第百三十三節 夜空の鏡を捕まえて
「ハハッ、案外大したことねぇな」
何度目かの強襲の終わりに、さも余裕な調子でデネボラはそう呟いた。
水浸しの地面を踏みつけて、力を失った箱型のセルリアンを振り捨てる。何度でも、蛍光灯に群がる羽虫のようにセルリアンは湧いて出てくるが、デネボラの力の前では全くの無力。ほんの数秒ほど、彼女の手を煩わせる程度の脅威でしかない。
だが、事態は全く好転していない。
羽虫を何匹潰そうと、元凶は未だ無傷で水に浮いているのだから。
「お前が本気で来ない限り、オレは倒せねぇぜ」
デネボラは煽ったが、ミラは無反応。
不気味なほど静かに佇みながら、身体をこちらに向けている。
まあ、滅多に動きが無いのは今に始まったことでもない。
ミラはデネボラが雑魚を一方的に処理している間、ほとんどの時間は手を出す訳でもなく静観しているが、時折その大きな口を開いて、巨大な水流を吐き出すように攻撃してくる。
虎視眈々とチャンスを狙う、油断ならない相手だ。
しかもこのままでは、デネボラの体力が徐々に削れていく一方である。
(我慢勝負になっちゃ分が悪いな。アルシャトの奴が、なるべく早く応援を連れて来てくれると良いんだが…)
額に浮かぶ汗を拭いて、耳が遠くから来る音を捉える。
「デネボラッ、大丈夫!?」
「っ、アルシャトか…!」
存外に早い彼女の帰還に、デネボラは喜色を浮かべた。
ところで、誰を連れて来たのだろうか。
アルシャトの隣にいる人物に目を向けて、つい眉をひそめてしまう。
「お前、クオか?
だがその恰好、まるでキツネだ…」
ヒトの、つまり双子座の姿しか知らない獅子座の少女は、急にキツネの耳と尻尾を生やして現れたクオに大層驚いた。
むしろこっちが本来の姿なのだが。
対するクオの方はと言えば、驚かれることは既に想定していたようで、デネボラの反応などは気にも留めずに湖の方向を直視している。
「今は気にしないで。戦いに集中しないと!」
「お、おう…」
「うわわ、目が輝いてるよぉ」
湖の水上、クオの視界に映るは巨大なクジラ。
一目見ただけで強敵であることが窺える。
すると、彼女のテンションは右肩上がりの鰻昇りであった。
(そうそう、こんなのと戦ってみたかったんだって!)
一番星より輝く瞳。
二人もクオを一瞥し、察した様子。
「気を付けろよ。動きは大して早くないが、奴は一撃が重い」
デネボラは短く端的に、クオに注意を促した。
「それに距離があるから……来たぞッ!」
徐に大口を開き始めたミラ。
喉奥の暗闇が顔を見せると、直後に暗流が空を衝いて飛ぶ。
一瞬のうちに空間が水に染まり、とても静かな破壊が森を薙いだ。
「……とまあこんな風に、水を吐いてくる」
「ひぃ~、恐ろしいなぁ」
生来臆病なアルシャトは、南極の風に当てられたかの如く震え上がる。
「あと、水の中に潜りやがるのも厄介だ。オレたちは地上の生き物だし、水中にまで届く爪も牙も持っちゃいねぇ。逆に向こうを引き摺り出せりゃ、割と楽に勝てるかもしれねぇんだがな……」
要は、一進も一退もせぬ膠着。
微塵も解らぬ戦の行方がこの上なくもどかしい。
「だったらさ、戦う準備ができるまで離れてようよ」
「それが、そうもいかねぇんだ」
「…なんで?」
すると、また雑魚が森の中から湧いてくる。
「あっ、ちっちゃいセルリアン!」
「来やがったか」
デネボラが怠そうに溜め息を吐いて、一分と掛からぬ間に全て消し飛ばした。
「……っと。こんな風に、ほっとくと雑魚が増えちまうんだ」
確かにこの調子では、落ち着いて準備することも難しい。
「一度はオレも同じことを思ったが、この様だ」
「あーあ、余計な邪魔が入っちゃう…」
クオは、ミラとの戦闘に茶々を入れられてしまうことを嘆いたが。
「デネボラ、もっと助けを呼んだ方がいいんじゃ…」
「けど真夜中だぞ、それに朝まで待てねぇだろ」
「あうぅ…」
「そそ、クオたちだけの方が良いって!」
無論、クオは自分の出番を減らしたくないだけである。
「少しだけ準備があるから、抑えててくれないかな」
「勿論やってやるが、早くしろよ?」
どうにも再び波が来たようで、デネボラは雑魚退治。
クオは少し湖から離れて、夜空の良く見える場所で息を整えた。
(―――ソウジュと同じように、お星様から力を借りるの)
ソウジュの持つ双子座の性質と、メリから修得した水瓶座の性質を応用した、身体に星座の輝きを宿すための儀式。
クオが持つのは、双子座の力だけ。
つまり、輝きを内に取り込むことで身体の性質を変えるのではなく、星から借りた輝きを凝集して、身体の外側で形に変えるのだ。
クオは空に祈りを捧げる。
(あの夜空の上に見える、一番大きいお星様…)
暗天に手を翳して、光を乞え。
「お月様、お月様」
月の光、地上の世界に集まって。
「―――クオに、力を貸してください」
ぽろぽろと鍵盤を弾くような音を立てて、光がキツネの身体を包み込む。神聖な白光は刀に宿り、眩しくも柔らかい輝きを以て降り立つ。外装に纏った無垢の色彩は、曇り一つない彼女の心情を表していた。
身体に漲る力を感じて、クオは微笑む。
「まずは、うんっ!」
静かに刀を抜いて、輝きに引き付けられてやって来たセルリアンに慈しみの視線を向ける。
「キミたちからぁ……やっちゃおっか♪」
円い斬撃が夜に舞う。
§
クオが月の力を宿した瞬間、湖は光に包まれた。
「なんだ、この光…っ!?」
セルリアン掃除をしていたデネボラは、急に純白に塗り潰された視界に目を細めて、直感的に察した光の出所へと目を向ける。
「ごめんね、眩しかった?」
「お前、また姿が変わったのか」
「えへへ」
服装はそのまま、されど雰囲気は一変。
髪の毛の先が白色を得て、眩く綺麗に光っていた。
(ソウジュと同じように出来た!
きっとこれで、また一緒に戦えるくらい強くなれる…)
「……あれ?」
ボーっとしていたアルシャトが、空を見てあることに気が付く。
「今日って満月だったっけ?」
「いや、まだずっと先だと思うが……あ?」
デネボラも月を見上げて、異変を知る。
「満月だな、おい」
「シャトー、目がおかしくなっちゃった?」
「そしたら俺もだぞ…」
まだ三日月程度だった筈の月が、どういう訳か満ちていた。
「そうれっ、斬っちゃうよっ!」
いや、解らぬものではない。
「バラバラ~♪」
クオが放つ斬撃は円く、まるで満月ではないか。
彼女の姿形も、輝きに満ちているではないか。
「…クオ、後ろに来てるぞっ!」
「いてっ!?」
有頂天になっていたクオの隙を突き、いつかの時代ではハンターセルと呼ばれていた強力なセルリアンが彼女に傷を与えた。
その攻撃の効果は覿面。
クオは背中に長い切り傷を負ってしまい、裂かれた服の隙間からはドロドロと血液が流れ始めた。
「むう、ひどいや」
「おい、大丈夫なのか…!?」
「安心してよ、なんともないから」
そう言いながら、クオは少し身を捩じらせて背中に手を翳す。
「だって、怪我なんてすぐに治っちゃうもん」
光が傷口を包み、破れた服もろとも怪我は消え去った。
流れた血も痛みも、水面に映った月のように幻である。
(ふふっ、お月様の力ってすごいなぁ)
彼女は沈まない、月がいつでも遥か上空にいるように。
そんな調子で、クオはまるで草刈りをするかのようにセルリアンの数を減らしていき、やがては新手すら出て来なくなる。
そしてクオの反応はと言えば、雑魚を蹴散らす爽快感を感じつつも、若干退屈そうだった。
「ふぅ、お片付けも粗方終わったね」
「となるとネックは、やっぱアイツか」
三人は、湖に浮かぶままのミラへと目を向ける。
「ちっ、どうにか出来ねぇのか…?」
「あのさっ、シャトーに考えがあるの」
「…なに?」
真剣なデネボラの視線を受けてビクつくアルシャト。
「多分、きっと、上手くいくよ…!」
しかし彼女はそう言って、自分にもそう言い聞かせて。
思いついた作戦をとても簡潔に、二人に説明した。
「ほぉ…殊勝な心掛けだな」
「ど、どうかな…?」
デネボラは考えた。
そうする位には、有効に思える方策だった。
クオがおどけて言った。
「まあ結局、アルシャトが安全なことには変わりないね?」
「だ…大事なのはそこじゃないじゃんっ!」
「ま、それも一理ある」
今度は視線をクオに向けて、デネボラは尋ねる。
「…やるか?」
「やろっか」
クオの即答で、やることになった。
「よし、集中しろよ」
「うんっ!」
「行くぞ」
ミラとは真逆の方向に、拳を構えるデネボラ。
「……おらぁっ!」
力強い掛け声と共に、鋭いパンチがアルシャトに向かって放たれた―――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます