第百六十五節 女王、地に立つ


 ザァ――


 ザァ――――



「……」



 液状の足に食い込まんと犇めく砂を隈なく踏みしめて、黒曜石の如き色彩をしたセルリアンの君主は独り、水平線の向こうに想いを馳せていた。


 彼女の向く先の海にはキョウシュウ、今は四神の力により結界で堅く封印された土地が浮かんでいる。


 哀愁、跳ね返る顔に細む瞳。


 その所以は嘗て自らが閉じ込められていた土地に対する憎しみの入り交じった郷愁か、それとも―――


「良い心掛けだな。自ら、主の下に出向くとは」


 振り返ることなく、女王は言う。

 背後には複数の足音が鳴る。


 草を踏んでいる。

 やがて土埃が舞う。

 砂を踏む、乾いた音に成り代わる。


 ソウジュ、クオ、そしてナトラは、けして彼女の前では口にしない目的の為に、この砂浜で女王と対峙する運びと相成った。


「久しぶり、リウキウの砂浜以来だね」

「その節は、随分な屈辱を感謝する」


 徐に振り返る動作は言葉を奪う威厳に溢れ、ソウジュの呼びかけに対する返答は場の空気を一触即発のものにした。


 先の敗戦を経てか、女王には妙な落ち着きがあった。

 真夜中に凪ぐ海のような、不気味な静けさであった。


「アイツが、女王なんだよな…」

「なんか、前よりピリピリしてる」


 クオの目にも、彼女の変化は顕著に見て取れた。


「…それで、揃いも揃って何の用だ?」

「分かってる癖に」

「ああ、あたし達はお前をやっつけに来た!」


 紅い少女の勢いある言葉に、女王は乾いた笑いを返した。


「舐められたものだ」


 身体の何処からか杖のようなものを取り出し、軽く振るう。すると女王の周囲の地面から何体ものセルリアンが生まれ、ソウジュたちとの間に立ち塞がった。


 そしてよく見てみれば、ソウジュはあの杖に覚えがある。


「まさか、スピカの…!」


 くく、と笑う。


「本来は我が宝物、我が相棒だ。王女の幻想を楽しませてやるために、一時的に貸し出していたにすぎない」


 そのような事情に興味はなかったが、あの杖がスピカの持っていた物と同じであれば、この戦いには大きな懸念が生じることになる。過去にスピカと直接対峙したソウジュとクオには、それがよく分かっていた。


 セルリアンを使役する力。

 女王は果たしてどれほど、杖が持つその権能を引き出せるのだろうか。


 少なくともその宝物の所持者として、スピカよりも遥かに適した存在であることに間違いはないのだろう。


(だけど…)

(うん、大丈夫)


 2人は目を見合わせて頷く。


 そうと悟られないようナトラが啖呵を切ったのだが、実はこの場で女王を完全に討伐できる算段はないし、その必要も無い。


 話は、少し前に遡る。



『―――以上。ここからは二手に分かれて事を進めましょう』



 それがキュウビの提案だった。


 片方は女王の動向を足止めし。

 もう片方が、頼もしい応援四神の助けを乞う。


 そして後者の任に、キュウビとシェラが就くことになった。


 四神との直接のパイプを持っているキュウビと、戦いの場でセルリアンの女王と向き合わせるには不安が大きいシェラ。


 合理的に考えれば、これ以上はない組み分けだ。


『ほ座の石板も、シェラに持ってもらおっか』


 女王は間違いなくアルゴ座の権能を狙っていること、既に様々なフレンズからの情報によってほぼ確実となっている。であれば、一体誰がわざわざ彼女の前に最後のピースを持って行ってやるものか。


 何を企んでいようと、揃いさえしなければ問題は無いのだ。


『出来る限り直ぐにを呼んで来るから、どうか耐えて頂戴』

『うん、頑張ってみるよ』


 もっと備える時間があれば、ソウジュ達にこのような重荷を背負わせずに済んだかもしれない。


 キュウビは去り際にそんな悔いを零したが、彼らに後悔はなかった。


『キュウビが早く来ないと、クオが倒しちゃうかもしれないよ?』

『……まったく、そんな冗談はよしなさい』



 クオの言葉にキュウビは笑ったが、一切が出任せという訳でもなかった。



「…さ、行こ!」


 クオが音頭を取る。


「よしきた!」

「準備はいいよ!」


 三人は砂浜を埋め尽くすセルリアンの群れの中に身を投じ、女王の処に繋がる一本の道筋を切り開く。


「行け、我が兵よ」


 杖の先を砂に突き刺し、右腕を広げて女王が命ず。


 すると恭しく傅きながら誕生したセルリアンが軍隊の後方にどんどん連なり、終わりの見えない黒の軍勢を織り成す。


 潮が波打ち、砂が黒ずむ。


星質同調プラズム・シンパサイズCetusくじら…ッ!」


 ソウジュはくじら座の石板を手に言霊を唱えた。


 瞬く間に虹色が彼を包み、ゆらゆらと群青の色を残して光は散逸する。


 全ての光が消えた後、ソウジュはゆったりとした大きな外套を身に纏っており、首元の襟から膝先の裾まで長い縦の線が入ったその服の表面は、まるで掴み処のない水のように流麗であった。


 シルエットが大きくなったからだろうか。

 くじら座の輝きを備えた彼は、この戦場で大きな存在感を示すに至った。


「やっぱり慣れないよ、その

「でも力はあるから、安心して」


 ブレない返答に、ナトラも肩を竦めるしかない。

 それに、余計な言葉を交わしている場合でもなかった。


「ソウジュ、そっちに行ったよ!」

「うん、任せて」


 突然大きくなった彼の存在感が所以か、敵陣の中で暴れ回っていたクオと交戦をしていた多くのセルリアンが、前触れもなくそっぽを向いてソウジュの方へと向かい始めた。


 大挙して押し寄せるに、ナトラが小さく悲鳴を上げる。


「ひっ……なあ、大丈夫なのか?」


 ソウジュは悠然と、彼女に肯く。


「安心して良いよ、海が僕たちの味方だから」


 そう言って、左手を振り上げる。

 指を軽く丸めて、何かを掴み上げるように。


「ウソでしょ…っ!?」

「む、何だ…?」


 一瞬にして、海面が盛り上がった。


 丁度彼にのと同じ形になって、彼の腕の動きに連動するようにして水が浮かび上がる。そして彼が腕を手前に引っ張るとその水は大きな波となって、セルリアンを照らす日光の色を蒼く染め上げてしまった。



 ザブン―――ッ



 波音、そして潮の引く音。

 少し大きいだけの普段と同じ響き。


 だが、その波が齎した変化は並大抵ではなかった。


「派手に、吹っ飛んだな…」


 やはり水の力は強い。

 たった今の一撃で半分は削れたと思われる。


(なんとなく理解できた、くじら座は海の水を操れる…!)


 戦場が此処だからこそ、無類の強さを誇る星座だった。

 そして幸いなことにまだまだいける。


 けものプラズムを使って水を一から作り出すのではなく、元々そこにある水をいるだけだから、こうやって巨大な質量を一度に動かしても、ほどほどの消費で済んでしまうのだ。


「続けていくよ、クオは討ち漏らしをお願い」

「わかったっ!」


 先程の攻撃で真ん中が削れ、女王の両翼に主な部隊が残っている。今度は両手でそれぞれ海水を操り、一挙両得を目指して同時に攻撃を仕掛けた。


 またもや水が、セルリアンを襲う。


「芸がない、二度は通じぬぞ」


 一度の不意打ちを経て、今度は女王も対応を見せた。


 彼女は杖を振り、巨大なドーム型のセルリアンを生み出したのだ。


 ソウジュが水を自由に動かせるのなら、女王もまたセルリアンを望んだ数、望んだ形で生み出すことができる。それが『女王』の権能であり、全てを再現した彼女が手に入れた力であった。


 ドーム型のセルリアンは大波を全身で受け止め、攻撃を無力化する。

 やがて水が引くのを確かめて、彼女はほくそ笑んだ。


「この通りだ。もはやお前の能力も大きな脅威ではない」

「だったらいつまで耐えられるか、我慢比べと行こうじゃん」

「……貴様、押し通すつもりか?」


 ソウジュは諦めなかった。


 女王が自ら動いて対策を執った。

 つまりそれは、そうしなければまずいという意味だ。


 そこで彼が選択したのは、ここで攻撃を止めて別の手段を探すのではなく、引き続き更に威力の高い攻撃をぶつけて相手にという道だった。


 今度は波ではなく、粒で。


 まるで機関銃の弾丸のように水飛沫をドーム型のセルリアンにぶつけ、その防御を破らんとした。


 女王は攻撃を受けるドームを一瞥し、更なる命令を下す。


「往け、奴を討て! 奴の身体はガラ空きだッ!」


 これだけの攻撃をしているのだ。

 自らを守る所まで手は届くまい。


 機動力の高い鳥型のセルリアンを生み出し、ソウジュへと突進させた。


「ソウジュ…ッ!」

「おいおい、あたしを忘れんなよ!」


 クオは少し遠く、走っても間に合わない。

 飛び道具妖術を使おうか悩んだ矢先、ナトラが道を阻んだ。


 ナトラは最小限の動きでバードセルリアンの首根っこを掴み、後続の敵に力強く投げつけて共倒れにする。


 更にやって来るセルリアンも難なくいなし、ついにソウジュの元まで辿り着くセルリアンは1体も現れなかった。


「ご覧の通り。守ることにかけて、あたしの右に出るフレンズはいないさ」


 尚も攻撃を続けるソウジュを庇うように、堂々と立つ。


「ナトラ…!」

「思い切り戦ってこい、お前のパートナーはあたしがしっかり守ってやるよ」


 クオはナトラの言葉に安堵し、外周に逃げたセルリアンを倒していくことでソウジュの範囲攻撃がより効果的になるよう計らう。


 直接に背中を合わせなくとも、これもまた共闘の形だ。


「最早時間が無い。まさか、これ程に…」


 対する女王は、想定外の展開に思考を巡らせていた。


 自らが生み出したこの軍隊をどうしたものか。

 絶え間なく続く攻撃を受け続けたは、もう長く持ちそうにない。


 仮に守り切ったとして、それに見合う利が浮かばない。



「―――ならば、仕方あるまいな」



 だから、切った。


「なんだって…?」

「ドームが消えちゃった!?」


 女王がひとたび腕を振るうと、ドーム型のセルリアンは消失した。

 間もなくして庇護を失った臣民に雨の弾丸が降り注ぎ、全てが塵に消え去った。


 ただ独り、女王を除いて。


 それら主に見捨てられた憐れな者どもを女王は一切顧みることも無く、死んで散らばった大量のセルリアンの残骸を用いて、彼女は代わりに一体の巨大なセルリアンを生み出した。


「…なるほどね」

「この巨体、矮小な雨などでは沈まぬ」

「ムカつくな。価値が無いと思ったらすぐに見捨てちまうのかよ」


 みっともない転身。

 女王の行いが、ナトラの目にはそう映った。


 無論、あの憐れな巨体はどうにかして倒さなければならない。


「ソウジュ」

「…ん?」

「あたしがアイツを。だからお前は女王に突っ込んで、どでかい一撃をかましてやれ」


 ナトラはそう断言した。

 ”できる”という確信があった。


 その上で、ソウジュに問う。


「やれるか?」

「…一応、考えはある」

「なら、それをやればいいさ」


 果たして本当にあの巨大な怪物をナトラが相手にできるのか、多少の不安はありつつもソウジュは敢えて聞き直すようなことはしなかった。


 彼女の目を見て信じてもいいと直感が告げたから。

 彼は、彼のやるべきことをする。


(水よ、集まれ…!)


 ソウジュが準備をしている間に、ナトラが前に出る。

 女王が、単身で立ち向かわんとする彼女に嗤い掛けた。


「貴様が我が造物を、独りで打ち崩せると?」

「仲間がいるから大丈夫……なんて、そんなこと言わないよ」


 けものプラズムを集結させ、巨大な鋏を両手に握る。


「その程度、あたしだけで十分だ」

「思い上がるな」

「ははっ、思い上がり?」


 哄笑に返したナトラの笑みは、何処までも晴れやかであった。



「―――それはどうかな」



 ナトラは鋏にサンドスターを込めて、


 どこまでも、どこまでも。


 そうして刃の長さが巨大なセルリアンを両断できてしまうくらいになったら、やることはただ一つ。


 開いて。

 閉じる。


 すると、鋏は物を切る。


「……な、に」

「ほら、簡単だろ?」


 ナトラの鋏はいとも容易くセルリアンを切り捨て、一撃の内に勝敗は決した。


 これは決してなどではなく。

 これこそが、彼女が持つ星座の権能であったのだ。


「そ、それは…?」

「カワイくない攻撃だよな。でも、役には立つんだ」

「ううん、すごいよ」


 クオの褒め言葉に素直に顔を綻ばせ、すぐさま思い出したように彼に呼び掛ける。


「……ソウジュッ!」


 だが、言うまでも無かった。

 彼は既に準備を終え、女王に肉薄していた。


「貴様、いつの間に―――」

「『弾けろ』ッ!」


 彼が手を開くと、極小の水滴があった。

 くじら座の力で可能な限り圧縮した水。


 今にも決壊せん圧力をおとめ座の権能を用いて、言霊で解放した。


「ぐ、ううぅぅ―――!?」


 冷たい爆風に包まれて、女王は数十mの距離を吹き飛ばされる。

 これにて漸く、まともな一撃を叩き込めた。


「……はぁ、はぁ」

「おい、平気か?」

「ま、まあね」


 だが今の一撃でくじら座の力を使い果たし、同調は解けてしまう。


「…それ、石板か?」

「三枚、きっとアルゴ座の欠片だ」


 その代わりに、彼は女王から石板を奪取することに成功した。

 彼女の野望を阻止する足取りを一歩。


「……っ」


 そしてもう一つ、更に予期せぬ贈り物を受け取ることになる。


「ソウジュ、やったね!」

「う、うん…」


 否。

 取り戻したと言うべきか。


「ナトラ」


 ソウジュはクオの頭を撫でて労いながら、頭の中に浮かんだ疑問の正体を確かめんと問いを投げかける。


「おう、なんだ?」

「君って、いちご味のジャパリまんが好きなの?」

「へ?」


 聞けば、馬鹿馬鹿しい。

 しかし、真剣な質問だ。


 ナトラも戸惑いつつ、答えを返してくれる。


「そうだけど、突然どうしたんだよ? それにあたしの好みの味なんて、お前に一回も……」


 途切れる。

 逡巡が挟まる。

 点と点が繋がる。


「……まさか」


 ソウジュは目を合わせ、頷いた。


「ストールだった時のこと、思い出したかもしれない」

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