第百三十五節 砂からの便り
どうにも今朝の東の空は、やけに明るく見えた。
窓から急に飛び込んだ赤い陽光に目をやられ、布団を払ってつんのめるように夢から起き上がったクオ。間髪入れず、半透明のカーテンを押し退けて流れ込む早朝の冷たい空気に、鋭く耳を尖らせて震え上がった。
懐かしい頭上の感覚を恨んで、耳を触りながらこれまでの出来事を思い出す。
コモモちゃんとの数奇な再会。
イヌガミギョウブとキュウビの邂逅。
デネボラとアルシャトの喧嘩のような因縁。
そして、湖に居たクジラのセルリアン。
(本当に、色んなことが起こってたんだね……)
そんな日々も最早これまで。
もう、アンインにこれ以上の用事はない。
「一日でも早く、ソウジュを見つけないと」
普段の寝起きはこんなに早くないけど、きっと何かの縁かもしれない。
クオは手早く朝の支度を済ませて、別の部屋にいるコモモちゃんに別れの挨拶を告げに行くことにした。
「―――あっと言う間、でしたわね」
出立を告げると、彼女は静かに頷いた。
「分かっていました、私も寂しくはありません。既に再会したのですから、きっとまた縁に恵まれる時が来るでしょう」
際の言葉は本当にそれだけ。
引き留める気も毛頭ない様子。
もちろん、クオにとってはありがたい。
「ありがとね。じゃあ…また」
「お元気で、また会いましょう」
最後に小さく手を振って、それで別れと相成った。
「……あ、デネボラ。それにアルシャトも」
コモモちゃんの家を後にして、昨晩から姿の見えないキュウビを探しつつ歩き回っていると、途中でデネボラとアルシャトに遭遇した。
どうやら二人はクオを探していたみたい。
こっちの姿を確かめるなり、近づいて話し掛けてきた。
「気にすんな、礼を言いに来ただけだ。
昨日はかなり、お前の世話になったからな」
デネボラはそう言い、クオの手に袋詰めの飴玉を握らせる。
どうにも彼女の好物らしいけど、試しに舐めてみたら、思わずえずいてしまう程に塩辛い味がした。
正直、『苦手』とかそういうレベルを通り越して食べられたものではないけど、貰い物を押し返すのもバツが悪くて、渋々受け取ってしまった。
デネボラは、こういうのが好きなんだね……。
「~♪」
「おい、お前は何も言わねぇのかよ」
アルシャトは飴玉―――もとい塩玉を食べて苦しむクオの姿を、さぞ楽しそうに笑って眺めながら、それをデネボラに咎められるとクルッと明後日の方向に顔を逸らしてしまった。
……何しに来たんだろう。
「全く、未だに分からねえ奴だ。
とにかくありがとな、お前のお陰で助かった」
閑話休題に咳き込んで、デネボラがこちらに手を差し出してくる。
「今後が上手く行くこと、オレは願ってるぜ」
クオたちは握手を交わして、ここでもまた一つの別れ。
「よし、行くぞアルシャト」
「行くって、何処に…?」
「んなもん謝罪回りに決まってんだろ。さっさとしないと永遠に終わらねぇぞ?」
背中を叩いて発破を入れるデネボラに、アルシャトはげんなりとした顔で俯いている。それでも逃げ出そうとしない辺りは、あの子も腹を括っているということなのかもしれない。
彼女は最後にこちらを向いて、一言だけ口にする。
「またね」
「うん、バイバイ」
首根っこを引っ張ってデネボラに連れていかれるアルシャトの後ろ姿は、心なしか昨日よりも綺麗になっていた。
§
「いた、キュウビ」
キュウビはアンインちほー南の方の海岸沿いで、潮風に当たりながら茫然と突っ立っていた所を発見された。
彼女の視線の先、遥か遠くの海の上に浮かぶ大きな島。
うっすらと靄がかった光景の中、唯一目立つ標高の高い火山とその頂上から空に昇っていく七色の立方体。終わりはないけど、始まりを確かめることの出来る世界でただ一つの虹。
いつかの昔に、ジャパリパークのパンフレットで見たことがある気がする。
―――あれは、キョウシュウちほーだ。
「貴女にも見えるでしょう?
だけど、決して立ち入ることは出来ないの」
そのことは、多くのフレンズが聞いている。
理由など知らないまま、行けないことだけ理解している。
「あの島には強力な結界が掛かっているの。何人たりとも出入りは出来ず、それは結界を構築した私も、結界の維持に力を貸している四神も同じ」
それでも間違って近づかないように、霧で見えにくくしてるのかな。
「……え、見えづらい?」
キュウビにそのことを尋ねてみると、困った顔をされた。
彼女の反応は、まるで意表を突かれたようで。
「そんなの、ただの名残よ」
程々に言い淀みながら、キュウビは説明をしようと試みる。
「あの結界は元々……ん?」
しかし、それを邪魔する何か。
ゴポゴポと、近くで泡が立つような水音。
―――直後に、彼女は現れた。
「……ぷはぁっ!」
「わぁっ!?」
「まあ、珍しいわね」
急に水の中から飛び出して、女の子が姿を見せる。
ペタっと軽く着地したかと思うと、無邪気な笑顔をこちらに向けた。
「あの…はじめましてっ!」
スカイブルーの髪の毛に、魚の眼のように真っ黒な瞳。半透明でシースルーのヴェールと、その内側に着込んだビキニの水着。
かと思えば、何処からともなく出てきたピンク色の浮き輪。
まるで天真爛漫と奔放さと、そして大人っぽさを掛け合わせたような恰好を、幼女のような顔立ちの女の子がしている。
ギャップと呼ぶにはあまりにも強烈な差異に、頭がどうにかなりそうだった。
あまりに突然のことで、驚く以外の言葉を失ったクオ。
しかし少女はお構いなしに、次々と爆弾を投下していくのである。
「ねぇあなた、クオお姉ちゃんじゃない?」
「うん、そうだけど…」
「やっぱりっ!」
可笑しいのは服装だけじゃない。
いの一番の質問も、クオの疑問を駆り立てる。
「でも、どうして…?」
「知ってるよ。だって、ソウジュお兄ちゃんに聞いたんだもん」
「……お兄ちゃん?」
何処までこの子は、クオのことを。
「ちょっと、お兄ちゃんって何?
キミは一体、ソウジュとどういう関係――!?」
「待って、まずは話を聞きましょう」
口を押さえられて、クオは黙るしかなくなってしまう。
キュウビが代わりに、話を続けてくれた。
「そうね、名前は?」
「私たちはレヴァティ、よろしくねっ!」
「ええ、よろしく」
名前は覚えた。
でもそうじゃない。
早くもっと聞いてよ。
「もしかして、彼の居場所を知ってるの?」
「うんっ!」
そう、どうしてコイツが……。
「クオお姉ちゃんを探して、そこまで連れて来てって頼まれたんだ!」
「―――え」
ソウジュが、クオを探すために…?
「ど、どこにいるの…っ!?」
拙速を通り越して見えてしまった希望。
最早キュウビの制止さえも振り切って、クオはレヴァティに掴みかかっていた。無我夢中で、果たしてどれだけの力を腕に込めてしまったのだろう。レヴァティの肩は明らかに軋んでいた。
それなのに笑顔の侭、彼女はクオの知りたいことを教えてくれる。
四つの耳の感覚が全て、次の言葉を聞くためだけに研ぎ澄まされる。
波の音が静まり返る。
「……ソウジュお兄ちゃんは、リウキウにいるよ♪」
ソウジュからの便りは、確かにクオに届いた。
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