第百四節 ふわふわした、平和だったもののような
視界に捉えた瞬間に、肌を刺した殺気。
「……は?」
戻って来た僕を出迎えたのは、クオの冷ややかな声だった。
クオは恐ろしく目を見開いて、射殺すような視線を隣のスピカに向けている。その視線は決して逸らさずに、吹雪のような温度の声色をして僕に問いかけた。
「ソウジュ、その子は誰?」
「……なんか、ついて来ちゃったみたい」
「うふふ♪」
可憐に微笑むスピカ。
睨まれながらも笑う、途轍もない胆力だ。
僕からすれば勘弁願いたい限りだが。
少し動けば身体に触れてしまいそうな距離感をスピカは一向に崩そうともせず、彼女を睨みつけるクオも黙り込んだまま、場の空気は重く沈んでいく一方。
「とりあえず、話をしてもいい?」
”台風の目”という表現がある。
今の僕はまさしくそれで、耐え難い重圧だった。
しかしまあ、事情さえ話せばクオの気持ちも収まるだろう。そんな生クリーム入りのジャパリまんよりも甘い見通しのもと、僕はスピカと出会った経緯について話すことにした。
さて、その思惑や如何に。
「へー、セルリアンに襲われてたんだ」
「そこにソウジュくんが颯爽と現れて、華麗に助けてくれたんです。とっても綺麗で格好良くて、まるで王子様みたいでした…!」
…結論だけ言うと。
逆効果とまでは言わないけど、意味は無かった。
説明の節々にスピカが余計な茶々を入れて、その度にクオが顔を険しく顰める。
どうしようもなかった。
「…別にどうでもいいけど、早くソウジュから離れてよ」
そう言うが早いか。
クオは間に割って入って、スピカを僕から引き離した。
強引に逃れるのもバツが悪かったから、クオのファインプレーだ。
「うふふ……『どうでもいい』、なんて嘘ですよね?」
「っ!」
「クオ、手が痛い」
「…ふんっ」
強く握られて、僕の手は軋む。
鼻を鳴らしたクオはそっぽを向いて、タイトに腕を絡めた。
やはり話が進まない。
僕が口を開くしかないようだ。
真っ白な頭を絞って言葉を捻り出す。
「スピカは、何をしたいの?」
「ふぇ? 別に、そういうのではないんですけど…」
ぽっ、と血色に染まる頬。
「お礼がしたいんです。セルリアンから助けてくれたお礼を」
「そんなの要らないから、早く消えて」
「く、クオ…?」
「要るかどうかを決めるのはソウジュくんですよ、貴女じゃありません」
惨憺たる空気は変わらない。
クオとスピカの相性が最悪なことは理解した。
この場を乗り切ったら、二人がなるべく顔を合わせなくて済むように僕がなんとかしよう。
そして、クオが僕の腕を引っ張っている。
「…どうなの、ソウジュ」
「えっと、貰える物は有難く貰っておこうかな~……なんて」
「そう…」
底抜けに真っ暗な上目遣いで見つめられ、背筋が震えた。
単純な恐怖ではない何かのような気がしたけれど。
「そうと決まりましたら、行きましょう!」
「征くのか、終着点は何処だ?」
「もちろんお祭りですよ♪」
前に立って会場へ先導するスピカ。
最初は僕の手を引いて歩こうとしていたが、力強く弾かれて諦めてしまったようだ。風船の割れたような音で、かなり痛そうにしていた。手を叩いたクオも、この短時間で彼女に相当な恨みを抱いていたらしい。
”旅は道連れ世は情け”と言うけれど……。
やはり、気の合わない相手が居ないとは限らないのだろう。
「実は私、お祭りの運営をしてるフレンズさんと知り合いなんです。私の方から頼んで、色々便利にしてあげます」
かといって邪険にも扱えないし。
どうしたものだろうか。
そして今もほら、クオがこっそり耳打ちをする。
「ソウジュ」
「ん、どうかした?」
「あの子には、あんまり近づかないで」
まさかクオがこんなことを言うなんて……。
本当に、どうしちゃったのかなあ。
「絶対に危ない子だよ。クオの勘がそう言ってるの」
さっきまでの態度からして、かなり信憑性に欠ける言葉ではあるが。
「でも安心して。
クオが守ってあげるから。
だから、クオの言う通りにして…?」
まあ、君がそう言うのなら。
「……うん」
「えへへ、ありがと」
こんなにひどいお願いでも、聞いてしまおうと思ってしまう。
「さあ、そろそろ到着しますよ!」
スピカの声に乗せられて、遠くを見通す。
雲間に見える川のような青空の下、ドームのような建物が視界に入った。
あれが、話に聞くライブステージというものだろうか。
更に進んで近づくと、その大きさに驚かされた。近くの森と比較して、アレにそこそこの高さがあることは先程から解っていたが、傍に身を置いて見上げた時の眺めはやはり別格だった。
これもヒトが建設して、遥か未来にその跡地をフレンズが使う……という類の建物だろう。見ていると、情緒が胸に差し込む。
―――やっぱりヒトはもういないんだよね。
リクホクで出会ったアスも結局は違った。
目の前にいるスピカも……耳や尻尾は見えないけど、きっとそういうフレンズなんだと推測している。
(ま、どうでもいいんだけどさ)
そんな郷愁を感じる余地はない。
身も蓋もないことを言えば、そもそも僕すら”ヒト”じゃなかったし。
クオと旅を続けられれば、別に何でも。
「ねぇソウジュくん、一緒にわたあめ食べませんか?」
なのに、目の前のこの子は。
「じゃあ、三人分持って来てよ」
「パシリですかっ!? …でも、はい、分かりました~」
見ていると、不思議な感覚に襲われる少女だ。
好意を向けられているような、そうでもないような。
クオが危険に感じる理由も、どこか分かってしまうような気がする。
(ま、結局は何も起こらないよ)
僕はそう思っていた。
二人の関係を、ただ虫が合わないだけだと考えていたから。
盃の水が覆されるまで気付かなかった。
「ソウジュ、三人分ってクオの分も?」
「そう。……要らなかった?」
「ううん、わたあめ好き」
手元で雲が溶けていく。
甘く糸を引いて消えていく。
「…交換しよ」
そう言って押しつけられた愛がぎとぎとと、指から離れなくて困りものだった。
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