第百四十九節 成就の代償

 咄嗟に僕は、鏡の中から石板を一枚取り出して叫んだ。


「『星質同調プラズム・シンパサイズHydraうみへび』ッ!」


 久方ぶりの強い輝きが身を満たす。

 纏う服が厚手のコートへと変わり、裾の隙間から蛇の頭が生えてきた。


 見ずに選んだにしては悪くない。


 これなら、目の前の怪物とも戦えるだろうか。


「いいぞ、来るがよい」

「……」


 悠然と腕を広げ、怪物は嘲る。


「其の身の矮小さを思い知らせるのに、私が焦る必要も無い」


 攻撃しろ、とこちらを誘う。

 僕は、取るべき行動を見定めねばならない。


 手を肩の高さまで上げ、一本の蛇頭をもたげさせ、その口元にけものプラズムを集める。


 輝きを毒に、虹色を純粋な紫に。


 相対する者の姿には喜色と期待の色が浮かんだ。

 酷く淀んでいて、綺麗とは口が裂けても言えなかったが。


(でも、貴方の期待通りにはならない)


 折角こうして手に入った容易い攻撃のチャンス。

 どうせ一撃では倒せないのだし、素直に攻撃してしまうのは勿体ない。


「……」


 後ろを向いて、レヴァティとスピカに目配せをする。


「…?」

「そ、ソウジュくん…」


 予想はしていたが、やはりこれだけでは伝わらないらしい。


 まあいい。

 、僕は知っている。


「はぁ……っ!」


 右腕で空気を薙いで、口から霧を撒き散らす。

 前方の空間を致死の毒素で満たし、立ち込める紫雲が視界を塞ぐ。


「逃げるよ」


 二本の頭がそれぞれレヴァティとスピカの身体を捕まえる。噛み付くことはせずに、ぐるぐると首で巻き取りしっかりと持ち上げて連れて行く。


 他の頭は只管に毒液を吐き散らし、相手の接近を防ぐ。


 そして撒き散らした霧が晴れる前に、僕たちはこの場を脱出した。


「あの、これから何処へ…?」

「あの家だよ、腹立たしいけど」


 漸く好機を掴んで逃げ出して、まさかその日の内に自分の意志で戻ることになるなんて夢にも思わなかった。


 ただ命には代えられない。


 どうにかこのまま逃げ果せればいいのだが。



「―――確かに賢しい、ただ力を持っているだけではないな」



 何故、こうも上手くいかないのか。


「ハハ、速いね」

「あの程度の霧で私の目を誤魔化せるとは思わないことだ」


 回り込んできた怪物から攻撃されないように、自分の背中に二人を掴んだ蛇首を隠した。残り七つの頭で戦うことになるが、どうにも上手くいく予感がしない。


 だが他の星座と同調している余裕があるかも不明だ。

 隙が無いのもそうだし、二人を安全に運べる保証も他の星座にはない。


 二人の力を借りられれば、或いは……。


「悠長だな。考えを巡らせる暇があると見える」

「……ッ!?」


 急に勢いよく飛び掛かって来た怪人相手に、反射的に空いていた全ての首を向かわせて捕まえる。奴の身体の表面に所狭しと巻き付いて、力強く動きを封じたかのように見えた。

 

「弱い」


 だが、そのような力技は更なる力によって破られる。


 染み出すような黒い刃物が四方八方に伸び出して、全ての首が快刀乱麻を断つように切り刻まれてしまったのだ。


 急激な消耗に耐えられないまま同調が解けて、僕は膝から崩れ落ちた。


「ソウジュくんっ!」

「お兄ちゃん、キズが…」


 蛇から解放された二人が駆け寄ってくる。


「はぁ…はぁ…」

「余りにも淡い。そのような輝きだから、時の流れに揉まれて潰えてゆくのだ」

「うっ…!」


 何か言われている筈だが、耳がそれを理解しない。


 そういえば、こんな風に大きな傷を負って同調が解除されたことは殆ど無かった。


 体内の奥で熱を帯びた痛みがぐるぐると廻り続けて、息を吸えば膨れて張り裂けそうになり、吐き出せばその勢いのまま気圧に潰されて消え去ってしまいそうだ。


 でも……立たなきゃ。


 まだ、こんな場所で終わる訳にはいかない。


「『星質同プラズム・シンパ―――」

「くどい」


 衝撃波。


「うぅっ!?」


 姿勢を保てる筈もなく、吹き飛ばされてしまった。

 暗む、眩む視界に最早まともな行動に出る余地は残されていなかった。


 近づいてくる足音の方向も主も分からない。


「無益な逃亡劇は終わりにしよう。私はお前を殺し、これから永遠を手に入れる」


 ただ夜より黒い黒が、磨り硝子の視界に被さって。


「ソウジュくんっ!」

「ぁ…う…?」


 何処からか鈍い音がしたら、僕の身体に何かが降り掛かる。

 べちゃりと生温く、仄かに悍ましく。


(なんだか、ぬめぬめしてる……?)


 頭を覆うに手を触れると、顔の前に持って行くとツンとした鉄の匂いがして、僕の意識を現実へと引き戻していく。


 目の前から朧ろも消えて。


 見えてしまった。


「あ……ッ!?」

「…ちゃん…お姉ちゃんっ!」


 広がる血溜まり。

 仰向けに倒れ伏す乙女。

 目に困惑を浮かべながら、彼女を揺さぶるレヴァティ。


「あ、ぁ…」


 スピカの胸に空いた大きな穴が、何が起こったのかを全て物語っていた。


「…庇うとは無駄なことを。手間が増えたな」


 怪人の詰まらなそうな声で悟る。

 彼女が血塗れになって倒れている理由を。


 ―――それで、どうなる?


 こうして僅かな時間を稼いでもらって、僕に何ができるのか。


 でも、誰かが肩を揺さぶった。


「…お兄ちゃん、しっかりして!」

もがんばるから!」

「ほら、もう平気だよ!」


 何度も聞こえるレヴァティの声。

 四方八方から、時には重なって。

 とうとうおかしくなったのかと思ったけど、違った。


 目の前には本当にレヴァティが何人も居て、そのそれぞれが思い思いに僕を励ましていたのだ。すぐ隣には恐らく、ずっと行動を共にしていたレヴァティがいる。


 なんだ、この状況。


(でも、そうだよね)


 この際だ、頭がおかしくなってても構わない。

 せめてすっかり息絶えるまでは、何かをし続けてみよう。


「おりゃおりゃ~!」

「お兄ちゃん達に近づいちゃダメっ!」


 見てみれば、何人ものレヴァティが怪人に群がって攻撃を始めている。


「鬱陶しい…!」


 怪人は容赦なくそのレヴァティ達を攻撃し、蹴散らしていく。

 僕の目の前で命が散っていく。


「お兄ちゃん、急いで」

「でも…」


 惨い、光景だ。


 時には刃が身体を両断し、棒のような太さの針が身体を貫き、何人かの彼女たちはまとめて遥かな遠方へと飛ばされていった。


 そんな光景を背後にしながら、僕のよく知るレヴァティは微笑む。


「私たちは平気、それが『レヴァティ』だから。だから、ね?」


 力なく動かないスピカの身体を抱えて、じっと彼女は僕の目を見ている。


 スピカ、レヴァティ、そしてその背景。


 目を逸らせない。

 まだ蛮行は続いている。

 そして、止める術もなかった。



「……『星質同調プラズム・シンパサイズPhoenixほうおう』」



 炎の鳥が三人を包んで、動けない怪人を尻目に飛び立った。




§




「―――なんで」


 レヴァティ達の決死の手助けにより命からがら逃げ果せた僕は、件の家ではなく近くの森に潜んでスピカに治療を施していた。


 ほうおう座の力なら、どうにか治療できると思ったのだけれど。


 スピカの胸から傷は消えない。

 傷口は塞がって血も止まったけれど、胸の空洞はまだ空いたままだ。


 アスの力があれば或いは。


 いいや、そんな想像は無駄だと知っている。


「お姉ちゃん、どう…?」

「もう少し試してみるよ」


 フレンズは案外頑丈だ。

 もしかしたらまだ間に合うかもしれない。


 再びほうおう座の治癒を与えるために、彼女の胸に手を翳す。


 そして力を注ごうとした瞬間、徐に冷たい手が動き、僕の手首を掴んで止めた。


「…スピカ?」


 その手は、もう動かないかもしれないと思っていた者の手だった。


「どうやらは、ダメみたいです」


 スピカは目を開ける。

 虚ろな瞳がこちらを覗いていた。


「私の宝石心臓、ヒビが入っちゃって……えへへ、どんどん自分の身体がふわふわになって、消えていく感じがして……。こんなに大きな穴じゃ、もう治せないみたい」


 空気が抜けるような声が続く。


「ソウジュくんは優しいですね。こんな私も助けてくれるなんて」

「……どうであれ、見捨てるのは後味が悪いんだよ」

「でも、もう時間はないですよ」


 落ちるように首を傾げて、森の暗がりを見つめる。


「ソウジュくんは、をなんとかしないと」


 例え何も見えなくとも。

 その先に居るべき存在は識っている。


 ただ、だからと言って。


 届かないことを認めるのはとても悲しい。


「それでも、まだ辛いんですか?」


 頷かなかった。

 でもきっと、心中は察されていて。


「じゃあ」


 蠱惑的な笑みが心臓を掴むように僕の中に飛び込んだ。


「私のわがまま、『受け入れてください』」


 途端、言葉が胸を衝く。


「っ!?」


 何かがめり込んでくる。


 肉をこじ開けて、押し退けて入り込もうとしてくる。


 見ればスピカが腕を伸ばして、僕の胸に何か押さえつけている。


 それを止めたいというのに。

 ”言霊”が効いて抵抗することはできない。


「大丈夫です、『乙女座』がソウジュくんの中に入っていくだけ。ずうっと、ただ一緒に在り続けるだけ」


 幻を見ているのか、見ていたのか。

 さっき見た夢魔の微笑みはもう失せていて。


 惑わされている間に全ては終わり、力を失くした腕が土に墜ちる。


「これで、宝石心臓が無くなった私はすぐに消えちゃうけど」


 光り、散っていく。

 滅びていく。

 微笑んだまま。


「ううん、全然怖くないですよ。だって―――」


 

 ―――だって。



 その後に続く言葉を彼女が口にすることはなかった。


「……!」


 動悸。


 終わった後の塵と、胸に残る様々な苦しさ、自分のものではない達成感。

 それらを混ぜた得体の知れない感覚が体中を渦巻いていた。


「お姉ちゃん、消えちゃった?」

「…分からない」


 無論、筈もない。


 全てが一瞬で過ぎ去ってしまったのだから。


 そんな中で分かった全てのこととは。

 彼女は確かに最後の願いを叶えたということ、ただその一つのみである。

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