第百六十三節 海底より帰還

 そして様々あって時間を過ごし、ドルカ達にも暫しの別れを告げてから宿へと四人で戻ってきた。


 結構な量を食べたからお腹もすっかり膨れて、いっそまだまだ明るいこの時間帯にも夢に落ちてしまいそうなほど眠たい。かといってお昼寝をするにも微妙な日の高さだから困ったものである。


 僕が如何ともしがたい眠気と格闘していると、シェラがこちらにやって来た。


「ソウジュ君、もしかして食べ過ぎちゃった?」

「…クオとシェラのおかげでね」


 先程の寿司屋では二人の仁義なき食べさせ合戦が開戦し、僕の胃袋を顧みない愛情が両の側から押し寄せた。


 加えて、口に押し込むお寿司のネタは最初こそラッキービーストの大将に任せきりだったが、時が流れていくにつれてそれぞれの個性が現れ始めるのだから面白い。


 クオは段々、あの子自身が好きそうな玉子や蒲焼きのお寿司を選ぶようになって。


 対してシェラはまばらに、何の規則性もなく選んでいたけれど、何故だか彼女はずっと確信めいた調子でネタを選んでいて、そのどれもが僕の口に合っていた。


 それについて尋ねると、予想通りの答えが返って来る。


「ストール君が好きだったから、キミもそうかなって」

「そっか、彼とは長い付き合いだったらしいね」


 どうやら記憶を失っても、舌の好みにそれほど変化はなかったらしい。


 頬に喜色を浮かべてシェラは言う。


「うれしいな、あの時と一緒で」


 彼女は徐に僕の手を取る。


 あまりにも自然な動きで、さも当然のようにそうするから許してしまったけれど、こんな場面をクオに見られたら吹き飛ばされかねない。


 けれど無理に振り解くのも不憫に思えてしまって、少しの間だけそのままにしておくことにした。


「ストール君ともあそこのお寿司屋さんにはよく行ったんだ。彼がカニのお寿司を頼むと、ナトラがすごくイヤな顔をするのが面白かったの」


 面白いで済ませていいものか。

 シェラも、柔らかい声ですごいことを言う。


「…ナトラは、どうして?」

「さあ。だけど、なんとなくイヤなんだって」


 つらつらと取り留めのないことを口にしながら……シェラはじりじり、注視しなければ気づかないくらいゆっくりと距離を詰めて来る。


 意識してではなく、抱える想いが知らぬうちにそうさせているのだろうか。



 ―――ナトラに聞いた『宝物への執着』、その言葉を思い出す。



 思えば、彼女の手の遣い方はどこかを扱うようなものでもあり、クオと違って強く掴むようなことはない。


 指先が肌をそっとなぞると、くすぐったさが皮下を走る。


「そうだ」


 その感覚から意識を逸らすために、僕は別の話題を投げた。


「シェラ。一つ、頼みたいことがあるんだ」

「いいよ、なんでも言って?」


 話を聞いて気になってはいた。

 彼女たちは他のフレンズと違う気がする。


 はっきり言えば、星座のフレンズではないのだろうか。


 それを確かめたい。


「この鏡の力で、君の――」

「おーっす、帰って来たぞ~」


 だが言い切る前に、部屋の戸が開く。


 彼女の家までを取りに帰っていたナトラが、丸々と大きな何かを胸に抱えて戻ってきたのだ。


 僕はため息を吐いて、シェラに向き直る。


「…その、また後でいい?」

「うん♪」


 今は、ナトラが持ってきた物を確かめよう。


 ナトラの声を聞いて奥から現れたクオが、自分の腰程まである布の包みを目にして訝しむ。


「ナトラ、この大きな荷物は?」

「あたしのだ。さっきはシェラの分しか持ってこられなかったからさ」


 彼女が荷物の結び目を解くと、中からは可愛らしい模様と色合いをした寝具が出てきた。


 これが、ナトラのものなのか。


「…それで、布団とパジャマを?」

「ナトラはねぇ、これじゃないとぐっすり眠れないの」

「そ、そうじゃないって! ただ、少し…落ち着かないだけ、それだけだ!」


 顔を真っ赤にして否定するが、シェラは慣れた様子でナトラの反駁をあしらう。


「…ふふ、大変だよね」

「へぇ、ナトラちゃんって…」


 終いにはクオまでも、彼女に対して生暖かい視線を向けるに至った。


 だがこのような空気はやはり承服しがたいようで、赤らんだ頬の血色をそのままに彼女はクオへと矛先を向ける。


「お、お前だってどうせ、ソウジュが一緒にいなきゃ安心して眠れないんじゃないか?」


 そう指摘されたクオはといえば。


「……えへへ」


 大したダメージを負うでもなく、後ろ手を組んでもじもじと恥ずかしがるだけだった。


 ジト目と、諦めた呟き。


「はぁ…もういいよ」


 それはさておき。

 暇を潰す方法を考えよう。


「じゃあ、これからどうしようか。日が落ちる迄まだまだありそうだけど」


 そうみんなに向かって問いかけると、暫しの沈黙の後にナトラから一つの案が上がった。


「海とかどう? 夕日で赤く輝く海なんて、みんなで見たらきっと格別だぞ」


 なるほど確かに、悪くない。

 昼の海はクオと楽しんだけれど、黄昏時の情緒溢れる海の風景もいい想い出になるに違いない。


 他の二人も、僕と同じ感想を抱いたようだ。


「いいね、ソウジュと一緒に…」

「素敵、ソウジュ君が傍にいれば…」


 ……まあ、多分同じ筈だ。


「…はいはい、知ってましたよ。ソウジュもそれでいいか」

「いいよ、僕も楽しみ」


 そんな感じのトントン拍子で、次の予定が定まった。




§




 そして夕方を待ち、海にやって来た。


「海だーー!」


 叙情的な雰囲気に合わない真昼の大声が潮の満ち引きにリズムを合わせて砂浜を乱す。


 足元から辿れば熱量を上げていくように水は赤く染まって、真正面から過ぎ去り背後に影を落とす光が暖かい。


 逆光の中、子狐のシルエットが踊っている。


「ったく、クオは本当に元気だね?」

「ね、可愛いでしょ」


 僕のその言葉を聞き付けて、シェラの潤んだ目がぬるっと視界の横側に現れる。


「ソウジュ君…」


 彼女の期待は知っている。

 しかし、口にするのは憚られる。


 そこで僕の葛藤を察したナトラが助け船を出してくれた。


「はいはい、シェラもめっちゃ可愛いぞ~」

「…ナトラでもうれしいけど、そうじゃないよ」


 明るい苦笑いを浮かべてグッドサイン。


「ごめんな、うちのシェラがワガママで」

「でも、ボクが見つけた宝物だもん」


 それでも譲らないシェラだが、クオの呼ぶ声が向こうで響いた。


「ソウジュ、こっちこっち!」


 呼ばれてしまえば仕方ない。

 彼女のいる波打ち際へと歩いていく。

 すると近くに着いた途端、塩水が僕を襲った。


「えいっ!」

「え、うわっ!?」


 頭から冷たさを被る。

 そういう魂胆かと、妙に納得がいく。


「……やったね?」


 先にやったのはクオなのだから、どうやり返されても文句などあるまい。


「とりゃっ」

「ひゃぁ、冷たいよ~!」


 そうしてお互いに水を掛け合う。

 特に意味もない戯れで、それがこれ以上なく楽しかった。


「…羨ましいか?」

「うん」

「じゃあ、あたしとやってみる?」

「……いい」


 ふと振り返った遠くで、ナトラとシェラが何かを話している。


「追いかけるんだろ、ホッカイまで」

「え…」

「だったらゆっくり、ストールと出来なかった分も仲良くなろうよ」


 ここからでは声も聞こえない。

 だけど、真剣な雰囲気は見て取れた。


「お引っ越し、許してくれるんだ」

「ま、シェラの願いだからな」


 そちらに気を取られていると、海の方でも異変が起きる。

 水の中からざぶざぶと、魚を模した姿の怪物が続々と姿を現し始めたのだ。


「うわっ、セルリアンだ!」

「ソウジュ君…!」


 シェラが思わず立ち上がり、ナトラが制止して先をゆく。


「……片付けてくるよ」

「ナトラ、気をつけてね?」

「知ってるだろ、あたしは平気だ」


 普段の様子とは打って変わって、本気のオーラを纏ったナトラ。

 大股の足取りで、セルリアンの前に陣取った。


「ふんっ」


 難しく表現することはない。

 彼女は拳を叩き付けた。


 その単純な動きで、セルリアンは塵と砕けた。


「…つ、強いね」

「まあな」


 海から出てくる今日のセルリアンはどうにも数が多く、僕とクオの手から逃れた個体がナトラに襲い掛かることもあった。


 しかしたとえ真正面から攻撃を受けても彼女はビクともせず、返しの一撃で容赦なくセルリアンの命を刈り取っていく。


 彼らの攻勢を意にも介さず、言葉を口にする暇さえ持ち合わせる。


「しかしドルカに聞いた通り、本当に増えてるんだな」


 そんな彼女の協力あって、直ぐに片付いた。

 戦う力のないシェラが、後からこちらへやって来る。


「そ、ソウジュ君…」


 彼女はとても不安そうな様子で近づいて、僕の手を握る。

 まるで落とした陶器を拾い上げるように目の端に涙を浮かべて。


「…ふんっ」


 その姿を憐れに感じたのだろうか。


 クオは鼻を鳴らし、僕のもう片方の腕をぎゅっと強く抱き寄せるだけで、シェラに表立って文句を言うようなことはしなかった。


「…あったかい」


 それは、僕の手の温度のことだろうか。

 シェラの頬は夕日に当てられていた。


「すき」


 彼女が僕に抱き着くと、流石にクオも黙ってはいなかった。


「離れて」

「やだ」

「……ああ、もう!」


 シェラに対抗するようにクオも僕を抱き締めながら、尻尾で更に身体の表面積を奪っていく。腕を差し込むようにしてシェラとの間に滑り込み、果物の皮を剥く要領で僕から引き離そうと画策する。


 シェラはクオの反対側に回って、僕から離れようとしなかった。


「ははっ、海でくらい仲良くできないのか?」


 ナトラの言葉も虚しく、辺りが暗くなって宿に帰るその時まで、二人の攻防は止むことが無かった。




§


§


§




 そして、夜になる。

 誰もいない海辺の水面に、泡が立つ。


 間もなくして、そこから真っ黒な人形ひとがたが姿を現し、ぽつぽつと水滴を落としながら浜へ上がる。


「許さない。私の邪魔をした者も、私を虚仮にした者も」


 ごぽごぽと、彼女の背後にしもべが続く。


 リウキウでの戦いから、僅かばかりの安穏を経て。


「アルゴ……待っていろ」



 ―――真っ赤な瞳をした女王が軍勢を連れ、ついに地上へと舞い戻った。


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