第百二十九節 微睡の隙間に


 真っ白なシーツの上に身体を投げ出して、アルシャトは独りごちる。



「は~、楽勝だったなぁ~」



 磨羯宮の星は屋根の向こう側に、点滅する電球は一等星のように。


 三日月にさえ少しだけ足りない、大きく欠けた月の明かりが窓で十字に区切られて、上から圧しつけるように彼女を磔にしていた。まるで、あの月が彼女の障害となることを示すかのように。


 とても満足そうに膨れたお腹を撫でて、反面なぜか退屈そうな表情を浮かべて、黄色い瞳は虚空を見つめている。



「まあまあ、デネボラが出て来ないんじゃ仕方ないけどねぇ」



 アルシャトにとって、パーティー会場での盗みはひどく楽なものだった。


 人だかりの騒ぎで注意は散漫。

 見張りは居たが警備はザル同然。

 唯一警戒すべき対象であるデネボラも、姿を見せない。


 一瞬、あまりにも楽過ぎて罠であることを疑ったが、終わってみればそれも杞憂に過ぎなかった。



「にしし、美味しかったぁ」



 自分で食べたい分は胃袋へと鱈腹詰め込むことが出来たし、の食事もしっかりお持ち帰りに成功した。


 これ以上の成果など、どうあっても見込めはしないだろう。



「だけどアレ、誰が作ったんだろ?

 デネボラには絶対に無理だしなぁ…」



 口元に指を当てて、ほんのちょっぴりの考え事。



「ま、いっか!」



 アルシャトはすぐに思考を投げ出して、ベッドの上で寝返りを打ち始めた。

 口を大きく開けて欠伸をすれば、段々と目の色が蕩けていく。



「……なんか、お腹いっぱいになったら眠くなってきちゃった」



 それが料理に入っていた睡眠薬の仕業であることを、彼女は未だ知る由もない。



「いつもはまだまだなのに……。

 しょうがない、今日は早く寝ようっと」



 アルシャトはそのまま目を閉じて、数秒後にはすっかり夢の世界に堕ちてしまい、すやすやと安らかな寝息を立て始める。そうなれば侵入者に感付くこともなく、自らに迫る危険を知ることもない。


 一人の少女が、堂々と玄関の扉を開けて彼女の家に押し入って来た。



『―――完璧に、かかったわね』



 頭の中で響く狐の声に、クオは同意した。



(まさか、こんなにあっさり…)

『幾ら逃げ上手でも、寝込みを襲われては仕方が無いでしょう?』



 今回の策の根幹には、コモモが作った睡眠薬の存在がある。しかし、それを確実に活かしたキュウビの立案に、クオは感銘を受けていた。


 自分ならどうしていただろうか。

 多分、強引な方法で睡眠薬を吸わせようとしていた。

 そして恐らく失敗していただろう。


 そこまで思考を巡らせたクオは、やはり自分には難しい考え事は向かないのだと悟った。


 だが、それも悪い方のIFもしも


 既に勝負が決した以上、考える価値はないだろう。



『さあ、起きない内にこの子を縛り上げて、お目当ての品を探しちゃいましょ』



 クオは懐から長い縄を取り出して、不慣れな手付きで眠っているアルシャトの身体を拘束していく。動きがとてもたどたどしいのは、習ったばかりの手順を頭の中で一つずつ思い出して再現している所為だ。


 ともあれ、抵抗しない相手であれば作業はさほど苦ではない。

 程なくして、アルシャトの拘束は完了した。


 これで漸く家の中を物色できると、頭の中で響くキュウビの声には喜色が浮かび、クオも同じく安心して胸を撫で下ろす。



「……?」



 だが、予想だにせぬ物音。

 すぐさま顔を向けて、見えた影にクオは驚いた。



「せ、セルリアン…!?」


『面倒ね、私達をつけて来たのかしら?

 でもこの程度、敵ではないわ。サクッと片付けてしまいなさい』



 クオは静かに頷いて、刀を抜いた。





§




「……ふぅ、片付いた」



 存外に長引いた掃除をやっと終わらせて。

 クオは、倒したセルリアンの身体から刀身を抜き放った。


 そして吐いた溜め息はいつもよりも特段に深い。


 ”誰にも気付かれないような行動”を心掛けていると、やはりどうしても精神が削られてしまうものだ。



「じゃあこれで、やっと落ち着いて…」

「シャトーから泥棒できるねっ」

「…っ!」



 押し殺すような悲鳴を上げて、クオの顔から血の気が引いた。

 何故ならば、彼女の声が聞こえてはならないから。



(ダメ、落ち着いて…!)



 逸る気持ちを拍動する心臓ごと握りつぶすように、クオは努めて冷静を装い、アルシャトに言葉を返した。



「なんだ、起きてたんだ」

「だってぇ、ガタガタうるさかったし」



 考えてみればそれが道理か。

 そういえば、途中から音に気を遣う余裕が無かった。



(セルリアンが案外強くて、倒すのに手一杯だったんだよね)



 件の怪物の強さは、クオの懐に新たに収まった石板の存在が証明している。星座由来のセルリアンはやはり、一筋縄ではいかない強さを持っているようだ。



 だが今は、アルシャトの対応を優先すべきだろう。



「ねぇ、ヒトの女の子さん。

 あなたは何が欲しいの?」



 ”ヒト”と呼ばれて、クオは瞬時当惑する。



「えっ、クオは…!」

『今はヒトでしょ』

(……そうだった)



 クオの最大の特徴たる狐耳と尻尾。

 残念ながら今は消えていて、外見は正に人間だ。

 髪の毛も黒く染まって、個性がすっかり塗り潰されてしまっている。


 まあ、アルシャトがそれを知る由はない。


 容姿の話題は軽く流して、クオは早速本題に入った。



「キミが狸さんから盗んだ、”お札の貼ってある壺”。

 この家のどこかにあるんだよね?」



 キョトンと、三秒。



「……あはは、そっかぁ!

 あなたも、他の誰かの回し者だったんだねぇ」



 それで全てを理解したアルシャトは、大層愉快そうに笑声を上げた。



「ねぇヒトさん」

「クオ。ちゃんと名前があるの」

「はーい、



 無邪気な女児のような喋り方が、クオの神経を逆撫でる。



「ちょっとさ、シャトーと取引しない?」



 けれども、言葉はどうだろうか。

 アルシャトは上手の交渉人を気取っていた。



「あなたが欲しがってる物を何処に仕舞ったか、シャトーはしっかり覚えてるよ。その場所を教えてあげるから、この縄を解いてくれないかなぁ」



 クオはキュウビに知恵を求めて、ひとまず沈黙。

 何も言わないのをじれったく思ったか、首を傾けてアルシャトは続ける。



「多分、シャトーを捕まえることなんて本当はどうでもいいんでしょ?」

「それは……」

「デネボラに協力したのも、全部”壺”のため」



 次は策ではなく、驚きに声を失って。



「―――図星でしょ?」



 終にどうしようもなくなって、無為に肯く。



「だって、絶対に必要な物だから」

「……うん、やっぱり」

「な、何が?」



 アルシャトの言葉には同調したのに。

 一体どうして、今更何を悟るというのか。



「事実は、シャトーが想像した通りだってこと。

 ”デネボラと協力してる”って言っても、否定しなかったよねぇ」



 到底思いがけない方法による情報の窃取に、クオは思わず口を手で抑えつけてしまった。



「デネボラは、そんなにシャトーを捕まえたいの?

 そんなにあの……堅苦しい正義感が大事だって言うの?」



 顔を深く俯いて、そう尋ねる声は悲しげに聞こえる。

 クオは、天秤も傾かないような軽い言葉を彼女に返した。



「まぁ、カンカンに怒ってたよ」

「ふふっ、知ってる」



 そう言って顔を上げたアルシャトは笑っていたが、諦めていた。



「けど、アルシャトが盗みを働くからだよ。

 キミって、そんなに困ってるの?」



 当たり前の質問を尋ねると、アルシャトは心底厭そうな態度を返した。



「……話したくないなぁ」

「そ、そんなに…?」

「だってあなたが、シャトーの考えを受け入れてくれるか分かんないし。

 喋ったら最後、全てが終わっちゃう可能性すらあるんだもん」



 乾いた目で冷笑って、縛られたまま肩を竦めている。



「でも、一つだけ教えてあげる」



 いそいそと身動ぎをして、いつの間にやらベッドの端に。

 突然足元の缶を蹴っ飛ばせば、息を吐きながら云った。



「シャトーは盗まなきゃいけなかったの。

 、手に入れなきゃいけなかったの」



 ……そんなこと、本当にあるのだろうか?



『まさか、この子…』

(キュウビ、何か分かったの?)

『……少しだけ待って、考えを練り直す時間が欲しいの』



 キュウビが何かに気付き、脳裏の声に意識が向いた刹那。



「まっ、いいよ」



 投げ捨てるような声がした方を見ると、ベッドの上に直立するアルシャトの足元に、解けたロープの輪っかが落ちていた。



「え…どうして縄から…?」

「こんな雑な縛り方じゃあ、シャトーは捕まえられないよっ」



 急に元気になったアルシャト。

 ぴょんと全てを飛び越えて部屋の出口まで。

 流石に捨て置けないのか、クオも呼び止める。



「どこに行く気?」

「いーじゃん、どこでも。シャトーの勝手」



 戯言を、とキュウビの声。

 しかし『早く捕まえろ』との命令は下されなかった。

 今の彼女を捕らえる難しさなど分かり切っている。


 一歩も動けないクオを見て、アルシャトも安心したように捨て台詞を紡ぎ始めた。



「だからあなたも勝手にして。

 必要な物は好きに持って行っていいよ。

 だって、そもそもシャトーのじゃないし」



 図々しくも盗品であるという自覚はあったらしい。



「……デネボラに伝えてほしいの」



 そして、伝言。



「『シャトーの全てが知りたいなら、最初の湖で待ってるよ』……って」



 待ち合わせの場所は『最初の湖』。

 彼女らの出会いの地であるという予想は容易く立てられるが、果たして。



「じゃ、またねっ」



 追いかける隙も無く、バタンと閉じられた扉。


 こちらが手中に収めた筈のアルシャトは、とうとう自分の言いたいことだけを好きに言い残して、姿を消してしまった。


 少し歪になった十字架を純白のシーツに映したまま。



『まずは、壺を探しましょう』

「……うん」



 知りたいこと。

 確かめたいこと。

 伝えたいこと。


 それよりも先に、取り戻すべきもの。


 イヌガミギョウブに頼まれた壺は、意外とあっさり見つかった。


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