第百五節 「お礼」の意味を考えさせられる一日

「じゃじゃーんっ! ご紹介します!」

「ジャイアントペンギンだよ、よろしくね~」

「……先輩、私が紹介する予定だったんですけど」

「えっ?」


 先走って名前を口走る少女に、スピカがジト目と細やかな恨み節を向ける。

 少女はきょとんと唇を開けて、ぱちくりと数度、瞬いた。


 そして、ニヤリとまるで悪だくみ。


「でもスピカの話って毎度長くて眠くなっちゃうし~。それに自己紹介なんてどうせ名前言って終わりなんだから、サクッとやっちゃっていいんだって♪」

「え、そうでしょうか…?」

「そそ、気楽にいこ?」


 思わず顔に表れる不承。

 なんとかスピカは呑み込んだ。


 しかし、なんとも適当な受け答えである。

 彼女は僕らに対しても同じ態度を貫くようだ。

 悪戯っぽく笑って言った。


「今は名前だけ覚えててよ。ワタシの秘密はこの先とっても仲良くなった時に、有ること無いことなーんでも教えてあげるからさっ!」


 近日稀に見る、堂々とした嘘吐き宣言であった。

 折角仲良くなって法螺を吹き込まれる気持ちや如何に。


 まあ、少なくとも僕には関係の無い話だろう。

 そこまで仲良くなる前に、次のちほーへ旅路の歩みを進めている筈だから。

 僕は視界の右上に未来図を眺める。


(…そうだね)


 早ければ、ライブが終わった直後にでも。

 次はサンカイを越えて、アンインを目指す予定にしている。

 少し気が早いけど、その先にはリウキウとゴコクが待っているね。


 ……立ち入り禁止のキョウシュウは、知らん。


 問題があるなら解決するまで待つしかない。

 本当に、それ以外に言葉がないよね。

 情報隠しがって。


 …おほん。


 とりあえず閑話休題。

 目と鼻の先の話に集中しよう。


 ジャイアントペンギンは僕たちを奥の部屋へと招いて、大切な話があるのだという。綺麗な壁と床に囲まれた部屋の中、指し示されたのは高級感のある真っ白なソファだった。


「さ、こっちに座って」

「はーいっ!」


 真ん中のテーブルにはお菓子とジュースが用意されていて、クオたちは大喜びでそれらに手を伸ばすのだが、僕は物を白いソファの上にこぼしてしまうことが怖くて、暫し手をこまねきながらスピカたちの会話を聞いていた。


 二人は小声で何かを相談している。


「先輩、もう準備が?」

「ん~? 別にまだだけど、大層なことしないし大丈夫だよ~」

「あぅ…」


 気楽なペンギン。

 心配性の少女。

 組み合わせは必ずしも良好とは言い難いか。


 ジャイアントペンギンが物を取りに部屋を出たので、僕はスピカに声を掛けることにした。


「…気苦労が多そうだね?」

「先輩は自由な方なんです。楽しくもあり疲れます」


 そう言うスピカの顔は、まるで言葉通りの形をしていた。

 呆れ顔の口角を無理やり上げたような、ちょっぴり面白い表情。


 それとは別に、『にへら』という音で形容できそうな微笑みも混じっていて、彼女の本心がよく分からない状態になっていたけど……。


「スピカー、電源コード持ってくの手伝ってー」

「あ…はいっ! ……行ってくるね、ソウジュくん」

「あぁ、うん」


 尋ねる間は無く、行ってしまった。

 溜め息をついて僕は意識を部屋の中に向ける。


 ―――うん、普通に端正に整頓されたお部屋だ。


 さぞかし、綺麗好きの子が掃除しているんだろうなあ。コツコツと床を足で叩く震動を楽しみながら、ブラックバックたち三人がはしゃいで騒がしい部屋の音響に耳を傾ける。


「あの子は、自分のことをソウジュの何だと思ってるの……?」


 …あぁ~。

 何も聞こえなかったね。


 その後は特に変わったこともなく、ジャイアントペンギンたちの準備は粛々と終わった。


「よーし、こんなもんかなー」


 なんと、プロジェクターが出てきた。

 まさかここで文明の利器が姿を見せるだなんて。

 更にはタブレットらしき端末もあって、とても近代的だ。


 スピカが端末を手にして最後の設定を行っている。


「えっと、ラッキーさん…?」

「次ハ、これだネ」


 まあ流石に、操作の方はラッキービーストの補助付きだった。

 それでもジャパリパークでこんな光景が見られるなんて、ちょっと感動である。


 ……だけど、僕はなんであの機械のことを知っているんだろう?

 星の記憶が融通を利かせてくれたのかな。

 だとしたら有難いことだね。


「な、何が始まるのかな…?」

「きっとすごいことだと思うぞっ!」

「ふっ、面白い…!」


 三者三様に何も分からず。

 斯く言う僕も、すごくワクワクしている。

 秒ごとにボルテージを吊り上げていく期待の中、全員の注目を浴びながらジャイアントペンギンは話を始めた。


 間の抜けた声が部屋に響く。


「えーそれではこれから、ジャイアントペンギンによるプレゼンを始めさせていただきまーす。みなさまー、目の前のスクリーンをご覧くださーい」


 ペチペチと教鞭がスクリーンを打つ。

 波打って、案の定映像が乱れている。


「ソウジュ、”すくりーん”って?」

「天井から四角くぶら下がってる、あの白くて薄い布のことだよ」


 はてさて、何が始まることやら。


「にしし、ちゃんと見ててよね?」


 珍しい機械にも慣れてきた頃か。

 そろそろ落ち着いたみんなが拍手をする。


 彼女は大仰にお辞儀して、やっとプレゼンが始まった。



「ワタシはね、セルリアンからスピカを助けてくれたキミたちのために、お礼を用意してあげたいと思っているんだ」


 あらら、こんな御大層に。

 言葉だけでも十分なんだけどね。

 ……でも、なんか変じゃないか?


(なんだろう、この感覚…)


 思考回路に引っ掛かった抵抗が電流を遮っている。

 もやもやして、その正体を表現するのはまだ難しいけれど。


「単刀直入に言うよ。

 それは、PPPのお手伝いを出来るチャンスだっ!

 他では絶対に巡り逢えない機会さ!」


 ジャイアントペンギンの声高な演説を聞きながら、違和感が僕の頭の中で少しずつ形を手に入れてゆく。散らばった飴の糸を割り箸に集めて、丸っこいわたあめの雲を生み出してゆくときのように。


 ふわふわした声で、クオが聞き返す。


「……ん、お手伝い?」

「そう、その通り」


 得心したように、彼女は微笑む。


「みんな知っての通り、今は非常に忙しい。

 セルリアンの手でも借りたい状況なんだ」


 あぁ、やっぱりそうだ。


「もしもキミたちが、ワタシの与えたチャンスを存分に生かして仕事を手伝ってくれれば、浮いた労力でライブの安定を追い求められる。つまりそれだけ、あの子たちへの多大なる貢献になるってことさ」


 僕がスピカを助けたのはついさっきだろ。

 そしてこの、ジャイアントペンギンの提案。


 昨日の今日にも満たない時間で、こんな話がゼロからまとまる訳ないじゃないか。


 元々やろうとしてたことを体よく使い回してるんだな。



「素晴らしい…っ!」

「ちょっと、まだスタンディングオベーションは早いよ」

「す、すまない…」


 止められて、申し訳なさそうに座ったブラックバック。


「そうそう、まだ話は終わってないんだからね」


 拍手もそもそも必要ないよ。

 お礼なら早くジャパリまんを寄こしてくれ。

 クオにあげるから。


(…やりがい搾取)


 そう感じている僕の視線に気遣ったのか。


「もちろんお手伝いのお礼もするよ。

 美味しいご飯とかも用意してあげよう」


 慌ててフォローを入れる様にそう言った。

 そして案の定、尻尾を振って反応する子がいた。


「食べ物っ!?」

「クオ…」

「うん、約束するよ」


 なんか、逃げ道を塞がれたような気分だね。


「どうかな。ワタシなりのお礼、受け取ってくれるかい?」

「もちろんだ、断る理由などない」

「えへへ、美味しいご飯…♪」


 狐耳すら蕩けた表情。

 これを今更覆せるか。

 諦めてお菓子に手を伸ばした。


ソウジュキミは?」

「はいはい、やるよ」


 よく聞くよ。

 断れないって知ってるくせに。


「にしし、決まりだね」


 悪戯っぽい笑い声が憎らしい。

 小さな見た目からは想像できない話術だったよ。


 そして「お礼」という言葉の意味について、僕は再考せざるを得なかった。


「仕事の説明はスピカに任せてあるから、何かあったらこの子を頼ってね」

「はい、私にお任せくださいっ!」


 力強く胸を叩いたスピカ。



「…ちぇっ」


 隣から、僕の他には誰にも聞こえなかったであろうクオの舌打ち。


 クオと僕以外の全員が、諸手を挙げて喜んでいた。


 まあ、僕は大して気にしてないけど。

 クオはちょっと危ないかもしれない。

 お手伝いの最中、スピカとの関わりが増えそうだから。


(まあ、なるべく僕が出ようかな)


 僕がスピカと主に話せば、クオと彼女の接触が少なくなって、たぶん二人の間の摩擦は少なくなるはず。



 ―――あれ、そうだよね?



「…ジュース飲も」


 程よく適当で良いよ。

 どうせ何も起きないし。


 僕は、マスカット味のサイダーをコップになみなみと注いだ。




§




「……で、これでよかったの?」

「はい、完璧でした」

「まあいいけど、現を抜かすのも程々にね?」


 プレゼンが終わった後の舞台裏。

 二人きりの楽屋で、スピカに釘を刺すジャイアントペンギン。


「違いますよ、先輩」

「…え?」


 やんわりとした口調で否定するスピカ。だが、こんなにハッキリと断定することは珍しく、ジャイアントペンギンは目を丸くした。


 態度を妙に思い、スピカの顔を覗き込む。

 そして途端に後悔する。


 取り憑かれたように嗤う乙女が、そこに立っていたからだ。


「ソウジュくんは王子様なんです。私はやっと運命の人を見つけたんです。だからこの気持ちを、『現を抜かす』なんて軽い言葉で表現しないで下さい。幾ら先輩でも、場合によっては……」


「わかったわかった、ごめんってっ!」


 柄にもなく謝り倒したジャイアントペンギン。

 セルリアン以外から身の危険を感じたのは久しぶりだった。


 それでもスピカが心配で、更に念を押す。


「敵は強そうだけど、本気なんだね?」

「はい、頑張りますっ!」

「……じゃあ、止めないよ」


 屈託なく笑顔な返事を受けて、彼女は力なく笑うのだった。

 

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