第9話 罅の終わりを告げる音
「…アスさん、ソウジュくんとクオさんは?」
「む? あやつらなら、ずっと部屋に引き篭もっておるぞ」
「そっか。夕飯、出来たんだけどな…」
キッチンから漂う美味しそうな匂い。
今晩の献立はカレーライスのようで、アスは白衣を脱ぐか否かを悩む。
しかし白衣の下は味気ないシャツと短いズボン。
(最悪、洗えば問題ないじゃろ)
他に上着も持たないアスは、そのままの格好で夕食に臨むことにした。
「で、どうなの?」
「…うむ」
キッチンとリビングを隔てる赤い暖簾。
コウとアスは、それを通して言葉を掛け合っている。
彼女が座るソファの前では、ブラックバックたち三人がすごろく遊びに興じていた。密かに手の中でサイコロを転がしながら、アスは窓の外を向いて応えた。
「料理が出来たのなら手が空いたじゃろう、呼びに行ってはどうじゃ? じゃが気を付けた方がよいぞ。もしやすると、こっそりとお楽しみの最中かもしれぬからの。くふふ」
「そんな訳ないでしょ」
コウは一蹴した。
質の悪い冗談だと続けた。
確かに非常に仲が良く見えたが、まさかあの二人が爛れた関係にあるなんて、彼には全く想像の出来ないことであった。
アスも笑って、発言を撤回した。
胸中では、決して在り得ない未来ではないと二人の将来を推測していたが。
「あっちで見つけた、壊れたラッキーさんの修理かな。俺も、瓦礫の下にそんなものがあるとは思わなかった」
話を元の線路に引き戻す。
コウは、瓦礫の下からラッキービーストを見つけて喜ぶソウジュの姿を見ていた。
あと、いつの間にか建っていたボロボロの新居も……。
……どうして?
沈黙の中に疑問符を読み取ったのだろう。
アスは肩を竦めて言った。
「奇妙なことではない。わらわがルティを最初に見つけた時の状況を考えれば、ラッキービーストの存在にも合点がゆく」
アスとルティの出会い。
未だ誰にも語られていない。
あのお転婆な生き物とどうやって関係を結んだのか、絶えぬ疑問の火種としてコウの中で燻っていた。
何をしたのだろう。
”非力”を標榜するこの自称『パーク職員』は。
「コウよ。これはチャンスかもしれぬぞ」
「…チャンス?」
「うむ」
アスの意図の全てに気付き、そして同意したわけではないが、コウ自身もこの状況は転機だと考えていた。見るからに普通ではないあの二人が、ルティに好ましい影響を与えることを期待していた。
―――結果として荒療治になってしまったことは残念と言う他ないが、それは終わった後の感想である。
「アレの中に記録が残っておれば、ルティの秘密に近づくことが出来るやもしれぬ。惜しいのう、もっと早くあの廃屋を調べておくべきじゃった」
諦念を滲ませた声でアスが言う。
壁に掛けた星図を眺め、力なく呟いた。
「『灯台下暗し』。
輝く星を観ているだけでは、見えないものもあるということか」
”放っては良くない”と感じたコウは、優しく言葉を紡いだ。
「仕方なかった一面もあると思うよ」
「慰めは要らぬ。わらわの浅慮のせいで、お主に無駄な時間を使わせてしまったのかもしれぬのじゃから」
居ても立っても居られない。
そんな様子を見せ始めたアスは、やがて立ち上がることを選んだ。
動いた方が気が紛れると感じたのだろう。
「気が変わった。二人の様子はわらわが見てこよう」
少し前に放った言葉を翻し、彼女は自分でソウジュたちの様子を確かめに行くことにした。
二人がいる部屋の前に立ち、扉にそっと手を触れる。
「くふふ。それでも星占いは馬鹿になど出来ぬ」
毒々しい翡翠色の双眸に、喜色が浮かんだ。
「こやつらの運命は、実に興味深い」
よもや、揃って―――
§
時は少し遡り。
「ふむ…」
僕は大きな壁にぶつかっていた。
それは、ラッキービーストの修理方法が分からないこと。
皆目微塵も見当がつかず、帰ってから数時間が経とうとしている。
「ソウジュ」
そう。
「…そろそろ諦めたら?」
修理は1%も進んでいない。
「だって、言霊も使えないんだよね」
「イメージが湧かないからね。内部の構造なんてさっぱりだし」
エンジニアではない僕には、ロボットと言うブラックボックスも甚だしい代物の中身を予測することなんて不可能だ。
「じゃあ、どうして直そうなんて…」
「……サラっと出来たらカッコ良くない?」
「うん、クオもそう思う」
見栄を張りたかった一面もあったのかな。
自分のことだけど、よく分からない。
「はあ、諦めるかぁ」
取り敢えず、柄にもない行いだったことは確かだね。
「ごめんね、付き合わせちゃって」
「ううん、クオは平気だよっ!……それに、悩んでるソウジュもカッコよかったし」
小声で何か、クオが呟いた。
「え?」
「な、なんでもないよっ!」
「そう…」
慌てようがなんでもなくないけど……まあいいか。
それより、このラッキービーストはどうしよう?
「勿体ないな。面白いデータが残ってるかもしれないのに」
「うむ、勿体ないっ!」
「わあっ!?」
耳元の大声にビックリ。
身体が椅子から飛び跳ねた。
咳込み、息を整えて、僕は振り向く。
「…アス?」
「その機械、わらわに任せてみるのじゃ」
驚かせたことを気にする素振りも一切見せず、アスは上向きに手を招いてラッキービーストの機体を要求してくる。確かに白衣も着ていて、科学者っぽい見た目だけど、大丈夫なのかなぁ。
「直せるの?」
「朝飯前じゃ」
「もう夕ご飯の時間だよ~?」
「それは別によい」
払い除ける様に、クオのおとぼけを受け流した。
そして、平たい胸を張って自信満々に彼女は言うのだ。
「あのお転婆なルティすら一瞬で宥めてしまったわらわの腕じゃぞ? こんな機械を直すくらいのこと造作もない」
ごめん、その話初耳なんだけど。
「宥めたって、どうやって?」
「それは企業秘密じゃ」
えっ。
それで信じろって言うつもりですか。
じゃあ僕も世界征服したよ。
もちろん方法は企業秘密です。
「クオわかったよ、きっと不思議な力を使ったんだよ! たとえば妖術とかっ!」
「無理じゃな、わらわは非力な一介のパーク職員じゃ」
一介のパーク職員さんはそんな変な口調で喋らないと思う。
「……何じゃその目は。信じておらんじゃろ」
「はいはい、ごめんなさい」
「”はい”は一回じゃ」
「は~~い」
「長い」
「ハイッ」
「短いっ!」
怒られた。
ふざけるのもこれくらいにしておこう。
「…おほん。
まあ安心せい。
明日の朝には返してやろう」
ラッキービーストを胸に抱えて、アスはそう約束した。
あと、夕食が出来たからリビングに来いとのことだ。思い出したように慌てて口にした辺り、彼女の意識が何に向いていたかがよく分かる。
……そうだ。
「ねえ、一つお願いしていいかな?」
「無茶な願いでなければ、よいぞ」
「じゃあ大丈夫だと思う」
「…言ってみよ」
「一本でいいんだ、君の髪の毛が欲しい」
アスの正体は実に怪しい。
『鏡』を使って、星座のフレンズかどうか確かめてやろう。
「……変わった奴じゃの」
分かる。
事情を知らないからそう思っちゃうよね。
「かっ、髪の毛ならっ、クオがあげるよっ!」
「ごめん、アスの髪の毛じゃないとダメなんだ」
「嘘、そんな…」
クオの分はもう試しちゃったからね。
今更もらっても仕方がない。
なんだけど、どうしてこの世の終わりみたいな顔をしてるんだろう…?
頼んだ僕が言えた道理じゃないけど、髪の毛なんて好き好んで他人に渡したがるものじゃないよね。……贈り物にするようなモノでもないよ。
戸惑っていると、肩を叩かれる。
「ソウジュよ。何か気の利いたことを言ってやれ。こうも敵意を向けられてしまってはおちおち夜も寝られぬわい」
言われて見てみると、本当だった。
アスに向くクオの視線が氷のように冷たい。
な、何か言ってあげなきゃ…!
「く、クオ…」
「……」
「君は…その、えっと……もう髪の毛どころじゃないでしょ?」
……あれ?
「おぉ、そこまで言うか」
アスはちょっと黙ってて。
自分でも失敗した気がしてるから。
「え、えへへ……そっか、そうだったね♥」
(あれ、結構好感触…?)
クオは幸せそうに微笑んでいる。
僕の心に戸惑いを残したまま吹雪は過ぎ去った。
ずっと脳内に木霊するこの不安が、ただの杞憂であることを願いたい。
「髪の毛はやろう、何に使うかは知らんがの」
「ありがとう。夕食の後でいいよ」
「うむ、了解じゃ」
会話を切り上げて、僕らはリビングへと向かう。
部屋に入ると、既にテーブルに食事が用意されていて、ブラックバックたち三人とコウさんは先に食べ始めていた。
僕たちも席に着き、手を合わせてスプーンを手に取る。
コウさんが作ったカレーライスは本当に美味しかった。
クオはおかわりをして、二杯食べた。
作った本人であるコウさんはなんと三杯も。
二人とも、思わず見入ってしまうほどの食べっぷりだった。
えっ、僕?
僕はまあ、模範的な食事量ですよ…?
そんな感じの夕ご飯。
各々で食器を片づけた後は、寝る前の自由時間だ。
約束通り、アスに髪の毛を一本もらった。
「ほれ、約束の物じゃっ!」
大声を出して堂々とくれるものだから、みんなの注目を浴びて居たたまれなくなってしまったけどね。
「髪の毛って、何に使うんだい?」
「呪術です」
「えぇ…?」
コウさんにも戸惑われてしまった。
絶対僕の返答の所為だけど。
(それでもこれで、真実が分かる…)
アスが嘘を吐いているなら、それを暴くことが出来る。
その後はどうしよう。
明かすか、隠すか。
考えるのは、ハッキリさせてからでもいいかな。
万が一、本当にただのパーク職員な可能性もあるし。
「…くふふ」
真っ暗な廊下、普段着のままで寝室に向かったアス。
同じく消灯したままの部屋の中で、彼女は手鏡を覗き込む。
「お主が、わらわを解き明かしてくれるのかのう…?」
翡翠が、淡く光りだした。
―――そして、幽霊も寝静まった夜中。
「……よし」
僕は一人目を覚まし、『鏡』を開いた。
朔日のプラネタリウム。
天球を写し取る五面の天蓋。
もう余計な言及は必要ないだろう。
僕はアスから貰い受けた、彼女の美しい緑色の髪の毛を、鏡の上に浮かんだ星の海にそっと沈める。
もしもアスが星座のフレンズなら、これで……。
「―――なるほどね」
星は、答えを返してくれた。
§
そして翌朝。
修理されたラッキービーストを受け取りに起きた僕は、予想だにしない事実をアスから告げられ、言葉を失うこととなる。
曰く、
「すまぬ、ルティに盗まれてしまった。修理はしたんじゃがの」…と。
宿題を忘れた言い訳かとツッコミたい気持ちを抑えて、逸る気持ちを抑えられないまま、僕はすぐさまルティの所へ行くことを決めた。
朝ご飯はと聞かれたが、そんなものはジャパリまんで何とかする。
今はそれよりも、ラッキービーストの方が気掛かりだ。
「お願いルティ、また壊したりはしないでね……!」
そう願いを零しながら、僕は走った。
……まあ。でもさ。
いっそ、壊してくれてた方がよかったかもって。
思ったり、思わなかったり。
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