第百二十八節 宴の後には
「ねぇ、様子はどう?」
パーティー料理の仕上げをすっかり終わらせて、クオはキッチンの外へ。正午過ぎから始めた長い作業は幾たびの山場を越えて、ついに時刻は空の太陽が山の陰に沈んでいく頃合いを迎えた。
天窓から入る日光が臨界角を越えて、赤く薄暗いリビング。暇そうな顔で椅子に座っていた二人に家の外の様子を尋ねてみると、コモモちゃんがカーテンを開けて景色を見せてくれた。
「ぼちぼち集まってきてるぞ」
「これでしたら、パーティーの方は問題なさそうですわね」
二人の評価通り、集まり方はまあまあ。
知らない顔のフレンズが何人も、綺麗なテーブルの周りで談笑している。
昔のクオなら、あの中の会話に混ざろうとしたんだろうな。
今じゃそんな気、天地がひっくり返っても微塵も起きないけれど。
『……懐かしいわ』
窓の向こうに広がるつまらない光景を、仕事を終えて疲れた脳みその惰性で眺め続けていると、そんな声が頭の中から聞こえた。
キュウビの珍しい、何かを懐かしむ声。
(パーティーのこと?)
『いいえ、そっちじゃないわ』
否定の口調も、柔らかく優しい。
とても慈愛に満ちていて、普段とのギャップにクオは驚いた。
『昔に似たやり方で、人間を捕まえたことがあったのよ』
(そうだったんだ……どうして?)
『あら、愚問ね』
悪戯っぽくクスクスと笑う。
どことなく無邪気な感じがして、やっぱり気味が悪い。
キュウビはもうちょっと、つんけんして冷たい雰囲気のはずなのに。
(…教えてよ)
『厭よ。そんな無粋な質問をしないで頂戴な』
無粋かなあ。
よくわかんない。
『それよりも、ほら。
もうじき始まっちゃうんじゃない?』
……あっ、ホントだ。
クオが余計なことを考えている間に、コモモちゃんがお料理をテーブルに運んで、パーティーを始める準備を済ませてしまっていた。
外の空気はすっかり変わって、始まりの合図となる最初の乾杯を待っている。
そしたらクオも、呑気にはしてられないなあ。
『その薬を飲んで、暫くは普通に振舞っていなさい』
(はーい)
ま、この薬は念の為。
ゴクリと一気に飲み干して、空のコップはテーブルに。
「じゃあ、行ってくるね」
「ああ、任せたぞ」
デネボラに暫しの別れの挨拶をして、クオは家を出て行った。
§
あれから少しが経った後。
クオは今、遠くの丘の天辺に寝っ転がっています。
ごろごろ。
『……貴女、何をしてるのかしら?』
キュウビは呆れているけれど。
もちろん理由はちゃあんとあるよ。
そもそもクオって、パーティーに交じってない方がいいの。
だって、任されたもう一つの仕事は隠密行動。明るい宴が終わったあとに、自分の住処に戻っていくアルシャトの後をつけていく係なの。だけどパーティーの途中で目立っちゃったら、隠れて動きにくくなるかもしれないでしょ。
それが一つ、クオが遠くで身を潜めている理由。
……あと、ついでにもう一つ。
たぶんアルシャトは、クオのことを敵だと思ってないと思う。あの時は偶然出会っちゃったけど、すぐに逃げたからね。クオたちとデネボラの協力関係を、まさかアルシャトが知る由もない。
もちろん、犯人が後で現場に戻って来たならその限りじゃないけど……。
『その線は薄いわね』
うん、クオもそう思う。
良く言えば用心深くて、反面すごく臆病なアルシャト。
戻ってくるリスクに見合うリターンが、彼女の視点じゃ全然ないもん。
だから、クオが居ることはまだ隠しておきたいの。
仮に尾行がバレちゃっても、誤魔化す余地が残るかもしれないからさ。
「……ってこと、悪くないでしょ?」
『まあ、此処からでも様子は見えそうね…』
念のために、双眼鏡もしっかり持って来てるよ。
これで監視の用意はバッチリ。
「そもそも気が乗らないんだよね。楽しくないし」
ソウジュが一緒にいてくれるなら、一緒にゆったりご飯でも食べたかったんだけどなあ。それでもやっぱり二人きりが好いから、パーティーなんて面倒なところに来たりしないよ。
ホントに、つまんないの……。
『貴女の好きにすればいいけど、寝ないようにね』
「うん、ちゃんと起きてるよ」
キュウビったら、クオのことバカにしてるのかな。
目覚ましのお薬まで飲んでるんだよ、寝落ちだけは絶対に無いってば。
……でも一応、時々ほっぺはつねっておこう。
よし、痛い。
まだ大丈夫みたい。
「向こうは盛り上がってるね、料理も結構減ってきてる」
双眼鏡を目元に当てて、定期的に様子を確認。
パーティーの模様と、フレンズの立ち位置を確かめておく。
『早いこと、標的の姿は捉えておきなさいね』
「安心してよ、もう見つけてるから」
暗い木陰にアルシャトの姿を発見。
というか待って、あの場所じゃない?
パーティーの準備中に、クオが隠れてるアルシャトを見つけたところ。
「でも、そんなことって…」
にわかには信じられないよ。もう一度双眼鏡を覗き込んで、視野に流れ込んでくる景色と記憶の中の光景をすり合わせていく。
うん、間違いない。
すっかり同じ場所だ。
「もしかして、ずっと動いてないのかな」
余程にそこが好きなのか、それほど隙を見せることを嫌っているのか。けれど残念なことに、監視する側にしてみれば有難いことこの上無いね。
「じゃあ、動きがあるまでしばらくこのまま」
向こうの仕切りは、全部まとめてコモモちゃんに任せてある。もしもアルシャトが致命的なポンコツをやらかしたら、その時は現行犯で捕まえちゃう役割をお願いしてるんだ。
キュウビ曰く、『そんなことは十中八九有り得ない』そうだけど。
果たして本当にその通りかな。
しばらくここで、高みの見物といっちゃおうか。
「~♪」
クオは鼻歌を歌いながら、草の上に寝っ転がって双眼鏡を覗き込んだ。
§
打って変わって、コモモがいるパーティー会場。
「こちらをどうぞ。
特製のドリンクですよ」
彼女は参加者に飲み物を配りながら、会場の様子を監視していた。しかしながら時折お盆の上のコップに視線を向けて、中身が零れないように気を付けつつ歩き回っている。
そうして歩くドリンクバーの仕事を続けていると、一人のフレンズから疑問をぶつけられた。
『配っているこの飲み物は本当に安全なのか』、と。
その質問を聞いたコモモは、にこやかに笑って答えたのだ。
「ご安心ください。危ない毒は一切入っていません」
全く嘘偽りのない返答であった。
飲み物の中に、毒となる薬物の類は一切入っていない。無論それは、薬が入っていないということを示す訳ではないが。
しかし裏にある真実に気づくことは実に難しく、
そして興味を失ったコモモはまた、会場の監視を再開した。
(相変わらず、アルシャトさんの姿は見当たりませんわね。これくらい騒ぎが大きくなれば、好機と見て出てくると思っていたのですが)
今のうちに明らかにしておこう。
コモモ特製ドリンクに混ぜられている薬とは、ずばり解毒剤。
パーティーにある他の飲み物や、料理の全てに混ぜ込まれている『遅効性の睡眠薬』の効能を綺麗さっぱり消し去ってしまう薬剤である。
招待した全ての参加者にこれを配ることで、もしも参加者ではない何者か――想定ではアルシャト以外に存在し得ないが――が料理なり飲み物なりを盗んで口にしたとき、その人物だけを眠らせることが可能になる。
(あの子を罠に掛けるまで、怪しまれてはいけませんからね)
そして、遅効性である理由は二つ。
一つに、参加者に被害を出さないこと。
二つに、標的の住処を特定すること。
前者は自明として、特に後者。
ただアルシャトを捕らえるだけでなく、盗品を奪還しなくてはならないのだから、彼女には一度、家に帰ってもらう必要がある。
すぐに眠らせるのではなく、時間をおくのにはそんな理由があるのだ。
(ですから早く、盗み食いに走ってくれると嬉しいのですが…)
今のところ、そのような気配は感じられない。
「やはり、一筋縄ではいきませんね…」
「む、どうした。何か悩み事か?」
ドリンク配りも一段落し、思案に耽るコモモ。
するとパーティーの参加者として訪れていたキングコブラが、背後から彼女に声を掛けてきた。
キングコブラの目には、黙って俯くコモモの姿が何か悩みを抱えているように映ったのだろうし、彼女はアルシャトを上手く誘き出す方法を考えていたのだから、実際にもその通りであった。
しかし残念なことに、これは口外できる話ではない。
コモモは柔らかく微笑みながら、首を振って答えた。
「いえ、ご心配なく。
まだお頼みすることはありませんから」
「そうか…」
仄かに残念そうに、瞼を伏せるキングコブラ。
彼女もまた難しい顔をして、コモモに疑問を呈した。
「だが、どうしてそんなに警戒しているんだ?
セルリアンが出るなどと言った話は、私は全く聞いていないぞ」
どうやら彼女は、パーティーがセルリアンの所為で危ぶまれていると思っていたらしい。まあ順当に思考を進めてみれば、そんな結論に至ることも全く以て不思議ではない。
どの道、これはこちら側の問題。
ポロリと口から、愚痴が漏れ出る。
「セルリアンなら、もっと楽でしたわ」
「…ん?」
コモモはすぐさま失言に気付いて、話題の軌道修正を図る。
「いえ、何でもありませんわ。
お気になさらず、楽しんでください。
少なくともこのパーティーは絶対に安全ですから」
そして思い出したかのように、特製ドリンクの入った小さなコップをキングコブラに差し出した。
「お前から飲み物を受け取ると、若干心配になってしまうな」
「大丈夫ですよ。そうでなければ、今頃みんな大変なことになっています」
「……それもそうだな」
そのまま無警戒にドリンクを飲むキングコブラ。
みるみるうちに減っていくコップの水嵩をじっと見つめて、コモモは安堵の情念と一緒に不思議な感情に囚われていた。
それは、一縷の罪悪感のようなもの。
(……まさかあなたほどのフレンズが、遅効性の毒も存在していることを知らない訳はありませんよね)
そして毒と同様に、遅効性の薬があることも。
ほぼ間違いなく知識としては知っていたことだろう。
それでも盛られていることに気付かなかった、若しくはその可能性を事実だと思わなかった。
”恐ろしい” と冗談めかして言いながらも、信じてくれていたのだろう。
コモモは申し訳なく思った。
まあ特製ドリンクを飲んだので、これで薬の効果は完全にチャラ。
(あとはこの罠に、彼女が掛かるかどうか)
斯くして隠蔽は完璧。
最後に残るのは、そもそもの危惧。
「……あら?」
だが、僅かな変化がコモモの目に留まった。
(先程までここに、山盛りのポテトがあったのですが)
今ではすっかり平らな大地になってしまった。
彼女の記憶では、こんなに沢山のポテトを食べていたフレンズはいない。
ああ、もしかすると食べてしまったのだろうか。
内心でほくそ笑む。
(そういえば、此処に置いてあったコップも消えてしまっていますわ)
これ見よがしに放置していたのだが、まさか本当に?
コモモは会場の周囲を探る。
すると、草むらの中で透明なコップを発見した。
コモモの口角が、さらに吊り上がった。
「良い調子、と言った処でしょうか」
もはや彼女の仕事は、殆ど終わりに近い。
「あとの結果は、クオさん次第ですね」
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