第百三十九節 幼女に頼む狐探し


 今日も今日とて庭に出る。

 飽き足らず、池に向かって話しかけることを繰り返す日々。

 無論、視線の先にがいるからだ。


 他愛のない談笑で潰れていく時間。

 自分では、割と怪しまれても可笑しくない頻度で庭に通っている。


 しかしスピカは、レヴァティの存在にも気付いているのか否か、僕に何かを言って来たり、疑いを掛けてきたりする様子はない。


 僕の庭での行動は完全に放置されている。


 ならばと、未練がましく庭のあちこちを検分しながら、脱出に役立ちそうな道具や逃走経路にできそうな地形を探してみる。案の定、何処にも良いものは見つからず、スピカの余裕な態度がこの実りの無い現実の証左になっていた。


 それでもやめられない。


 ただのルーティンと化した今朝の探索を切り上げて、僕は池の方へ歩みを寄せる。


 青い鏡にジャパリまんの欠片を投げ込むと、ゆらりくらりと波紋が鳴って、すぐに水面からレヴァティがにゅるっと顔を出した。


「おはよっ、お兄ちゃん♪」

「うん、おはよう」

「今日はどんなお話をするの?」

「…ぼちぼち考える」


 120%の行き当たりばったり。

 他愛のない会話に根を詰める方が不思議というもの。


 しばらく声の無いまま僕らはを続けて、結局は痺れを切らしたレヴァティが自分の話をするという形に落ち着いた。


 そして始まる、雄大な海の冒険譚。

 だが彼女の物語は、幼い子供らしく無邪気に常軌を逸していた。


「――でね、それからどうなったと思う!?」

「そうだなぁ……結局は、なんとか抜け出せたと思うけど」


 場面は最大の危機。


 ある日、気ままに海を泳いでいたレヴァティは、運悪く流氷の程に大きなセルリアンに見つかってしまい、餌と捕食者の命を懸けた攻防、縦横無尽の逃走劇を舞い踊っていたという。


 途中までは泳ぎの技術でセルリアンを翻弄し、上手く逃げ遂せていたレヴァティ。


 しかしその華奢な身体、体力はどんどん失われていく。

 而して彼女は、彼女を食らわんとする大口の前に頭を垂れていた。


 問題はそこから。


 一体どうやって、危機を脱せたかという話なんだけど…。


「ううん、全然ちがうよ!」

「えっ、じゃあ…?」

「食べられちゃった♪」

「…誰が?」

「私たちが!」


 オチがこの有様である。


「…いや、レヴァティは今ここにいるじゃん」


 突拍子もないとかいうレベルではない支離滅裂さに、僕も思わず話を合わせてあげることを忘れてツッコミを入れてしまった。


 レヴァティ、少しは笑みを崩して欲しいが。


「うん」

「いるじゃん」

「…うん?」

「食べられてないよね?」


 何というか、今更説明が必要かな?

 だって、そうじゃん。

 言うまでもなく。


「食べられちゃったよ」

「ええと……そっか」


 だ、けれども。

 流石は天真爛漫な幼女。

 僕の常識は一切通用しない。


 ――食べられちゃった、ってさ。


 なら僕の目の前にいるレヴァティは誰だ。

 或いは、セルリアンに食べられたまま転生したとでもいうのか。


 とても残念なことに、その疑問に解答が示されることはない。


 レヴァティは幼げに首を傾げて、次のお話を思い出していた。


「それとね~、北の方に行ったときも大変だったなぁ」

「北の方……それって、ホッカイとかの辺り?」


 とりあえず思い付いた地名を口にしてみると、コクコクと元気よく頷いたレヴァティ。


「すっごくさむかった!」

「まあ、そうだろうね」

「だから五回くらい死んじゃった」

「いや、ゲームじゃないんだから」


 一瞬でも気を抜くと、倫理観を氷漬けにでもしたような爆弾発言がポンポンと飛び出してくる。


 その壊れた感覚で自分を死なせてしまうのだから仕方ない。


 近くの暖かい海で融かしてきてくれると嬉しいのだが。


 考えに耽り、気付かぬ間にじっと見つめてしまっていたのか、ハテナを浮かべた目で僕を見返してくるレヴァティ。


「……?」

(レヴァティは、本当に不思議な子だ…)


 この危うさは、誰かに似ている気がする。


「やっぱり暖かい海が一番いいから、もう絶対にあんな場所には行かないよ。ソウジュお兄ちゃんも、寒いところは苦手だよね?」


 …と、いきなり答えにくい質問が来たね。


「僕は、ホッカイから来たんだけど」

「えぇっ、そうなのっ!?」

「だからそのうち、帰ることになるかな」


 それもクオとの旅が終わってから。

 いつになるかは、まだ全く見通しがない。


「大変だね…」

「そうでもないよ」


 ホッカイの寒さも、僕はそれほど嫌いじゃないし。


「帰る時は、あの子と一緒だから」


 温もりが欲しかったら、頼めばそれでいい。

 ああ、もふもふが懐かしいな。


 また触りたい。


(…それも、無事にここを出られたらの話なんだけども)


 今のところはこの高い壁と、鏡と石板という所謂”人質”が僕をこの建物の中に縛り付けている。ウェイトがより大きいのは後者の方だし、色々と使えば物理的な脱出は簡単だろうけど、スピカも結構侮れない。


 服や身体が濡れるのは嫌だけど、こういう時には冷たい水でリフレッシュしてみたくなるよね。


 すっかり、疲れてきた。


「はぁ…」

「ソウジュお兄ちゃん、悩みごと?」

「ああ、まあね」

「ねぇねぇ、私たちもお手伝いしたいっ!」

「……じゃあ、お願いしてもいいかな」


 やっぱり、一度くらいは打診してみよう。


「キミに、探して欲しい子がいるんだ」


 好意を利用するような形になって、何処となく後ろめたいけれど。


 生憎、形振り構ってはいられなかった。




§




「…どう、覚えた?」

「うん、ばっちりっ!」


 両手でガッツポーズをするレヴァティ。

 彼女にクオの外見的特徴を教える過程は、案外早くに終わりを迎えた。

 ひとえに、物覚えがとても良かったからである。


 むしろ、苦労をしたのは僕の方かもしれない。


 あんなに長い間、共に旅をしてきたのにも関わらず、いざあの子の服装や容姿を詳しく思い出そうとすると、中々に時間が必要だった。


 服の細かいボタンの位置や髪飾りの色、時折あの子がする可愛らしい仕草まで思い出そうとしたからだろうか。


 まあいい。

 どちらにせよ思い出せた。

 探すのにも問題はない筈だ。


「じゃあ、お願いね」


 僕がそう言うと、レヴァティは元気よく頷く。

 そして身を投げ出すように、ぷかぷかと水に浮かび始めた。


「……あ、まだ行かないんだ」

「ソウジュお兄ちゃんと、もっとおしゃべりしたいもん」

「なら、今日はのんびりしていよっか」


 ぶくぶくと、池の中心が泡立つ。


「あれ、なにこれ…?」


 その泡はレヴァティを追い掛けるように、池の中を泳ぐ彼女を追い掛けて弾ける場所を変える。無数の綺麗な泡に包まれたレヴァティの姿は、なんとなく人魚姫を彷彿とさせた。


 しかし、レヴァティもこの泡の正体を知らないらしい。

 もしかすると彼女の仕込みかとも思ったが、そうでもない様子。


「綺麗だけど、ちょっと不気味だね」

「うん…」


 もしかすると不吉な兆候かもしれない。


 例えばこの泡は地中のガスが漏れたもので、気圧に耐え切れなくなった池の底が爆発しちゃったり。


 有り得ないとは言い切れない。

 突拍子もないことが、突然起こってしまう世界だから。


「どうする、一回上がる?」

「いいよ、水の上はちょっと苦しいから」

「なら、まあいいけど」


 如何せん、不気味で仕方がない。


「潜って確かめてくるねっ」

「あ、ちょっと…!」


 止める間もなく行ってしまった。

 まあ、余程の大事が起きない限り大丈夫だとは思うけど…。


 仕方のないものだよね。


 そんなことを思う時ほど、嫌な方へと事は転がる。


「あ」


 レヴァティが潜った少し後、また池の真ん中に泡が浮かび始めた。

 だけど今度の泡は先程と違って小さく、一つずつ不規則に弾けていく。


 なんだろう。


 そう思って、じっと池を覗き込んでみる。


 何か黒い影が浮かんで来る水面を、まじまじと見つける。


「―――え」


 すぐに、その影が何か分かった。

 僕はそれを池から拾い上げて、地面に優しく寝かせてあげる。


「けほっ、こほっ…」

「怪我してる、一体何が起こって…」

「…あ、お兄ちゃん」


 ぐったりしていたレヴァティが、ぱちくりと瞬いて僕を見つめる。

 そして何か尋ねるまでもなく、起きたことを教えてくれた。


「水の道の中、セルリアンがいた…」

「やられちゃったの?」


 こくり、頷いた。


「これくらいは平気だよ、でも…」


 物悲しそうに俯く。

 続く言葉が、僕にも分かった。


「……あの道、もう通れないかも」


 恐ろしい悪運。

 急に訪れて僕たちを嘲笑う。


 逃げ道を奪うのに、八方も塞ぐ必要は無かったのだ。

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