第百六十二節 柔毛に包まれて
「とうちゃ~く、だよっ♪」
「…これ、平気なの?」
シェラに連れられてやって来た、タウン一角の食事処。
その入り口の暖簾を目にした瞬間に、微かな罪悪感が脳裏を過る。
青々とした布地に白く記された、『寿司』の二文字。
疑いようがない。
間違いなくお寿司屋さんだった。
「ソウジュ、どうしたの?」
「なんか、レヴァティを思い出しちゃって」
そう答えるとクオも合点がいったように頷いた。
「あの子たちもソウジュのこと好きだったよね」
「それは関係ないってば…」
威圧して彼女らの同行を止めさせたことを思い出したのか、クオの言葉にチクリと小さなトゲが浮き出る。レヴァティに対してはまだまだ警戒が解けていないようだ。
それはさておき、問題はこの寿司屋だ。
水族館ではないからまだセーフなのかな。だとしても、ジャパリパークにこの類の飲食店があるのは些か挑戦的過ぎやしないか。
命について学ぶにしても、場所に合った方法というものがある筈だけれど。
「ほら、入るよ♪」
しかし背中をシェラに押されて、僕は仕方なく暖簾をくぐり抜ける。
「ヘイラッシャイ!」
「ら、ラッキービーストだ…」
ツンと鼻を刺すような淡い寿司酢の香りが漂う店内に、えらく平坦な大将の声が響き渡る。声のする方を見れば頭に白い帽子を被ったラッキービーストがカウンターの上に乗って接客をしている。
正直に言って、夢でも見ているかのような光景だ。
「四名様デ、イイカナ?」
「そうだよ」
「ジャア、コチラニ…」
「ささっ、ソウジュ君も座って♪」
大将の案内すら遮って、足早に席に着いたシェラが僕を促す。
「…ふう」
椅子の柔らかい敷物に腰を落とし、木製の頼もしい背もたれに身を預けたら、ここ数日の疲労が溜め息になって口から飛び出てくる。
首をこてんと横倒し、店内の様子をうかがう。
すると、見覚えのある姿があった。
「……あ!」
「あ、ドルカ」
向こうも僕に気付いて、大きな声を上げる。
僕も驚きと共に彼女に声を掛けた。
「君までここに…?」
「あれ、ヘン?」
「…ああいや、何でもないよ」
一瞬、彼女が此処にいるこの光景がとても奇妙なものに見えたが……よくよく考えてみれば、イルカが海の魚を食べても何も不思議ではない。
刺身に加工されて、丸めた酢飯の上に乗せられて、果てには醤油を付けて食べられる形になっていることは自然と程遠いが、そもそもフレンズ自体が完全な自然の姿とは言い難い。
まあ、地上の動物を飲食店で食べているより数段マシであろう。
僕はそう結論付けて、これ以上変に悩むことはやめた。
「その子、ドルカの新しい友達ですの?」
奥の方から聞き慣れない声がする。
直後にひょっこり、数人の顔がドルカの陰から現れた。
その中の一人、桃色の少女が続けて喋りだした。
「わたくし、シナウスイロイルカのナルカです」
にこやかに微笑むナルカの隣でドルカがはしゃぐ。
「そこにいるのがソウジュとクオ。昨日言った、わたしの新しいお友達だよ!」
「あら、そうでしたのね」
見るも上品な仕草でペコりと頭を下げる。
「どうぞよろしくお願いします。ドルカちゃんは元気が良い分おっちょこちょいなので、よかったら手助けしてあげてくださいね?」
「なっ、何言ってるのっ!?」
やいのやいのとひと悶着。
背後から刺されたかのような驚きを露わにするドルカを抱き締めて、柔らかく撫でて宥めるナルカの姿は彼女の母親のように見えた。
「もー、なんでー!?」
じたばた、不承。
だが満更でもなさそう。
そんな中、また新しい声が聞こえた。
「確かに、ドルカはまだまだ詰めが甘い。マルカとどっこいどっこいだな」
「イッカクったら、わたしもドルカちゃんも黙ってないよっ!」
「なら、またちからくらべをするか?」
ドルカに似た黒い頭のフレンズ。
鋭い槍を肩に乗せたフレンズ。
ナルカの言葉から飛び火して、お店がより一層騒がしくなる。
「それで、人数が足りないからまたわたくしを巻き込むのでしょう?」
その間に入って仲裁するナルカは、この一幕の元凶でありながらもスッキリと場を収める不思議なオーラを纏っていた。
「いつも迷惑を掛けるな」
「いいんですよ。みんなの面倒を看るのがわたくしの役目です」
そうして一過性の荒波が静まった後、それぞれの自己紹介を聞く。
「イッカククジラのイッカクだ。よろしくな」
「わたしはマルカ、マイルカだよっ!」
ナルカ、マルカと、イッカク。
なるほど、彼女たちがドルカの親しいお友達のようだ。
僕ら一行も加えて八人と、図らずも大所帯の形になってしまった。海の動物が半分以上を占めていて、中々に瑞々しい空気になっている。
するとやはり、先程の疑問は一度くらい蒸し返しても良いだろう。
「君たちみたいなフレンズも、こういう場所でお魚を食べるんだね?」
そう言うと、イッカクが笑って答えた。
「どちらかといえば、ラッキービーストの大将に料理をしてもらいに来てるんだ」
「わたくしたちが捕まえたお魚をここに持ってきて、大将さんが美味しいお寿司にしてくれるんです」
むしろ卸す側だったとは予想外。確かにラッキービーストじゃ釣りも難しいだろうし、合理的な運営方法かもしれない。
(だけど、そっかぁ…)
なんとなく呆然としていると、ナトラに肩を叩かれる。
「なんか、ポカンとしてるな?」
「ゴコクに来て、急に知り合いが沢山増えちゃったから…」
ただ思い返してみれば、旅の初め頃は次の土地に足を踏み入れる度に新しい出会いに恵まれていた。
最近はそう、観光どころではない事件のせいで出会いが少なかっただけだ。
「あたしたちが美味しくお寿司を食べられるのはこの子たちのお陰だからさ、ちゃんと感謝するんだよ?」
―――最後の場所が安らかで、本当に良かった。
「ソウジュ君、そろそろ注文しない?」
「ん、クオはこれ食べたい」
取り合うように身を寄せてメニューの木札を指差す二人。
その点で言えば波風こそ立っているものの、この程度のじゃれ合いならむしろ可愛いくらいだ。
「シェラ、あたしは何処にいればいいんだ…?」
「はいはい、こっちだよぉ」
「へへっ、助かるぜ」
シェラの向こうにナトラが座る。
会話はここで一段落と相成り、思い思いの食事を大将に頼んでゆく。
「ねえねえ、わたしたちはどうする?」
「そんなこと聞いて、ドルカの注文はいつも一緒でしょう?」
「えへへっ」
またワイワイと盛り上がってきた片隅で、イッカクが湯気の立ち上るお茶を静かに啜って嘆息を漏らした。
「……あぁ、染みるな」
噛み締めるようなその言葉に、マルカが笑って同意する。
「今日の漁も大変だったもんねぇ」
「何かあったの?」
僕がそう尋ねると、自分の注文を終えたナルカが代わりに答えてくれた。
「最近のことですが、海に棲むセルリアンの数が多くなっていまして。彼らを避けながらお魚を捕まえるのはとても大変でした」
海のフレンズと言えど、彼女たちの漁も一筋縄ではいかないようだ。
いつの間にやらお茶を飲み干していたイッカクが不安げに呟く。
「悪いことの前兆でなければいいんだが」
その憂いを帯びた横顔と、僕にべったりとくっついたクオの綻んだ顔を見比べると、温度差に風邪を引いてしまいそう。
彼女に声を掛ける。
「…クオ、聞いてた?」
「平気だよ、何があっても守ってあげるから」
「ありがとう、頼もしいね」
そうこう話している内に大将も――彼の身体の何処を使ってそんな芸当が出来たかは知らないが――注文した寿司を握ってくれた。
ありがたく食べようとしたら横からお皿を奪われて、お寿司だけがクオの手に握られた状態で口の前に差し出される。
「はい、あーん♪」
大人しくそれを口に納めると、反対側からも同じ様なことをされる。
「ソウジュ君、こっちも♪」
口がお米と魚でいっぱい。
お茶を飲みたいけれど、両腕が自由に動かせない。
「ね、もうちょっとソウジュから離れてよ…!」
「クオちゃんこそ、ソウジュ君にくっつきすぎじゃないかなぁ?」
さっきまではお互いに押し込むように僕にくっついていた二人が、今度は相手から僕を引き剥がそうと引っ張ってくる。
正直、かなりこわい。
「精々、身体を引き裂かれないようにね」
「…祈ってはおくよ」
加減は知っていることを願おう。
「「……ソウジュ(君)は」」
「クオのものなの!」
「ボクの宝物なんだからっ!」
しかし両側を包むふわふわが、静電気を帯びたように僕は感じた。
「あらら、大人気ですねぇ」
「なぁ、それで済ませていいのか…?」
「でも楽しそう!」
不安に満ちた安らぎ。
硬く獲物を掴む柔肌。
僕を傷つけかねない執着。
全てをよそに、屈託のない声が聞こえる。
「……大将、いつものお願い!」
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