第百十八節 内なる声との邂逅
初めて出会った夜の夢を見た。
明るく光る真っ白な雪の中で、眠るように座っていたあの人の姿を見つけた。その姿を見た瞬間に、彼こそが自分が探している誰かなのだと直感した。
今になって思えば、それはきっと……。
間違いなく運命だったんだと思う。彼と自分はそういう星の下に生まれた存在なのだと確信している。だって――――なんだから。勿論巡り逢うことも、一緒に居ることも、やがて結ばれることも当たり前で、邪魔者なんて許さない。
だから、――――――は―――だ。
夢と雪の中にある幸せな景色。焦点が合わないみたいにぼやけて真っ直ぐに見られない。それはまるで現状を暗示しているようで、もうすぐ掴める筈だった未来が奪われてしまったかのようで。
蜃気楼だった。
熱くて、火が燃えて、無くなってしまった。
雪も融けた。
その下から顔を見せた花を、鳥が攫っていった。
すると、ついさっきまで冷たかった雪国の風が急に暖かくなって―――。
「―――あれ」
クオは、妙に硬いベッドの上で目を覚ました。
「いつの間に、寝てたんだっけ…」
キコキコと軋む身体を起こして、眼球にこびりついた瞼を指で押し上げて窓の外を見る。家の庭には木から伸びる短い影と、まだクオの目には眩しい川のせせらぎ。とにかく、寝過ぎたことだけは理解した。
それと、まだ疲れてるみたい。
「そうだ」
思い出さなきゃ。
昨晩のこと、この気持ちが色濃く残っているうちに。
「う…うぅ……!」
嗚咽が零れる、涙が伝う。
ソウジュがいない寂しさと一歩届かなかった無力感と、アイツへの憎しみが全部涙腺から滲み出て、布団に暗く染みを作った。
このままじゃいけない、クオは強くならなきゃ。
そう決意して、ベッドから出ようとした瞬間。
『起きたみたいね』
「っ!? だ、だれ…?」
何処かから声が聞こえた。
初めて耳にする、何故か懐かしい声。
この期に及んだ、新たな出会いだった。
「出てきてよ、何処にいるの…!?」
とはいえ、怪しい存在には違いなく、クオは周囲を警戒しながらベッドを飛び出した。少しでも動くと床に落ちた石板が足にぶつかる。どうやら昨晩、取り戻した石板をコテージに持って帰った後、そのまま放り出して眠ってしまったらしい。
落ち着いてよくよく考えてみれば、下手だけどクオも収納用虚空間が使えはするんだから、そこに仕舞っておけばよかった。
ええと、でもそうじゃないよね。
とりあえずこの声の正体を突き止めないと。
『焦らないで、今の私に身体は無いから』
「……?」
『敢えて言うなら、私は貴女の中にいるわ』
どうにもこの声の主は、クオの中にいると主張しているみたい。
『ほら、耳を澄ましてみて。外の何処からも私の声は聞こえてこないでしょう? 私の声は全て、貴女の頭の中から響いている筈よ』
「た、確かに…!」
言われてみれば、声がしている方向が分からなかった。やけにハッキリと響いてもいたし、そういうことなんだねぇ。
「でも、いつから…?」
『さあ、そんなの覚えてないわよ』
「…そっか」
なんとなく、昨日の今日でクオの中に入って来た訳じゃなさそう。もっと昔から、一緒に居たような気がする。声を聞いたとき、驚くのと一緒に不思議と安心する気持ちが湧いてきたんだもの。
……でもどうして、入って来たって分かるんだろう?
ただの直感、なのかな。
『貴女には解ってるはずよ。今はそれよりも大事なことがある』
「そ、そうだよっ! 早くあの女を見つけないと…!」
『落ち着いて、焦っても何も解決しないわ』
それはその通りだった。
スピカちゃんの行き先も分からない以上、闇雲に暴れ回ったって仕方ないし。
『まずは、私の話を聞いて欲しいの』
「……わかった」
そうしてクオは、突然頭の中に現れた妙な声の長話を聞くことになった。
§
しばらくして、話を聞き終わって。
「…なるほど」
色々なことに合点がいって、クオはしみじみと頷いた。
まず最初に、クオの中に現れたこの妙な声の正体は、”キュウビキツネ”という狐の妖怪のフレンズだった。とっても偉そうな口ぶりをしているから、多分とっても強いんだろうね。本人もそう言っていたし。
そんな強大な存在がどうしてクオの中に……と尋ねてみたけれど、それは彼女も知らないという。気づいた時にはいたとかなんとか。
……本当かな?
裏があるような気がするんだけど。
『残念ながら、そんなのないわよ』
ちょっと、心読まないでよ。
『仕方がないでしょう? 私は貴女の頭の中にいるんだから、たとえ嫌でも心の声が聞こえてくるのよ』
じゃあしょうがないや。
とにかく、いつクオの中に入って来たかは不明。
だけど、クオの中のキュウビが目覚めた頃合いは分かるみたい。
「迷宮で、クオが鏡のセルリアンに捕まった後から……」
いつの間にか巻き込まれて、いつの間にか切り抜けてたあの危機。
その時はクオとキュウビの人格が交代しちゃって、ソウジュと一緒に鏡のセルリアンを討伐したらしい。そういえば、ソウジュが石板から星座の力を借りて戦うようになったのも、同じ瞬間からだったね。
『でもその頃は、飽くまで呼び起こされた時だけ。
他の時間は眠りっぱなしだったのよ』
それが変わってきたのがごく最近。
なんと時折、普通にクオが動いている間にも、キュウビの意識がクオの感覚を通して外の世界の様子を知ることが出来るようになったみたい。
しかも数発くらいなら妖術も撃てるようになったみたいで、リクホクで大蜘蛛のセルリアンに襲われた時にも、炎の妖術で助けてくれたんだって。
あの時はどういう訳か全然分かんなかったけど、そういうことだったんだね。
―――思い出してみれば、声も聞こえたような。
「見てられないって、言ってなかった?」
『そうよ。身体にはあんなに潤沢な妖力を具えておきながら、如何して妖術の扱いには長けていないの?』
むぐぐ。妖術が下手なのは事実だけど、ひどい言い草だ。
「そんなこと言われたって……どうせ、その妖力もキュウビのなんでしょ?」
『え、違うわよ』
「……え」
『正真正銘、その妖力は貴女のモノ』
嘘、そんなことって。
『あぁ、話が逸れたわね』
そうそう。
思い出話も大切だけど、それはまた今度。
『こうして私の存在感が増しているのには、必ず何か理由がある』
「そ、その理由って…?」
『…少しは自分で考えてみたらどう?』
…うぐ。
『まあいいわ、今回は言うわよ』
キュウビの言う通りだね。答えを求めるより先に、答えへの道を自分で探してみないと。じゃなきゃ、刻一刻と状況が変化していく戦場で、最適な行動を取り続けることは出来ないもん。
それが出来なかったから、あんなに有利だったのにソウジュを奪われちゃったんだ。
そうだよね、完全に油断してた。
さっさとスピカちゃんの息の根を止めておけばよかった。
『……やるせないわね』
「あっ、ごめんっ!」
『良いのよ、気持ちは痛いほど分かるわ』
キュウビの口調は慈愛に満ちていていながら、それと同時に自分自身に向けた感傷も混じっていた。同じ身体の中にいるからかな、じんわりと滲んだ彼女の気持ちを感じ取っている。
『理由は簡単な二択ね。
私の力が強まったか。
貴女の力が弱まったか』
わあ、とってもシンプル。
『両方、って可能性もあるけれど』
どうだろ。案外、クオが弱くなっちゃっただけだったりしてね。
『……そろそろ冷静になってきた?』
「うん、そうかもしれない」
『よろしい。そうしたら、真剣に今後について話し合いましょうか』
今後のこと。
ソウジュを取り返すための計画だ。
今度こそ間違いのない様に、確実にやり切らなきゃ。
そのために。
「何が、一番大切なんだろう」
今から探して、間に合うのかな。
『貴女の大事な人を取り戻すために、決して欠かせないものは力よ。それは取り戻した後、二度と奪われないよう守るためにもね。まあ……』
――ピンポーン。
チャイムが鳴って、キュウビの話が途切れた。
『……それと、少なくとも今のところは、人付き合いも大事じゃないかしら。待たせても悪いし、早く出てらっしゃい』
そうだね。
気乗りはしないけど、必要ならしょうがないや。
クオはトコトコと歩いて、玄関の扉を開けた。
向こう側に居たのは、ジャイアントペンギンだった。
「やっほ、元気?」
「…あんまり」
「そっか、大変だね」
何の用事で来たんだろう。邪魔するだけなら帰って欲しいな。
「……ところで、イメチェンした?」
それに、訳の分かんないことも言い出すし。イメチェンって言ったって、髪の毛を切るべきはスピカちゃんの方だもんね。
「してないけど、どうして?」
どうせジャイアントペンギンのことだから、変なこと口走ってはぐらかす気なんだろうけど。
「だって今日のクオちゃん、まるでヒトみたい。
声を聞かなきゃ、君だって全然わかんなかったよ」
うーん、何を言ってるんだか。
クオがヒトっぽいとか、そんな訳ないでしょ?
狐耳を探して、わしゃわしゃ頭を掻きむしって。
尻尾を探して背後を探って。
「……え?」
その全ての動きは、虚しく空を切った。
「……ない」
『ないって、何が?』
「耳も、尻尾も、無くなってる…!」
「あと、髪の毛も黒いね!」
ジャイアントペンギンの悪意のない追い打ちに、クオの心はガタガタ。
急いで真実を確かめるべく、洗面所に直行する。
あわよくば、これすら悪い夢であると信じたくて。
「……あ」
そうして、鏡と向き合った。
そこにクオはいなかった。
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