第14話 蛇遣いと蛇
「──
アスの言葉に従ってか、コウさんが蛇の姿になる。
炎のように紅い模様の走る太い尻尾が地を叩くと、ドシンと鈍い音がして地面が大きく揺れた。
木々の葉が揺れ。
小鳥が逃げ出し。
泰然自若と立つ両腱。
身体のバランスを立て直した僕は、彼から漂う強者のオーラに身震いした。
「この姿はあまり長く保たない。速戦即決で終わらせるよ」
「…はいっ!」
「~☆」
セルリアンにちょっかいを掛けていたルティが、扉を通って僕らの所に戻って来た。何をしたのか詳しくは知らないけど、さっきからガチガチと鳴る歯ぎしりの音。
アイツ、相当怒ってるよね。
ルティったら、かなり好き勝手やったみたいだね。
「怪我はしてない?」
「~☆」
「…ちょっと見せて」
くるりとその場で一回転、普通に平気っぽいルティ。
しかし、へびつかい座の光を受けて鋭くなった僕の目は、至って健康そうな動きの中にある僅かな違和感を捉えていた。
(毛皮の下、かすり傷かな)
普段ならさして気に留めない程度の傷だ。
「毒を持ってるかもわからない。一応治しておくね」
さらり、手を翳す。
傷はもう治った。
……便利を通り越して恐ろしいね。
「さて、これで万全だ」
「先に俺が行こう。二人は後から」
「はい」
僕の返事を待つ間もなく、コウさんは飛び出した。
先ほど地面を揺らした力強さとは対極的な、それは静かな蹴脚だった。
無駄なく、全ての力を前進に使い、風の音のみ鼓膜を揺らす。
一瞬でバアルの間合いの内側に入り込んだコウさんは、地面に手を突き支柱に変えて、図太い尻尾を振り抜いた。斬撃と呼ぶにはあまりにも重厚な、身体の芯に打ち付ける攻撃だ。
バアルは猛攻に押されて、浮きながら家から離れていく。
それでも動きが衰えないのを見るに、向こうも強敵だ。
額に浮かんだ汗を拭って、コウさんが呟く。
「……当たり前だが、修行の成果は確かにあるな」
今度はバアルの攻撃だ。
なんと脚の先から糸を吐き、コウさんに向けて飛ばした。
予想外の場所から放たれた攻撃に虚を突かれ、動きを止めてしまう僕ら。
そのまま糸に囚われてしまうのか。
そんな筈はなかった。
「…ッ!」
「っ、ありがとうルティ…!」
足元に出現した扉の中にコウさんが落ちていく。
奴が吐く糸が絡め捕ったのは、その後に残された虚無だった。
(危なかった…)
安堵の息を吐く。
しかし、戦いは止まらない。
「ほら、何処見てるんだっ!?」
空に響いたコウさんの声。
見上げると、バアルの頭上に開く扉。
完璧な奇襲だ。
「――――ッ!?」
今度は拳が胴を叩く。
自由落下のエネルギーも加わったパンチにバアルは脚を崩し、倒れ込んだ衝撃はまた森を揺らすのだった。
これ以上やってたら、森から小鳥がいなくなるかもしれないね…。
って、そんな冗談を考えている場合じゃない。
僕の出番が全くないじゃないか。
まあ僕は治療役だから、出番がないのはある意味いいコトなんだけどさ。
そろそろ活躍をしたい。
(というか、別に他のことが出来なくなるわけじゃないものね)
言霊、妖術、ちゃんと使える。
攻撃だってお手の物だよ。
「ルティ、今度は僕を送って」
「…☆彡」
手を振ってルティを呼ぶと、あの子は文字通り飛んで来た。
「大丈夫?」
「ええ、心配要りません。
コウさんはこれでも飲んで待っててください」
そう言って、懐から瓶を出す。
「…これは?」
「増強剤です。けものプラズムを回復できますよ」
「なるほど、有難く頂くよ」
ふふふ、ようやくお医者さんっぽいことができた。
まあ、アレを作ったのはコモモなんだけど。
薬の正しい処方を考えるのもお医者さんの役目ということで、ここは一つ。
さて、一先ずはこんな感じで。
今から僕、ちょっと武闘派になります。
「ルティっ!」
「~~っ!」
ルティの足に掴まって、低空を滑る。
段々と影が大きくなっていくバアル。
まさか今更、真正面から突っ込むと思っているのだろうか。
……やっぱり、敵もそこまで馬鹿ではなかった。
「よ、避けてっ!」
八本の脚それぞれの先から吐き出された白い糸。竜巻のように暴れ狂った純白色の呪いはやがて、木々に絡み付いて繭状の巣を成した。それらは、バアルを護るための堅牢な要塞に姿を変えたのだ。
眩く視界を覆い、バアルの姿は見えなくなった。
そこにいることは明らかなのだが、何をしているかが分からなくなった。
(…面倒なことをしてくれるね)
僕は警戒心を強めた。
ルティのワープに対するこの非常に早い適応。
姿を隠しただけなど、よもや在り得る筈も無い。
―――待ち伏せをして、無警戒に出てきたら捕食。
その程度のことは、態々予想するまでもなくしてくるだろう。
「…で、だから何?」
こっちだって、その程度で攻めあぐねるほど弱くないんだけど。
「ルティ、一旦上に乗せて」
身体をよじ登って、翼の上に。
ちょっぴりだけ、落ち着いてやりたいことがある。
……飽くまでこれは、勘だけど。
へびつかい座の力って、『傷を治す』ことだけじゃないって思うんだ。
「…こういうの、バフって呼ぶんだっけ?」
もはや見慣れた緑色の光をルティに浴びせて、身体のパフォーマンスを向上させてやる。これを思い付いたのは全くの偶然で、何となくコウさんに渡した増強剤から着想を得た。
薬が無くても、似たようなことが出来るかも…ってね。
結論から言えば僕の予想は正しく、ルティの飛行速度が格段に上昇した。
優雅な遊覧飛行から、命懸けの逃避行の如きスピードに。
さあ、これでどうしようかな。
なーんて、もう決めたけど。
「ルティ、その翼で斬ってやれッ!」
そう命令して、身体を伏せた。
すると、劈くような風が身体スレスレを吹き抜けていく。
僕の補助を受けて限界まで加速したルティが、繭の要塞を支える糸を、一本ずつ全速力の翼で切断しているんだ。
間もなく繭は支えを失い、ゴロンと地面に投げ出される。
そろそろ向こうも籠城が悪手だって気付いたかな?
数秒くらい動きを窺って、しかし一向に変化なし。
ならば、次の一手も僕が打てる。
「折角だし、内側から焼いてあげよっか」
未だに待ち伏せを狙ってるのなら、その罠に飛び込んだうえで壊してあげよう。名残惜しいけどへびつかい座との同調は解いてしまって、僕は虚空間からの石板を手に取った。
「『
宙に舞う紅色の羽根。
炎の香りが、花に憑く。
「ルティ」
一言だけの疎通。
言外の意志を組み、ルティは扉を繋いでくれた。
バアルが潜む繭の中へと、炎を滾らせながら身を投げる―――!
「…熱いな」
遠くから、コウさんの呟きが聞こえた気がした。
§
扉を通った後の景色はよく覚えていない。
とにかく全て紅かったことだけ印象に残っている。
気が付けば繭は燃え尽きていて、バアルは熱さで地上をのたうち回っていた。
で、かなり輝きを消費したのかな。
ほうおう座の石板は光が消えかけていた。
僕は同調を解き、ルティの身体に跨ってみんなの所へ帰還した。
「お疲れ、派手にやったね」
「見事じゃ。綺麗な炎じゃったぞ」
一旦の休息。
まだ戦いは続くけど、褒め言葉は有難く受け取ることにした。
「ありがとうアス。
でも、まだ物足りないかな」
鳳凰の姿を離れても、戦意の炎が消える気配はない。
むしろ、存分に燃え上がれなくて燻っている。
このままじゃ終われない。
「コウさん。アイツへの止めは、このまま僕に譲ってくれませんか?」
「あぁ、構わないよ」
「ありがとうございます」
もっと。
もっと。
やらなくちゃ。
「アイツはクオに傷を付けました。
だからその分……ううん、その何十倍も、痛い目を見せてやらないと」
この怒りは、当分収まりそうにもない。
「よし、お膳立ては俺に任せてくれ。
ここらで一発手っ取り早く、大空に打ち上げてやるよ」
バアルに向かって、コウさんが跳んだ。
僕はその様子を見送り、アスから貰ったあの石板を手にする。
絶好のチャンスだ。
叩き切ってやる。
「『
僕がへび座と同調し、姿を作り変えた数秒後、地の属性を纏った蛇の一撃がバアルの胴体を抉り取った。
「そおら……ぶっ飛べッ!」
宣言通りバアルは飛んだ。
ここから、僕のターンだ。
「ルティ」
「…☆」
「うん、お願いね」
扉を抜けると、そこは空だった。
森の上空は晴れやかで、一つの雲も浮かんでいない。
心が洗われるような美しい晴天。
だから、こんな蜘蛛は邪魔なんだ。
バアルの上から落ちながら、牙の形をした双剣を強く握って、蛇のフレンズであることを表すフードを被ったら、もうスピードは止められない。
(普通に斬ったら、弾かれる…)
だから斬る場所は決めてある。
趣味と実益を兼ねた、とても良い狙い目をね。
「……蜘蛛の達磨って、見栄え良いのかな?」
浮かんだ疑問をつい零してしまいながら、落下速度で振るった双牙は脚の付け根を断ち切った。
ほら、予想通り。
動き辛くなっちゃうからね。
幾ら皮膚を硬くしても、関節は柔らかくしないといけないでしょ?
だから、僕の牙は止まらなかった。
「さて、これで一本」
落ちていく僕は、目を閉じる。
瞬きのあと、僕はまた上空にいるのだ。
「あと七本、終わる前にくたばらないでよね?」
まるで流星群のように僕は落ちて、脚を斬り落としたと思えば、また上空から落ちて脚を斬る。幸いなことにバアルは頑丈で、脚を斬り落とした程度で死んでしまうようなことはなかった。
そうでなくては。
とどめの一撃が映えない。
これからやっと終わらせるんだ。
(…いい気味だね)
下界を見下ろす。
八本の脚を斬り落とされたバアルは、胴体だけで地面に落ちていた。
対して僕は、ルティの扉で更なる上空へ昇っている。
合わせて八回分の落下は凄まじいスピードを僕に与えてくれた。
もうアイツには止められない。
このまま両手の牙で、今度こそバアルに引導を渡すのだ。
全力で。
輝きを全て込めて。
「――――『斬り裂け』」
翠星が墜ち、体組織が崩れる音と一緒に黒い波が森を広がった。
戦いの終わりを待っていた彼らは不吉な色に身構えたのだが、結局辿り着いた波は足元の草を僅かに黒く染めたのみだった。
淡く舞い上がった虹。
セルリアンは倒されたのだろう。
すぐに彼らの思考はソウジュの安否に切り替わった。
まさか無事だとは思うが、直前の落下速度が尋常を超えていた。
一足先に安心を得ようと、傷を治したばかりのクオが走り出す。
森に掛かる霧のようにモヤモヤとした不安を抱える一行だったが、すぐに向こうから聞こえたクオの歓声に胸を撫で下ろす。
「やれやれ。
危なっかしいことをしおる」
アスはそう言って肩を竦めた。
彼女が彼にへび座の石板を渡したのは、何もあんな特攻まがいの攻撃をして欲しかった訳ではない。まあむしろ、それ以前の戦法の方が、彼の中にある残虐性を垣間見たような気がして溜め息の数が増えるのだが。
脅威は去った。
それでよいのだ。
「それにしたって、ルティの扉をあんな風に使うとはね」
コウは素直に感心していた。
ソウジュの恨み深い戦い方にも、共感を示していた。
大切な人を傷つけられた怒りの結果と考えれば、当然だろうと。
……大切な人。
彼は元の世界が心配で堪らない。
そしてそれ以上に、また性懲りも無く掛けてしまっているであろう心配に申し訳なく感じていた。
不可抗力とは言えども。
もしも時間を戻せたならばと、割と本気で願っている。
「……ルティ?」
ハッと現実に返り、アスの声に振り返る。
戦いから戻って来たルティが、彼女とじゃれ合っていた。
「ん、どうしたのじゃ?」
「~~☆」
何か、会話をしている。
「……うむ。
お主も、それでよいのじゃな?」
それも、真剣そうな話を。
「アスさん、どうしたの?」
「…いや、後で話そう」
「まあ、それは任せるよ」
「とりあえず、疲れたのじゃ。甘い飲み物が飲みたいのじゃ~」
そそくさと家に入ってしまった。
コウの目には何か、アスが隠しているように見えたのだが。
さりとて、追い掛けはしない。
彼には急用があった。
「…ソウジュくん」
「あっ、はい」
「戦いですごく消耗した。ジャパリまんを分けてくれないか」
「…はい」
有無を言わせぬ凄味に、ソウジュは負けた。
「クオも食べる~!」
「いいよ、どうぞ」
一つのジャパリまんを美味しそうに食べるクオ。
十個のジャパリまんを幸せそうに頬張るコウ。
「……はぁ、これでいいか」
ソウジュは怠惰に、増強剤で疲れを癒したのだった。
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