第11話 拒絶する声、抱き締める腕。
―――時は、ほんの少しだけ遡って。
「ぅ……ん?」
朧げな視界と、瞼の隙間を縫うように差し込んだ木漏れ日。
耳元で鳴り響く奇妙な音で、僕は目を覚ました。
「…あぁ、寝てたんだった」
身体をぐいっと引き伸ばして、脳みそに血を通わせる。
二度寝に落ちるまでの今朝の出来事の数々を思い出しながら、僕はルティと、彼が抱えているラッキービーストの様子を確かめる。ルティは何処かに消えていて、可笑しな音を発する青い機械だけが寝床に残されていた。
ピタリ、すぐに思考が結び付く。
僕を眠りから引っ張り起こした聞き慣れぬ音は、このロボットがスピーカーから発したものなのだろう。
「…持ち帰るべきか」
如何するべきか、悩ましいところだ。
先に盗んだのはルティだが、勝手に持って行けば不興を買ってしまう。
交渉しようにも、肝心のルティがこの場には居ない。
……そういえば、この音は何だろう?
僕は耳を傾けた。
『おい―――何か――』
『――やめ――危ないかも――――』
『――――すんな、オレが――』
草を踏む様な環境音の最中。
何処かで、聞いたことがあるような声がする。
もしかしなくても、この声は……。
僅かばかりの希望が、より一層輝いて感じられた。
「録音した音声が、この中にある」
アスの修理は確かに成功していた。
これで何かを、明らかに出来るかもしれない。
「…あっ、ルティ」
「~♪」
そうして、そよ風の中で小さな音を聞く僕の元に、ルティが鼻歌のような鳴き声を響かせながら姿を見せた。
楽し気にスキップを踏みながらやって来たルティは、僕には目もくれずにラッキービーストをひょいと咥えて持ち上げる。
そして、トテトテと向こうへ歩き去っていき……。
「ちょっと、持ってっちゃうのっ!?」
叫んでも、振り返りすらしない。
どうやら明け渡すつもりは欠片も無い様子だ。
それでも諦めるという選択肢は無く、僕はルティの後を追う。
「ま、待って!
少しだけでいいんだ、声を聞かせて!」
止まらない。
だったらと、ふと思いついたアイデアを試してみる。
「ラッキーさん、聞こえる?」
『…はイ。どんな…ご用でしょうカ…』
「君に保存されている音声を、一番新しいものから聞かせて欲しい」
呼び掛けてみたら、彼は反応してくれた。
音声を聞く位のことなら、これでなんとかなりそうだ。
続く言葉で、僕はそれを確信する。
『……かしこまりましタ』
心の中でガッツポーズをする。
思えば、呑気だったなと。
ついに言ってしまった頼み。
受け入れられてしまったお願い。
――ザザッ。
迸るノイズは、きっと最後の警告音だった。
『――――期待外れだな』
開口一番、心の底から失望したような声が聞こえた。
「…え?」
思わず面食らい、頭が真っ白になる。
そんな僕の困惑をよそに、言葉は待たず、続く。
『陸・海・空をそれぞれ制する、強力な幻獣の輝きを一つにすれば、我々の悲願を叶えられるだけの存在が生まれると思っていたが……当てが外れたな。これではただの継ぎ接ぎ、一片の役にも立たぬ』
ガリッ。
何かを噛み千切ったような音が響く。
「…ルティ?」
ボトン。
いつの間にか足を止めていたルティが、ラッキーの身体を草の上に落とす。硬直した蛇の尻尾と、凍り付いたように真っ直ぐな羽根が、ピリピリした空気を放射して僕の肌を刺した。
(事情は何一つ分からないけど、とにかくこのままじゃいけない…ッ!)
直感が脳に指令を出して、次の瞬間に僕は叫んでいた。
「ラッキーさん!
もういいよ、再生を止めてっ!」
『分かりましタ、音声を停――』
…ドンッ!
「……なんで?」
『テイ…て……ザザッ…』
……ドンッ!
「どうして?
聞きたくないんじゃ、なかったの…?」
太い脚でラッキービーストを踏みつけ、ルティは微動だにせず黙り込んでいる。
その間にも、止められなかった音声が流れ続く。
『なぜ失敗した、何が原因だ?
悪いのは我々か?
それともお前か?』
女性らしき、とても明瞭な声。
それなのに、突き刺すような語調には怨嗟が混じり、透き通っている筈の声色は、その裏側に蠢く悪意しかありありと見せていない。
「ダメだよルティ、それを返して。
そんな音声、これ以上聞いても良い事なんてない」
僕は静かにルティを諭す。
しかし、返事は威嚇の声だった。
「シャァァァ……!」
「言葉は、通じないの…?」
どう考えても、まともに取り合ってくれるような状況ではなかった。
「仕方ない、多少力づくでも…」
『寄るな、貴様ごときが』
「…っ」
挟まった声に一瞬怯む。
自分に向けられた言葉ではないとはいえ、心臓が縮むような思いだ。
それほどまでに、その声は昏かった。
……あぁ、今になって考えれば失敗だったな。
あの声に怖気づいていなければ、まだチャンスは残ってたんだけど。
『心底不愉快だ。
我々の行いを全て水の泡にしておきながら、能天気なものだな』
脳裏にこびりついた声を、必死に首を振って振り払う。
一拍遅れて、石板を握りしめる。
「『
次の言葉が、聞こえる。
『―――失せろ、生まれ損ないめ』
その瞬間、世界が燃え盛ったように見えた。
§
「……起きたことは、これで全部だよ」
一気に話して、言葉を切って。
僕はえずいた、息が足りなくて。
でも仕方なかった。
そうしなければ、時間が足りなかったから。
継ぐ句のために息を整え、紡いだ言葉は自然と謝罪になった。
「ごめんなさい、止められなくて…」
「いいや、お主が謝る必要はない」
俯く僕に、アスは優しく声を掛ける。
こんな状況になったけど、彼女は案外穏やかなのかな。
そんな呑気に事を考えていた僕は、顔を上げて後悔する。
「…ッ!」
アスは激怒していた。
一色の感情に染められた顔は平坦で、底知れぬのは奥行きが消えてしまったから。
「とんだ、邪悪もおったものじゃな」
その静かな呟きに、その程度の表現に抑えるために、アスがどれ程の感情を心中で押し殺したのか、僕には推し量る余地もない。
アスに掛けるべき言葉――そんな都合の良いものがあるとは思えないが――を探して、茫然と座り込むばかりであった僕の肩を、コウさんが優しく叩く。
「座ったままじゃ危ないかも。ソウジュくん、立てる?」
「はい、痛みも収まりました。だけど、コウさんは…」
「俺? ……そうだな、俺も確かに怒ってる」
そう言って、彼は表情に不快感を露わにした。
それを見て、僕はとても安心した。
彼が抱いた感情に対して、馴染み深く分かりやすくそして理解の出来る、しっかりと色のある包み隠さない表情だったから。
僕は、恐れずにいられた。
「けど、アスさんの様子を見てたら冷静になっちゃったよ。現に、一番憤りを感じてるのは彼女のハズだ」
そろそろ立ち上がろう。
ルティを、苦しむままにはしておけない。
この森を、焼かれたままにはしておけない。
「……助けないとな」
「はい」
誰を、とは言わなかった。
ルティとも。
アスだとも。
何故ならば……ううん、言わなくても分かるよね。
「わらわがやる」
静謐に、アスがそう口にした。
「あの時のように、わらわがルティの心を取り戻す。
じゃから、この手があやつに届くように、力を貸してほしいのじゃ」
こちらに向かって、手を伸ばす。
「か弱いパーク職員を、どうか助けてたもれ」
「ハハ、よく言うよ」
茶化すように言ったのは、怒りを誤魔化すためかもしれない。
§
「俺たちは、ルティの動きを封じればいいんだよね」
「多少は手荒にしても構わぬ。あやつの傷は全て、わらわが癒してやる」
「アス、一つだけ聞かせて」
彼女に短く、耳打ちをする。
言い終わって顔を離すと、彼女は目を丸くしていた。
図星、みたいだ。
「昨夜の髪の毛じゃな。やはり、わらわのことを探るためじゃったか」
「……ごめん」
「構わぬ。直接訊かれれば答えておったことじゃ」
余裕そうにアスは微笑むが、頬の端っこがピクリと跳ねる。
ルティを傷つけられた怒りが、心の中でまだ渦巻いているのだ。
激情を抑えるように両手で頬を打ち、彼女は毅然と前を見据えた。
「そういうことじゃから、心配せずに全力であやつを止めてくれ。ルティに、距離という名の枷は通用しない。今の状態のあやつが外の地域に出てしまったら……恐ろしいことになるやもしれぬ」
―――パークのあらゆるところで、感情の侭に破壊の限りを尽くすルティの姿。
それは、脳裏に過った最悪の想像。
「俺たちが、そうはさせない」
僕も、そう決心した。
「『
麒麟座の輝きを力に変えて、星の光を身体に纏う。
流れ込んでくるイメージを全て形に、蒼い毛先が特徴的な仙獣の姿に僕は変化した。
ピシリ。
指先で氷の粒が凝結して、砕ける。
「氷を操る姿か。
…なら、
聞こえないくらい小さい声で、何かを呟いたコウさん。
だがそんなことを気にする間もなく、事態は危急に進展していた。
「扉じゃ……あやつ、逃げる気かっ!?」
「させないッ!」
手の平を宙に向けて、冷気を放つ。
腕から氷の柱が伸びて、すぐに扉を捕まえた。
完膚なきまでに凍らせて、決して開かないようにそれを封じる。
「ごめんねルティ。
君を、どこにも行かせる訳にはいかないから」
これで、逃亡は防ぐことが出来た。
安堵に息つき、その一瞬。
「…うぅっ!?」
大きな翼での一撃。
気の緩んだ隙を突かれて、僕は再び地面の上を転がるのだった。
「ソウジュッ!」
「うん…大丈夫…」
図らずアスに叫ばせてしまったが、この程度なら何ともない。
こんな軽い一撃で、音を上げてなどいられまい。
(ルティの動きを、制限しないと)
彼を打ち倒す必要はない。
まずは相手の反撃を封じて。
アスが捕まえられる状態になればそれでいい。
だから、
「瑠璃のように……墜ちろッ!」
焦げた草を踏み、空に青い月を浮かべる。
星屑のように氷塊が形を成し、下界へ降り注ぐ。
ルティの逃げ道を、段々と塞いでいく。
「コウさん!」
「一瞬だけだ──
彼がそう叫んだ瞬間、紅と碧の入り交じった尻尾の毛が逆立ち、骨の髄まで凍てつくような風が全ての炎を消し去った。そのまま彼は目にも止まらぬ速さで駆け抜け、そしてルティの懐すら過ぎ去って、彼の身体ごと氷に侵しながらお土産の氷塊を残していく。
少しずつ、ルティを留める氷が融けてゆく最中。
僕は、氷塊に向けて力を込めた。
「…『咲き誇れ』」
氷は花となり、花粉は風に散る。
しかし茎が伸びて、ルティの四肢を捉えたのだ。
縛り付けば棘が毛の隙間に潜り込み、藻掻くほど強固に自由を奪い取っていく。
彼の身体が放つ怒りの熱でも、この束縛は融かせない。
「鬼ごっこはこれで終わりだ、ルティ」
コウさんの言葉通り、もう逃がしはしない。
僕たちの仕事はこれで完遂した。
―――そしてここからは、アスの出番だ。
アスはもう、ルティの前に立っていた。
胸に手を当てて、ルティを見つめている。
氷の荊に磔にされながら、ルティは暴れるのを止めない。
アスが目の前に居ても、ルティの瞳は、ここには無い何かを探して虚空へと向けられていた。
唸り声と、氷の軋む音。
まるで独白を紡ぐように、アスは口を開いた。
「とても不思議なやつじゃ。こうして世界を燃やしているのに、心は氷塊のように冷え切ってしまっている。その熱さは、自分の為にこそ使ってやるものなのに。世界に分け与えてしまって、もはや何も残らない」
荊から、氷の花を摘み取る。
「お主を縛っているのは、その荊の形をした氷ではない。
ルティ、それは冷たく閉ざしたお主の心なのじゃ。
いつか必ず、融かさなければならぬ」
好き、好き、好き、好き。
意味を為さない花占いをこなし、愛情だけ込められた花の残骸を彼に贈る。
暖かい氷の
鼻先をくすぐった。
「お主に、それができないのなら…」
そして初めて、足を踏み出して。
「わらわが、融かしてやろう」
力強く、抱き締めた。
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