捌の章 愛より出でし魚の青

第百三十六節 日々は、知らない箱庭の中で


「……もう、夜か」


 風を浴びるために窓を開けて、眺めるはすっかり暗くなった空。溜め息をつきながら一人、僕は星を指差してこぎつね座を探している。あの『鏡』を奪われてから、星座の形が分からなくなってしまった。


 ひとまず適当に、平行四辺形とか描いてみたりして。


 だけど、窓に嵌められている鉄格子が腕の動きを邪魔するせいで、上手く星をなぞることが出来なかった。


「どうにか壊せないかなぁ」


 半笑いになりながら、コツンと鳴らす鉄の音。


 格子に目立つ白い傷跡が、かつての失敗を如実に物語っている。


 傘も鏡も石板も何もかもを失って、僕に残されたのは自前の妖術だけ。しかし当然のことながら、それだけでは限界がある。


 そもそも、妖術なんて好き放題使えるものじゃないし。


 その辺の限界を気楽にぶっ壊してくれていたアイテムがない現状、僕の戦闘力は半減程度じゃ済まないくらいに下がり切ってしまっていた。



 ―――コンコン。



「鍵はそっちの勝手じゃん、入れば?」

「もう、相変わらず冷たいですね」


 脚で器用に扉を開けて、スピカが部屋に入って来た。


「お夕飯が出来ましたよ、どうぞ食べてください」

「…そう」

「じゃじゃーん、ロールキャベツですっ!」


 また今日も仕方なく、僕は食事に箸をつける。

 だって、食べなきゃ死んじゃうもんね。


 敢えて味の評価をしてみるならば、スピカの料理は最初のモノと比べて数段マシになっている。


 考えられる要因としては、やっぱり慣れかな。

 それは料理そのものへの慣れだったり、或いは僕の味覚への慣れだったり。


 甲斐甲斐しくも、味についての感想を事細かに聞いてくるものだから適当に答えていたら、次の食事からは的確にそこが改善されている。


 ともあれ、熱意はあるようだ。


 今もこの部屋に横たわる、その他大勢のマイナス要因には一旦目を瞑って、この姿勢は評価されて然るべきだろう。


「ふふっ…」


 ただ不気味なのは、妙に余裕を感じさせる彼女の態度だ。


 誘拐され、この部屋に閉じ込められて何日が経つだろう。僕が思うほど短い時間ではきっとない。にも関わらず、スピカがこちらに何がしかの行動を強制してくる兆候が一切見られない。


 いや、外出を禁じられてはいる。


 だけどそういう話じゃない。


 淡々と、と表現するには些か情熱的過ぎるが、今のところスピカは僕の世話のみに尽力していて、他の怪しい行動の気配は感じ取れないのだ。


 攫っておきながら、何を今更。


「私の顔、何かついてますか?」

「……」

「もう、無視しないでください」


 ただ見ていても何にもならないことは知っている。それでも、面の裏に隠された思惑を明かしたくなってしまう。


 心を読む術でも持っていれば良かったんだけど。


「……ソウジュくん?」


 生憎、あの本にそんなに便利な妖術は書いていなかった。


 となると畢竟、自らの感覚と論理を武器とする他ない。それにしても、こんな状態では情報が少なく正確な分析は困難を極める。


 やっぱり、クオの助けを待つのが一番なのだろうか。


 あぁ、牢屋の中で気が滅入る。


「ソウジュく~ん」


 建物の場所も分からないまま逃げ出すのは危険だけど、脳漿の底で燻る焦燥は日に日に勢いを増していって、耐えられない。


 早く、一刻も早く。


「――”外に出たい”って、思ってませんか?」

「っ!?」


 身体が跳ねる。


「あはっ、やっと反応してくれましたね」


 蠱惑的にわらって、スピカは僕の手を引いた。

 そのまま部屋を出て、何もない廊下を歩いていく。


「…どういうつもり?」

「多分、ソウジュくんが思ってる意味じゃないですよ」


 素っ気ない言葉に芽生える失望、そして納得。

 態と曖昧な言い方をして、僕の興味を煽ったのだろう。


「……そういうこと」


 思考を掌握されているような感覚で気分が悪くなる。


 これから連れていかれる場所も、どうせ碌なところではない。



 ―――と、思っていたのだが。



「え」



 予想外の景色に、驚いた声が一音。


「素敵なお庭でしょう。やっと準備ができたんですよ」


 高い高い柵に囲まれた、自然に溢れるそこは箱庭。


「言ってくれれば、いつでも遊ばせてあげますからね」


 外に出て、されどまだ内側。


 そんな違和に思考を掻き乱される数秒。


 漸く口を開いて衝いて出す言の葉。


「月は見えそうにないね」

「そんなもの、要らないと思いませんか?」


 そんな道理が、あるものか。




§



 中庭が解放されてから数日。


「……この辺も、良さそうかな」


 今日も僕は屋外に出て、この新しい空間を探索していた。


 久しぶりに外の景色を見た新鮮な気持ちと、相反するように行動を急かす焦る気持ちが、今の僕の感情を構成する二大要素だった。


 可能なことなら、出来る限り隅々まで探索したい。

 あわよくば、家主のスピカすら知らない空間や、彼女が一切気にも留めないような隠し場所を見繕っておきたい。


 それらの有無が、今後の行動に影響を及ぼすことだろう。


(だけど、胸騒ぎがする…)


 スピカだって分かっている筈だ。


 殆どの力を奪った状態とはいえ、部屋の中に閉じ込めておくのと、庭先で放し飼いにしておくのとでは訳が違うということを。


 今はまだ行動に移すつもりは無い。

 しかし僕の目の前には敷地を囲む高い柵があって、きっとその向こうには外の世界が広がっている。


 脱出まで、たったの壁一枚だ。


 まさかそんな状況で彼女が悠然と座っていられる訳がない。


(……勿論、考えられる可能性は幾つかある)


 その一つが、此処では見えない警備の存在。

 僕が知る余地のない手段を、スピカが隠し持っているという恐れだ。


 具体的に何が、とは言いにくい。


 まあ、僕を誘拐した時の言動から考えるに、彼女が下僕にしたセルリアンが妥当ではないかと思う。


 家の中に堂々と住まわせておくのも憚られる彼らの居場所は、凡そ建物外周の警備以外には考えられない。


 少なくとも、僕の視点では。


(まあ、この付近はこんなものか)


 スピカもある程度は気を遣っているのだろう。


 こんなに広くて、雑多に植物が生い茂る中庭でありながら、かなり注意して探索しないと、人や物を隠せそうな空間は殆ど見つからなかった。


 別にそれ自体は構わない。


 相手が有り得ないと思っている場所に隠せば、その分だけ見つけるのに骨を折らせることが出来る。一度隅々まで探って、確かに隠せないことを心得ている場所ならば尚更だ。


 繰り返すようだが、恐ろしいのはスピカの悠長さだ。


 僕はそのうち脱出の糸口を掴むかもしれない。

 クオが僕を助けに乗り込んでくるかもしれない。


 なのに彼女は、僕を此処に連れて来る時にした以上の強硬な手段を取ってこようとしないのである。


 ああ、すっかり分からない。


「……今は止めよう」


 考えても分からない気がしてきた。

 気分転換に、あっちの池にでも行こうかな。



§



「ほいっ」


 澄み切った池の水面に、こっそり隠し持っていたパンの欠片を投げ込む。


 これは今朝の食事をしている間に、スピカの目を盗んで袋に入れておいた、綿菓子の様にふわふわな生地のパンだ。


 もしもこの池の中に魚がいるなら、食い付いてくれるかもしれない。


 そんなことを起き抜けに思いついて、運よく餌になりそうなものを確保できて、そして実行しているのが今の状態である。


 まあ、手応えは薄かった。


「ここにはいないのかなあ」


 覗き込むと水草が見えるから、魚だって隠れていそうなものだけど。


 もしかして、このパンじゃ不満ってこと?


「…なら、一気にいってみるか」


 少し待って考えれば、馬鹿なアイデアだと分かった。


 しかし僕は、一切も待つことが無かった。


 つまり即座に、実行に移したのであった。


「お願い、何か出てきて…!」


 投げ込んだパンは拳大である。


 落ち着いて頭を回せば、そんな大きな口を持った魚がこんな小さな池に収まる訳ないこと、火を見るよりも明らかだろうに。


 水を含んだパンが重くなって沈み、失敗を悟ることになるまでの数秒。


 ドクリと拍動が鳴り、ゴクリと固唾を飲み込む。


 僕は前のめりに池を覗き込んで、誰にも食べられない餌の行く末を窺う。


 まず間違いなくその所為だろう。



 ―――バシャバシャァッ!



「うわっ!?」


 突如立ち昇った激しい水しぶきに目をやられ、派手に尻もちをつくことになった。


「な、何が起きたの…?」

「おいひぃ、もっとちょうだいっ!」

「えぇ…?」


 知らない快活な声。

 何故か目の前から聞こえる。

 僕の前方には池しかないというのに。


 まあ、百聞は一見に如かずだ。


 山ほど顔についた水を拭って、僕は目を開けた。


「お兄ちゃん、もっとコレないの?」

「……えっ?」


 途端僕を襲ったのは、幾重にも折り重なった疑問であった。


 何故、女の子が池の中にいるのだろう。

 何故、パンをもぐもぐと頬張っているのだろう。

 何故、僕は突然『お兄ちゃん』と呼ばれているのだろう。


「ないの?」

「…ないよ」


 そう答えると、少女はぐったり俯いた。


 というか、その水着みたいな恰好は何なんだろう…。


「でもおいしかった、ありがとうっ!」

「ど、どういたしまして…?」


 まあ、口にあったのなら良かった。


「私たちはね、レヴァティっていうの!」

「よろしく、僕はソウジュだよ」


 自己紹介をしながら、僕は思う。


「えへへ……よろしくね、ソウジュお兄ちゃん♪」


 また変な子と出逢ってしまったな、と。

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