第百五十七節 鏡に映る似姿

「……」

「~♪」


 険悪、と形容するにはまた複雑な空気であった。


「ソウジュ君、これはどう?」


 シェラは目の前にアルバムを広げて、楽しそうに次の写真を指で示した。そこにはストールとシェラが夕焼けの海を背景にして映っており、すぐ横にシェラとナトラのツーショットがあることから、交代で撮影したものだと窺える。


 普通の感想を述べるとすれば、何気ない日常を収めた綺麗な一枚だ。


 しかし、改めて「どう」と聞かれると困ってしまう。彼女が見せてくれる写真はどれもこれもストールを撮ったもので、決してソウジュじゃない。


 勿論シェラもそんなことは重々承知している筈で、だからこそ返答に窮している。


「僕は…」


 返す言葉が浮かばないまま時が過ぎれば、シェラはまた別の写真を見せて僕の反応を伺う。そのようにして無為に時が過ぎ、ただ頭の中の自分のものではないアルバムが分厚くなっていくのみ。


 果たしてこれでシェラは満足なのだろうか。ただ、ふわふわとした口調と楽しげな態度は崩れる気配がなかった。


「むぅ…!」


 むしろ、不機嫌なのは隣に座っているクオだ。


「クオ、もしつまらないなら…」

「いいっ!」


 クオは叫ぶように言葉を遮って、より強く僕の右腕を抱き締めた。


 ナトラと共に洞窟でシェラと遭遇したのちクオは遅れてやってきて、僕に抱き着こうとする彼女を見た瞬間に案の定怒り狂った。目にも止まらぬ速さで刀を構えようとしたのを僕が止めなければ、あの岩肌は血で染められていたに違いない。


 しかし一度止めただけでクオの気が収まる訳もなく。


 何度もシェラに襲い掛かろうとするクオのことを僕が抱え上げて、命知らずにも僕の方へ来ようとするシェラをナトラが静かに諭して。


 ひとまず落ち着いて話をするためにシェラとナトラの家に戻って、今はこうして昔の写真を見せられている。ちなみにドルカは、この家を出発する前に海に帰っていった。


「ぐぅ…!」


 ページの隙間からはらりと落ちた一枚の写真を、クオは手に取って苦悩する。


 そこにはこの家の椅子に座るストールの姿。

 ジャパリまんを二つに千切って手渡すシェラの姿。


 僕の目には……クオが今すぐこの紙切れを破り捨ててしまいたい気持ちと、曲がりなりにもの姿がある写真を傷つけてしまいたくない気持ちとの間で揺れ動いているように見えた。


 彼女の指は震え続ける。


「少し前まではラッキービーストがよく来てくれて、撮った写真をそこの機械で印刷してくれたんだ」

「へえ、珍しい機械だね…」

「最近はセルリアンが暴れてて忙しいのか、あんまり来なくなっちゃったんだけど」


 ポンポンと、ナトラがやさしく機械を叩く。


「でも、にいるのはソウジュじゃない」

「うん、そうだねぇ」


 クオの言葉にシェラは反論することもなく頷く。


「だけど、そんなに違う?」

「どういう意味?」

「全部忘れちゃってても、ソウジュ君はストール君の。ボクはそう感じてるんだ」


 続き。

 そうか。

 シェラはそう思ってるんだ。


「ナトラはどう?」

「…ああ」


 シェラに促されてナトラも彼女の見解を口にした。


「単に知ってるから、そう思っちゃうだけかもしれないけど。あたしも、ストールとお前が完全な別人には見えない。名前が違っても記憶がないこと以外、中身は一緒なんだと思う」


 本質が同じであると当の彼女達が感じているのであれば、恐らくはそうなのだろう。写真を見ても僕が絶対にしないような表情はしていない。まあ、だから何だって話だけど。


「それでも、ソウジュはソウジュだよ…っ!」

「クオ…」


 二人の話を静かに聞いて、尚も強く反発するクオだった。

 明確にそうすべき理由があるのではなくて、不安がなにより勝っているからこそ、こうなるのだろう。


 僕にはそれを咎められない。


「シェラ」


 ナトラが、テーブルの向かいに座る彼女に声を掛ける。


「もういいでしょ? コイツの無事が確認できたんだから、そんなに執心しなくたってさ」

「…しゅうしん? ちがうよ」


 シェラは尚も柔和な笑みを浮かべて姿勢を崩さない。

 柔らかいのに、言葉が通じた手応えが一切感じられない。


「ボクの宝物だから、大切にしたいだけ」

「さっきも聞いたけど、ってどういうこと…?」

「それはあたしから説明するよ」


 ナトラの口から、シェラの持つ不思議なについて語られる。


 その詳細についてはここでは省くが、僕の脳裏には星座のフレンズのことが頭を過った。キュウビなどの例もあるし確実ではないけれど、時間がある時に確かめさせてもらってもいいだろう。


 ひとまず……シェラが僕を見つけられたのは彼女が持つ力のお陰、ということになるらしい。


「……ってわけ。まあ、そういうこと」

「なにそれ。力に頼って見つけたから大事なの?」

「大事だから、みつけたの」


 シェラはクオの言葉をただ逆にして返す。


「ややこしい話だよな。あたしもそう思う」


 ナトラがそう言って場を収めようとするも、クオの表情は緩まない。

 さりとてこの話題で言い争っても水掛け論に終始してしまいそうだし、どうしたものか。


 すると隣から突然思い出したかのように手を叩く音と、わざとらしい声。



「―――そうだった、倉庫の掃除をしなくちゃ。ソウジュ、よかったら手伝ってくれない?」



 なるほど、それも悪くないのかな。


「あぁ、別にいいけど…」

「ナトラっ!?」


 苛立ちが募っていたクオはシェラでなくとも噛み付く。

 だがナトラは全く怯むことなくこう返した。


「クオ、もちろんお前も来ていいよ。ただ……しばらくほっといたせいで埃まみれだから、その毛並みが大変なことになるかもしれないが」


 埃塗れになった自分の姿を想像したのだろう、クオは強張った顔をして口をつぐんでしまった。だが少しすれば覚悟を決めて、埃だらけになろうと掃除に関わろうとするに違いない。


 流石にクオにそんな苦労を掛けるのは忍びないと思い、そっと抱き寄せながら彼女を宥めた。


「大丈夫。倉庫の掃除くらいじゃ何ともないって」

「だけど…」

「クオ、僕はいなくならないよ」


 そう言って行こうとしてほんの一瞬。

 釘だけは刺しておこうと振り返る。


「でも、喧嘩したらお仕置きだからね」

「はーい…」

「いってらっしゃい♪」


 承服しかねる顔。

 悩みのなさそうな顔。


 最後の瞬間まで、二人は対照的な態度だった。




§




「ま、掃除なんて嘘だよ」

「……そうだろうと思ったけど」


 倉庫に入るや否や、彼女はすぐそこの足元にあった段ボールの埃を払って、その上にゆったりと腰掛けた。床に落ちた塊の大きさにハッとして周囲を見回すと倉庫はどこもかしこも埃だらけで、ただの口実ではなかったのだと気づく。


 今じゃなくてもいいけど、掃除はするべきじゃないかな。

 そんな思いを視線から感じたのか、目が合ったナトラはけらけらと笑った。


「ソウジュとゆっくり話せる時間が欲しかったんだ。この話はシェラにも聞かれたくないな、になっちゃったんじゃ」


 ナトラが言うとは恐らく、あの子の異様な距離感の近さのことを指している。


 相手は僕に覚えがあったとはいえ、僕に彼女の記憶がないと知った後でさえも態度が一片たりとも変わらないのだから、困り果てるしかない。


「…正直、びっくりしてる」

「ナトラもなんだ?」

「知らなかった、シェラがあんなに傷ついてたなんて」


 ぽつぽつと降り始める雨のように、ナトラは過去を語り出す。


「お前が突然いなくなった時、シェラと二人であちこち回って探したんだ。最初にお前の宝石を見つけたあの丘とか、一緒に遊びに行った場所とか。ドルカとか他のフレンズにも話を聞いて、それでもお前の行先は分からなかった」


 それもそうだろう。

 原因はさておき、ゴコクから消えた僕は遥か遠くのホッカイに姿を現した。


 探し当てろという方が無茶だ。


「シェラも落ち込んでたとは思う。けどいつかまた絶対会えるからって、そんな素振りは全然見せなかった」


 そこまで言い切って、深く俯く。


「……あたしが、すごく泣いてたから」


 ナトラが顔を上げれば、彼女の赤い双眸と目が合う。何度も視界に入っていたはずの同じ色が、今はまるで夜通し泣いた後の瞳のように見えた。


 助けを求めるような声色が続く。


「変かな。でも、友達だろ? ”セルリアンに食べられて帰ってこられなくなったのかも”なんて考えたら、しょうがないよ」

「ナトラ…」

「あたしは思いっきり泣いて吹っ切れた。お前が元気そうでよかったって、ごく普通にそう思えてる」



 ―――だけど。



 声にこそ出さなくとも、続く筈の言葉が脳裏を過った。


「シェラがあんな風になったのは、性格のせいもあるかもな。あんな風にふわふわしてるけど、見つけたお宝は全部大事にしてるんだ。ほら…」


 ナトラが倉庫の奥に入りながら手招きをする。

 それについて行くと、倉庫の一角に整然と形作られた空間があった。


「あっちの家に入りきらない宝物は、ここに仕舞ってある。シェラのやつ、この棚の周りはきちんと丁寧に掃除するんだよな。ついでに他の場所もやってくれればいいのに」


 脱力した声で紡がれる文句は、紙風船を無理に蹴飛ばしたような勢いだった。


「まあいいや。とにかくお宝に関してだけは几帳面な子なんだ」

「うん、見てるだけで伝わってくる」

「多分初めてだったんだよ。折角見つけたお宝を、シェラが失くしたのは」


 大切、と言葉でのみ耳にしていても……お宝が彼女のなかでどれほどの重みを持つものなのか、僕には推測するしかない。


「シェラは、ストールに対しても執心してた?」

「今の様子を見たら、そういえばそうだったんじゃないかって思えてきた」


 棚から箱の一つを抜き出し、中にあった綺麗な石ころを天井に翳して、ナトラは独りごちるように言う。


がフレンズとして生まれ変わった瞬間も、シェラは傍にいた。いつになく興奮した様子で、『ナトラ、宝石がフレンズになっちゃった!』って大はしゃぎしてた。……そりゃ当たり前か」


 その石の中に、彼女は過去を見た。



「―――ほんと、どこへ行くにも離れようとしなかったっけなぁ」



 その懐かしい何でもない景色が、ナトラの中で別の意味を帯びようとしていること、どう感じればいいのだろう。


「あの時は、普通のことに見えたんだけどな」


 ここの空気は淀んでいる。

 もう少し、風通しが良ければいいのに。


「ソウジュ」

「…うん」

「あたし、わかんないんだ」


 ぐっと、小石を握る手が締まる。


「今のお前にはクオがいる。あたしたちの他に帰る場所がある。シェラには幸せになって欲しいけど、一体全体どうするのが正解なのか―――」

「ナトラっ♪」

「…シェラ、来たのか」


 半開きだった戸の向こうからシェラの声。

 ガタガタと引っ掛かるのを何とか開けたら、テクテクとまたご機嫌にこっちへと歩いてくる。


 今度は何かと訝しむ僕たちの顔を交互に見比べて、彼女はこう言い放った。


「ボク決めたよ、お引越しする」

「…え? 待て待て、どういう風の吹き回しだよ」


 突然の引越し宣言に戸惑うナトラに背を向けて、シェラは僕に一つ尋ねる。


「ソウジュ君、もうすぐホッカイに帰るんだよねぇ」

「そうだね。旅が終わったらそうするつもり」

「うん、ボクもついてくよ」


 ……すごい行動力だ。他の感想は無かった。


「ナトラ」

「待てって、あたしは…」

「準備しよ♪」

「……わ、わかったよ」


 あまりにも一方的に話を進めるシェラに逆らうことが出来ないまま、ナトラは彼女に連れて行かれて母屋へと戻っていく。


 僕も、何をすればいいか分からないままその場に立ち尽くしていた。


 ようやく思考を取り戻したのは、入れ違いになって倉庫にやって来たクオに話しかけられてから。


「あの子、どうすればいいかクオもわかんない」

「…そうだね。今は成り行きに任せよう」


 その日はそれから、彼女達と改めて話すようなことも無かったので、クオと一緒に宿まで帰ることにした。

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