第百五十三節 「たべもの!!!」
そうクオが言った。
「もうおなかペコペコ! それに、一番わかりやすいでしょ?」
「あはは、そうだね」
青空に浮かぶ太陽はもう天辺を過ぎている。
船には食べ物が何もなかったから、お腹も空いて当然だ。
それに、船の上でラッキービーストが真っ先に『ゴコクの話題』として挙げてくれた通り、その土地で好まれる食べ物は地域の特徴として受け入れやすい。
楽しく歩き回るにしても、ホッカイへのお土産を探すにしても、とりあえずご飯を食べられる場所を見て回ればきっと間違いない。
すると後は、地図か何かがあれば楽になる。
「イイヨ、コレヲドウゾ」
そこで船に同乗していたラッキービーストに相談してみると、縦長に折りたたまれたゴコクの大まかなマップを渡してくれた。恐らく大昔に、パークのパンフレットとして配られていたものだ。
その証拠というには弱いかもしれないが。
誰にも使われないまま年季が入っていて、紙面は少し草臥れていた。
それでも読むには十分に頑丈な状態だったが―――ヒトの技術の賜物か、それともサンドスターの恩恵だろうか。
事実がどちらであるにせよ、それとは別に気になることがある。
「…パークの施設は、コレに描かれたままの形で残ってる?」
「ホボ、コノママダヨ」
「そっか、ならいいけど」
―――いや、そうじゃなくて。
「まだ全部利用できるの? パークにヒトが来なくなったら、そうしておく意味なんてないと思うけど」
「ソウダネ。ダカラ、規模ヲ縮小シテ稼働シテイルヨ」
続く彼の説明によると、これらの施設はパークが健在だった時期にフレンズ達に対してもサービスを提供していたらしく、現在ではヒトの職員の代わりにラッキービーストが店員として頑張っているとのこと。
思い返せば、カントーでもそんな感じだった。
「教えてくれてありがとう」
「ドウイタシマシテ」
ともあれよかった。
きっと良い物が見つかることだろう。
クオの所に戻り、彼女の手を引く。
「…お待たせ、行こうか」
「よーし、しゅっぱーつ!」
そうしてゴコクにおける最初の昼は、食べ物巡りから始まった。
§
船着場から歩くこと数分ほど。
石畳の道が交差する小さな街が、島の海岸線に沿うように造られていた。
入り口に立つ看板には『ジャパリタウン~ゴコク~』と記されており、ゴコクに来た観光客が最初に訪れる場所として存在していたのだろう。
地名はマップの通り。
このジャパリタウン自体の見取り図は先のページに載っている。
さて、飲食店らしきマークは幾つもあるけれど……。
「やっぱり最初だし、ちゃんと食べておく?」
「うん!」
普段通り元気のいい返事だ。
即答だったから、ちゃんと考えたかは謎だけど。
そうしたら、しっかりお昼ご飯が食べられそうなお店を見つけることにしよう。
マップを再び眺めながら、それらしい名前を探し始めた。
「うーん…」
見たところスイーツやドリンクのお店が多いように思える。
観光地だからね、そういう需要が高いのだろう。
定食屋さんとか、ないのかな。
すると横から綺麗な指が一本、するっと入り込んできてマップの一か所を示した。
「ねえねえ、これ気になる!」
「お、どれどれ…」
僕の視線はそこを向き、記された文字を読み上げる。
「ゴコク名物……ひゃ、百点満点うどん…?」
なんと自信に満ち溢れた店名だ。
絶対に客を満足させてみせるという凄みを感じる。
「こりゃ、すごいね」
その後もよく見てみると、条件に合致しそうな店名が幾つも見つかった。
しかしあの、最初に目にしてしまった『百点満点うどん』のインパクトにはどれも敵わず、僕の心を掴むことはなかった。
”うどん”も丁度、ゴコクまでの船の上で耳にした食べ物。
これも何かの縁だと思おう。
「じゃあここにしようか」
「楽しみだね…♪」
―――そして地図を見ながら、代わり映えのしない景色を迷い歩くこと数分。
「イラッシャイマセ」
暖簾を除けて中に入った僕たちは、ラッキービーストに席まで案内される。
お店は温かみのある木造で、低い机を囲むように畳の上に置かれた座布団が客席の役目を果たしていた。
この建物はそういう雰囲気を大事にしているみたいで。
畳の上に座るためには、靴を脱ぐ必要があるらしい。
言われたとおりにして座布団の上に腰を下ろすと、船の長旅で溜まった疲れが吐息となって溢れてきた。
意識の上で自覚していたよりずっと、僕も疲れていたみたいだ。
それから間もなく。
テクテクと短い足を動かして、小さなエプロンを身に着けたラッキービーストが注文票を片手にこちらへ近づいてきた。
「注文ヲドウゾ」
「あれ、メニューは?」
「オ客サン、座ッテルヨ」
「え…?」
そりゃあ座ってるけど。
ふと嫌な予感がして座布団の下を探ってみると、案の定というかメニューが下敷きになっていた。
「…なんで?」
疑いの視線を向けると、彼はさも当然のように言う。
「ソウイウコトモアルヨ」
「ないでしょ」
「クオも、ないと思う…」
なるほど、百点満点うどん。
一筋縄ではいかないということか。
まあ気を取り直してメニューを見てみよう。
「へぇ、種類は多いんだね…」
所謂普通の温かいうどんに、冷たいざるうどん。
その他にも、様々なトッピングが乗った多種多様なものがある。
とろろが乗っていたり、天ぷらが乗っていたり。
柔らかい茹で卵も美味しそうだ。
それでも目を引いたのはやっぱり油揚げ。
メニューの名前に『きつね』なんて書かれていたら、それも仕方のないことだ。
そういえば前に、カントーで『きつねラーメン』なんて食べたっけ。
(…懐かしいな)
目新しさはないけど、折角だしこれにしてみよう。
「サイズは上から特大、大、中、小……と」
さて、どうしようか。
まだ他のお店に行くだろうし、ここで沢山食べなくてもいいよね。
よし、決めた。
「じゃあ僕は、きつねの中を貰おうかな」
「はーい♥」
ぴとん。
唇が右の頬に湿っぽく触れる。
「く、クオっ!?」
僕の驚きなど気にも留めず、さも当然かのように笑って一言。
「きつねのチュー、でしょ?」
「そ、そういう意味じゃないってば…」
唇に指を当てて悪戯っぽくニヤついたクオに、僕は戸惑うしかない。
そんな僕の様子を見てか、彼女の口元は更に恍惚に歪んだ。
「真っ赤になっちゃって、ソウジュったらかわいい…♥」
「い、いいからっ! クオは、何にするの…?」
「ソウジュと一緒でいいよ♪」
メニューを一瞥ともせず決めてしまう。
その間もずっと、僕から視線を一瞬たりとも離そうともしないのを見るに、クオにとっての優先順位の如何が伺える。
……まあ別に、イヤじゃあないけど。
「ジャア、少々オ待チクダサイ」
ラッキービーストは注文をこなすために奥に消えて、残された僕たちは暫しの暇な時間を過ごすことになった。
しかしさっきの一幕で変なスイッチが入ってしまったのか、クオは身体を妙にくねらせながら僕に縋り付いてくる。頬に掛かる息もどこか熱を帯びて、何か悪い物にでも当てられてしまったかのようだ。
それとなく顔を逸らしながら耳を撫でてあげる。
「むふふ…♥」
「うぅ…」
僕までおかしくなりそうだ。
自分の中にさえ湧く熱はそっと息に乗せて逃がして。
昼間だからという一言だけを頼りにやがて来るうどんを待ち続けた。
気が遠くなる。
「―――オマタセ」
声を聞き、時計を見れば十数分。
そのわずかな時間がとても長く感じられた。
どんな感情の所為かは分からないが。
まあ、いいや。
流石のクオもうどんが来たら離れてくれたし。
「いただきます」
「いただきまーす」
するすると、食べる。
塩味のあっさりとした出汁の絡んだ麺と、甘いお揚げのコントラストによって飽きの来ないまま食べ進められる。
どう表現したものか、安心できる味とでも言うべきか。
後はそのまま何もなく、二人揃って食べ切った。
残った出汁の一滴まで飲み干して、落ち着いたらふとある懸念が頭に浮かんだ。
「あ、そういえば代金って…」
「イラナイヨ、モウ必要ナイカラネ」
「…よ、よかった」
そっと胸を撫でおろす。
手持ちが何もなかったから、請求されてたら大変だったよ。
ともあれ、言うべきことを言っておこう。
「ごちそうさまでした」
「ウン、マタ来テネ」
とても美味しかった。
きっとまた食べに来たいな。
「さて」
店を出て、また地図を開く。
「次、行こっか」
「うん♪」
それとなく差し出された手を繋いで、次の目的地へと歩き出した。
§
「あぁ~、美味しかった♪」
最後に残ったクレープ生地の欠片を飲み込んで、満足そうにクオは唸った。
彼女の幸せそうな横顔を半分になった赤いお日様が照らす。
斯くして、およそ一刻ほどに渡るスイーツ食べ歩きの旅は終わりを迎えたのであった。
みかん。
ブルーベリー。
すだち。
ゴコクの名物と名高い(らしい)フルーツを使ったお菓子は、只の食後のおやつに留まらない満足感をくれた。
―――その結果、やめ時を忘れてしまった訳だけど。
食べ過ぎて少し張ってしまったお腹を撫でながら苦笑いを浮かべて、クオは僕に尋ねる。
「ねえソウジュ。これからどうしよっか?」
「何処か、泊まれる場所を探したいね」
もう随分と日も暮れた。
街灯が灯る暗がりの街も魅力的ではあるけれど、僕ら二人とラッキービーストしか居ないのでは肝試しと相違ない。
地図には宿についても載っていた筈だ。
この期に及んで満室なんてありえないし、今からでも間違いなく間に合う。
さて―――
「見つけた」
「……キュウビ?」
背後からの声に、地図をなぞる視線が止まる。
振り返ってみるとそこにはキュウビが立っていた。
リウキウの喫茶店で話した以来だ。
どうしていたのか尋ねる間もなく、先に向こうが口を開いた。
「今から、何か用事はある? あるなら終わってからで構わないけれど」
「何もないよ。これから宿を探そうとしてたんだ」
「そう、好都合ね」
彼女は安堵の微笑みを漏らす。
「寝床は心配いらないわ。こう見えてパークには詳しいから、案内してあげる」
これはまた、話が早くて有難い限りだ。
しかし奇妙な感じもする。
……焦り、おそらくその類。
この話をさっさと済ませて逸早く本題に入りたい。
そんな声色が聞き取れた。
「それで…」
「…それで?」
疑問を返すと、ちらりと目を合わせて。
キュウビはクオの方に向き直り、躊躇う様に口をまごつかせた。
だが。
数秒して、意を決し。
その名を口にする。
『―――クオン』
その響きは、とても似ているのに何故か印象は遠くて。
「貴女、この名前に聞き覚えは無い?」
「……」
クオは、あの子は。
その問いに答えを返すこともなく。
ただ驚愕したような、戸惑うような顔で、押し黙っていた。
何も知らずに。
且つ、全てを理解しているかのように。
「そう」
その目を見てキュウビも答えを感じ取ったようで。
「行きましょう。さっきの質問については……今度でいいかしら」
そう断りを入れて。
踵を返した彼女の表情は哀しく。
「―――私もまだ、受け止めきれていないから」
僕たちも、解らぬまま頷くより他なかった。
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