第百三十節 少女の本質、双子座の糸
妖器の壺を無事に確保したクオは、蜻蛉返りの勢いで一直線にデネボラの家まで戻って来た。あと一歩の惜しいところでアルシャトを取り逃がしてしまったことと、去り際に彼女が残した伝言をデネボラに伝えるために。
もちろん、クオにとって必要な物はもう揃っちゃったから、これ以上の協力は別にやってもやらなくても構わない。
しかし、『中途で投げ出してしまうのは心証が悪い』、『どうせ大した面倒にもならないから』とキュウビが煩く言ったので、仕方なしにこのパーティーの跡地まで舞い戻って来た。
終わっちゃったし、もう大して興味もないけど。
無人の暗闇の中にテーブルだけが並ぶ光景は、なんだか寂しく見えた。
そしてクオはデネボラに会って、事の顛末を話し尽くす。
「―――ああ、解った」
最後まで一言も発さず、とても静かにクオの話を聞いていたデネボラは、会話の終わりにそう厳かに肯いて、自身の部屋へと姿を消した。
『この先は、彼女たち次第ね』
「クオたちのお仕事も、これでお終い」
そして、寒風が吹く夜の下に出る。
「お疲れ様でした」
「あっ、コモモちゃん。待っててくれたの?」
「うふふ、お夜食も準備してありますよ」
コトリと軽い音を立てて、おにぎりの乗った小皿が机の端を占める。
すぐ横のコップには、冷たいお茶がなみなみと注がれた。
「私の家へと帰る前に、少しだけ食べて行きましょう?」
月光に照らされた白いおにぎりは、もはや不釣り合いなほど美しく見えた。
§
「…もう、アンインを発ってしまうのですか?」
「そろそろ、此処に来た目的が果たせそうだから」
今夜こうして壺が手に入ったことで、ついにその時は秒読みの勢いで迫ってきている。きっと明日にはイヌガミギョウブの元を訪ねて、クオはすっかり元の姿を取り戻してしまうことだろう。
そしたら、もうアンインに用はない。
一刻も早くソウジュの居場所を探り当てるんだから。
「そうですか。
また、お別れなのですね」
呟く声から滲み出る寂しさを、コモモちゃんは特段隠すようなことはせず、また逆に誇示して引き留めようとすることもなかった。
コップのお茶を飲み干して、コロンと氷の欠片を鳴らす。
「良ければいつか、もう一度足を運んでくださいね。
その時は、もっとすごいお薬を用意して待っていますから」
すると、雲の裏側に隠れていた月が夜空に形を現して、それに呼応するように勢いを強くした風が森の中で鳴いていた。
空っぽのコップが氷を零している。
「うん、ありがとう」
(薬は、あんまり要らないけど…)
あとは、おにぎりの残りを食べ切っちゃって。
お茶もごくごくと喉に流して、細やかなお夜食はお終いになった。
「ごちそうさま」
「お粗末様です」
……うん、おいしかった!
「では、帰りましょう」
§
――翌朝。
壺を持ってイヌガミギョウブの住処を訪ねると、驚いた顔で出迎えられた。
「なぬっ、案外早いではないか!?」
してやったり。
もっと掛かると思ってたみたいだね。
イヌガミギョウブは慌てて、約束していた妖術の準備を始めている。
クオはその様子を眺めながら、アルシャトの家から持ってきた壺に関して、改めて本人に確認を取ってみることにした。
「ねぇ、これで良いんだよね?」
「うむ、間違いない。
あの山羊に盗まれたわしの壺じゃ」
今更心配はなかったけど、やっぱり本物だったんだ。こんなものまで集めて何に使うつもりだったのかは知らないけど、アルシャトも盗む相手を選ばない辺り、ある意味では怖い物知らずだよ。
それとも、ここまでする理由があったのかな?
詮索するつもりはないけど、考え始めると気になっちゃうな。
「……出来たぞ。
早速、取り掛かるとしようか?」
おっと、手際がいいね。
もう準備が終わっちゃったみたい。
『やっと、貴女の外に出られるのね』
(そしてクオの身体から、あなたという”妖力の居候”が離れてくれるんだよ)
これでもっともっと、自由にクオの力を使うことが出来るようになるんだ。
『あんまりな言い方じゃないかしら?
少なくとも、私が故意にやったことじゃないのよ』
まあ、それは分かってるよ。
エルに聞いたことだし。
(……それにしたって、エルが居て助かったな)
このことについて考える度に、そう思わざるを得ない。
規格外の思考回路と解析能力を併せ持つ、他でも無い天秤座の彼女でなくては、クオの身体に秘められた真実を探り当て、さらに解決方法までも見つけ出すことは絶対に無理だった。
この事実を説明することは難しい。
事情がそこそこ複雑で、丁寧に順を追わないとクオまで混乱してしまう。
だから一旦、話を単純にしよっか。
まず最初に、今からイヌガミギョウブにやってもらうことを確認しよう。
『私と貴女を、分離する』
そう、分けちゃうんだよ。
もうちょっと正確に言えば、キュウビの魂を外側に引っ張り出して、妖力で形作った新しい身体に定着させちゃうんだね。
水をスポイトでピュッと吸い取って、新しい容器に入れちゃう感じ。
言葉では簡単に表現できるけど、それを実現する妖術はとっても難解だから、サポートアイテムの壺が必要だったってこと。
―――ねっ、簡単でしょ?
やることは一つ、コレだけ。
じゃあ次は何故分離するのか。
どうして、これが解決策になるのか。
振り返ってみよっか。
『気付かされてみれば単純な話よね。
こぎつね座の輝きを、私が吸収していたのだから』
そう、キュウビがこぎつね座の輝きを食べちゃってたんだ。
彼女をクオの頭の中で起こしておくためにね。
そういうことだから、クオの中のキツネ成分は全部キュウビに取られちゃったの。
後に残ったのは、かつては妖狐だった黒髪黒目の可愛い女の子。
(……多分、逆だけどね)
クオが持つべき元々の姿はこっち。
キツネの姿をしている方が、本来はすごく変なことなの。
『それこそ、単純な話よね』
(クオは、ふたご座のフレンズだったから…)
えへへ、ソウジュと一緒の星座。
クオの身体の奥深くには、ふたご座の宝石が入ってるの。
それと同時に、こぎつね座の石板もあるんだけどね。
(ふたご座とこぎつね座が結び付いて、クオはキツネになっちゃったんだ)
どうして二つもあるのかは、エルでも解らなかった。
だけど無理もない。
彼女は目の前にある現実を解析するだけで、現在に至る経緯まで必ずしも導き出せるとは限らないからね。
兎にも角にも、事実として二つ。
非常に珍しい事例だ、ってエルは言ってた。
『原理の話をすれば、ソウジュの
そう簡単にキュウビは言うけれど。
やっぱり、よくわかんないなあ。
『……知るべきことは知れたのよ、良いじゃない』
(ううん、全然だよ。
だって、気が付いたらあの姿だったんだもん)
いつからだったんだろう。
覚えてないのは何故だろう。
ソウジュとクオが惹かれあったのは、唯の偶然なのかな。
『謎を追い求めるのも結構だけど。今は、そんな場合じゃない筈よ』
(……うん)
言われなくてもそのつもり。
ソウジュのことは、全てに優先されないといけないもん。
「よぉし、そろそろ発動するぞ。魂の領域に干渉する妖術は妙な感覚がするじゃろうが、抵抗はせずに大人しくしておれ。梃子摺ると、予想だにせぬ失敗の原因になってしまう」
じゃあ、まずは第一歩。
「―――ゆくぞ」
イヌガミギョウブに背中を押されて、ふっと視界が真っ白になった。
―――――――――
―――――――――
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そして光が明ける。
視界の先に、九本の尾を持つ妖狐が立っている。
彼女こそ、今までクオの中にいた―――。
「……初めまして、でいいのかしら」
「うん、会うのはこれが初めてだから」
自己紹介をしよう。
だって、初対面なんだもんね。
「知っての通り、キュウビキツネよ。
今後も手伝ってあげるから、感謝なさいな」
キュウビが不敵に笑うから、クオはニコリと微笑みかけた。
「改めまして、クオだよ。
これからもよろしくね、キュウビ♪」
暫しの間の戦友として。
クオとキュウビは握手で、互いの意志を確かめ合った。
あと、イヌガミギョウブにもお礼を言っておかないとね。
そう思って彼女の方を向くと、とても怪訝な顔で睨まれていた。
「……のう、お主もキツネなのか?」
「うん、そうだよ」
「そうか、妙に肩身が狭いのう…」
これで、クオはキツネに戻れた。
漸くソウジュを目指して、一直線に進むことができる。
待っててね。
すぐに、迎えに行ってみせるから。
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