第百二十四節 旧友の交と交換条件


「そこに直れ、申し開きを聞いてやろう」



 狸さんとの戦いに白旗を上げて降参したクオは、金縛りの妖術で身体の自由を奪われた状態にされて、彼女のお家まで連行された。といっても、彼女の住処はどうやら大樹の上の隠された空間にあるみたいで、一緒にそこまで向かう時も、何かの妖術で浮かされて連れて行かれたけどね。


 小屋の中には一つだけ部屋があって、内装と呼ぶことすら躊躇われるほど質素な内観が視界に飛び込んできた。


 ボロボロのござ、投げ捨てられた酒瓶、破れ落ちた何かのお札。


 生活感の「せ」の字もない、まだ廃墟の方が幾分マシな暮らしの出来そうな場所に他人を連れて来て、こんな風に堂々と振舞える目の前の彼女の心の強さをクオは羨ましく思った。


 掃除をサボると部屋は汚れるけど、まさか逆に掃除が要らないくらい怠けた暮らしがあるなんて、クオは知らなかったよ。



「もう、何も言えない」

「まさかお主、ここに来て口を噤む気か?」

「…えっ、何の話?」

「……はっ?」



 大変だ。

 部屋の惨状に気を取られて、狸さんの言葉を聞いてなかった。

 どうしよう、また怒られちゃうかな。



『私は別に、そんなこと心配してないけど』


(ほ、ホント…?)


『それよりその、『狸さん』って呼び方を止めにしてくれない? そんな可愛い奴じゃないわよ、コイツは』



 そんなことをクオに言われても。

 だって、自己紹介すらしてもらってないのに。



『イヌガミギョウブよ』

「あっ、イヌガミギョウブさんっ!」



 そうそう、クオはそんな情報が欲しかったの。ちゃんと聞けたのがあまりに嬉しくて、ついつい声に出して呼んでしまった。



 ―――それが悪手だった。



 たぬ…イヌガミギョウブは途端に目元を険しくして、鋭い疑問を刺してくる。



「……なぜ、わしの名を知っておる?」

「あっ」

『貴女って、ホントどうしようもないわね…』



 …で、でもっ!


 これってさ、キュウビが悪くない?

 だって、先に教えてくれなかった訳だし……。


 その辺の事情を勘案すれば、クオは全然悪くないと思う。でも、疑われてしまっている今の状況は普通に良くないよね。とりあえず適当に振舞って、この話は水に流してしまおう。



 ―――伝家の宝刀、”愛想笑い”。



「あ、あはは~」

「…変な奴め」



 イヌガミギョウブがクオに向けたのは、心の底から呆れた表情。だけど効果は覿面で、粗雑を通り越した適当極まる誤魔化しに、問い詰める気持ちをすっかり失くしてしまったみたい。


 気持ちの一周回った笑顔は、面白いほどに明朗だった。



「じゃが、お前のような奴は嫌いではないぞ。

 森に火を放とうとしたことは……うむ、気が狂っていると思うがの」



 よし、これで…!



「もちろん、わしの名前を知っている理由は話してもらうぞ?」

「……は~い」



 ダメだった。




§




 クオが最も疑問に感じたのは、人の話をお酒を飲みながら聞くなんて幾らなんでも適当過ぎるんじゃないか、ということだった。



 ここに来た経緯。


 イヌガミギョウブを訪ねた理由。


 それら全ての理由の根底にあるキュウビの存在。



 その辺りのことについてクオが話している間、果たして真面目に聞いているのか居ないのか、イヌガミギョウブの隣には空っぽになったの袋が何枚も積み重ねられていく。


 お酒はどうやら自慢の徳利から無限に出てくるようで、際限なく浴びるように酒を呑み続けていた彼女は、いつしか完全に出来上がった飲んだくれになっていた。


 ……それでも、曲りなりにも話は聞いていたらしく。


 クオが全てを話し終えると、彼女は跳ねるような陽気な声で、ござをバシバシと叩いて笑い始めた。



「…キュウビ!

 ははは、そうかそうか」



 天を揺らすような快活な笑声は、決して馬鹿にする意図で発されたものではなく、続けて彼女が小さく呟いた通り、『数奇な巡り合わせ』を喜ぶものだった。


 現実離れした話があっさりと受け入れられたことに、クオは驚いてしまう。



「あ、信じてくれるんだ」

「うむ、わしは無意味に疑ったりなどせんよぉ。キュウビのやつは昔もずっと、性根の元から疑り深い女狐じゃったがのう……ハハハ!」



 またおつまみの袋を、食べ切った”さきイカ”の入れ物を即席の打楽器にして、飲兵衛の軽口が響き渡る。



「…おっと、これも聞かれておるのか?」

「あはは、多分ね」

「これは大変、叩きのめされてしまうわい」



 そう言って狸は震えてみせたけど、明らかに本物の怯えは無かった。


 もしくはお酒で、気が大きくなってるだけかもしれないね。普段のイヌガミギョウブの姿なんて、クオは全く知らないけれど。



「……もしもが、外に出て来られるならのう」



 事実はきっと、この台詞の通りだね。



(煽られてるよ)

『ほっときなさい、昔からこうなのよ』



 キュウビも旧友らしくすっかり扱いには慣れていて、クオの言葉にノータイムでそう返事をしたのだった。



「どうじゃ、キュウビは何と言っている?」

「『ほっとけ』って、そっぽ向いてた」

「ははっ、そういう態度も変わらぬか!」



 ……お互い、知り過ぎじゃない?



「騙されるなよ。今頃アイツの腸は煮えくり返っているに違いないぞ」



 こんなに深い関係ならキュウビもちゃんと、イヌガミギョウブが住んでいる樹の場所を覚えてあげれば良かったのに。



『もう話をぶった切りなさい。さっさと本題に入るのよ』

「ねぇ、そろそろ…」

「む、もう限界だと言うのか?」



 これ以上の茶番には付き合えないと告げると、イヌガミギョウブはあからさまに残念そうな顔をした。しかしすぐに持ち直して、眼光が一気に鋭くなる。まさか、酔っ払いなどとは到底思えない程に。



「まあ良いじゃろう。

 偶には真剣な話も悪くない」



 徳利からコップに注いだお酒の残りを一息に飲み干すと、些か柔和な顔になって彼女は言う。



「なんといっても、数十年ぶりの友人が頼って訪ねて来てくれたのじゃ。無下に追い返す程、わしも鬼畜な妖ではないわい」



 キュウビが友達だから、やってくれるんだって。


 よかった、クオが森を火事にしようとしたことはもうチャラみたい!


 『持つべきものは友達』って、こういうことなのかな?



『絶対に違うわ…!』



 違うみたい。



「じゃあ、やってくれるの?」

「出来ることなら、今すぐそうしてやりたい所じゃが」

「……?」

「一つ、足りないものが有る」



 もしかして、クオの謝罪とか…?



「―――妖器。つまり、妖術を扱うための道具じゃな。

 それをアンインの……そう、あの忌々しい巻角のフレンズ! アイツに奪われたまま戻って来ておらぬのじゃ! アレがわしの手元に無くては、お主が望む様な妖術は施してやれぬ」



 …あ、違った。

 えへへ、そうだよね。

 


「そうだ、代わりに取り返してきてはくれぬか?

 わしは術式の準備をしなくてはならぬし……その、件の巻角。アイツの性格は少し苦手なのじゃよ…」



 つまり……手伝ってやるから、必要な持ち物を取り返せと。


 簡単に聞こえる話だけど、対峙することになる相手が問題だよね。イヌガミギョウブが手を焼くような相手なんだし、きっと面倒なことになるんじゃないかなあ。なんだか、尻込みしちゃいそう。



『良いじゃない。そのくらいはやってあげましょ』

「……やるよ。何処にいるの?」

「うむ、有難い」



 まあ、どうせ避けて通れないなら。

 押し通ってでも行くしかないよね。



「一応聞いとくけど、危ない子じゃないんだよね?」

『貴女より危ない子もそうそう居ないわよ』

(…うるさい)



 危険と言えば、丁度スピカちゃんが居るじゃん。セルリアンを操る力なんて、何処が出所かは知らないけどすごく危ないよ。


 まあ流石に、あの子ほどの力を持ってる訳じゃないよね…?



「安心せい、心底厄介なだけじゃ」

「それも、なんかヤダなぁ…」



 クオはなるべくサクっと片づけて、ソウジュを助けに行く準備を早く整えたいのにな。



「アイツは確か……おお、地図があるのか」



 博士たちに貰った地図を流用して、目的の相手の居場所を教えてもらう。



「…うむ、ここじゃな」



 これで、次の目的地も決まったね。

 どうせだから、コモモちゃんも連れて行こうかな?



「次に来るときは、上物の酒を添えてくれると嬉しいぞ」

『やめなさい、時間の無駄よ』

「どうせキュウビは止めるじゃろうが……お主にその気があったら、持って来てはくれぬかのう?」



 ……どんだけ通じ合ってるんだか。



「…えっと、考えとくね」

「うむ、期待しておるぞ~♪」



 真面目な話が終わった途端に、頬を緩ませたイヌガミギョウブ。


 ちょっとの疲れを引き換えにして、確かな進展を手にすることができた一日だった。

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