第百五十九節 『九尾』の記憶
嘗てキュウビがホッカイの神社で暮らしていた理由を語るのに、果たしてどれだけの時間を遡る必要があるだろうか。恐らく全ての始まりは、彼女がヒサビと言う名の青年に恋慕の情を抱いたことであろう。
その頃……といっても、パークからあらゆる人間が消えて少なくとも半世紀以上は経った時期のことだが。
一人の青年が、ジャパリパークの外から遥々海を渡って現れたのだ。
彼の名こそヒサビ。
のちにキュウビの伴侶となる男であり、彼女に師事して妖術を学び、そうして作り上げた独自の妖術を自らの書物に遺しておいた者でもある。
しかしここでは、彼がジャパリパークを訪れた目的と、キュウビとの関係においてのみ取り上げよう。
―――外の世界は有り体に言えば滅びていた。
彼の知る歴史では数十年以上の前から、世界中に虹色と黒色の色彩を持つ奇妙な物質が蔓延し、それ以前の常識では考えられない生命が場所を問わず大量に発生していた。
彼ら怪物は人類の造物を貪り、模倣し、それらに成り代わり、あらゆる都市を地上の霓で蔽い尽くした。
人類も当然それに抗おうとしたが、ネズミ算式に増える彼らの勢いを抑制することは出来ず、それほどしないうちに文明は滅びてしまった。
後に残されたのは僅かな生き残りと、ゆっくりと自然に還っていく都市の残骸。
人類は遥かな古代のようにバラバラな集落の社会にそれぞれ分割され、それぞれの命を支え合って生きていくことになった。
ヒサビと言う男は、滅びた都市の何処かから嘗て存在したジャパリパークという最初に怪物が現れた土地のことを知り、その真相を確かめるべく、ひとり無謀な夢を抱えて大海に船を漕ぎ出したのだ。
―――もしかすると、あの怪物をどうにかする方法が見つかるかもしれない。
当たらずとも遠からず。
其処には
その特異な力こそフレンズ達に特有のモノだが、永くパークを見守っている『神獣のフレンズ』に願いを捧げれば、ヒトの身で扱える武器を授けて貰える可能性もゼロではなかった。
しかし、幸か不幸か。
ヒサビが最初に出くわしたのがキュウビキツネであったことにより彼の運命は大きく様変わりし……結局のところ、力をパークの外に持ち帰ることは叶わなかった。
それどころか彼自身も、永久にジャパリパークに縛り付けられる次第となってしまった。
……はて、これらの出来事をどう説明すべきだろうか。
彼がジャパリパークの土を初めて踏んだばかりの頃は、彼の船が流れ着いた先であるホートクに滞在し、この地での暮らしを大いに体感した。
しかしまあ、ヒトが消えてから長い時間が経ったもので。一介のフレンズが持つパークについての知識と言えば、ラッキービーストや残された施設など、身近に触れられる程度に留まっていた。
ここに居ればセルリアンの脅威を外ほど気にせずに生きていける。
だがそれでは、外で生きていく方法を見つけることは出来ない。
早くも行き詰まってしまった彼に、あるフレンズが助言をした。
『ホートクの外れに神獣のフレンズが住んでる神社があるんだ。そこに行けば、もしかしたら何かいいことがあるかも』
彼はそれを聞くや否や、教えてもらった場所にすぐさま飛んでいく。
そうしておよそ半日の旅路。
辿り着いた先にあったのは廃れた神社だった。
『ホントに、ここなのか…?』
おおよそ手入れをしている誰かがいるようには見えず、碌でもない神が棲み付いていてもいっそ可笑しくない外観。
時間帯に関係なく幽霊の出てきそうな雰囲気に気圧され、恐る恐る足を進めて境内へと入っていく彼を、この神社の主となっていた彼女が見初めた。
『……あら?』
彼女は下に降りて、彼に近づく。
突然目の前に女性が現れて驚いていた彼に、優しい声で尋ねた。
『貴方、名前は?』
『ヒサビだ。貴女が、神獣のフレンズか?』
緊張を隠して、彼は毅然とした声で答える。
キュウビはそんな彼の表情から内心を察して可愛らしく思いながら、その一方で嘗て彼女が心惹かれた少年を思い出していた。
思いを寄せて、力を振るって手中に収めても、ついぞ心は奪えなかった彼の姿。
『懐かしい』
ヒサビが自身の身の上について話し、助けを乞いたい理由を告げる間中ずっと、キュウビは長い回想に耽っていた。その所為で彼のことについて当時は何も聞いていなかったが、肝心な言葉だけは頭に残っていた。
それは善意の類によるものではなく、彼を逃がさないための手段でしかなかったが。
後ろ手に妖術を組みながら、キュウビは甘い声を掛ける。
『力が欲しいの? それなら、幾らでも叶えてあげるわ』
『本当か…!?』
『もちろん嘘は吐かないわ』
そして、言うべきことも言わないのである。
『ただし一つ、貴方にも見返りを払ってもらう』
『その通りにしよう。望みが叶うのなら』
狐は笑う。
術は成る。
『いい返事ね、なら――』
呪いを掛ける、凍っていた執着を以て。
『―――私の物になりなさい。永遠に』
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするヒサビを見て、キュウビはまた笑った。
§
つまり、どういうことかというと。
彼女が彼に掛けた呪いとは一種の契約であった。力を与えるには見返りが必要だと告げ、相手はそれに同意する。そうして最後の最後に求める見返りの中身を告げ、術を完成させることで確実なものとした。
詐欺と言われても仕方がないし、彼も最初はそう反発した。
だがこの呪いを成立させるために必要な物とはお互いの合意と約束の中身のみであり、その順番など重要ではないのだ。
求めた通りの力を手に入れ、予想だにしない代償として自由を失った彼は、しばらくの苦悩の後に諦めという名の適応をした。
神に安易な奇跡を願えば、きっとこのようになってしまうのだろう。
そのようにして自分の運命に納得のいく説明を付けた彼は、それでも元より抱えていた信念を完全に捨てきることが出来なかった。
折角、これまでの全てを差し出して力を手に入れたのだ。
彼の善性と願いは外の世界ではなくジャパリパークの内側へと向き、フレンズに仇成すセルリアンを討伐する『守護』のような存在としてパークにその名を馳せることになる。
『今日も行くの?』
『セルリアンにも休みは無いからな』
『ええ、気を付けてね』
キュウビはと言えば、彼の行動に対して非常に寛容だった。
食事の時間にちゃんと帰ってくれば、怪我をして戻って来るようなことさえなければ、咎めるようなことは決してしない。
彼はそんな彼女の態度を、妖術を使って無理やりに縛り付けた罪悪感から来るものだと推測していたが、本人に直接問い質す訳にもいかず、結局あの事件が起きて生き別れるまで尋ねることは出来なかった。
そうしていたのには、彼女の神秘性も関わっている。
例えば好きな食べ物とか、よく読む本のジャンルとか、ヒサビがしていると思わずキュンとしてしまう仕草だとか、そういったことは尋ねるまでもなくキュウビの方から話してくる。
しかし彼女の過去や、彼女の抱える様々な事情については一貫して答えようとせず、ヒサビもやがてその類の話題を避けるようになった。
ただ一つ、教えてくれた例外は。
『……この神社、元々私の物じゃないのよ』
大した秘密ではなかった。
§
そんな平穏な日々を、粉々に破壊してしまう事件が起きた。
遥か昔の敗北の後、命からがら逃げ延びて力を蓄え続けていた”セルリアンの女王”がついに復活を果たしたのである。ジャパリパークのそこかしこに無数のセルリアンが溢れ、戦いの日々が始まる。
四神をはじめとする『守護』のフレンズもパークを守り切るために姿を現し、ヒサビも当然のことながらこの戦いに参加することとなる。
キュウビには強い反対を受けたが、彼の意志は変わらなかった。
『いざとなれば結界を張って、永遠に隠れ続けることもできるのよ』
『だが、俺はそんな風に逃げたくはない!』
啖呵を切ったヒサビに彼女は驚いた。
とても久しぶりに、彼が強く反発したからだ。
重みのある声で続ける。
『外の世界はセルリアンに侵されて、人が穏やかに暮らしていける土地は無くなってしまった。でも、こんなにも素敵な場所がまだこの星に残っていたんだ。それが失われていくのをただ見ていることなんて出来ない』
静かに諭すように、優しい声。
『キュウビ。ここは君を生んでくれた場所なんだろ? だったら尚のこと、守りたいんだ』
『ヒサビ…』
その訴えに心を動かされたのだろうか。
キュウビも最後には彼が戦いに出ることを許した。
そして、戦いは激化する。
フレンズ達の力によって些末なセルリアンは跡形も残さず片づけられ、女王たちの勢力はじわじわとキョウシュウへ追い詰められていった。
嘗てはとある『守護』が張った結界によって、長らくキョウシュウに入ることが出来ていなかった。結界の形成から時間が経ったことも相まって、女王たちが結界を破壊して侵入することが可能となった。
セルリアンの軍勢こそ消え去ったが、親玉である女王は未だに五体満足で残っていて、数多くの『守護』の力を以てしても下せずにいた。
話によれば得体の知れない新しい力を手に入れたらしいが、ヒサビにその詳細は分からなかった。
ただ知るべきことは、彼らが女王を鎮めるために負った傷はけして浅くないということである。
普通では在り得ないレベルの再生能力によって、女王はその身一つで難攻不落の要塞と化していた。戦えば戦うほど削られていくのは『守護』の者たちの力であり、やがて真正面から立ち向かう以外の策を考えるようになった。
そして最終的に上がった案が、封印。
女王本体は適当な場所に妖術を用いて封じ込め、女王たちが破壊した結界を復元してキョウシュウを完全に封鎖するという方策だ。
最初は本体の封印のみで事足りると考えていたが、スザクがより確実なこのやり方を提案し、キョウシュウに住むフレンズ全員の避難完了を以てこの作戦が決行されることになった。
最も重要になる本体の封印。
その実行役に選ばれたのが、ヒサビであった。
彼はキュウビの丁寧な手ほどきの元、特定の分野に関しては彼女さえ凌ぐ程の妖術使いへと成長したのである。とりわけ封印術に関しては、独自の法を編み出すまでとなった。
『気を付けてね』
『ああ』
ヒサビは女王と正面から対峙し。
キュウビはキョウシュウを覆う結界を復活させる。
それぞれの役割で、この戦いに終止符を打つ。
『守護のみんなも居るから大丈夫さ。キュウビもちゃんと準備しておいてくれよ』
『勿論よ。いい知らせを待ってるから』
『じゃ、行ってくる』
そんな風に交わした言葉が……彼女たちの最後の会話となった。
――――――
――――
――
『おい、お前…』
『悪いな。女王ほどの存在を封じるには、まだ足りなかったみたいだ』
苛烈な最終決戦の終幕。
燃え尽きた草原の中心で今は倒れている女王。
たった数十分の行動不能を成し遂げるために、ほぼ全力を費やしてしまった。
再び彼女が起き上がれば今度は決して敵わない。
ヒサビは一人、重大な決断を下した。
『……結界を復活させるまで、キュウビには黙っておいてくれ。もしも知ったら、全部投げ出してこっちに来ちゃうからな』
封印は、その依り代によって強度を変える。
ただの物より妖力の籠った呪物。
出来合いの呪物より、年月を経た宝物。
そして物よりも、術に長けた人間。
それが彼の覚悟だった。
『ごめん、キュウビ』
封印が成る間際、彼は空に九色の虹を見た。
――
――――
――――――
『―――放しなさい、私はッ!』
『落ち着け。おぬしが復活させた結界は、例えおぬしでも一人では壊せない。そうわしらに言ったのは、誰だった?』
錯乱して結界を破壊しようとするキュウビを、ゲンブが静かに宥める。
『おぬしの気持ち、共感できるとは言わんが理解はできる。だがどうか、あやつの覚悟も汲み取ってくれ。おぬしを傷つけさせぬために、あやつは封印の礎となることを決めたのだから』
『そんな…そんなの…!』
彼女には決して認められなかった。
自分が彼に与えた力の所為で、永遠の離別を選択させてしまったのだから。
だがそれでも現実はあまりに非情で。
彼女は自分は施した結界の所為で封印を解くことはおろか、ヒサビの墓碑銘を見に逝くことさえ叶わなかった。
やがて、脱力が襲う。
『……キュウビ』
『もういい。私は帰るわ』
『待て』
全てを諦めた彼女がゴコクを去ろうとする間際。
ゲンブは最後の贈り物を渡す。
『これは……宝石と、石板?』
『何か意味があるとは思わん、それでも渡しておく』
『どうして?』
『あやつのここでの最後の拾い物。ただそれだけだ』
ゴコクからキョウシュウに飛び立つ手前。
息抜きに散歩をしていた彼が拾ってきたものだ。
『……そう』
その程度の繋がりでもこの時の彼女には非常に甘美に思えてしまい、ゲンブの手からそれを受け取ることを躊躇いはしなかった。
それで、傷が癒える筈もなかった。
§
だがその贈り物が、途轍もない奇跡に
『――――あなた、誰?』
『…!』
ある日、彼女が家に帰ると、奇妙な生き物が彼女を迎えた。
セルリアンのような姿をした、可愛らしいキツネの怪物。
『~☆』
そしてキュウビは気付く。
宝石と石板が消えていることに。
『まさか…』
ここから、『久遠』が始まった。
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