第百十四節 お姫さまの勅令
どれくらい、セルリアンを斬り捨てたのだろう。
真円の月明かりを浴びて輝いていた傘の切先も、幾度となく浴びたセルリウムに塗れて鈍く淀んでいる。そしてまた、跳んで襲い掛かって来たセルリアンを石突で貫いて、叩き付けて真っ二つに砕き去った。
次に襲ってきたセルリアンは少し大きく強かった。
しかし、傘の刀身に炎を纏わせて一刀両断。
すると今度は小さく俊敏な個体を寄こしてきた。
それでも、風を起こして空高く打ち上げてからバッサリ。
何度やられても飽き足らず、相も変わらずやってくる。
もはや無心になって、僕は動く影全てを叩き潰す作業に没頭していた。
「スピカ、そろそろ諦めたら?
生憎、まだまだ妖力もたんまり残ってるよ」
これまで主に発動したのは、刀のように鋭い切れ味を傘に与える妖術だ。
発動している間ずっと効力を発揮でき、弾を発射するような『撃ち切り』の妖術と比べても格段に効率が良い。
戦闘の続行に体力が必要なことは難点だが、妖力の枯渇の方が切羽詰まった状況である現在、この程度の苦労は甘んじて受け入れなければいけない。刀の扱い方を本気で学んでおかなかったことを、今更に後悔している。
まあ、現状に集中しよう。
そんな理由で、僕はまだまだ戦い続けられる。
「そうみたいですね。素晴らしい節約術だと思います♪」
「はぁ、褒めて欲しい訳じゃないんだけど」
「またまた~、照れなくたって好いんですよ?」
……舐めた口を利いてくれる。
「―――これでも、そう思う?」
セルリアンを無視して一瞬で距離を詰め、スピカの首元に鋭利な傘の切先を突きつけた状態で、僕は冷徹にそう告げる。
命の危機を感じさせて、これで少しは怖がるかと思った。
だがスピカは態度を一切変えることなく、仮面のような笑みも崩さない。
「うふ、うふふ…!」
「なにさ、不気味だなぁ…」
寧ろ彼女は悦んでいるようにさえ見えた。
蕩けるような声で、上目遣いをしてスピカは言った。
「なんて熱い視線……ソウジュくんったら、すっかり私に夢中ですね♥」
あぁ、話はもう通じないのかな。
「……吹き飛べ」
つい先程、セルリアンの腕で殴られた腹いせのように、言霊の風にスピカの身体を乗せて吹き飛ばす。多少は抵抗されるかと思いきやそんなこともなく、いとも容易くスピカは僕の言葉を受け入れた。
これでスピカは本気なのか?
弱すぎて、逆に不気味だ。
或いは心の底から信じていたのだろうか。有象無象のセルリアンを使役できる程度の力で、僕を下すことが出来ると。
取るに足らない。
唯一、その力の出所についてだけは、気にする必要がありそうだが。
……と、そんな調子だったもので。僕はすっかり完全に、スピカとの戦いについては決着が付いたものと思っていた。
しかしスピカの認識は違ったようで、服についた土埃を払って立ち上がると、にへらと口角を上げながらねっとりと呟いた。
「あーあ、使っちゃいましたね」
「ん、どういう意味?」
「だってその力、消費が激しいんですよね…?」
あらら、そんなことまで。
誰に聞いたのかなぁ。
もしかして、僕がうっかり話してた?
……今はどっちでもいいや。
目の前にいる彼女をひっ捕らえて、じっくり問い詰めれば良いだけの話だもの。
「問題ないよ。もう王手は取ったから」
「本当に、そうですか?」
またスピカが思わせぶりなことを言うが、もう気にしない。この子は警戒させるような言動だけを繰り返し、されど現実は伴ってこなかった。拙い延命処置の虚言に付き合う暇なぞ、持ち合わせる筈も無い。
しかし、どんな風に無力化しよう。
言霊で眠らせるのも手だが、明瞭な意識があって抵抗してくる相手に言霊の命令は効きにくい。
「……くっ!」
ふむ、悩み事に時間を掛けすぎたか。
背後からセルリアンに襲われてしまった。
咄嗟に傘で反撃したが届かず、一旦はスピカを放置して戦うしかなさそうだ。僕は振り返って、思考に水を差した不届き者の姿を視界に収めてやることに。
しかし襲撃者の風変わりな見た目に、眉を顰めることとなる。
「犬が2匹…?
それに、また人型か…」
決して短くない付き合いで、直感が叫ぶようになった。
こいつらは星座の輝きから生まれたセルリアンだ。
具体的に何座かはまだ分からないが、恐らく星座は2つ。
そして頭数も単純に数えて3対1であり、相当に不利な戦いを仕掛けられていることになる。
「大丈夫ですかソウジュくん?
この子たちを倒せるくらいの余力、まだ残ってますか?」
水を得た魚……というより寧ろ、命からがら水に戻してもらった魚のように息を吹き返したスピカは、心配をする体で僕を挑発した。
「もし勝てないと思ったらその時は、私に言えば助けてあげられますよ♪」
つまり、『降参しろ』との意。
だが、そんな誘いに乗るほど追い詰められてなどない。
「……勿論、心配無用だ」
これまでと一緒に、斬り捨ててくれよう。
僕は傘の術式に妖力を流し、近くの枝を落として踏み折った。
お前たちも、こうしてやると。
§
「まずは、1体っ!」
戦いが始まるのと同時に、全速力での前進。
不意を討つように袈裟懸けにして、犬のセルリアンの片割れを葬り去る。
続けて風を腕に纏って、風圧で残りの敵との距離を保つ。
出だしは上々。
確かな手応えに満足しながら、犬から落ちた石板を手に取った。
(…りょうけん座か)
あっちの犬も倒したら、また石板を落とすのかな。
まあ気になるが、どの道すぐに分かることだ。
「ソウジュくん、がんばってー!」
「っ、調子狂うなぁ…」
”気になる”といえばスピカも、『気に障る』という意味ではそういう存在だ。石板を奪い、セルリアンを嗾けておきながらいけしゃあしゃあと僕を応援する、彼女の心底ふざけた姿勢には呆れ果てるしかない。
だがしかし、今はそのことも忘れよう。
最早その程度のことで覆る戦況ではないが、どうにも僕を精神的に揺さぶろうとしている気配を感じる。
「ねぇ、スピカ」
「はいっ、どうしたんですか?」
「黙っててくれた方が、僕は戦いやすいよ」
「……」
(あ、本当に黙るんだ…)
あまりに素直で不気味だが、反抗されるよりはマシか。
願ったり叶ったり、ってヤツだね。
「……っと、これで犬っころはお終い」
炎弾で逃げ道を奪い、袋小路に閉じ込めたところを切り刻む。先程の不意打ちから警戒して、なかなかこちらに距離を詰めさせなかった予想以上に賢いセルリアンだったが、追いかけっこはもう終わり。
2枚目のりょうけん座の石板を確保して、また奪われてしまわないうちに虚空間に放り込む。
「さあ、誰かさんみたいに安全圏から見下ろしてないで、そろそろ自分で戦いなよ」
最後に残った人型セルリアンに向かって、傘を上段から振り下ろした。
「―――っと、なんて腕力ッ!」
が、持っていた木の棒で遮られ、すげなく跳ね返される。
単純な力比べだと、もはや不利って程じゃない。
「っはは、これはやめとこ。
僕はそういう戦い方じゃないもんね」
もっと自分らしく。
あるいは傘を使う時のように、狐らしく。
「…化かしてあげるよ」
煙に巻くのが、性に合う。
「吹き荒れろ」
傘で地面に鋭い線を描き、振り上げた風圧に追従して竜巻が空気を揺り起こす。巻き上げられた土や葉っぱがその場にいる全員の視界を遮り、僕はその隙を突いて死角に潜んだ。
目標を見失い、右往左往するセルリアンの背後から一閃。
「捕まえた」
ザクリと切り刻んで怯んだ隙に、水と氷の妖術を立て続けに浴びせかけた。
するとどうなるか。
その答えは簡単。
鮮やかな瞬間冷凍によって、カチコチのセルリアンが誕生するという訳だ。
「水を掛けたら凍らせる。
教科書に載せたいくらいシンプルで強い戦術だよね」
そして凍らせたなら、次にやることは決まっている。
「砕けろッ!」
叫んだ瞬間、響く破砕音。
氷も核も、バラバラに。
唯一残った形は石板のみ。
「……はい、おしまい」
その石板も仕舞いこんで、セルリアンとの戦いは幕を閉じた。
「で、これで終わりなの?」
「……」
「大口叩いてた割には、大したことなかったね」
「……」
悔しいのか、若しくは予想外の結果に終わった所為か。
僕が挑発しても、スピカは全く返事をしない。
「…あれ?」
なんだか悪い予感がする。
これって、もしかして……。
「スピカ、もう喋っても良いよ」
「あっ、本当ですか!?」
「なんで律儀に守ってるんだか…」
こういうところが心底読めない。
「それは、えへへ……他でも無いソウジュくんのお願いですから…」
「じゃあこんなこと今すぐ止めて、早くその本返してよ」
「い、いくらソウジュくんとはいえ、聞けない事はあります…!」
本命の頼み事を言えばこうして断られるし。
(正論っぽく聞こえるのがムカつくな)
まあでも、幸いなことにまだやりようはあるんだよね。
「じゃあ、仕方ない」
再び傘の術式に、切れ味を与えるための妖力を流す。
ほんのり銀色に傘の身体が輝いた。
「手荒な真似なんてしたくないけど、それは僕が持ってないといけないから。力尽くで取り戻させてもらうよ」
スピカに切先を向ける。
ただの脅しなんかじゃない。
向こうが先に手を出したのだから、僕だって斬るつもりだ。
『―――やめてください、そんなこと』
「無駄だよ、今更そんなこと言ったって……」
僕は手始めに、彼女の腕を狙って傘を振り下ろそうとした。
「―――あれ?」
が、腕が動かない。
「…動けッ!」
「わわっ、そんな強引に…!?」
咄嗟に直感が働いて、言霊を使って無理矢理に腕を振り下ろす。それは一瞬の隙、しかしスピカに避ける時間を与えてしまい、結果として傘は当たらなかった。
それでも。
今ここで、何かおかしなことが起こっていると僕は確信した。
スピカにこれ以上の隙を与えてはいけない。
僕は再び傘を携えて、次の攻撃へと移ろうとする。
『止まってください、これは命令です』
スピカの発するあからさまな言葉。
お断りだ。
僕は進み続けた。
「あれ、止まらない…?」
(やっぱり、言霊と似てるなら抵抗できると思ったよ…!)
どういう経緯か、奇しくもスピカも僕の言霊と似通った力を使えるようだ。先程は不意のことで対応が遅れてしまったが、抵抗できる部分まで類似していて助かった。
この分なら、まだ戦況は揺らがない―――
「それなら、こうしましょう」
「…ぁがっ!?」
―――ぁ、あれ?
「よくできました、流石は私のかわいいしもべです」
セルリアンの腕かな、これ……。
「さあソウジュくん、『もう勝手に動かないでくださいね』」
……油断しちゃった、こんな時に。
「よかった、今度はちゃんと効きました♪」
スピカの命令が頭の中でハウリングして、身体が硬直する。
僕は動けなくなって、膝から力なく崩れ落ちた。
まるで家来がお姫さまの前で跪くかのような姿勢だ。
スピカの頭の上に輝く冠を見て、そんなことを思った。
「その冠と杓が、星座のオブジェクトなの?」
「ご名答です。流石はソウジュくんですね」
やっぱりそうだ。
この力をスピカが元々持っていたなら、あんなセルリアンに苦戦する筈がない。
明らかに、他のモノから力を借り受けているんだ。
……まるで僕みたいにね。
「じゃあ、この言霊みたいな現象は…」
さしずめ、『王女様の命令』を形にでもしたのかな?
「いいえ、この冠はただの補助具。
元々あった私の力を強くしてくれるだけの存在です」
「…じゃあ、まさか」
「うふふ、運命を感じませんか?」
頬を不健康な赤色に染めて笑うスピカに、僕は思わず黙り込んでしまった。
「では私は、やらなくちゃいけないことがあるので」
少し屈んで、耳元を撫でる囁き声。
『おやすみなさい、ソウジュくん』
どうして、寝てやる必要があるのか。
そう思い心中で抵抗していたら、またお腹を殴られた。
「…うっ」
「もう一度言いますよ」
流石に、今は従っておくべきかな……。
『眠りなさい』
その言葉を聞くのが最後に、僕の視界は暗転した。
§
「……ギリギリ、でしたね」
ソウジュが眠りに就いた直後。
スピカが安堵に息を吐くと、頭に載せていた冠がサンドスターの塵になって形を消した。
手元に残された石板を、スピカは”ウラニアの鏡”の本の中に閉じ込める。
「あぁ、イメージってやっぱり難しい。目の前でソウジュくんが実演してくれなければきっと無理でした」
『勅令』を発動する時のイメージをより深く定着させるために、スピカは戦うソウジュの姿を思い出して、恍惚とした表情で深いため息をついた。
まだ動悸が収まらない。
彼の姿を思い起こすのはもう少し後の方が良さそうだ、とスピカは思った。
「…皆さん、良いお仕事をしてくれましたね」
彼女が王笏を振ると、森の中から無数のセルリアンが姿を現す。
彼らは森を埋め、空を覆い、湖を溢れさせる。
今回の戦いで、ソウジュと戦ったセルリアンの数は全体の半分にも満たなかった。
総力戦を仕掛けるよりも早く、より確実な方法を彼女が採ったためである。
そしてもう一つ、大切な理由が有った。
「おつかれさま。
そして、護衛をお願いしますね」
労いの言葉と、次の命令。
言うが早いか、セルリアン達が背中を預けてスピカを囲む。
そして歩き始めた。
北極星から遠ざかる方向へ。
「―――私はこれから、彼を連れてナカベを去ります」
お姫さまの凱旋は、果たして何処へ向かうのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます