第百十三節 愛に由る一切の茶番

 満月のようなお煎餅を真っ二つに割って、夜空に浮かぶ黄色い半月にピッタリと重ねてみる。僕にしか見られない風変わりな月蝕を独りで愉しみながら、冷たい屋根に腰掛けて事が始まるのを待ちわびている。


 グレーの雲が人見知りに紺色の世界を見守っている中、目立ちたがりの一番星がまだ地平線スレスレに隠れてしまう時間帯。


 いよいよ外からの応援は間に合わず、開戦の時が近づいている。



「…そろそろ、か」



 細かい欠片を散らし、醤油味の月を飲み込んだ僕は。罠にも等しい袋小路の茶番に向かって、立ち上がり歩みを進めてしまうのだった。




§




「…本丸を頼みたい?」

「はい、そうなんです」



 スピカの口から聞こえた言葉に、僕は耳を疑った。



「本気で言ってるの…?」

「もちろん、冗談なんかじゃありません」

「…そっか」



 表情にも、口調にも、嘘の気配は見られない。


 後ろに立つジャイアントペンギンまでスピカの言葉に頷いているのを見るに、これが彼女たちの最終判断であることが分かる。


 一先ず、は納得した。



「だけど、如何して僕なの?」

「ソウジュくんの他に、お願いできる方がいないからです」



 恐らくは度の入っていないメガネをクイッと持ち上げ、秘書のように滑らかな所作で手元の資料をパラパラとめくるスピカ。


 目が痛くなる程小さい活字に指をなぞり、つらつらと説明を進めていく。



「こっそり偵察をしていたラッキーさんの報告によると、特に森の方角でセルリアンの数が非常に増えていました。そこで増殖ペースを計算して貰ったところ……明日のお昼までに食い止めないと、取り返しの付かないことになるみたいです」



 言葉は暈した、”取り返しの付かないこと”。


 胡獱とどの詰まり、ナカベにいるフレンズの全滅。


 絵空事と切り捨てられれば良かったが、『起こる』と断言できてしまう程に現実の状況は切迫していた。


 不思議かな、そんな実感は全くないと言っても良い。或いはなんにも知らない侭に、唐突に訪れた終わりの波に呑み込まれる未来もあったのかもしれない。


 まだ止められる余地があって、本当に良かった。



「でも、飽くまで明日の正午それはデッドライン」

「そ。ホントはさっさと倒しちゃう方がイイ」



 僕の言葉にジャイアントペンギンが頷いた。


 続けて、スピカが話し出す。



「ボスセルリアンの所為でハンターの方々の到着を待つ暇も無くなってしまいました。ですから今のナカベに存在する最高戦力は、他でも無いソウジュくんです。だから、お願いしたい…」



 直後。


 文末の言葉を濁して言い直した。



「いいえ。ソウジュくんにしか、頼めません」



 悲壮感を漂わせる声色で、頭を下げるスピカ。


 こう言われて、どう断れと。



「そういうことなら、分かったよ」

「…あ、ありがとうございます!」

「でも1つだけいいかな?」

「はい、何か?」

「可能なら、あの子クオにも一緒に行かせてほしい」



 今は眠っていてこの場に居ないけど、話を聞いたら間違いなく僕について来ようとするだろう。きっと止めても聞かないし、それなら前もって連れていく手筈で話を進める方が良い。



「もちろん大丈夫ですよ。徒に人数を増やすのでなければ、むしろ1人で戦うよりも安全になりますから」



 スピカは快諾してくれた。


 一瞬、クオとスピカの仲が宜しくないことを思い出して、もしかすると話が縺れるのではないかと危惧したが、その予感は杞憂と化した。


 まあそんなこと、起こる訳も無いか。


 何方かと言えば、強く嫌っているのはクオの方だし。



「お2人に、あのセルリアンはお任せします」

「作戦を説明するから、ワタシのとこまで来てくれたまえ~」



 ひとまずそれはさて置いて。


 スピカが前もって、討伐作戦の内容を考案してきたらしい。詳しい説明を担当したジャイアントペンギンは我が物顔で語っていたが、スピカも特段自身の功績を押し出すようなことはしなかった。


 そして肝心の内容はといえば、特に非の打ち所のない作戦であった。


 不安材料が有るならば、それは僕の実力が追い付くかどうか。


 幸い、近頃は『星質同調プラズム・シンパサイズ』を必要とするような戦闘をあまり経験していない。即ち持てる全力を以てこの戦いに挑むことが出来ることだろう。


 勝てる。


 会心の作戦を実行に移せることが嬉しいのか、スピカもニコニコと微笑みを浮かべていた。



「……ん?」



 ほんの刹那、その微笑みに含みがあるように錯覚して。



(―――気のせいか)



 この先の戦いには雑念と、僕は頭を振るってその拙い考えを飛ばした。



「じゃあ、クオを起こしてくるよ」

「はい、分かりました」



 僕は一旦席を外し、クオを連れていくためにコテージに向かう。そしてソファの上で眠りこけるクオの身体を揺さぶって、起きるように囁いたのだが……。



「……起きない」



 少し強く揺さぶっても。

 耳たぶを引っ張っても。

 狐耳をくすぐっても。


 挙句の果てにはいつか童話で見たように、彼女の頬を湿らせてみても。


 頑固な眠り姫は一向に起きる気配を見せなかった。



「はぁ、仕方ない」



 後で事の顛末を聞いたら、すっごく怒るだろうな。

 この際だから一度くらい僕が手合わせしてあげようか。


 まあ、それは後々。



「全然起きなかったから、やっぱり置いていくよ」

「うふふ、それは残念でしたね」



 作戦に支障が出ないだけ、まだ良かった。

 呑気な僕はそんな風に思いながら、戦いの準備を進めていくのだった。




§




「おお~、素敵な空の旅ですねぇ~」

「まあ、楽しめてるなら何よりだ」



 生憎、僕に景色を楽しむ様な余裕はない。


 空を飛ぶためにからす座と『同調』し、本来連れていく筈だったクオの代役としてスピカを乗せて、普段とは全く違う体幹の調整に苦心しつつも、ボスセルリアンの住処まで夜闇に紛れながら向かっている。


 それに比べるとスピカは、ただ僕の上に座っているだけだからね。



「あはは、重くてごめんなさい…」

「…別に重くはないけど」

「気を遣ってくれるなんて、ソウジュくんは優しいですね」



 一応スピカの名誉のために言っておくと、断じて重くはない。


 ただ、重心が変化するからバランスを取りにくいだけだ。それについては、人体が質量を持つ以上仕方のないことだと割り切っておこう。



「で、目的地は?」

「いつでも降りていいですよ。目印も有りませんし、もし有ってもこの暗闇の中じゃ見えたものではありませんし」

「……それもそうか」



 というか作戦の内容を考えれば、場所はそこまで大事じゃない。


 ナカベの中心からもある程度離れられたし、ここらで行動を開始しよう。


 落ちるような急降下で空よりも暗い森の中に足を下ろした僕は、からす座のそれと入れ替わりに新たな石板を虚空間から取り出す。間もなく、祈りを込めてお約束の言葉を呟いた。



「『星質同調プラズム・シンパサイズLyraこと』」



 湖のセルリアンが演奏していたのと同じ大きな琴が、僕の両手に収まった。



「これを奏でて、セルリアンを誘き寄せるんだね?」

「はい。丁度いい星座が有ってよかったです」



 作戦の第1段階。

 音楽でセルリアンを挑発する。



「十分な時間にわたって演奏したら今度は身を潜めて、親玉が自ら姿を見せるか、若しくは位置を特定できるまでは動きません。私たちは標的を一つに決めて、ボスの首だけを狙います」



 作戦の第2段階。

 現れたセルリアンの親玉を討伐する。



「統率者を倒せば、残った奴らは烏合の衆だからね」

「ええ、その通りです」



 作戦の第3段階。

 残った雑魚セルリアンをゆっくり掃討する。



(理解しやすい作戦で助かったよ)



 余計なことに思いを馳せながらも指は弦を弾く。

 星座の力のお陰か、適当にやってもそこそこの音楽になる。


 遠くのセルリアンにもこの音色を届けられるように、僕はしばらく演奏を続けた。



「……この位で大丈夫でしょう」

「『星質同調プラズム・シンパサイズChamaeleonカメレオン』」



 スピカの合図に従って、隠密に優れた姿に変える。


 元々途轍もなく暗い森の中、適当に突っ立っていても見つかりそうにないものの、やはり失敗は許されない以上万全を期すべきである。


 息を潜めて、茂みの陰に身を潜めて静謐な闇に視線を注ぐ。


 やがて、数多の標的違いが通り抜けていく景色の中で、とうとう本命のセルリアンが姿を見せた。



「そこ、現れました…」

「間違いないんだね?」

「アイツの首を獲れば、作戦完了です」



 必死に凝視して見えた影は、馬とそれに乗る人影のようなモノ。確かに指揮官と言われればそんな気がしなくもないが、自然とそう思わされるような覇気は感じなかった。


 どちらかといえば、ありふれた兵士のような印象。



「……セルリアンってのも、案外見た目にはよらないのかな」

「そんなものですよ」



 まあ、スピカの言う通りかも。

 それに、こんなことを考えてる暇もない。



「『星質同調プラズム・シンパサイズOrionオリオン』」



 全力ですぐに潰そう。



「会って早速だけど……バイバイ」



 飛び出して、オリオン座の全力の拳でセルリアンを貫く。


 暗闇からの完璧な不意打ち。

 親玉は一切反応できなかった。

 馬も人影も、刹那の間に一枚ずつの石板に変わる。



「―――呆気ないな」

「ソウジュくん、やりましたねっ!」

「…うん、そうだね」



 セルリアンが弱すぎたのか。

 オリオン座が強すぎたのか。

 どちらにせよ、楽勝な相手だったね。


 拍子抜けな気持ちは勿論あるけれど、ひとまず作戦は完遂した。



「まあ、雑魚には囲まれちゃったけど」

「空を飛んで逃げましょう。は後でも大丈夫ですから」

「じゃ、今度は座でも取り出して……」



 僕は再び虚空間への入口を開く。

 石板を手に、いつも通りに腕を伸ばす。


 ペチンッ。


 間抜けな音を立てて、妙な腕に手を弾かれてしまったが。



「……スピカ、何をしたの?

 というか、その腕はいったい…」

「ふ、ふふっ、ふふふふふ…!」



 スピカが上げた、不気味な嬌声。

 僕は咄嗟に動いた手で今度こそ石板を掴もうとした。



「―――ぁッ!?」



 お腹を縛られて、放り投げられてしまったが。



「これが石板。

 こっちが天理の鏡。

 ふぅん、結構綺麗なんですね…」



 僕を放逐したスピカは虚空間から好き勝手に物を取り出し、自由気ままに物色を始めた。特に石板を狙って手に取り、一つ一つ丁寧に、ウラニアの鏡に備わる白紙のページに収納していく。


 それは、僕が面倒に思って使っていなかった鏡の本の収納機能だ。


 いちいち本を経由するよりも、虚空間から直接出す方が楽だったから。


 ……だけど、何故スピカが知っている?



「これは、私が責任を持って預かっておきますね♪」



 全ての石板を仕舞ったウラニアの鏡を胸に抱え込み、恍惚に染まった表情をしてスピカはそんなことを言い放った。


 僕はまだ痛む腹部を抱きながら立ち上がり、彼女の元を目指して歩いていく。



「スピカ、どういうつもり? これじゃあ逃げられないし、幾ら雑魚でも石板なしでこの数と戦うことなんて僕には無理なんだけど」


「あぁ、別に心配は要りませんよ。

 はみんな、私のかわいいしもべ達ですから」


「……しもべ?」



 それじゃあまるで、スピカが、セルリアンを操っているみたいじゃないか。



「うふふ、上手くいってよかった」

「ねぇスピカ、君はまさか…」



 尋ねようとする僕の言葉に被せて、嗤ったスピカは欲望を吐く。



「ソウジュくん。あなたのことも、お持ち帰りしちゃいたいです」

「悪いけど、それは無理な相談だね」

「えぇ、そう言うと思ってました」



 あっけらかんと言い放つスピカの輪郭から、悍ましい空気を感じ取る。

 まるで僕を獲物としてしか見ていないような、そんな雰囲気だ。



「もしかして戦う気?

 君は、そういうの苦手だと思ってたけど」



 最初に出会ったときも、あんなに弱いセルリアンに追い詰められていたのに。



「心配しなくても大丈夫ですよ。

 だって私には、代わりに戦ってくれる仲間がいますから。

 それに…」



 ニコニコ顔を強張らせて、明るいポーカーフェイスで首を振った。



「…いえ、失言でした」

「とにかく、闘る気って訳だ」



 僕にはまだ妖術がある。

 言霊も、キュウビに貰った傘も。

 これで勝ったと思っているなら、それは浅はかな考えだ。



「君の思惑は分からないけど、石板がなくたって僕は戦える」

「えぇ、早く始めましょう♪」



 自分の勝利を確信しているような余裕の笑みで、スピカはいつの間にか被っていた冠の位置を揃え、絢爛な黄金の杓で地面を突いた。


 沸き上がるセルリアンの海の中心で、僕は息を整える。



(絶対に、負ける訳にはいかない…!)



 茶番劇は、間もなく終幕。

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