第百五十節 声に宿る
ふと立ち止まって、怪人は呟いた。
「―――違い無く、近い」
彼の者は配下も連れず、一人でこの場所まで赴いた。
海岸沿いの森、飛び立った火の鳥の軌跡と未だ残る隠せない輝きの残滓を頼りに、決して逃すことのできない鏡を追いかけて。
本来であればセルリアンの軍勢を連れ、まるで絨毯を敷き詰めるが如くに隈なく捜索をするのであるが、此度はそうしていない。それは獲物に警戒させないためというよりも、本人が認めたがらないであろう恐怖心に因る選択だった。
予てより手中に収めること焦がれていた鏡。
粗雑で丁重に扱うことを知らないセルリアンの手に例え一時でも預けてしまえば、どんな不都合を招くか分かった物ではない。
その点で言えば、今この瞬間に至るまで続いてきた鏡が他者の物となっているこの状況も、彼の者にとって耐え難い苦痛に他ならない。
効率と安全。
両立できない二つの要求をなんとか最大限満たす結論こそ、自らの手で一刻も早く成し遂げるという決意である。
だが、未だ為さぬ。
「腹立たしい…」
抵抗する者は圧し潰せる。
幾度もそうしてきた。
だが見つからないとは何事か。
あの三人のうち一人、叶わぬ願いを追い求めた道化の胸に塞げはしない穴を空けた。
連れて逃げれば、そう簡単には動けない。
にも拘らず、流れた血の気配すら隠せてしまうとは。
……あの傷を治したのか?
そのような力、フレンズの身ではそう実現し得ぬ。
「ふむ、既に散ったか」
二人になったのなら、逃げる事は容易い。
この場所に残る色濃い輝きも、死人の最後の光と思えば合点がいく。
砂浜に立ち、見晴らしの良い海岸線を視線で撫でる。
何処まで逃げたか。
まだ追いつけるだろうか。
いいや。そんなことを考える必要はない。
「……此処に、隠れているのだろう?」
死人の匂いで満ちていても隠せはしない。
鏡の持つ純然とした輝きは、この近くに存在している。
「出てこい」
怪人の背中から、かつて少女を貫いたのと同じ形の触手が顔を出した。
§
分かっていた。
決してやり過ごせるなどと思ってはいなかった。
逃げ続けていても、何処かで必ず追いつかれてしまうと。
そうしている限り安息など訪れはしないと。
だから。
「……ふぅ」
今、此処で片を付けるしかないのだと。
(まだ、遠い)
真正面からでは勝ち目がない。
だから不意を突いた一撃で流れを手に入れる。
それまで居場所を悟られないように『同調』はせず、完璧なタイミングを水の中で待ち続ける。
レヴァティの力を借りて、完璧に夜の暗流に紛れて。
心の臓を貫く言霊を、的確に打ち込める瞬間を心待ちにする。
―――そして、その時は来た。
怪人が海から目を離し、背を向けた瞬間。
「―――『砂よ、封じろ』」
「なッ!?」
足元の砂に命じて怪人の動きを封印する。
瞬間的に足場が崩壊し、また海水を吸った重い砂粒が足に腕に絡みついて、さしもの怪人もこれには難儀している様子だ。
「姑息な真似を…この程度の脆い束縛など…っ!」
ああ、直ぐに壊せるだろう。
だがその直後にまた砂が奴を捕らえる。
此処に存在する数億の砂粒が皆こちらの味方になっているのだから、完全に脱出するまで数分ほど掛かること間違いない。
「喰らえ!」
「『盛り上がれ、護って』っ!」
痺れを切らした相手の飛び道具も効きはしない。
手に入れたこのか細い時間を、僕は好きに使うことができる。
(まだ、心の準備が必要だったから)
なんて有難い。
「……」
胸に手を当てると、心臓の鼓動とは違う何かを感じる。
あの最後の瞬間にねじ込まれた宝石が意志に反して身体に馴染み、今では随分と行き渡っているように思われる。
でも、ある物は使うだけだ。
「言霊…命令…」
石板の力を手に入れたスピカが見せた力。
アレの大本となるモノは、宝石の中に淡く光っている。
とても小さく、ずっと優しい形だ。
これを使いこなすためにどうすべきか。
『同調』ではいけない。
自分の力をこれで塗り潰してしまっては、相手には勝てない。
もっと強く。
おとめ座の宝石の力だけではなく、この言霊の力をも重ね合わせて共に使いこなすことが出来るように。
やることは決まった。
「……死ぬ準備は出来たか?」
砂地獄から、怪人が這い出してきた。
「まさか」
僕は死なない。
「『
今までと違って、姿は変わらなかった。
僕は僕の儘。
共に持つ言葉に願いを乗せる力だけ、重ね合わさっている。
『止まれ』
そう命じれば、怪人の身体はピタリと動きと止めた。
そして直後に大きな重圧が身体に襲い掛かる。
(…そうか)
『同調』と違ってエネルギーの総量は僕の身体に有る分のまま。
あまり多くは命じられないようだ。
ならば。
「舐められたものだ。そんな緩慢な動きで……くっ…!」
まだ『止まれ』の命令は効いている。
動けはしない。
ゆっくりと近づいて、真正面から怪人の姿を見据える。
そろそろ、そのフードの中を見せてくれても良い頃だろう。
でもどうせなら、ただ見せてもらうのも詰まらない。
ぐっと、拳を握る。
『壊れろ』
微妙な速さの拳を怪人の右頬に叩き込みながら、僕はそう命じる。
するとそうなる。
そう言ったから。
……ただ今回は、抵抗しても無駄だ。
「ぐ、おおっ!?」
骨を穿つような衝撃と結晶の砕ける音。
中はさぞかし酷い様子に違いない。
さあ。
『吹き飛べ』
被り物を外してその顔を晒せ。
ゴオオオゥ――――――
――――――ッ!
――――――。
「……ハハ、ハ」
「あ…」
逆巻くような風が吹き抜けて、清々しい月光を誘う。
光はフードを剥ぎ取った下に差し込んで顔を照らす。
「思いもしなかった」
そこには女性の顔があった。
「まさかこの女王の顔に、傷をつける者が現れるとは」
右半分が潰れて見るに堪えない相貌になっていたが、これは先程に僕がやったこと。それだけなら想像に相違ない。
しかし、傷口の上で粘液が踊っている。
『動くな』
咄嗟に命令を重ね掛けして、より確実に動きを封じる。
その拘束を意にも介さず、女王と名乗る存在は言葉を続けていく。
「……だがこうしてお前が私につけた傷は容易く治る。その鬱陶しい言葉の力も長続きはしない筈だ、もう肩で息をしているぞ」
かなり威力は出ていた筈なのに、それでもダメか。
「お前は私を殺せない。私はただ、待つだけでいい」
確かに、ここで引導を渡すことは不可能らしい。
「諦めろ」
勝ち誇って口角を歪める怪物。
僕はそんな姿に手を伸ばし、また言葉を紡いだ。
未来に繋がるように。
『固く、堅く、凍れ』
「フフ…」
高く波打ち、海水が僕たちを覆う。
波が引けば塩辛く濡れた僕と、氷に包まれた女王様がいる。
これで三重の鎖。
言霊の効力が薄まるまでの数十分の間ならば、僅かばかりの反撃に転じる事さえも出来ないことは間違いない。
けれど、僕にはコレを殺せる力がない。
―――ならば。
『風よ、吹き飛ばせっ!』
最後の言霊は、巨大な氷を沖に向かって吹き飛ばす。
その命令を最後にエネルギーが尽きて、おとめ座との共鳴も解けてしまった。
もう僕の言葉に強制力はない。
「レヴァティ―――!」
だから次に続く叫びは命令ではなく、友達への願いとなる。
「まかせてっ!」
「みんなでいくよ~」
「とおくにバイバイだー!」
無数のレヴァティによって成る魚群が海に落ちた氷を捕まえて連れて行く。
黒い影が見えなくなって、肩の力が抜けていく。
「あとは……よろしくね」
僕は砂浜の上にストンと腰を下ろして息をついた。
やっと落ち着いたおかげで頭が回る。
(……クオは無事かな)
色んな事があってどっと疲れたけど、歩き回るくらいならまだできる。
万が一戦いになっても、石板と『同調』すればきっと大丈夫。
「よし」
探しに行ってみよう。
僕は立ち上がった。
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