王』の頭の中を幾つもの可能性が過る。


(私が地上へと墜ちる前に、奴の”転移”の力もまた使えるようになってしまう。であれば元より、稚拙な回避など無用の長物か)


 数分前の決意を忘れてはならない。


 自分が対応するのではなく、相手をさせる側に回す。


 あと数秒で無残に両断されてしまう運命、その未来に囚われてしまえば『無事に生還できるか否か』という容赦ない二択に視界を狭められてしまう。


 だが、それ以外の要素へと目を向けてみれば?

 現在空中にいる『女王』は、彼らに対して絶対的に高所を取れているではないか。


 それは腹立たしくも与えられた優位だが、その価値に違いはない。


 同じことをやれ。

 ”転移”を使わせればいい。


「愚か者め、矢羽の雨を浴びろッ!」


 『女王』はからす座の輝きを模倣し、漆黒の両翼を背中より広げる。


 そしてその翼を織り成す無数の黒羽を切り落とし、まるで弓から放たれる矢のように勢いを付けて地上へと射出する。


 地上へと墜ちる『女王』の速度を受けて、そして更なる加速を受けて、まるで弾丸のような素早さでソウジュたちを襲撃する黒い雨を仰ぎ、無事でいられる領域を見つけて”転移”するような時間は彼らに用意されていなかった。


 ソウジュは呟く。


「ダメか…」


 これまでのやり方では窮地を脱せないと彼は悟った。


 しかし手詰まりではない。


 アルゴの権能はに留まらない。

 例えばの形状をした、別の座標に繋がる空洞を虚空に生み出すことができる。


 一言で表せばワームホール。


 ソウジュは自身の上方にそのを作り出し、雨を凌ぐ傘とした。

 咄嗟の機転で放った羽の雨は、虚空へと吸い込まれて消えた。


 だが、力を使わせた。


 そのまま背中に生えた翼を悠々とはためかせると、『女王』はナトラの鋏が届かない遠くの地面に足を付ける。


 同時に陸の方へと誘導し、を起動する布石も打っておく。


「空に放った程度で勝ったなどと思うな」

「なら、


 ソウジュは焦ることなく、再び権能を振るった。


 先程と同じように、今度は『女王』の上方に全く同じワームホールが生成される。


 しかし二度目だ。

 打って変わって、防御が目的ではない。


「これはっ、ぐ…っ!?」


 先程の矢羽の雨が、まるで傘を貫くように『女王』へと降り注いだ。


 遥か虚空に消し去った攻撃を再び召喚する。

 僅かな労力を用いて、彼女に自分の背中を突き刺させたのだ。


 流石の全力攻撃。


 この絶え間ない雨は『女王』に大きな傷を与えた。


「小癪な、真似を…!」

「無駄だよ。もう諦めて」


 彼の言う通り、アルゴの力は凄まじい。


 物量。

 技量。

 破壊力。


 その総てを無駄にする、次元が一つ上にある権能なのだ。


 ならば自分も、同じような力を振るうしかない。

 地面に手を当てて、となる石板の調子を確かめる。


 極めて万全だ。

 そうであろう。

 一度も実戦には用いなかったのだから。


 下手に行使すれば自分の身体をも傷付けてしまう諸刃の剣、ふたご座の輝きを取り戻されてしまった今、その代償は更に高くつくかもしれない。


(それでも、退けぬ)


 例えであろうとも揺らがぬ、輝きを求める『女王』の衝動。

 決心を固め、最後の力を使おうとしたその瞬間。


 突然、森の方より聞こえた声。



「―――どうやら、決着には間に合ったようね」



 彼女へのダメ押しとばかりの増援に、キュウビが姿を現した。

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