第百六十七節 アルゴの降誕
四神を訪ねる為にゴコクを縦断することとなったキュウビとシェラは、妖術で空を飛び中央の山脈を越えて、陸路だと半日は掛かるであろう旅路を四半刻にも満たない時間で往き切る。
其は目的の人物がその場所にいるから、という身も蓋もない理由による帰結であったが、キョウシュウまで向かわずとも好い幸運はそうそう得難い。
キュウビが察知した空気は、恐らくゲンブのモノだった。
(ゲンブ……彼女なら話は通じやすいでしょうね)
さりとて、抵抗はあった。
二人が交わした最後の会話は、封印の直後。
ヒサビとの突然の離別に打ちひしがれていた当時のキュウビに、気の利いた別れの言葉を用意することなど叶わなかった。
恐らく向こうは気にしていない。
しかし長い時間が経ち、更に一度の忘却を経て自らの過去と向き合い直したキュウビの心には、恥ずかしさに似たしこりがあった。
(まあ、悔いも今更ね)
パークの状況に反し、キュウビの心は軽かった。
今度ばかりは希望の光が差し込んでいた。
ただ憎たらしいことにその希望の源こそが、今この瞬間にゴコクで暴れ回っている女王の存在なのである。
何故か。
言うまでもない。
キュウビが確かめたからだ。
彼女がほとんど間違いなく、かつて自分達がキョウシュウに封印した存在と同一であること、つまり『セルリアンの女王』であることを。
ならば、本来は苦々しく思うべきではないのか。
その原因を追究するべきではないのか。
だが違う。
違うのだ。
そのようなことは至極どうでもよい。
(ここでアイツを討伐すれば、もう封印なんて必要なくなる)
封印が消えれば、ヒサビが戻って来る。
それだけでキュウビにとっては十分なことだった。
加えて今なら、十分な戦力もある。
ソウジュ。
クオ。
ふたご座の力を持つあの二人こそが女王に対するこれ以上ない武器となる筈。
キュウビがこれからすることは、より戦況を盤石にするための手助け。方角を守護する四神だけが持つ特殊な気の力を借りて、セルリアンに対する殺傷力を高めるのが目的だ。
その一押しで、恐らく趨勢は覆らないものとなる。
「……なるほど、だから我を頼りに来たのか」
「ここ最近のセルリアンの活性化、知らない訳ではないでしょう?」
キュウビの指摘にゲンブは眉を顰める。
彼女の言う通り、四神も現状を知らないことはない。だからこそスザクがリウキウの様子を見に行ったのであるし、今もこうしてキュウビの話を聞いている。
しかし、だ。
事情をよく知っているからこそ、認めがたい事実という物も存在する。
「俄かには信じられぬ。女王は確かに我々の手で封印した。それはキュウビ、結界を復活させたお主が最もよく知っていることではないか?」
キョウシュウを包む結界。アレの前身はオイナリサマが張った隔離と認識阻害の術であり、構築から時間が経って弱っていたそれをキュウビと四神の力でより強固に復活させたモノが、今も尚そこに存在している。
例え女王でも、抜けられる筈がない。
彼女を守っているのは、恐らくこの世で最も堅牢なアリバイだ。
それでも、キュウビにも退けない私情があった。
「謎解きに興味はないわ」
「実存する脅威を見ればその通り、だが…」
「本物にせよ偽物にせよ、やるべきことは一緒でしょう?」
悟れない道理はない。
ゲンブこそ、目の前で涙を流す彼女を宥めた者だ。
「キュウビよ」
いつか見た危うさを、キュウビの瞳の中に再び目にした。
「お主は、ヒサビを――」
「助けるわ。何があっても」
彼女の決意は固い。
ゲンブは大きく息を吐き、目を伏せた。
「……そうであろうな」
それを最後に問答は切り上げられ、キュウビの要求通りにゲンブは彼女に四神の加護を与えた。
「助かるわ」
「とても惜しいな、封印を緩める余裕があれば中の様子を確かめることも出来ただろうに」
修復ではなく、一から構築していれば話は違った。
結界の細かい調整は術者が最も得意とするからだ。
だが当時の彼女らにそれをするだけの十分な余裕がなく、サンドスターの力を継ぎ足して補強したあの結界はひとたび緩めてしまえば元に戻そうとしても自壊してしまう。
まあ、致し方ないことだ。
最悪の事態を防げただけで、文句を付ける余地はない。
「ひゃんっ!」
「シェラ、どうしたの!?」
二人が会話をしている間、蚊帳の外で時間を潰していたシェラの方から、不意に水を掛けたような悲鳴が聞こえる。
まさかセルリアンに襲われたのか。
そう危惧したキュウビが急いで駆け寄ると、シェラは特に危機に陥っているということもなく、暖かい光に包まれながら一人で尻もちをついていた。
後からゆっくり出てきたゲンブが、不思議な光景に目を丸くする。
「…おや、この光は」
「石板からね。どうして…」
「あっ、待ってぇ!」
シェラの懐から石板が一枚、飛び出して宙に浮く。
それを捕まえようと何度も飛び跳ねるシェラだったが努力も虚しくどんどん離れていき、やがて石板は何処かへと飛び去ってしまった。
「行ってしまったわね」
「重要な物のようだが、追いかけるべきではないのか?」
あれはほ座の石板だ。
失うのは勿論望ましくない。
だからキュウビは取り戻すことを直ぐに提案しようとしたが、シェラが手を振ってそれを遮った。
「ううん、平気」
軽やかに微笑んで、青空を見る。
「たぶんソウジュ君だよ、そんな気がした」
「ソウジュ……か」
ゲンブの耳に、その名前が残る。
ふたご座のフレンズ。
キュウビが気に掛けている少年。
「彼が、この戦いの鍵になるのか…?」
自らの前にいる狐の目が未だ狂っていないこと、ゲンブはそれを切に願いながら、キュウビへの加護に仕上げを施すのであった。
§
「―――骨よ、突き破れっ!」
彼の言葉と共に、地中から現れし龍の牙が空を噛み砕く。
着地の間際を狙って放たれた鋭い攻撃は女王の脚を確実に貫き、牙が深く食い込むことによって機動力を奪われた彼女は脚を切り捨てることを余儀なくされた。
小さくない犠牲を払って抜け出した後、女王は杖を乱暴に振るって自らのセルリウムを異常に活性化させ、失った脚を即座に回復した。
(畜生、私がこんな、泥臭い戦い方をさせられるとは…!)
本来は望ましい遣り方ではない。
このような強引な治療は確実に自らの体力を削り、やがて訪れる疲労という形でそのツケを払うことになる。
だから。
使わされた。
そう表現するのが正しい。
「くっ、今度は風か…!」
ソウジュが振るう腕に合わせて変わる風向き。
先程遠くから飛んできたほ座の力であると、女王は予測している。
単純に風が吹き抜ける方向だけでなく、風速の高低や局地的な空気の流れ方まで、これほどの精度で風を操れる存在を女王は他に知らなかった。
堅い空気の壁に持ち上げられた女王に向かって、迫る影がある。
「ナトラっ!」
「いっちょ任せな!」
これだから厄介だ。
複数の強いフレンズを相手取るのは。
ナトラも一切の容赦を見せず、必殺の鋏を女王に向けて奮い断つ。
「甘い」
女王はまたもや杖を振るい、今度はセルリアンを生み出した。自身とナトラとの間に召喚することで、鋏の斬撃から女王を庇う壁とする。
ナトラは顔を顰めたが、そうする間にも素早く風の影響下を抜けて、女王は態勢を立て直した。
「幸い、まだ馴染んでいないか。本物の船が降臨していれば、これでは済まないだろうからな」
自らの道具として使役した経験があるからこそ、彼が今使うアルゴの力が不完全であることを知っている。
ナトラは女王の言葉を聞いてギョッとした。
「今でも強いと思うけど、まだ先があるのか…」
「うん。本物の『アルゴ』には、到達できてない」
四つの星座に対して発動した
今度のそれは『同調』の派生でありながら、かつて一つだったそれぞれの共通点を際立たせることによって『共鳴』の性質をも満たしている。
これはソウジュが、ふたご座の輝きを取り戻したからこそ可能になったこと。
しかし、今はまだ完全な『アルゴ』ではない。
どちらかと言えば、四つ同時に星座と『共鳴』しているというべきである。
強いは強いが、まだ足りない。
定性的に、力が足りない。
「なあ、ソウジュ。それとクオ」
「……ん」
ナトラがソウジュたちを呼ぶ。
久しぶりに一緒に扱われて、クオは少し嬉しそうにした。
「お前たちってさ、ふたごなんだろ?」
追加の一押し。
クオの尻尾の揺れがもっと強くなった。
だが別に、クオを喜ばせることが目的ではないだろう。
ソウジュの推測通り、ナトラには曖昧ながら一つの提案があった。
「あたし、難しく考えるのは得意じゃないんだけどさ。二人で力を合わせれば、なんか上手くいったりするんじゃないか」
「……!」
頭に浮かぶ、懐かくも可笑しな言葉。
『……おねがい、クオと”ふたご”になってっ!』
変だと思った。
面白い子だと思った。
よもや初めから本当に『ふたご』だったとは、彼は思いもしなかった。
ストールの記憶を取り戻し、全ての過去が一つの巻物として繋がったことで、彼は漸く想いを馳せることが出来る。
嘗て女王から逃れた後、アルゴの力でホッカイに転移したのはきっと運命だった。
(ふたごは、一緒にいるべきだから)
あるべき場所に惹かれ合う。
そういうことだったのだ。
(そして僕たちの運命を繋いだ星が、この手の中に在る)
だったら、正しい輝きを取り戻してやるのも、『彼ら』がすべきことなのだろう。
ソウジュは意を決し、クオに言った。
「試してみよっか」
「あ、やっとクオの出番?」
「よし、だったら前はあたしが守ってやる」
ナトラは必殺の鋏をこれ見よがしにカチカチ鳴らして、女王を威嚇する。
大丈夫。
長くは掛からない。
「クオ」
「うんっ!」
二人の力を合わせる。
ふたごだから出来ること。
お互いによく知っていて、あとは唱えるだけだった。
一緒に、言霊にすれば。
そこに力が宿るのだから。
『
―――
――――――
―――――――――――
指を絡めた手を離す。
互いの鼓動が高鳴っている。
相手の胸中がテレパシーのように伝わってくる。
何処までも深遠で、心地よい感覚だった。
魂がまるで、融け合うようだ。
―――――――――――
――――――
―――
「ソウジュ、上手くいった?」
クオにとっては、聞くまでもないことだったが。
「…当然!」
得意げなソウジュの顔を見て、つい尋ねずにはいられなかった。
「うお、でっかい船」
「アレは、アルゴ…!?」
変化は瞬時に現れた。
遥か上。
青空の境。
空く空洞。
向かい側に虚無を映す巨大なワームホールを通って、雄大な相貌を湛えた遥かな帆船が宙を泳いで姿を見せた。
ほ座。
とも座。
りゅうこつ座。
らしんばん座。
バラバラに存在していた四つの輝きはここに統合され、遍く空間を自由自在に行き来するアルゴ座としての力がここに顕現する。
そうであるべきなのだ。
骨を操ることも。
風を操ることも。
船が持つ力ではない。
住み慣れた土地を離れ、地面という軛を捨て去り、自由の身となって旅をする。
船とは其の為の乗り物なのだ。
だから、アルゴは空を飛ぶ。
「……そうか。まさか貴様が、真の船を呼び起こすことになるとはな」
「僕だけじゃない、クオと一緒にだよ」
「どうでもよい」
自由など幾許ほども価値があろうか。
女王にとって、その船も鹵獲の対象でしかない。
「だが忘れるな。私は女王だ、セルリアンの主だ! アルゴの輝きも奪い、再現し、我が手中に収めてみせよう」
「…ふう」
ソウジュは溜め息を吐いた。
何故ならば、まだ言わなければならないことがあるからだ。
「もうやめていいよ、その芝居は」
戦いに逸る気を落ち着けて、毅然と言葉を紡ぐ。
「芝居、だと?」
「ついさっき分かった。どうして、結界の外に女王がいるのか」
「ソウジュ、それって…!」
「ふむ…」
女王は視線を逸らし、考え込むような素振りを見せた。
クオは先程の『共鳴』を通して知ったようで、心躍るように笑顔を見せた。
ソウジュはそのまま、キーワードを口にした。
「―――カシオペア」
ああ、此処まで来て、今更何の前置きが要るだろうか。
女王の動向に関するあらゆる謎がこれで説明できるというのに。
「カシオペア座のセルリアン。それが君の正体だ、女王」」
「なっ、そうなのか!?」
ナトラも激しい驚きを見せて。
「……ところで、カシオペア座ってなんだ?」
とぼけた顔で、そんなことを訊いてきた。
そんなナトラに、口元をやや綻ばせながらソウジュは答える。
「とある神話の中の王妃。ある意味で、女王の地位に最も近い存在。コイツは『セルリアンの女王』そのものじゃなくて、再現の力と星座の輝きを使って、『女王』を再現した姿だったんだ」
それこそが、六分儀の啓示を受けた鏡が見せた答えだった。
女王はキョウシュウから抜け出してなどいない。
ずっと本物は結界の中で、偽物が外で生まれていただけの話だった。
「……ならば、どうする?」
「別に何も変わらないよ。だけど君も偽物だった。ろくぶんぎ座の力でそれを知ってしまった以上、せめてその鼻を明かしてやりたかっただけさ」
(―――
「ならば、もう構わんな」
これまでにない力が身体から溢れる。
恐らく限度を外した、本来出すべきではない本気。
もう話などしたくないと言わんばかりに、偽物の女王は殺意を剥き出しにした。
「この空虚な旅の終わりを、始めようではないか」
「空虚なんかじゃない」
女王の戦意に応えるように、ソウジュも力を解き放つ。
「それに終わるのは、君だけだ」
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