『Topiary of Sarsaparilla』


 ボクはひかりを探すために家を出て、懐中電灯を片手に山道を歩く。


 見慣れた緑をかき分け、かき分け、聞く虫の音も冷ややかに。ある瞬間に半月の木漏れ日を受けて、ボクは目を細めた。


 端麗に真ん中ですっぱりと、果物を真っ二つにするように両断されて左半分の欠けている月。仄暗い雲海にぽっかりと風穴を開けて、ボクをまじまじと覗き込む姿はまるで眼球だった。


 アレは、神様の瞳だったりしないだろうか。救い様の無い地上の景色を、戯れに眺めてはくれないだろうか。


 そうでなくては寂しくて、ひかりが見つかるまで耐えられそうにない。


 懐中電灯の光を手に当てて、少なくともの自分を確かめる。



「…大丈夫」



 ボクはここにいる。


 ひかりもきっと、あの場所にいる。


 他に誰かが、信じてくれる訳もないのだ。



「行こう」



 想い出の中の景色を目指して、ボクは歩いた。



「……はぁ」



 やれ『想い出』だ、やれ『記憶』だと、繰り返すように口にしてみても結局、こんな真夜中に此処まで来たことは無かった。


 知らぬ間に、月は雲の後ろに身を隠している。


 ひかりは明かりも何もない暗闇の中で、とても静かに長椅子に腰を掛けていた。それは唯黙っていたという話ではない。ピクリとも動かぬ立ち居振る舞いの不気味なまでの静けさは、きっと見なければ分からないだろう。


 ボクは彼女の隣に腰を下ろした。



「……」

「……」



 案の定、どちらも口を開かない。

 これはこれで心地の良い感覚ではあった。

 だけれども、このまま夜を明かしてしまうのも忍びない。


 じれったい程長かった蒸し暑い夏も終わりを迎えて、気温も太陽も日を追うごとに早く早く落ちていく。暑さの記憶が色褪せてゆくように、葉っぱの顔色もくすんで近頃の寒さを嘆いている。


 この開けた高台にはいつでも風が吹き抜ける。


 秋の夜の冷たい風は、朝まで浴び続けるには息苦しいものだろう。



「ひかり」

「…はい」

「ごめん。今朝はひどいこと言っちゃったね」



 今日の出来事は、とても簡単な話。


 ひかりに新しい趣味を勧めようとして、ボクが意固地になってしまった。


 この頃、彼女のボクに対する執着が強くなりすぎていたから、焦ってしまった面もあるのかもしれない。



「いいんです」



 沈んだ声でひかりは呟く。



「兄さまは、何もおかしくありませんから」



 出てきたのは、ボクを肯定する言葉。

 

 それを寂しく思いつつも、ひかりの口から彼女自身を否定する言葉が出て来なかったことだけは、素直に安心できた。



「……」

「……」



 また、夜闇に風だけが嘶く。


 こんな時、どう話せば良かったんだっけ。


 普段はひかりの方から沢山話題を振ってくれるから、自分から話を切り出す方法を忘れてしまっている。


 途方に暮れて、ふとボクは空に目をやった。



「星、見えてきたね」

「え…?」



 つられて顔を上げたひかりが、色とりどりの光に表情をぱあっと咲かせた。


 引き裂かれた雲の間に浮かぶ星をなぞって、一つの星座を浮かべる。



「見てください。アレがくじら座です」



 そう言って、手元のスケッチブックにくじら座の形を描いて見せてきた。だけど前から思っていた通り、これがくじらには見えない。『実際には怪物クジラだ』とひかりは言ったが、そういう問題ではない。


 まあ、そういうものなんだよね。



「くじら座は心臓の辺りに、変光星があるんです」

「変光星…?」



 これまた、初耳の言葉だ。



「観察する日にちによって、明るさが変わる星のことなんですよ。珍しい星なので、有名なものには愛称がつけられていたりするんです」



 へぇ、天文学者さんもお好きなもので。



「例えば冬の星座のうさぎ座。これのR星は、別名『クリムゾンスター』と呼ばれています」



 格好いいような、そうでもないような。

 ”うさぎ”っていう小動物の印象とギャップが大きいね。



「そしてくじら座の変光星の名前は……『ミラ』」

「なんか、人の名前にありそう」

「ふふ、そう思いますか?」



 ボクの軽い冗談に、ひかりはくすりと笑ってくれた。


 それだけではない。


 星座についての話ができて、彼女は明らかに元気を取り戻していた。だからやっぱり、趣味は人それぞれにあったものじゃないといけないんだよね。


 いま、ボクはすっかりそれを痛感している。



「ひかり」

「わかっています。兄さまは、わたくしの身を案じてくださったんですよね」



 心を傷つけてしまっても尚、優しく寄り添ってくれる。



「でも、兄さまさえ一緒にいてくれれば、他に何も…」



 気付かぬ間に腕を絡め取って、逃げられない。



「言葉だけじゃ安心できません。何時になれば安心できるかも分かりません。だから兄さま、どうかずっと傍にいてください。何があっても、わたくしから離れて行かないでください…」



 ベンチに涙の雫が落ちる。小粒の染みはサルサパリラの実のような色で、囁く声が身に染みて心に透き通っていく。


 ぴたりと歯車が嵌る様に密着して、中毒性の高い安心感に包まれて。


 如何して、離れようなどと思うものか。



「うふふ……あら、これは?」

「あぁ、叔父さんに貰ったんだよ」



 懐から落ちた封筒から、チケットが顔を覗かせる。



「一度行ってみろってさ。

 超巨大総合動物園ジャパリパーク…とかなんとか」



 どうにも叔父さんは、特別なキャンペーンに当選したとか言っていたけど。その辺の情報を追っていないボクには何が何だか良くわからない。


 ふむ、どうしようか。



「行ってみましょう、兄さま」

「いいの?」

「折角貰ったものですから」



 大切にしておきましょうと、封筒をボクの懐に差し込んだ。



「でも」



 空を指さす。



「今夜はもう少しだけ、星を観ていませんか?」

「……そうしようか」

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