第百五十一節 別離の後に来るもの
堅氷に閉じ込められ、魚群に攫われた女王は成す術なく、運ばれるが儘に海中を移動していた。夜の海、レヴァティ達の影、そして氷と、またもや三重の縛りが彼女の視界を塞いでいる。
(周囲が、見えない…!)
願わくば今すぐにでもこの氷をぶち壊してやりたいものだがそうもいかない。ソウジュに掛けられた言霊の呪縛は彼女であってさえも容易く振り解ける代物ではなく、未だにあらゆる自由が利かないのである。
僅かに氷から食み出した指先に水流を感じ、また彼の者は思索に耽る。
(あの力、冠と王笏を持つ『乙女』よりも強かった)
俄かには信じがたいことだったが、其の身で体感した以上は認めるしかない。
スピカにあれほどの強制力は出せなかった。
此迄も、他に似た例を見たことはない。
詰りアレは彼があの場で目覚めた新たな力だったのだろう。
何たる幸運かと、心の中で歯軋りをする。
(しかし、何故)
彼があれ程の力を引き出せたのだろうか。
今の今まで、只の偶然で『鏡』を手にした矮小な人間だと思っていたが、その認識は革めざるを得ない。
石板から輝きを引き出し自身の体躯に纏い戦う力、そして先の戦いで見せたあわや自らにも比肩し得る類の特殊能力。
―――そういえば、何と云っていた?
(
彼女が力を発揮する為にその様な些事を行う必要はないが、彼にとっては恐らく必要な儀式なのだろう。であれば、その言葉の意味を読み解いていけば自ずと力の秘奥にも辿り着けるといえる。
いいや。
難しく考える必要はない。
(私は、後者に覚えがある)
忘れもしない。
彼女の『悲願』を壊された瞬間。
アレを成した力こそ『
(そうか、『双子』か)
彼は恐らく『双子』の片割れ。
ゴコクで彼女が殺し損ね、『―――』の最後の力で何処かへと逃げて行った怨敵。
最後の瞬間に輝きをかなり奪ってやった為、もう既に死んだものかと思っていたが、想像よりもずっとしぶとい存在だったようだ。
彼は失ったエネルギーの上限を石板と『同調』することによって補い、自らの輝きを失くして不完全になった『共鳴』の力を『言葉を形にする』新しい力で違うモノへと昇華させた。
そして『鏡』を手にし、また彼女の邪魔をしようとしている。
(だが、私に殺されかけた記憶は無いようだな)
斯く言う自分も今まで忘れていたが。
だがそうと思い出せば、また別の敵意が沸いて来る。
彼の所為で『―――』の力は元通り、四つの星座に分割されてジャパリパークの各地へと散ってしまった。数々の実験と失敗を繰り返して形にした『融合星座』の集大成も星屑のように消え失せた。
赦せない。
(今、手元にあるものは三つ)
毀れた瞬間に手元に残った一つと、各地を流浪して集めた二つ。
夜空の星々のように多くの星座の力はジャパリパークを転々と移動し続けているため、特定の繋がりを再び探し求めるのは苦難であった。
(だがこの旅も間もなく終わる)
―――そして、海中の旅も終わる。
「ここでどう?」
「いいとおもう!」
突如、氷から魚群が離れていく。
(何だ、何をする気だ…?)
冷たいレンズ越しに目を凝らして女王は事の顛末を見守る。
周囲は沢山のレヴァティが何処を見ても泳ぎ回っているが、彼女たちは何かを持って運んでいた。それは彼女らの身体よりも一回りくらい大きく、概ね丸いフォルムをしている。
(…まさか!)
気付くが、そうでなくとも結果は変わらなかった。
「いくよー」
「えーい!」
「いきうめだー!」
ゴロゴロと水中を滑り落ちる岩雪崩。
中心に女王を閉じ込めた氷を捉えて、海底に叩きつける。
(小癪な、真似を…)
どれだけの岩を彼女たちは用意したのだろうか。
それ次第では相当に脱出に難儀すること想像に難くない。
そして岩の上では。
「じゃあ、最後のいくよ!」
「「「はーい!」」」
何百のレヴァティが力を合わせて運んできた巨大な岩盤。
それを最後に被せて蓋にしようとしていた。
ついに落とされれば、岩の下に沈んだ女王にもその重みが伝わる。
(ああ、やるではないか)
だが、此処では終わらない。
必ず脱出し、『悲願』を叶えに往く。
(あと一つの欠片、今の在り処は…)
―――ゴコクか。
§
そうして静寂が訪れ、波乱の夜が明けた。
僕たちは海沿いにある放棄された喫茶店に集まり、お茶を飲みながらこれまでのことについて話していた。
放棄されていたとはいえ、ラッキービーストが施設の整備は続けてくれていたようで、問題なく飲み物を用意する為に使うことが出来た。茶葉の類まで丁寧に準備されていたことは予想外だったけれどね。
……まあ、場所の話はこんなもので良いだろう。
それよりも大事なのがクオのことだ。
あの後僕はしばらく歩き、かなり離れた原っぱの中心で血塗れになって倒れている彼女を見つけた。彼女の状態に気づいた瞬間の、全身から血の気が引いていく感覚は今でもよく覚えている。
駆け寄って容体を確かめて、傷一つないことを確かめた後の安堵と疑問も、とても忘れ難い。
兎にも角にも、僕たちは無事に再会することができた。
揺るぎ無いその現実を噛み締めてみれば、僕の腕に縋りついてかれこれ数時間全く離れようともしないクオの姿も愛くるしく思えるというものである。
「ん、んぅ…」
今日は起きてからずっとこんな調子だ。
一周回って僕の名前以外のどんな言葉も発してくれない。
そんな彼女の頭を撫でて、向かい側に座ったキュウビとの話を続ける。
「それで、本当なのよね?」
「確かにこの耳で聞いたよ。アイツは自分のことを”女王”と言った」
「ふむ…」
不愉快そうにキュウビは唸る。
「在り得ないと思っていたけど、まさか本当に…?」
キュウビによれば、かつてジャパリパークに未曽有の危機を齎した『セルリアンの女王』という名の存在は、複数回の討伐と復活を繰り返した後にキョウシュウに封印されることとなったらしい。
それ以降、封印は解かれることなく存続し、キョウシュウから外に出た人物は存在しない筈だった。
「よく似た他人と考えるのが一番納得できるのだけど……貴方が目にした規格外の力を含めると、簡単には結論を下せなくなるわ」
結界に綻び、があるのかもしれないのだし、と続ける。
「どちらにせよ脅威なのは確実だから、警戒し続けるしかないわね」
結局のところはそれに尽きるか。
「ねぇ、ソウジュ」
「ん、どうしたの?」
するとここで、今まで沈黙を保っていたクオが声を発した。
彼女は僕を見上げ、吸い込まれそうな瞳をこちらに向けて尋ねる。
「どうしてソウジュの中に、変な輝きがあるの…?」
「……!」
「ねえ、なんで?」
瞬きをするとクオの目からは光が消えていた。
まあ、誤魔化すのも下策だろう。
件の顛末について話すことにした。
……そして全て聞き終わった後、クオは一言だけ吐き捨てるように言った。
「捨てて、そんなゴミ」
なんとも直球な要求だった。
「でも、一度は役に立ったし…」
「役に立ってもゴミはゴミ!」
輝きが残った宝石程度……僕はそこまで悪い物とは思っていないけれど、やはりクオにとっては許し難い存在なんだろうね。
「ソウジュだって、使った後の割り箸は捨てるでしょ?」
続く言葉には苦笑いが漏れた。
割り箸と一緒なんだね、クオから見たスピカって。
だけどそこまで言うなら、何かしないのも悪い。
「キュウビ、どうにかできると思う?」
「そうねぇ……少し見せてみなさい」
椅子から立ち上がってこちらに来る。
「うーん…」
僕の胸に手を当ててしばらく様子を見ているが、ずっと難しい表情が続く。
そして手を離し、キュウビは言う。
「かなり強固に繋がってるわ、引き剥がすのは難しそうね」
あの時、スピカは彼女の能力を使って僕の身体に宝石を埋め込んだ。
きっとその所為だろう。
「いやだ、認めない!」
「……『共鳴』を使えば、できると思う?」
「あら、面白い考えね」
クスクスとキュウビは笑った。
「その宝石に彼女の思念が残っていたら、絶対に貴方から離れようとはしないでしょう。外へ放り出されればいつ砕けても可笑しくないし、何より貴方が好きだから。なのに『共鳴』の力でそれを成し遂げようとすると、ある種の自己矛盾が起こることになるわね」
キュウビの結論は明快だった。
「……私の見解を言えば、いい結果にはならないと思うわ」
更にはそれが起これば命令の力は行き先を失い、結果として思わぬ危険が生じるかもしれないという。
「もちろん、試してみるのは自由よ」
「…うぅ」
どうやっても上手くいかず、剰え僕に危険が及ぶかもしれないという推測を聞いて、クオは明らかにトーンダウンしていた。
どうしたものか。
僕が悩んでいると、徐ろにクオが手を差し出す。
「……して」
「え?」
「いつもの、して」
そういうことか。
差し出された手を握り、小さく呟く。
「『
自分の身体に耳と尻尾が生えてくる感覚。
思えば、これをしたのも久しぶりだ。
とても落ち着く。
クオも嬉しそうに、ぎゅっと僕の身体を全身で包んだ。
「クオがいいって言うまで、ずっとこうしてて」
それが今の体勢のことなのか、『同調』のことなのか、分からなかったけど。
―――どちらでも構わないと、そう思った。
§
「……さて」
幸せそうにしている二人を置いて、私はとある場所に向かった。
近くの山の展望広場。
そこに待たせている人物がいる。
――いや。
待たせている神がいる。
「存外早かったの。もう話は終わったのかえ?」
「ええ、あの子たちは話が通じるから」
私がそう皮肉を言うと、目の前の朱い神は笑った。
「はて、我はそんなに頑固じゃったか?」
「冗談はよしなさい」
昨晩、あの子たちを助けに行こうとした私を強引に引き留めて、あろうことか自身すら傍観を決め込んでいた分際で。
「それについては言ったじゃろう。敵の力が分からない以上、お前という重要な存在を失う訳にはいかなかった」
悪びれもせずスザクは答えた。
「じゃあ、あの子たちは重要な存在じゃなかったの? あわや命を失うほどの大怪我を負ったクオも、自分の分身を幾つも犠牲にしてソウジュを守ったレヴァティも、本当に命を落としてしまったスピカも」
渾身の力で睨みつけてやったと思ったが、相手には響かなかったようだ。
「パークの全てを守護する者として、フレンズたちの営みに介入しすぎてはならぬ。必要な時に必要な力を振るうためには、致し方ないこともあるものじゃ。それにあやつらは、とてもよくやったではないか」
暖簾に腕押し、ね。
私は諦めて首を横に振った。
「…ええ、それが貴女の考えなのね」
「じゃが驚いた。かつてあの男に現を抜かして責務を放り出したお前が、ここまで責任感のある存在になるとは」
そのくせ耳が痛い言葉まで添えるのだからどうしようもない。
「ただ改心したのか? それとも、アイツを救い出す方法を探すためか?」
興味深々な目が憎たらしい。
だがスザクはすぐに、その答えにくい質問を撤回した。
「ああ、別にどちらでもよい。そんなことより、お前は我に聞きたいことがあるのではないか?」
……そうだったわね。
「全て答えてやろう。そしてパークを守るために、今度は手を貸そう」
「そういえば、結界は三人で大丈夫なの?」
「ちょっとやそっとで綻びは起きん。攻撃がなければ、二人でも強度は十分じゃ」
それならある程度は安心ね。
「さてと、続きを話すとしよう」
「ええ、そうね」
そして私とスザクの、しばらくの情報交換が始まった。
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