第百二十七節 飯を囮にお縄を頂戴

 『善は急げ』ってよく言うよね。


 でもクオはむしろ、悪い事ほどさっさと手を付けて、誰にも見つからない間に済ませてしまった方が良いと思う。ちまちま進めて途中でバレたら怖いし、ゆったりしてるとそれだけ邪魔が入って来やすくなるし。


 よっぽど練られた作戦がない限り、良い事ないよね。


 だから泥棒は、盗んだらさっさと逃げちゃうんでしょ?


 アルシャトも、あの忌々しい泥棒猫スピカちゃんも。



 ―――キャベツの千切りを作りながら、クオはそんなことを考えていた。


 

「お次は、ナスの仕込みをお願いしますね」

「はーい」



 あーあ、ヒマ。


 あまりにも退屈だから、変なことを考えちゃうの。

 例えば、さっきみたいにね。


 トントントンと、包丁がまな板を叩く音が、そろそろメトロノームみたいに聞こえてきた。ザクザクと刻まれる野菜のノイズが不規則に耳を揺らすけど、退屈しのぎにはまだ足りない。


 さっきミカンを沢山食べたから、つまみ食いにも及ばない。無心になってナスの皮を剥いて、深紅の三角コーナーに放り込んでいく。


 あっ、三角コーナーは本当に紅いんだよ。


 シンクにある深紅の……ふふっ。



『……下らない』

「じゃあ、何か面白いこと言ってよ」

『……』



 キュウビは黙っちゃったし。

 話し相手にもなってくれないんだね。


 まあいいや。


 こういう時は、ソウジュとの記憶を思い出すに限るよね。



(ソウジュの服の匂い、また嗅ぎたいなぁ…)



 一緒にいた頃はクオが洗濯をしてたから、ソウジュが着た服をどうしようとクオの思いの侭だった。特にコートの匂いがとっても素敵で、雨降りで寒いときにはワガママを言って着せてもらったりもした。


 ……まあ、添い寝して味わう生の香りが一番なんだけどね。


 それと比べてソウジュの居ない今は大変。


 今はまだ、収納スペースに放り込んでおいた予備の匂いがあるから大丈夫だけど、いよいよストックが尽来てしまったらその時はどうしよう。


 もしかすると気が狂っちゃうかもしれないよ。



『精々そうならない内に取り返しなさいな』

(当然だよ、そんなこと…)



 実は、今やっている料理の仕込みもその為の一歩。


 めくるめくは、アルシャトを捕まえるための仕込みでもあるんだ。



(だけど、こんなので本当に…?)

『勝算はあるわ。それに、失敗なら次の方策を考えればいい』



 そうかもしれないけど、よく簡単に言うよね。



『ええ、言うわよ?

 私なら、それが出来るから』



 あはは、すごい自信だ。

 クオも信じてあげるしかないね。



(もしアルシャトが来なかったら、次は……?)



 それは毒にも薬にもならないパターンの可能性。絶対に捕まえられる方法が有っても、標的が姿を見せなかったら意味がないでしょ?


 そうなったら、一体どうするのかな。



『そうならない為の料理よ』

(でも、幾らなんでも匂いで釣られるかなぁ…?)

『安心なさい。匂いだけが武器じゃないって知ってるでしょうに』



 勿論、それは分かってる。

 今夜の料理係はクオで、お手伝いにコモモちゃん。

 目の前にある大量の食材を、二人で美味しいご飯に作り変えるんだ。


 そして、手の空いているデネボラには、『ディナーパーティー』と称して無関係なフレンズのみんなを彼女の住処に集めて貰っている。


 この晩餐会の話題をアンインちほーに大きく広げて、標的をより確実に罠に掛けるために。



『有り得ない可能性だけど、もしもあの子が来なかったら……まあその時は、集まった皆で楽しいパーティーをすることにしましょ』



 そうだね。

 何も無かったら、何もしない。

 というより、出来ない。


 だから楽しいパーティーを迎えなくて済むように、精々頑張ろっか。



「クオさん、お魚を捌いてくださいませ~」

「……はーい」



 流れるように入ってきて、一方的に用件を告げてコモモちゃんは消えた。後に残されたのは籠の中でピチピチと跳ねる鮮魚と、その命を費やして糧に作り変える役目を背負わされたクオだけ。


 だとしても、魚なんかに何もないから。


 部屋の中で動く心臓はすぐに一つだけになって、包丁を叩き付ける音がその代わりに規則的なリズムを打った。


 程なくササッと終わった作業。

 余韻は、少し疲れ気味の溜め息がその色。



「いいなぁ、コモモちゃんには面倒な作業が無くて」



 彼女は確かに手伝い係だけど、飽くまでそれは仕上げのところだけ。本格的な調理の大部分は、クオがやる分担になってるんだ。コモモちゃんがやるのは、最後の味見と盛り付けと配膳くらい。


 だから今日の料理は『クオ with コモモちゃん』みたいな、そんな感じ。


 ソウジュに出す訳でもないご飯を、頑張って作らされる羽目になってるの。



 ……つらいよね。



『仕方ないわよ。彼女にはまた別の、大事な仕事を任せてあるんだから』



 それは知ってる。

 クオがあの子に指示したんだもん。

 キュウビの意志を、彼女の代わりに伝えて。



『分かってるわよね。

 作戦の成否は、あの子に大きく懸かってる』



 当然、イヤというほど分かってる。


 キュウビから作戦の内容を聞いて、それを外に伝える作業は途轍もなく面倒だったけれど、そのお陰で否が応なしに中身を理解させられてしまった。

 

 ラジコンになって伝言するだけじゃ足りないよ。


 二人を納得させるために、キュウビの手助けも借りながら、メリットもデメリットも噛み砕いて自分が知り尽くした上で話さなきゃならないんだもの。理解できないままでいられる筈がない。


 クオは頭が良くないから、完璧かどうかは分からない。


 でもこの作戦は、きっと強いと思う。



『ちゃあんと美味しいご飯を作りなさい。

 そうでないと、優秀な撒き餌にならないわよ』


(…うん、いい餌をつくるよ)



 目の前のこれは、ただの餌。

 ソウジュにあげる愛情の籠った料理とは違う。


 ただの餌。

 動物の餌。

 そうでしょ、だから大丈夫。


 最後に自分にそう言い聞かせて、手を動かす気力だけは再充填。



(……めんどい)



 それでもやっぱり億劫になりながら、クオは料理を作り続けた。




§




 やがて、外から帰って来たデネボラがキッチンに姿を見せる。



「―――おっ、美味そうな飯が出来てるじゃねぇか」



 彼女はこれ見よがしにお腹を擦ってみせると、作りかけのスープが入った鍋の蓋に手を伸ばす。


 クオはその手首をガッシリと掴んで、そのまま外まで引っ張り出した。



「ダメだよデネボラ、まだ仕上げが残ってるんだから」

「へいへい、分かってるって」



 まあ油断ならないこと。

 しっかり見張ってないと危ないや。


 どうやってデネボラから料理を守ろうか、クオの無い頭をひねってその方法を考えていると、続けてコモモちゃんも外から戻って来た。


 コモモちゃんはその両手に、怪しげな色の瓶を持っている。



「クオさん、お疲れ様です」

「コモモちゃんも、仕事してきたんでしょ」

「はい、完璧なモノができました♪」



 その瓶の中身はとある薬剤。

 キュウビの指示を受けて、クオが彼女にお願いした。



『それは貴女が受け取っておきなさい。私が時機を指示するから』



 言うまでもなく、これが今夜の作戦の鍵になってる。



「じゃあ、予定通りにね」

「ええ、お願いします」



 二本の瓶の内、一本をクオが受け取る。


 渡された瓶には液体の重みがあって、そしてコモモちゃんの手の熱で仄かに暖かかった。クオは両手で確実に、絶対に落としたり割ったりしないように持ちながら、その瓶を懐のポケットに滑り込ませる。


 すると瓶の重さで、身体が沈むように重く感じられた。



「ところでデネボラ、に来るみんなは?」


「知らん、そのうち来るんじゃないか。まだ日も落ちてねぇし、もうちょい待っとくべきだと思うぞ」


「…そっか」



 呼んでおきながらアレだけど、別に参加者はどうでもいい。実際に来る必要があるのはアルシャトだけで、パーティーは飽くまで彼女をおびき寄せる為に炊く煙幕のようなもの。


 後は天高く昇ったに、本当に引っ掛かってくれるかどうかなんだけど……。


 クオの気はきっと休まらない、あの子の捕まった姿を見るその時まで。



「なぁ、まだ時間があるんだろ?

 何か食わせてくれよ、じゃなきゃ死んじまうよ」



 なのに、デネボラは呑気なこと。

 気持ちの切り替えが上手なんだろうな。


 あとはまあ、アルシャトとの因縁こそ確かに有れど、切羽詰まった状況には成り得ないからかもしれない。



 ―――クオは一刻も早く、ソウジュを助けなきゃいけないもん。



 例え単なる通過点だとしても、成り行きの一挙一動が気になって仕方ない。


 だけどまあ、根を詰めすぎるのも良くないよね。


 ちょっとだけ息抜きもしよっか。



「……余ってる材料があるから、それで何か作るよ」

「お、ありがてえ!」

「コモモちゃんが」

「わっ、私ですか!?」



 そのために、面倒なお料理はコモモちゃんに任せちゃおう。



「作ってよ、クオはやだ」

「ええ、私は構いませんが…」



 戸惑うコモモちゃんの視線が、デネボラの方を向く。



「誰でもいい…この空腹を満たしてくれ……!」



 彼女の発した言葉の通り。

 飢えた獣は、食べ物の出所なんて気にしない。



「だってさ」

「…では、行って参ります」

「いってらっしゃーい」



 ふう、これですっかり楽ができるね。



『なら、私たちは準備を進めましょう』

「えー」

『終わったら休んでいいから』



 じゃあ、早く済ませてのんびりしよう。



(コモモちゃんのこれは、飲み物に入れるんだっけ)



 そうは言うけど、タイミングが難しいと思う。

 下手に動いたりしたら、きっとすぐにバレちゃうよね。



「どのコップに、とかないの?」

『確実を期すんだから、全部に塗っておきなさい。別に毒でもないし、貴女達には効能を消す薬があるわ』



 ……巻き添えも辞さない、ってことだね。



(分かったけど、一ついいかな)

『どうかした?』

(……もうんだけど、どうする?)



 視界の端に捕らえた木陰の人影。

 チラッとしか見えていないけど、あの風貌には見覚えがあった。


 多分、アルシャトで間違いないと思う。


 服はやけに綺麗な白色だったね、お家で洗ってきたのかな。



『彼女と目は合った?』

(ううん、多分向こうは気づいてないよ)

『なら貴女も知らないふりをしなさい。まだその時ではないわ』



 命令を聞いて、クオはアルシャトの方から視線を逸らした。

 そして、コップに薬を塗りつける作業に戻る。



「うん、そうだね…」



 パーティーは、もうすぐ始まる。


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