玖の章 『蟹眼』の危機、牡羊を逐う
第百五十二節 旅の最後を目指して
「ん~~っ!」
静かに波打つ海に向かってクオが伸びをする。
ゆらり、ゆらりと上下する船の甲板は日光を存分に浴びて輝いている。
際限なく澄み切った青色を見せてくれる今日の一円玉天気は、僕たちのゴコクちほーへの旅路を祝福してくれているかのよう。
……ところで。
「一円玉、って何?」
「カツテ日本トイウ国で使ワレテイタ、イチバン価値ノ低イ『硬貨』ダヨ」
「へぇ」
隣の椅子に座って答えたのは、僕にこの言葉を教えてくれたラッキービースト。
なんでも一円玉より下の硬貨は無いから、これ以上崩れない天気ということで晴れを表す言葉になっているらしい。
よく分からない概念だ。
ここジャパリパークにはジャパリコインしかないから、『崩す』と言われてもどうにも理解し難い。
まさか、コインを削ったりするわけじゃあるまいし……。
「興味ガアレバ、他ニモ外ノ世界ニツイテ色々話シテアゲルヨ」
「……いや、後でいいよ。今はゴコクについて聞きたいな」
彼は元々、リウキウ発ゴコク行きの船を動かすために僕たちと一緒に乗ってくれている。
操縦自体はシステムが勝手にしてくれるから、緊急時に備えてゆったりしつつ、僕が船旅に退屈しないようにこうして暇つぶしのトリビアを語ってくれていた。
「ソウダネ、ジャア…」
ラッキービーストからゴコクの話を聞きながら、レヴァティのことを思い出す。
女王との戦いで散々な目に遭った彼女だったけれど、リウキウを発つときには元気そうな姿で見送りに来てくれた。
十人くらいで、来てくれた。
その時の光景を思い出して苦笑する。
クオから事前に聞いていたからそこまで驚きはしなかったけれど、あの夜に見た無数のレヴァティが至って幻覚ではないという現実は、改めて言葉を失わせるのに十分な威力を誇っていた。
それで…そうそう。
どうにもあの子は僕についてきたかったようだけど、クオの強い反対があって実現はしなかった。
賑やかになって退屈しないし、最初は同行を許してもいいと思ってたんだけど、今にも爆発してしまいそうなクオを見たらそうも言ってられなくて。
最後に頭を撫でてやるのが精一杯だった。
「…聞イテル?」
「うん、聞いてるよ」
クオについても、一緒の布団の中で本人から話を聞いた。
案の定というかあれから、”絶対に一緒に寝る”と言って聞かなくなってしまって。
例え不可抗力に因るとしてもナカベでの出来事は彼女が寝ている間に起こったものだから、その記憶が不安を突き動かすのだろう。
―――まあ、そんな暗い話は置いておくとして。
真っ先に本題に触れると、クオの中にも『ふたご座』の宝石があるらしい。
偶然ナカベに来ていたエルに詳しく身体の中を解析してもらって、『こぎつね座』と『ふたご座』の二つの力があることを知ったそうな。
それからの経緯は、キュウビを分離したりくじら座のセルリアンと戦ったりと、僕がいない間に様々な経験をしたようで。
しかも新しい力まで使えるようになったという。
話を聞く限りだと、きっとこれも『ふたご座』の力だ。
(自分以外の力を利用する能力…)
改めて考えてみればみるほど、この性質は非常に特殊。
もちろん他の星座も十分に強いけど、これは幅広さでいえば最早なんでもありの部類だ。
どうしてだろう。
そういうものだから、と納得してもいいのかな。
「ネエ」
「うん、大丈夫だよ」
「…ソウ」
ところでもう一つ、クオから聞いたこと。
ナカベでエルに会った時に僕への伝言を頼まれたらしい。
といっても、カントーで言いそびれた話を伝え直すだけだった。更にはどういう奇遇か、その情報が今となっては重要になる可能性が高いのだ。
それは『アルゴ座』についての話。
カントーに現れた怪人が集めていた四つの星座を揃えることで完成する巨大な星座が持つ能力。
―――『転移』。
遥かな距離を一瞬のうちに移動する能力。
それが、件の星座が持つ力なのだという。
更にクオとキュウビの話と綜合すれば、リウキウで戦ったあの女王とカントーの怪人は同一の存在である可能性が高い。
すると女王は一体、転移の力を手に入れて何をするつもりなのだろう……。
「――問題」
「えっ?」
ラッキービーストが急に何か言い出した。
「過去ノゴコクデハオ土産トシテ販売サレルコトモアッタ、小麦粉ヲ水ト混ゼテ練ッテ切ッタ、太サノアル麺ガ特徴ノ麺料理ハ何?」
クイズ、ってことでいいのかな。
「麺料理、でしょ。えっと、太い麺だから…」
「正解ハ『うどん』、ダヨ」
「は、早いって!?」
僕が抗議すると、形の変わるはずのない彼の瞳が細くなる幻が見えた。
「話ヲチャント聞イテイレバ、スグニ答エラレル問題ダヨ」
「あ、えっと…」
短くそれだけ言い残し、僕の言い訳も聞かずにラッキービーストは何処かへと行ってしまった。
「……後で謝らないと」
探してもいいけれど、もうゴコクの大地が見えてきた。船が向こうに到着するまでに見つかるかも分からないし、姿を消してしまった彼のことは一旦置いておくことにしよう。
椅子から立ち上がって、クオの隣で潮風を浴びる。
「あ、ソウジュ」
そう声で反応するよりも早く、クオは僕の腕に抱き着いていた。
「もう少しだね」
「うん、楽しみ!」
「ゴコクはゆったり見て回れるといいけど…」
折角、旅の最後を飾る場所なのだ。
これまでのゴタゴタを含めてとても楽しいクオとの旅路だったけれど、最も新鮮な記憶に残して持ち帰る物語は穏やかなものであってほしい。
ホッカイ。
ホートク。
サンカイ。
カントー。
リクホク。
ナカベ。
アンイン。
リウキウ。
特に最後の二つは観光どころではなかったし、アンインに至っては僕は行っていないし、また暫くしたら再び訪れてみるのも悪くないだろう。
閑話休題。
結界に守られて侵入できないキョウシュウを除けば、まだ僕らが足を踏み入れていない大きな”ちほー”はゴコクのみ。
だから、これで終わり。
「…もう最後なんだね」
改めて言葉にすると得も言われぬ寂しさが後味に残る。
大好きな本の最後のページが近づいてくる。
かなしいけど、イヤじゃない。
そんな寂寥感。
それに浸っていると、腕にすりすりと柔らかい感覚。
「ソウジュ~」
「…ん?」
「だいすき」
クオだ。
この子は、特に気にしてないみたい。
「僕もだよ」
ふわふわの頭を撫でる。
そうだよね。
旅が終わったって家に帰るだけだ。
ゴコクでの時間も、お土産を見繕う時間だとでも思えばいい。
ホッカイで旅の始まりを見送ってくれたダチョウにでも、何か面白いものを持って帰ってあげよう。
クオが『こぎつね』のフレンズだ、って言ってたあの占いの内容も……今になって考えてみれば全部当たってたし。
本当にすごい占い師なのかも。
(…なんて、ね)
思い返してみればあそこでの日々も、短いけれど楽しかった。
旅に出て、どの場所でも忘れられない記憶ができて。その度に僕たちは変わって、ホッカイの雪のように真っ新な心のままではいられなかったけれど。
後悔は無いから。
―――これからも、楽しい思い出ができるといいな。
まるで初心に返ったような願いを心に、視界の中でゆったり大きくなっていくゴコクの色鮮やかな大地を見つめていた。
風は強いが、波は穏やかだった。
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