第13話 大蜘蛛の厄
「…ああもう、あっちに行ってっ!」
がむしゃらに振った刀。
鋭い刃先だが、厚い皮膚の前には敢え無く弾かれる。
「くぅ…っ!」
文字通りの意味で刃が立たない。
また一歩、歯噛みをしてクオが後退り、大きな蜘蛛のセルリアンはまた一つ、アスの家に向かって歩みを進めた。
「もう、まだ朝ご飯食べてないのに~っ!
「すまないクオ、我らの力不足で…」
「いいから、二人は隠れててっ!」
扉の向こうから顔を出した、ブラックバックとオーストラリアデビル。
もう一人、タスマニアデビルはこの場所に居ない。
助けを呼びに行くために、決死の攻勢で彼女だけを逃がしたのだ。
彼女が、ソウジュ達の助けを連れてくると信じて。
「タスマニアデビルちゃん、大丈夫かな…?」
「案ずるな。
アレが最善の選択だ」
あの子の声なら、森の何処へだって届く筈。
だから、白羽の矢が立った。
「大丈夫、ソウジュはこっちに来てる…」
…そして少し早くも、クオはこの作戦の成功を知っていた。
それは内に秘めた才能の開花か、若しくは『ふたご』になったお陰で芽生えた第六感の賜物か、クオは彼女が望めば、ソウジュの居場所を四六時中感じ取ることができる。飽くまで直感のようなものだが、今まで外したことはない。
クオはその感覚で、ソウジュが此処に接近していることを察知していた。
スピードは段違いに速い。
彼女の伝令が達して、大急ぎで戻ってきているのだろう。
あと少し耐えれば、きっと助かる。
「だから、倒れないよ…!」
崩れそうな膝を叩いて、ボロボロの刀を構えて。
クオは、目の前にいる巨大な蜘蛛を睨みつけた。
正直、クオとこのセルリアンの相性は最悪だ。
厚い皮膚、山のような体躯、大きさの暴力。
蜘蛛にしては重厚で漫然とした動きを見せるこのセルリアンは、そうしても一切困らない程に堅固だった。
先の通り、刀は通用しない。
すばしっこく動いて攻撃を当ててもビクともしない。
唯一、セルリアンからの反撃を貰うことが無いのは不幸中の幸いだが、それも薄氷を踏む様な、ジリジリと精神を削られる戦いを強いられるだけだった。ソウジュのように妖術が使えたらと、クオが今日ほど強く思ったことはない。
(やっぱり、クオは弱い…)
だから今も、ソウジュの助けを待っている。
守れるようになると、そう決心したのに。
(ソウジュ、ソウジュ……ッ!)
広がる血溜まりのように、ドロドロした感情が心を占めていく。
そんな訳ないのに、彼がいつか消えてしまうような気がして。
(……見てられないわね)
「…えっ?」
一瞬だけ、何かが目を覚ました。
クオはそう感じた。
その一瞬で、景色が変わった。
「…うわあっ!?」
爆炎。
手の平から、制御も出来ずに溢れ出す蒼色。
気が付くと、セルリアンは数メートルほど吹き飛ばされていた。
周囲にも引火して、焼け跡が残っている。
「これ…狐火……?」
これは、自分がやったのだろうか?
信じられない。
あんな大規模な妖術を、まさかクオが使えたなんて。
自分ではない何者かが、身体を乗っ取ってやったのではないか。
混乱の中に浮かび、すぐに忘れた妄想。
奇しくも、当たっているとは思うまい。
この刹那の出来事は、誰の記憶にも残らず忘れられることになる。
―――何故なら直後に、彼らが来たから。
「クオ、大丈夫っ!?」
「あっ、ソウジュ…っ!」
ぱあっと顔が晴れ渡る。
つい先程までの暗雲をすっかり忘れてしまったように、クオはソウジュに抱き付いた。
「っとと…ふふ」
突然のことに驚くも、すぐに微笑んで頭を撫でる。
戦場の惨状を見渡せば、起こったことは想像に容易い。
故に労いの気持ちも込めて、一層優しくご褒美をあげた。
「それ以上は、終わってからやるのじゃな」
呆れたような声。
顔を向けると、アスの目は生暖かった。
……やめてよ、そういうの。
でも、言ってることは正しいか。
「奴に名を付けよう。
大蜘蛛の悪魔……バアル、でどうじゃ?」
「いいね、分かりやすい」
アスの提案にコウさんが頷く。
あのセルリアンの名前は『バアル』に決定した。
じゃあ、もう話は簡単。
セルリアンは、倒さなきゃいけないよね?
決心を込めて一歩踏み出すと、後ろから袖口を引かれた。
「待ってソウジュ、戦う前に…」
「いいよ、今は休んでて」
「え?」
もう、クオったら。
惚けた声出しちゃってさ。
「あんなに戦わせた後に、またクオの力を使わせるなんてことできないよ。
此処は任せて、僕にも手札は沢山あるんだから」
コウさんに貰った石板、もう一つくらいは試してみたいしさ。
「わらわも戦闘には向かぬ。
今はクオの治療に専念しよう」
そうそう、治療も必要だ。
平然としてるから見落とし掛けていたけど、まず服装からボロボロだもの。
長い間、相当の劣勢を凌ぎ続けてきたんだろう。
「かなり無理をしたようじゃな。
すまぬ、まさかセルリアンに襲われるとは」
少し離れた二人が、治療をする様子を見守る。
隙を見て逃げてきた、ブラックバックとオーストラリアデビルの姿もあった。
まあ、アスに任せてさえおけば万が一も無いと思うね。
僕らが集中すべきは、あのセルリアンだけだ。
「コウさん、準備は…」
「いつでも出来てる。…やれやれ、面倒そうな奴だ」
「アレが、『面倒』で済むんですか…?」
明らかに、その一言で形容できる域を越えた強敵なのだけど。
コウさんにとっては違うらしい。
「アイツよりずっと強くて厄介な奴らと、元の世界で散々戦ってきたからね」
平然と言い放つ姿に、僕は舌を巻いた。
(コウさんの世界のジャパリパークって、もしかしてかなりヤバい場所なんじゃ…?)
だけど考え直してみれば。
山の如きカラス、オリオンの巨人、巨大な蛇、動く鏡、不死鳥、そして骨の竜。
案外、向こうの世界のことを言える立場じゃないかもしれない。
……まあ、別に僕は世界代表でも何でもないケド。
そんな風に自分の世界のことを省みていたら、つむじ風と共にやんちゃな彼が現れた。
「……ルティ?」
なんか、またしょんぼりしてる。
「――ふむ、なるほど。
どうやらあやつは、この件に責任を感じておるようじゃ」
責任ねぇ。
一体どうやって負わせられよう。
「ルティがあの音声を聞き、我を失った瞬間、能力が暴走してしまったのじゃろうな。異世界と繋がる扉が開いて、あのセルリアンがこちらに乗り込んできたようなのじゃ」
ふむ、そんな事が。
「しかし、そうか。
奇妙に思っていたが、件の星座たちは……」
ルティが落ち込んでいる原因を明瞭に語ったかと思えば、今度はぼそぼそと独り言を呟いている。半端に耳に入って興味を引いてくるのが煩わしい。いっそのこと心中に秘めてくれまいか。
「アス?」
「…いや、忘れてくれ」
「とにかく、それでもルティは悪くない」
コウさんが断言する。
まさにその通りだ。
「こうなった原因は全部、あんなことを言った奴のせいだろ?
ルティが責任を感じる事なんて、何一つないさ」
それでも、何も無しで終わるのは気分が悪いのか。
勇猛果敢といった調子で、ルティは吠えた。
「……もしかして、一緒に戦ってくれるのか?」
バサリ。
搏いた翼は肯定か。
「ソウジュくん」
「はい」
「俺たち三人で、アレを片づけよう」
三人寄れば何とやら。
知恵が無くても、百人力だ。
「さっ、早いとこ片付けちゃおう」
「待て、ソウジュ」
「……え?」
何故か僕だけ引き留められた。
もしかして戦力外通告ですか、殺生な。
これでも並以上の力は持っているのですよ。
でも、目の前の景色を見ていると自信がなくなりそうだね。
コウさんとルティは既に戦いを始めている。
片や常識を逸脱した威力の攻撃。
片や世界も超越する機動力の獣。
僕が誇れそうなのは……継戦能力とかなぁ…?
委縮しそうな思考を読み取ったのか、直後に放たれたアスの言葉は、僕に新しい役目を示すものだった。
「三人とも攻撃役ではバランスが悪いじゃろう」
まあ、よく考えればその通りだ。
しかしそれを指摘されたところで、僕に解決する手段はない。
アスのように優れた治癒なんて……あの『
すると、アスは僕に手を伸ばしていた。
これって、まさか…。
「さあ、存分に使うとよい。
主の身体にはちと、刺激の強い力かもしれぬがの」
「いいよ、試してみる」
努めて平静に、驚きに呑まれないように。
クオ以外のフレンズから力を借りるなんて、夢にも思わなかった。
手を触れなくても感じる。
アスの全身から放たれるオーラを。
こんな存在が唯のパーク職員を名乗っていたのかと思うと、素直に信じた当時の僕がちょっと間抜けに思えちゃうね。
……あぁ。
武者震いがする。
「くふふ。
ほれ、コウよっ!」
「えっ、どうかしたのか…!?」
「蛇の姿になれ、相性が良い筈じゃ」
あはは、相性ね。
確かに悪くはないかも。
だけど、戦ってる最中の人に言う?
改めて見る彼女の奔放ぶりに笑いを零していると、右手に冷たい重さを感じた。
「それと、チャンスがあればコレも使え」
「あ、石板…?」
「お主なら、分かるじゃろ?」
けものプラズムを通わせて一瞥。
まあ、アイツに剣を向けるような機会があれば使おう。
……眺める限り、僕に攻撃役が回ってくるのは後になりそうだけど。
「ホント、アスは好き勝手言ってくれるよね」
「お主、歳の功には従っておくものじゃぞ」
「…口調だけだよね?」
「ちなみに貸し1じゃぞ」
「ルティに返すよ」
ここぞとばかりに叩き合った軽口の応酬の中、僕の適当な言葉を最後に返答が途絶える。何か失言をしてしまったかと冷や汗をかきながら横を向けば、アスが瞳を潤ませて言った。
「……うむ、そうしてくれ」
前言撤回はしない。
だけど、やっぱり失言だった。
「し、しんみりしないでってば…」
「あぁ、すまぬ」
「二人とも、まだ掛かるのっ!?」
とうとうコウさんに叱られてしまった。
ごめんなさい、僕を引き留めたアスが悪いんです。
そう言えば更に叱られることは火を見るよりも明らかだったから、僕は素直に謝った。
じゃあ。
そろそろ行かないと。
「ほれ」
「うん」
「ソウジュ~っ!」
「はいはい、終わってからね」
クオの抗議を聞きながら、アスと軽く手を繋ぐ。
力の奔流に意識を傾けて、お医者さんの姿をイメージする。
「『
はためく白衣。
黒い長髪に、先は緑色。
グラデーション風に変化するのは初めてだっけ。
でも、この姿で一番目立つのは。
蛇が巻き付いた、神聖な木の杖だ。
「行くのじゃ、ソウジュ」
「…うん」
ヒリヒリするほどに強い輝きを感じたら、あんなに大きな蜘蛛だって全く怖くなくなった。
初めてだ。
癒すための力は。
不思議だ。
快刀乱麻で敵を薙ぎ倒す訳じゃないのに。
夢の様だ。
杖を強く握りしめた僕は。
―――これ以上なく、気分が高揚していた。
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