第百五十五節 赤い白昼夢
思えば、”過去の自分に想いを馳せる”という皆が何気なくやっているようなことを、僕はちゃんとやったことが無かった。
僕にとっての時間はあの日あの瞬間、満天の星が綺麗な雪山の中でクオと出会ったその時に初めて動き出した。それ以前のことなど、まさしく赤子が自分の生まれる前の一切を関知しないのと同じように知る由もない。
だが時折、眠りに就く間際の静寂で考えることがある。
どうして僕は生まれ落ちたのか。
どうして僕はあの場所にいたのか。
まるでクオと惹かれ合うように。
どうして。
答えを追い求めてみれば、意識を手放す寸前の眠気に反して頭はよく回り、色々な可能性が頭を駆け巡る。だが思い浮かぶどれも、間もなく落ちる夢と遜色ないぐらいの荒唐無稽な妄想で、滑らかな頭の回転さえも空回りと形容するのが適当だった。
―――やはり偶然、ふたご座の宝石が降り積もる雪の中に在っただけなのだろうか。
結論は最初に思い付いた何の捻りもない答えに回帰して、僕の興味は気が付けば別のものへと向いている。
クオは、どんな風に生まれたんだろう。
ホッカイの神社でずっと一人で暮らしていたことは知っているけれど、出生についての詳しい経緯はからっきしだ。あの子が言っていた”お母さん”なる存在についても、彼女自身でさえ碌なことを覚えていない。
まるで手の平に落ちた雪の結晶のようだ。その形を確かめる暇もなく体温に融かされて姿を掴めなくなってしまう。
ルーツを知らない二人。
僕たちはよく似ている。
単なる好意から、そう思いたいだけかもしれないけど。
(……いいや、違う)
脳内の電気回路に強い抵抗が掛かる。
この解釈は的を射ていないと訴えかけている。
何故ならば、そうだ。
―――明確なルーツを持つ星座のフレンズなど、ただの一人も居ないではないか。
石板とはいったい何だ?
宝石は何処から誕生した?
まさかサンドスターだからなどという稚拙な理屈を添えて、遥かな宇宙から飛来したとでもいうのだろうか。
在り得ない。
星座という概念そのものが人類の産物だ。
あの空で輝く星々は、望遠鏡を覗き込む瞳など知る由もない。
セルリウムが物に取り付き、人々を運んだ車を、部屋と部屋とを隔てる扉を、誰かに蹴られた石ころを模倣するために、それら物体には輝きが必要である。
そして誰からともなく、ここで暮らしている間に知った。
”輝き”は”想い”と言い換えることも出来ること。
……ならば、いつだって結びつけることは容易だっただろうに。そのことに気付いたのは後になってからだった。
『石板、そして宝石の輝きは、誰かの想いが元になっている』
その持ち主が誰かは分からない。
しかし全ての起源を追い求めるのであれば、彼若しくは彼女がそうだと云えるのであろう。
僕たちの、本当の生みの親と。
「……はぁ」
そこまで考えて溜め息が出る。
尤もらしい答えこそ導いてみせたものの、結局のところ最初の問いに答えられた訳では全くないからだ。
自分の両親を知るために人類のルーツを探ろうとする者がいるだろうか。本末転倒ではないが、明らかに何かを履き違えている。知的好奇心の渦に吸い込まれて気が付かぬ間に本質を失していた。
そう、本質を捉えられていないといえば。
僕が今こうして全く関係のない物思いに耽っていることこそ、その代表格である。
何故か。
それは、僕が今考えるべきは自分の出自でも何でもなく……どうして初対面のフレンズに顔見知りであると勘違いされているか、ということだからだ。
現実に戻ろう。
ゴコクのビーチで遊んだ後、襲ってきたセルリアンを退治してくれたドルカと会話をしていたところ、突然現れた『ナトラ』という少女に『ストール』と呼ばれ、共に『シェラ』を捜そうと一方的に誘拐されてしまった。
……いや、失敬。
そもそも誘拐とは一方的なものだ。
とにかく僕はナトラという少女のことなど欠片も記憶になく、またソウジュ以外の名前で呼ばれたこともない。
しかし、向こうは本気の様子だ。
僕が彼女の呼ぶところの『ストール』であることをほんの少しも疑っていないこと、その態度から読み取れる。だからと言って事実は変わらないが、他人なりに感情に寄り添うことは出来るだろう。
その段階に進むためにも、先ずはこちらの主張を聞き入れて貰わなくてはならないのだが、上手くいくだろうか。
「…ここは?」
「あたしとシェラの家だよ」
いつしか引き摺って連れて行くことに疲れて横っ腹に僕を抱えて運んでいたナトラは、砂浜外れの原っぱに建てられたログハウスへと立ち寄った。そのまま中へと入り、ソファの上へ僕を放り出すと、部屋の角っこの引き出しに向かってガサゴソと漁り始める。
自身の足元を散らかしながら、呟くように彼女は言った。
「聞かなくても大体分かってる。お前、あたしたちのこと忘れちゃったんだよな?」
どう答えるべきか悩み、声は出そうにない。
何も覚えていない僕には、肯くことも否定することも難しかった。
ナトラは返答を待たない。
「実は、話には聞いたことあるんだ。フレンズがセルリアンに襲われて輝きを奪われたら、自分にとって大切な物とか、思い出についての記憶を失くしちゃうことがあるんだって」
話し続けるほどに声に涙が交じり、引き出しを探る彼女の手は鈍っていく。震える背中は段々と縮こまっていくように錯覚させ、沈む両肩は気持ちに圧し潰されそうな心情の鏡映のよう。
何と、もどかしい。
僕は原因の中心にいながら何も出来ない。
そしていくら同情を向けても、今ここにいる自分に嘘は吐けない。
「でも、僕は…」
「あたしはっ!」
堰を切った。
溢れれば最後。
事実に意味はない。
「……あたしは、お前を知ってるんだよ」
静かな呟きが部屋に響いた直後、遅れてクオとドルカが到着した。
「ナトラ!」
「ソウジュ!」
二人の声を耳にして焦りが生まれたのか、ナトラの手が再び忙しなく動き出す。
「―――あった」
か細い声を残して引き出しを背後に、僕の方へとやって来た。
そして手に持った何かをこちらの胸に押し付ける。
「これを見てくれ」
「写真…?」
予感。
胸騒ぎ。
はらりと裏返して直視する。
「…っ!?」
そこには僕が写っていた。
「……な、そうだろ?」
「そんな…でも、これは…」
満面の笑みを浮かべて僕の腕を引っ張るナトラ。
ナトラの横で優しく微笑む白い髪の毛の女の子。
そして、困ったように笑っている僕の顔。
何度瞬きをして見直してみてもそこにある景色が変わる訳もなく、眼前に差し出された動かぬ証拠はナトラの言が疑いようもなく正しいことを示している。
僕は、何も言えない。
視線を上げてナトラを見る。
彼女は満足げに哀しげに床に散らかった物を足蹴に、部屋の扉へと踵を返した。
「シェラ」
端的に。
「探しにいこう。あの子とも会えば、その写真のことがもっとよく分かると思う」
これまでの話から推測するに、この写真の白髪の少女がシェラなのだろう。頭から横に二本、渦巻いて伸びている角を見るに、ヒツジのフレンズといったところだろうか。
この子も、僕を知っているらしい。
僕というより、『ストール』を。
「ストール……ああ、今はソウジュだっけ」
「うん」
ナトラは初めて、僕の名を呼んだ。
「あたしたちのこと、思い出せなくてもいい。新しい居場所があるならもう仕方ない。……けどあたしたちの中にはまだ、ストールとしてのお前がいるんだ。だからって嘘はつかなくていいよ。でもシェラのこと、あまり悲しませないでやってほしい」
それは彼女がこの姿に重ねたかつての少年ではなく、僕に対する願い事だった。
「うん、頑張ってみる」
出来る限り、その願いに応えてあげよう。
僕にできることと言えばそれくらいなものだから。
そんな約束を胸に、写真は懐に仕舞った。
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