第百二十三節 一葉落ちて化かし合い、それに火を点けて果し合い
博士たちから有力な手掛かりを得られた翌日。
クオは一人で、地図に記された怪しい場所までやって来た。
いつの間に底深く積み重なっていた落ち葉を踏んで、風と葉っぱの乾いた囀りを聞きながら、ゆっくりと顔を持ち上げて独りごちる。
「これが、目印だね」
とても雄大で荘厳な、それは正しく神樹だ。
その枝葉は全てが瑞々しく輝き、青空を埋め尽くさんと四方八方に手足を節操なく伸ばし切っている。しかし何故か、アンインちほーの中でもここの一帯だけは、まるで秋が訪れたかのように紅かった。
片や、生命の力強さを思わせる青い巨樹。
片や、もうすぐ枯れ果てそうな周囲の森林。
まさかこの樹が、周囲の生命力を全て吸い取ってるんじゃないか。
不自然な大自然の光景を目の前にして、クオはそんなことを考えていた。
『神秘に目を向けるのも悪くないけど、目的は忘れないようにね』
「うん、もちろんだよ」
樹から視線を外して、クオは辺りを見回してみる。
狸さんは、いったい何処にいるんだろう?
「どうやって、探せば良いのかな…」
クオったら考えが甘くて、ここに来れば問答無用で会えるものだと思っちゃってた。こんなことなら、狙った相手をおびき出す方法も、場所のついでにちゃんと教えて貰うべきだったな。
……あ、だけどね、博士と助手ならクオでも誘い出せるよ!
美味しい料理を用意すれば、きっとすぐに引っ掛かる。
ふふん、ちょろいよね。
『…あの2人が標的だったら良かったわね』
「うん、残念…」
ふざけるのはここまでにして、ちゃんと方法を考えよう。
「……ん?」
そう意気込んで顔を上げて、改めて周囲を見てみると、クオは違和感に襲われた。
遠くの景色がどうしてか、他の場所と違って見える。
目の前にある大樹も普通、こんなにキラキラ光るもんだっけ。
ちょっぴり、不気味。
「キュウビ、これって…?」
『怖がらなくていいわ。寧ろこれは幸運よ』
「えっ…?」
この変な感じの、どこが幸運なんだろう。
そんな当たり前の疑問にキュウビは何も答えず、すっかり得心のいったような声色の独り言を、とろとろとクオの脳内に垂れ流した。
『やっぱりアイツは、ここにいるのね。
ご丁寧に、妖術まで使っちゃって』
そしてふわり。
身体が浮くような感覚。
キュウビが、力を貸してくれたみたい。
『クオ、この幻の世界を破ってみせなさい。
そうすれば
それだけ言って、あとは沈黙。
残ったのは身体に溢れる妖力の感覚だけ。
(や、やるしかないの…?)
本当に何が何だか理解できないまま、クオは視界に広がる世界を相手取って、始まりも終わりも分からない戦いを仕掛けることになってしまった。
「…はぁ」
なんかもう、仕方ないや。
混乱するのも程々に、とにかく身体を動かしてみよう。
「……えいっ!」
とりあえず、落ち葉を叩いた。
「てやぁっ!」
がむしゃらに、木を殴ってみた。
「ほいほい…っと」
枝を折って、土に絵を描いてもみたし。
「はぁっ!」
見えない結界目がけて、刀が空を斬った。
思いつくところ、様々な方法で世界を壊してみようと試したけれど、有効な方法は何一つとして見つからなかった。
幻はまだ、現実のように振舞い続ける。
「うーん、ダメかぁ…」
ただ疲れだけが身体に積み重なって、心中の奥底からは呆れるキュウビの感情がそこはかとなく感じ取れる。
だけれども、幻の壊し方なんて誰も教えてくれなかった。
出来なくたって、しょうがないんじゃない?
「というか、いつから幻だったんだろう?」
『良い着眼点ね』
機嫌を持ち直したようなキュウビの声色。
なんとなく言ってみたら、案外良い感じの考え方だったみたい。
だけど如何せん、始まりがただの直感だから、そこからどんな風に発展させて考えて行けばいいかが分からない。
「うーん…」
早速行き詰ったクオは、また周囲を見渡す。
改めて眺めてみて、初めて違和感に気付いたこの景色だけれど、途中で何かが大きく変わってしまったような、そんな感じには見受けられない。
ごく単純に、初めから有ったものにクオが気付いただけと思える。
「もしかして、最初から…!」
幻を見せる妖術をクオに掛けた訳じゃなくって、この辺りの場所そのものに妖術が掛けられていたのかもしれない。
たったの一度さえも、本物の景色は此処に無かったのかも。
『なら、どうする?』
「どうにかして、引き摺り出さないと」
キュウビは云った。
幻の根源は色即是空。
そうしてヴェールのように覆い被せられた幻を見抜くには、揺らぎを与えてやればよい。
真実の世界に変化を与えれば、幻もそれに合わせて形を変えざるを得なくなる。そうして虚実の乖離が大きくなれば、自ずと生まれた境界が、互いの存在を致命的に分かつことになる。
その時漸く、幻は偽物としての姿を露わにするのだ。
……その話を聞いたクオは、これから何をするかを決めた。
「よし、燃やしちゃお」
『……え?』
緑の大きな神木に、とっても派手に火を放ってみよう。
「ね、こうすれば幻が解けちゃうかもしれないよ」
『貴女、それ本気で言ってるの…?』
「だって破り方知らないし」
だってキュウビが云った。
”変化を齎せ”って。
クオの頭で思い付く、この場で一番簡単に起こせる最も大きな変化、それは大規模な森林火災だ。辺り一帯が火事になって全て燃えてしまえば、きっと幻どころじゃない大惨事になる。
そうすれば、何かの拍子で幻術が解けてしまうかもしれないし、或いは心優しい狸なら、火事を鎮めるために自分から出てくるかも。
ほらね、完璧なプランだと思わない?
『考え直しなさい、他に良い方法がある筈よ…?』
まあ、そうかもね。
とりあえず、火を点けつつ考えてみよう。
まずは枯れ葉を集めて、種火から育てていく。ぱちぱちと火の粉の音を鳴らしながら、仄かに勢いを強めて立ち昇る炎の揺らめきを見ていると、不思議と和やかな気分になってくるね。
これから森に火を放つなんて思えないくらい、穏やかな気持ちだよ。
考えれば考える程、これが名案に思えてきてしまう。
「うーん、良いと思うんだけどなぁ…」
「―――戯けが、ダメに決まっとるじゃろうがッ!」
すると突然、ひっ掛けられた冷や水。
「ほぇ?」
大事に育てていた種火が、ほんの一瞬でただの消し炭になってしまった。
「お主が誰かは分からぬが、森に火を放つなど不届き千万!
わしの手で叩きのめしてくれるわ!」
大事な火を消すなんて、不届き者はどっちだか。
顔を確かめてやろうと目を上げて、本当に見たら驚いた。
だって、狸が居たんだもん。
(なんか来たよ、アレなの?)
『……素直に喜べないわね』
キュウビの反応をみた限り、この飲んだくれみたいな姿をした変な狸が、キュウビが態々アンインちほーに来てまで会いたかった人物みたい。
ふーん、こんなのがね…。
「何をボーっとしておる? ……ゆくぞ?」
というか、あっちは戦う気満々だし。
『ほら、来るわよ。
力はこのまま貸してあげるから、なんとかこの場を鎮めなさい』
オッケー、任せて。
クオがほんの一瞬で、このピリピリした空気を換えてあげる。
カウントダウンでもしよっか。
3、2、1。
「―――はい」
クオは立ち膝をついて、何も持っていない両手を揃って上げてみせた。
「……何の真似だ?」
「えへへ、降参するよ♪」
「ん、あぁ、そ、そうか…」
クオの誠意ある降伏のポーズに感銘を受けて、それまでいきり立っていた狸さんも振り上げていた徳利を収めた。アレで殴るつもりだったのかな。
戦えないのは名残惜しいけど、彼女の戦意は無くなった。
こんな風にしてクオはいとも簡単に、キュウビに指示された『この場を鎮める』という難題なミッションをクリアしてみせた。
ね、すごいでしょ?
「…ふぅ」
「何なのじゃ、まるで一仕事終えたかのように溜め息を吐きおって…」
何とかなって良かった。
でもまだちょっぴり、戦いたいや。
……まあそれは、今度で良いかな?
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