第百三十二節 喰らう化物に心なし
クオからキュウビを分離した夜。
コモモちゃんのお家の、とある一室にて。
「―――凶兆」
星の模様が乱れていると、空を見ながらキュウビは云った。
「えっ?」
「淀んだ気配を感じる。セルリアンかしら」
「えっと、暴れてるの?」
目を凝らして夜空を見上げても、違和感は全く分からない。ご覧の通りにクオのセンサーはからっきしで、耳の片方も動きやしない。ソウジュのことなら一直線なんだけど。
ただのセルリアンなら、ほっといてもいいや。
「そうね、可能性は高いわ。
だけどこの巨大な存在感……心配ね」
キュウビ曰く、ついさっき暴れ出したセルリアンはいつになく強大な個体なんだってさ。
感覚の鈍り切ったクオからすれば、強くても弱くても分からないから同じだけど、少なくともキュウビが感じ取った存在感は、並大抵の脅威とは見做せないレベルなんだと。
キュウビは窓を開け放ち枠に足を乗っけて、こちらを振り返って言った。
「様子を見てくるわ。貴女は好きになさい」
「あっ、退治には行くんだ…」
面倒くさそうにしてたから、てっきり放置かと思ったのに。
「そういう立場なのよ、私は」
俯いてそう呟いた顔は、呆れにも憂いにも見える不思議な色をしていた。しかし彼女の声は、心なしか寂しがっているように聞こえた。
……ま、知らないけど。
「じゃあクオも行くっ!」
「…そ、来るのね」
「折角だし、新しい戦い方も練習してみたいもん」
二度は訪れない決戦の前。
武器は研いでおかないといけないし、技は磨かなければ弱い。
ましてや、ぶっつけ本番なんて以ての外だもの。
どんなセルリアンかは知らないけど、実験体が見つかってちょうど良かった。
地味に、最近戦えなくて暇だったし。
「……怪我するんじゃないわよ、慣れない力は危険だから」
「うんっ!」
「なら行きましょう。時間を無駄には出来ないわ」
クオも窓から飛び出して、楽しい戦いへと出掛けて行った。
§
アルシャトが、声を張り上げてセルリアンの名を呼ぶ。
「やめてミラ!
こっちを見て、シャトーだよ!」
望み通り、声に反応してミラはアルシャトの方を向く。
しかし敵意は消えず、大口を開けて威嚇する。
……これは無理じゃないのか?
オレはそう思ったが、アルシャトは諦めなかった。怯みながらも気丈に立ち、更に一層声を大きくして名前を呼んだ。そうすれば、必ず応えてくれると信じているようだった。
「ねえミラ、アナタの飼い主だよっ!」
――しかし、返事はただの咆哮でしかなかった。
「…やっぱ、厳しそうか?」
「ダメだよデネボラ、全然言うこと聞いてくれない…」
ミラの心無い反応に落胆するアルシャト。
オレは最初から無理だと思っていたが、黙って頭を撫でてやることにした。どんな奴であれ信じようとしてやってたのに、傷口に塩を塗るような真似は寝覚めが悪くなっちまう。
「……残念だったな」
やっぱりオレも、少し悲しいな。
どうあれアイツとの繋がりは、エサでしかなかったんだ。
「うぅ、そんなぁ…」
「下がってろ、オレが相手する」
アルシャトを下がらせて、代わりに前に出る。
こちらに牙を剥くなら、容赦はしないと目で訴える。
(……ちっ、なんて存在感と迫力だ。戦意がいつまで保つか)
元からこんな感じか、それともアルシャトがここまで肥え太らせたのか。そんなの今更知れたもんじゃないが、兎に角ただ純粋に強い奴だってことは確かだ。
小手先の細工なんて一つも無しに、圧倒的に存在の規模が大きい。
心底勝てる気がしないが、やらなきゃならねぇ。
「でもデネボラ、逃げられないの?」
「馬鹿言うな、そしたらどうなると思ってるんだ」
「えっ…?」
ちょっとその辺を見回しちゃ、すぐにでも解るだろうに。
「見てみろ、小さいセルリアンだ。アイツが呼んだんだろうな」
「っ…」
この湖はかなり広い水場だ。
他の奴も時々使いに来るだろう。
そんな場所に凶暴なセルリアンがいて、しかもソイツが呼び出す雑魚どもがワラワラと蔓延って?
…ハッ、冗談じゃない。
トーゼン、野放しになんて出来る訳ないだろ。
「怖いならお前は逃げろ。
んで、誰でも良いから呼んで来い」
逃げに特化したアルシャトのことだ。
一緒に戦うよりも、そっちの方が活躍できるだろ。
「助けが要るの?」
「アイツと直接戦ったら、かなり厳しいだろうな」
「そ、そんな…」
頭が良いとは思ってないが、相手との力の差は感覚で解る。
じゃなきゃ死んじまうかんな。
オレ一人じゃあ、アイツには勝てない。
しかも身体は一つしかねえから、戦いながら助けを呼びにはいけない。
だから、アルシャトが居て助かった。
「さっさと行けっ!」
「わ、わかった…」
さーて、これで守らなきゃいけない奴も行ったな。
いや、アルシャトは別に守らなくても平気か。
身代わりにされるのにだけ気を付けりゃいいもんな。
まあいいぜ。
これで好きに戦えるのに変わりないんだ。
「来やがれ、ぶっ飛ばしてやるよ」
威勢だけは一丁前にさ、時間稼ぎと参ろうか。
§
アルシャトは真っ暗な森の中を、全速力で駆け抜けていた。
(早く、早く…)
(誰でも良いから今すぐ見つけないと…)
(デネボラが…っ!)
「何処へ行く?」
「…っ!?」
突然響いた昏い声に、つい足を止めてしまう。
「あ、あなたは…?」
「何処に行くのか、訊いている」
「分かんないよ、そんなの」
被ったフードで顔を隠して、羽織ったローブで身体のラインも曖昧になり、声の輪郭も言葉の中身も正体が掴めず、不気味なことこの上なかった。
「でも、よかった」
それでも、誰も居ないよりマシだ。
この人に助けを頼んでみよう。
そう思ったアルシャトは、まくし立てるように喋り始める。
「ねぇ聞いて、デネボラが大変なのっ!
シャトーのせいで、強いセルリアンと戦うことになって…」
徐に手の平を向け、アルシャトを制止したかと思うと、相手は答えた。
「知っている」
「よかった……じゃあ、一緒に」
「奴のことは放っておけ」
「…えっ?」
信じられない言葉を耳に詰め込まれて、アルシャトは停止する。
「聞こえなかったのか。ではもう一度言おう」
固まった少女を見つめて。
嘲るように、ソレは繰り返した。
「獅子座の少女のことは諦めろ。
それが唯一、貴様にとって賢明な判断だ」
そんな訳ない。
咄嗟に反駁しようとした。
だがそんな間もなく、それの言葉は続く。
「『納得できない』という顔をしているな。だが、世界などそんなものだ」
そして。
「貴様は逃げるが良い。恐ろしいのだろう?」
そこに続いた一言は皮肉にも、デネボラが先程アルシャトに掛けた言葉と、面白いくらいに似通っていた。
「じゃあ、いいよ」
「ふっ…」
「アナタに話すことなんて何もないっ!」
だが、アルシャトも吹っ切れた。
(あんな変な奴は放っておいて、助けてくれる誰かを探さないと…!)
全力で振り切って、暗闇を駆け抜ける。
なのに、ふっと訪れる影。
「そう邪険にするな。我々はお前を傷つけない」
「な、なんで…っ!?」
「何故追いつけるか、解らぬか?」
目の前を塞がれ、立ち尽くすアルシャト。
「貴様は鈍い。それだけだ」
何度でもそれを嘲り、今度は殴る腕が彼女に襲い掛かった。
「…ほう、今のを避けるか」
「ああもう、一体なんなの…っ!?」
周りに誰も居ないせいで、一番の武器である能力が使えない。しかし持ち前の身のこなしで回避しつつ、アルシャトはなんとか向かいあう。
「悲しいな、まるで怪物を見るような目だ。
しかし、我々は決して初対面などでは無い筈だろう?」
相手の声は淀み、重く、意識に深く溶けていく。
「思い出したまえ、かの湖で我々が邂逅したあの日のことを。そしてあのクジラと共に過ごした日々の記憶を」
何を言っているのか、無意識では理解していた。
「あの日々をお前に与えてやったのは、我々ではないか」
ミラと出逢った日の記憶に、この声が染みついていたのだ。
飼い方を教えてくれた、あの謎の声が。
「……尤も、安全に輝きを集めるための手段に過ぎぬがな」
それが、今はアルシャトを襲おうとしている。
「なあ、山羊よ。
餌やりを、ご苦労だったな」
逃げ場は奪われ、身代わりにもなれない獲物。
「ついでに、貴様の輝きも貰ってやろう」
スケープゴートは、もう―――。
「や、やだ…っ!」
「何をしようと無駄だ。大人しく…」
「そこの、こっち向きなさいっ!」
不意に、森が明るくなる。
揺らめく熱が辺りを包み、アルシャトを庇った。
目を開けると、蒼い火の粉が手に降りかかる。
「っ、この炎…!?」
そこで初めて、奴は驚く声を上げた。
「……そういうことか」
そして何かを理解したように頷き、炎の後の暗闇に身体の形を溶かした。
後に残る煤。
一瞬の後、キュウビキツネが現れる。
キュウビは先程の人影を探して、愉快に声を上げた。
「――あら、逃げたのね」
「えっと、アナタは…」
「そんなことより、どうしたの?」
状況が目まぐるしく変わり、アルシャトの頭は付いていけなかった。
それでも必死に考えて、どうにか湖の方を指差す。
「あ、あっちの湖、デネボラが戦ってる…」
「あらら、そうなのね」
酷く断片的な説明だったが、事情を知るキュウビは理解した。アルシャトが示した湖に目的のセルリアンが居ると踏んで、後からやって来たクオに指示を出す。
「クオ、私はアイツを追うわ。
デネボラがいるなら、貴女一人でも十分よ」
キュウビは、あの不気味な存在を気に掛けているようだ。
クオが頷いて湖に向かおうとすると、アルシャトが声を掛けようとする。
「えっと、シャトーも行かせて…!」
「キュウビ…」
「いいわ、連れて行きなさい」
素っ気ない許しだが、アルシャトの目は輝いた。
「行こ」
「うんっ!」
デネボラを助けに、クオとアルシャトは急いで向かう。
「いいえ、有り得ないわ。
二度とアイツが、出てくる訳は…」
キュウビは、妙な焦燥に駆られている。
「……助けて、ヒサビ」
呼んでしまった名前。
声は絶対に届かない。
何故なら、彼は―――
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