第百二十二節 食えない賢者
それから数日間は、聞き込みに没頭する日々だった。
コモモちゃんと一緒にアンインちほーの各地を巡って、視界に入ったフレンズ全員に向かって、『狸の妖怪を知りませんか』という質問を投げかける。とにかく無心で、問い掛ける。
当然ながら、手応えはからっきしで、全て空振り。
いよいよ逆に、狸探しをしているクオたちの方が有名になってしまって、わざわざ何も知らないことを教えるためだけに、声を掛けてくる子まで現れ始めている。
そんな子にはコモモちゃんが、ささやかなお礼と称して『楽しくなれるお薬』をプレゼントしているよ。
でも有名になるのは、必ずしも悪いことばかりじゃない。
今日はとうとう、本当にクオたちの助けになってくれそうな、とても頼もしいフレンズと会う約束を取り付けることが出来た。
「どうも、初めましてなのです」
「我々の手を借りられること、光栄に思うのですよ」
それがこの2人。
アフリカオオコノハズクの”博士”。
そして、ワシミミズクの”助手”だ。
彼女たちも……森の至る所で、まさに妖怪の如く質問ばかりを続けているクオたちの噂を聞きつけ、自分たちこそ人探しの助けになれると意気込んで、こうして声を掛けてくれたみたい。
2人はクオたちを、住処であるツリーハウスまで招いてくれた。
ここには沢山の本が有って、それを読むことで、他の多くのフレンズと比べて並外れた知識を身につけているらしい。
適当に手に取った本のページの隙間には、フクロウの細かな羽毛がいくつも挟まっていて、パラパラと適当にめくるたびに、巻き起こった微風が読書机の上の羽根を床に吹き落とす。
いつもここに居ることは分かるけど、もう少し綺麗にしてほしいな。
「普通の本だけでなく、古書も揃っているのです」
「ジャパリパーク一の知識量を誇る場所であると、そう断言するのですよ」
へぇ、そんなにすごいんだ。
それなら、セントラルの図書館と比べてみても面白そうだ。
どっちが勝つんだろう?
あっちの図書館の方がずっと広くて、こっち側が不利に思えちゃうけど。
『あら、どっちの本も読めばいいのよ?』
……時間がたっぷりあれば、それが一番だね。
「ところで、古書って?」
「文字通り、古くから残る書物のことなのです」
「ここにある物は、キョウシュウから運ばれたと記録にあります」
キョウシュウという言葉を聞いて、頭の中のキュウビが反応した。もしもこの場に身体があれば、ぴくりと震わせていたことだろう。詳しく話を聞きたがっているであろう彼女の胸中を汲んであげて、クオは博士に質問をする。
「キョウシュウって、あの立ち入り禁止の?」
「ええ、その通りなのです」
「蔵書の珍しさも、ピカイチだと言えるでしょう?」
それは助手の言う通りかも。
件の立ち入り禁止とやらがいつから始まったものかは知らないけど、『今ではもう手に入らない本』という響きには、やっぱりプレミアな雰囲気を感じる。
そうでなくても、此処にある本を探し求めている人は少なくないかもしれない。
キュウビは、どうなのかな?
『―――そう、こんな所にあるなんて』
ええと、微妙なところだね。
気になるのは、本そのものじゃないのかなあ。
飽くまで彼女が気に掛けているのは、”キョウシュウちほー”の方であるように見えるよね。
『本を此処まで持ってきたのは、誰なのかしら』
うん、次はそれを訊けってこと?
『……自由にすれば』
あれれ、突然素直じゃなくなった。
だけどクオも気になるし、ここはちゃんと訊いてあげよう。
「ねぇ、この本は元々博士たちのものなの?」
「ん? どういう意味ですか?」
「だから、その……博士たちが、キョウシュウから持ってきたのかなって」
さあ、どっちかな。
答えを待つと、2人は首を横に振った。
どうやら違うみたいだね。
「我々がこのツリーハウスを発見したときには既に、こうして今と同じように、本が所狭しと並べられていました」
「キョウシュウから持ってきた本だと分かったのは、識別番号が付けられていたからなのです」
ここで出てきた、”識別番号”。
それは、本を管理するために蔵書の一冊一冊に付けられている、アルファベットと数字を組み合わせて作った、いわゆる”ID”って呼ばれるものみたい。
識別番号のアルファベットは本の所在、つまり何処の図書館の本であるかを表していて、ツリーハウスの本には全て、キョウシュウの図書館を示すアルファベットが使われているらしい。
すごいや、初めて知った。
「へぇ、便利なものもあるんだね~」
「それを有効に活用するのも、我々の賢者たる所以なのです」
まあ確かに、識別番号だけあったって、その使い道を知らなきゃ何の役にも立てられないもんね。
知識ってやっぱり、大事なんだなあ。
「すごいねコモモちゃん。
……あれ、コモモちゃん?」
思い出したように声を掛けたら、返事がない。
静かな空気に戸惑っていると、呆れたような言葉が聞こえてきた。
「気付いていなかったのですか?」
「アイツならずっと、あそこで読書をしているのですよ」
ひょいと助手が指さした、隅っこのテーブル。
「ごめんなさいクオさん!
この植物図鑑、初めて目にしたもので…」
視線に気付いたコモモちゃんは慌てて飛び上がって、読んでいた本の表紙をこっちに向けながら言い訳を始めた。
別に、怒ってはないんだけどな。
「そうでしょう。他では到底読めない本が、ここには有るのですよ」
「詳しい説明が載っていて……とても勉強になります…!」
「…まあ、コモモちゃんが満足ならそれでいいや」
無駄な体力を使いたくないと思ったクオは、早々にコモモちゃんのことを諦めることにしたのだった。
§
「そろそろ、本題に入っていい?」
「ですね、余計な説明に時間を使いすぎました」
「ですが、もうお前に無駄足は踏ませないのですよ」
2人はとても自信満々に胸を張る。
堂々と立つ光景は頼もしくて、不安が少し薄まった。
あと、こうして見ると案外差があるね。
具体的に何処がとは言わないけど。
「助手、地図を」
「はい、博士」
そんな余計なことを考えている間に、目の前の机の上に地図が広げられていた。案の定、地図にはアンインちほーの形が大きく描かれていて、更には2人が記したと思われる、赤いペンの文字や図形があった。
その中の一点を指差し、博士が言う。
「ここを見るのです」
「何これ、なんか赤い丸で囲まれてるね」
そこは海岸寄りの森の中。
付近には川が通っていて、海に向かって流れ込んでいる。
何より目立つのは、その一帯を大きく囲む赤い円。
まさか、ここに……。
「断言しましょう」
「お前が探し求める狸は、この中にいます」
「……えっ?」
全ての段階を吹き飛ばしたような突拍子もない結論に、クオは耳を疑った。
「それって、どういう意味…?」
畢竟、心に差し込んだのは不安。
どんな希望よりも、ぬか喜びをしたくなくて。
クオは消え入りそうな声で尋ね返した。
「どうもこうもありません」
「我々が居場所を特定してやったのです」
それでも、一切ブレることのない博士たちの返答。
信じてみてもいいのかな。
いったん心を入れ替えて、クオは話を聞く準備を整えた。
「というよりも、元々、この辺りでは怪奇現象が頻発していたのです」
そこから、狸にまつわる説明が始まった。
「被害の内容はまあ……森に慣れたフレンズが迷子になったり、持っていたジャパリまんを取られたりと軽微なものでしたが、被害が出ていることは事実なので、我々が森の長として調査をしていました」
「最初はセルリアンの仕業かと思いましたが、それにしては余りにも狡猾」
「ええ、全く尻尾を出さないのですよ」
「怪奇現象が起こった場所を地図に起こし、犯人の活動範囲を大まかにマークしておいて、なるべく近づかないよう呼びかけるのが関の山でした」
「この……丸が段々大きくなってるのは…?」
「我々の呼びかけの影響で、犯人が活動範囲を広げたせいなのです」
「獲物が少なくなって、より遠出をするようになったのでしょうね」
理路整然と語られた経緯は、クオの疑問を解決するのに十分だった。
「とにかく、我々は犯人の特定に難儀していました」
「そこに現れたのがお前たちなのです」
つまりこれは、一朝一夕の調査結果じゃない。
むしろクオの方が、事件の途中で首を突っ込んできたような形になってる。
「なぜ狸を探しているかは分かりません。ですが、一連の事件の犯人を狸と断定すると、色々と辻褄が合うことに気付いたのですよ」
普通に言ってるけど、辻褄が合うものなんだね。
クオは賢くないから、そういうのわかんないや。
「……それで、クオに情報を」
「ここのバツ、それが事件が起こる領域の中心」
「若しくはここに、狸がいる可能性は少なくないでしょう」
わかんないけど、今までの説明を聞いた限りでは、信じてみても良い情報だとクオは思う。何より、聞き込みが空振り続きだった以上、他のアプローチも試してみなくちゃいけない。
……ってキュウビが言ってた。
多分その通りだと思う。
「どうして、教えてくれたの?」
ふと、素朴な疑問をぶつけてみる。
仕草を見ていると2人ともプライドが高そうで、なんか難癖付けてもったいぶると思ったのに、サラっと教えてくれて驚いたから。
本当に何気なく尋ねてみた。
「……聞きますか」
「う、うん…」
「よろしい、では答えましょう」
なのに、不思議と語調が重い。
あれ、聞いちゃいけないことだったかな。
首筋を濡らす冷や汗が、後悔の温度を胸に伝えた。
博士と助手が同時にこっちを見て、じっとクオの目玉に視線を合わせて、博士の口が静かに開く。
「時にお前、料理は得意ですか?」
「…まあ、そうだね」
「では話が早いのです」
シュババっと、羽音。
「協力の対価はお前の料理」
「何か作らない限り、生きては返さぬのですよ」
受け取った後に示される対価。
突きつけられた2本の指。
「……あぁ、はいはい」
心配しちゃって、すごく損した。
§
―――およそ一時間後。
「おい、おかわりなのです!」
「はぁい、すぐ持って行くからね…」
急かす博士が机を叩く音を聞きながら、クオはお皿に食事をよそう。
「私の分も持って来るのですよ…!」
「…うん」
交互に鳴り響く机の音に伏せる耳も今はなく、当然のように増えていく注文に気が遠くなる。
(どうしてコイツらなんかに、ご飯を作ってあげなくちゃいけないんだろう…?)
『まあまあ、これも彼を取り戻すためだと考えなさい』
(わかってるけど…イライラする……!)
違う、全然違う。
クオはソウジュの為に練習したの。
こんな焼き鳥にも向かない鳥共のために頑張った訳じゃないの。
……あぁでも、案外悪くないかも。
何って、肉質のこと。
もしかしたら、煮込む様な料理には合うかもしれないじゃん?
『包丁で切って良いのは、食材だけよ?』
(…うん)
まあ、どうせ捨てちゃうことになるし。
この2人は食材にはならないかな。
「博士、今日は少し肌寒くありませんか?」
「奇遇ですね助手。ですが今日の寒気は……ちょっと違う気がするのです」
それと、一応恩人なんだから。
どんなに夜遅い時間まで、コモモちゃんが読みたい本を人質(?)にして食事の為だけに拘束されることになったって、やっちゃいけないことはある。
あぁ、でも斬っちゃいたいな。
行き場のない衝動に駆られたクオは、包丁の切先でつんつんと自分の手の甲に切れ目を入れて、どうにか我慢を続けていた。
「こんなに美味い料理、作り置きまで欲しくなったのです」
「クオ、よろしく頼むのですよ」
それなのに、空気の読めない追加注文。
(抑えろ、抑えろクオ……!)
クオがキッチンから解放されるまで、まだ数時間。
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