第12話 「保護者」と「友達」
アスは、へびつかい座のフレンズであった。
暦を数える意味などないある夜、満天の星の下で生を受けた彼女は、リクホクの森の中にあった家に住み着いて穏やかな日々を過ごしていた。
毎日の生活に不自由はない。
住居は言わずもがな。
食事は用意されている。
娯楽も、棚いっぱいの本があって飽きが来ない。
彼女は専ら、本の虫として生きていた。
”アス”という名前も、彼女が自分で決めた。
その由来は、もちろん本の中。
”アスクレピオス”と呼ばれる、神話の中の医者。
その名前の頭から2文字を借り受けて、彼女は自分をアスと呼ぶようになった。
ある雨の日に手に取ってみた星座図鑑。
なんとなく心惹かれ、適当に開いたページには『へびつかい座』の文字。
運命と悟り、絵に指を重ね、胸に手を当てて、自分の生まれた理由を識った。
その瞬間に、アスは全ての『病』を癒す、まさしく神話の医者の如き能力を手にしたのである。
斯くして、パークで一番のお医者さんになった少女。
アスには憧れの存在がいた。
遥か昔、この群島の上に生きていたであろう人々がやっていた、”パーク職員”という仕事である。
様々な本や資料を手に、アスはかつてこの島が、”ジャパリパーク”という名前の動物園であったことを知っている。そして動物園を管理し、フレンズ達と一緒に生きていく存在として、”パーク職員”なる役職が存在していたことも。
アスはそれになりたかった。
パークの職員になれば、彼女の並外れた能力を生かして多くのフレンズ達の助けになることが出来るに違いないからだ。
もしかすると、獣医についての本を読んだのかもしれない。
実に素晴らしいアイデアだった。
……もしも、ジャパリパークが荒廃していなければの話だったが。
悲しいかな、既にパークに人間はいなかった。
アスがどんな努力を重ねたとしても、職員さんになることは出来ないのだ。
あぁ、別に治療は出来る。
フレンズのお医者さんとして活動したとしても、彼女の名声はいつかパークのフレンズ全ての耳に届くことになるだろう。
それでもアスは、”パーク職員”という肩書が欲しかった。
だって、いつか見た求人資料の中にいた彼らは、とてもカッコ良かったから。
そんな彼らと、肩を並べていたかったのだ。
しかし無い袖は振れず。
また、覆水盆に返らず。
もうパークに、人は現れない。
諦めて、また本の虫に戻り、アスは普通に楽しい日々を過ごす。
決して不自由のない、楽しい日々に。
変わり映えのしない日常に辟易としていた、ある日。
――――アスは、ルティと出会う。
辛そうだった。
可哀想だった。
救わねばと思った。
アスはルティを連れ帰り、全力を尽くして癒してあげた。
この子が笑顔で、生きていられるように。
そうしているうちに、アスはかつて見た資料を思い出す。
パーク職員のお仕事リスト。
その中の、”孤児の動物を保護する”というお題目の仕事と、自分のやっていることがまるでそっくりだと感じた。
アスの心の中で、一つの変化が生じたのだ。
パーク職員とは、肩書だけで良いのだろうか。
しっかりと、その名に見合う責任を負うべきではないか。
では、逆に考えれば。
パークが無くても。
誰も認めてくれなくても。
こうして、自分自身を認めてあげられる仕事をしていれば、パーク職員を名乗ったとしてもいいのではないかと。
最初の夢は叶わなかった。
一緒に働くことは出来なかった。
でも、せめて名前を戴く位なら、きっと怒られはしないはず。
ルティの保護者で居続ける限り、アスは気兼ねなく自分をパーク職員だと言い続けることが出来る。そう考えた時、これまで一度もなかったくらいに、アスの胸は高揚するのだった。
おかげでルティに過保護になったりと別の問題も少々あったのだが……まあ、それは別の話。
ルティがそうであったように。
アスもあの出会いで救われていた。
生きる意味を一つ、確かに受け取っていたのだ。
――――目を覆う。
「……だから、わらわは癒すのじゃ」
首を包む。
「だって、わらわはお主の保護者で」
耳に囁く。
「お主のような存在を護る、わらわは”パークの職員”なのじゃから」
緑色の光が蛍火のように揺らめき、ルティの身体に入り込んでは飛び出す。
全てを癒さんとする優しい温もりを、離れていても感じている。
その光が、ルティに変化を与えた。
毛先に波打つ血のような紅色が引いて、怒りの籠った気迫が鳴りを潜めていく。
「ルティよ。
わらわはいつでもお主の味方じゃ。
あの日にも、そう言ったじゃろ…?」
小さくルティが、頷いたように見えた。
(若しくは、もっと道は狭いと思ってたんだけど……)
斯くもあっさりと。
…いいや、そんな簡単な話じゃない。
無言の中にも、無限のやり取りがある。
(きっと、へびつかい座の能力だけじゃない)
二人の絆、どんな過去があったのか。
想像こそすれど、口は慎もう。
分かり得ぬことについて、人は沈黙しなくてはいけない。
敢えて言うなら、良い景色だった。
「すまなかった、ルティ」
「……♥」
謝罪の言葉を続けようとしたアスの口を、ぺろりと舌でなめて塞ぐ。
涙も舌で拭って、却って唾液まみれの顔面でアスは笑った。
「…ありがとう」
氷の花が融け、滴る草の隙間で赤い花が咲いていた。
§
「……わらわの仕事は、ここまでじゃのう」
すっかり元気になったルティを遊ばせて、長閑な雰囲気が辺りに漂っている。
「お疲れ様、アスさん」
「うむ、とても助かったぞ」
木の根元に腰掛けて、深く息を吐くアス。
僕が渡したジャパリまんを一つ横流しして、コウさんと二人で食べ始めていた。
「ともあれ、これで一件落着―――」
「そうはいかぬ」
「…え?」
「まだ、やるべきことがあるのじゃ」
真剣に戻ったアスの語調に、僕らは息を呑む。
そして続く言葉は、全く予想外のものだった。
「しかしそれは、わらわでは務まらない役目でもある」
「…どういうこと?」
頭上にハテナを浮かべる。
些か儚げな微笑みをして、アスは話し続けた。
「確かにわらわのこの力で、ルティの怒りを鎮めることが出来た。じゃが、言って仕舞えばそれだけなのじゃ」
嘘だよ、それだけなんて。
だって、あんなにすごい力なのに。
否定したい気持ちを、一瞬呑み込んで抑える。
きっと、それはアスの望みではないと思ったから。
「心の傷を癒し、激情を収めても、あやつの幸せにはまだ遠い。不幸を消し去っただけでは、まだ足りぬ」
「でも、アスが一緒にいるなら…」
「それも一理あろう。あやつの保護者として、わらわは責務を全うする」
「えっと、じゃあ…?」
二、三度、はにかむ。
今さら何を躊躇うのかと。
そう言い聞かせたように頷いて、アスは言った。
「あやつに一言、友達として声を掛けてやってはくれぬか?
確かに居場所があるのだと、感じさせてやって欲しいのじゃ」
……友達。
「なるほど、お安い御用だよ。
俺も、ルティの為に何かをしたい気持ちは同じだから」
彼女の頼みを聞いて、コウさんはそう即答した。
困ったように眉をひそめながら、瞳には慈愛が満ち溢れていて、ルティに連れ去られて始まったこの数奇な日々にも愛着があるのだと、彼は言った。
気に入られた理由はまだ納得できないけどね…って、苦笑いを浮かべていたけど。
アスの視線が、僕に向く。
「…ソウジュにも、頼めるか」
「出会ってたった数日だけど、それでよければ」
「構わぬ、なにせお主は旅人じゃろ?」
一期一会、それも出会いの形。
決してこれが最後ではないのだから。
『始まり』の印としての、友達。
「ついでに面白い冒険譚を、あやつに聞かせてやってくれ」
そこまで言われれば、わざわざ断るような理由は僕には無かった。
「行ってくるよ、アスさん」
「うむ、ここから見守っておるぞ」
ルティの遊び場へ、歩みを進めていくコウさん。
正真正銘、これでこの事件は終わりを迎えた。
幻獣を混ぜてルティを生み出した存在については、未だに分からず終いだけど……ただ二人とも、少なくとも今だけは、その正体を解き明かすことを望んでいるようには見えない。
ソレはルティを捨てた。
だからもう、戻って来ることもない筈で。
今日の事を以て、未練とも完全に決別するだろう。
急変は、まさに波のように過ぎ去って。
安寧の日々が、これからもリクホクで続いていく。
そう思っていた。
だが、安心するのは少し早かったらしい。
タスマニアデビルの大きな声が、まるでサイレンのように森中に響き渡り、訪れてしまった異変の存在を僕らに報せるのだ。
「おーーーいっ!
アスさん! コウさん!
誰かいないかーーっ!?」
大声の中に混じる、甲高いノイズ。
張り裂けそうなほど声を張り上げていることが分かる。
でも、おかしい。
「僕だけ、呼ばれてない…?」
「はは、そういうこともあるって」
「…そんな冗談を言ってる場合ではなさそうじゃぞ」
アスに静かに窘められる。
僕とて、重大性は何となく察していた。
コウさんも僕の冗談に乗りながら、目はいつになく真剣だった。
静かな呟きから一転、大きな声でタスマニアデビルに応える。
「わらわは此処じゃッ!」
そして待つこと、一分にも満たぬ。
「あっ!
はぁ、はぁ……アスさんっ!」
走って、叫んで、焦って、安堵して。
肩で息をするタスマニアデビル。
見上げた瞳は血走っている。
この事態、もう隠す方が悪手と判断したのだろう。
アスは星座の力で身体を癒して、状況を確かめんと問いを投げ掛けた。
「随分と焦っておるの。何があった?」
急に軽くなった身体に戸惑いながら、タスマニアデビルは彼らに伝えるべき事実を思い出し始める。
彼女は走りながら何度も確かめた。
すぐに伝えられるように。
すぐに皆の所へと戻れるように。
パクパクと空気を食べる自分の口を彼女は怨み、声を呼び戻そうと頬をつねる。
口籠る一瞬すら、惜しくて堪らないのだ。
「みんなを、助けてくれ…!」
大丈夫。
一言で好い。
多くは望まない。
「オレたちのお家が……でっかいセルリアンに襲われてるんだっ!」
彼女が望むのは唯一つ。
救いの手だ。
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