第8話 ルティとあそぼ
「それっ! 取ってこいっ!」
真っ赤なボールが空を奔った。
「~~っ♪」
声にもならない鳴き声を上げて、それを追いかけ走り出すルティ。
「わんこだ」
「犬だね」
クオと僕は揃って呟き、駆け寄って来たルティを眺める。
戻ってきたルティは、コウさんの手にボールを押し込んで、アンコールを求めるように蛇の尻尾をブンブン回す。
完全にイヌ科の仕草だけど、それでいいのか。
「よしよし、もう一回か?」
「~♪」
「いいぞ~……そりゃっ!」
―――これ、僕たち必要かな?
完全に投げる方向をミスって僕の頭に着地したボールをキャッチ。
そして片手でそれを歪ませながら考える。
(アスも、何を思ってあんな印象を流したんだか……)
目の前にいる無邪気なルティを見ながら、僕はそう思った。
タスマニアデビルの、アスの話を聞いて、加えて本を読むことで手に入れた、『凶暴で恐ろしい怪物』という”キメラ”に対する脳内のイメージを、僕は確かに塗り替えざるを得ない。
胡乱げな眼をしているだろう。
疑念は募るばかりであった。
「今度はソウジュくん達の番だよ。
ほら、それを使って」
コウさんの指が、五指の中にある太陽を向く。そう呼ぶには冷たすぎるゴム鞠で、しかし青空を背にした瞬間は様になっていた。としても、そろそろ別の遊び道具を用意した方が良かろう。
もちろんボール遊びをする分には構わない。
だけど、ルティが飽きやしないか。
僕なら間違いなく飽きている。
本を読ませてほしいと懇願するだろうね。
……まあ、僕の話はどうでもいい。
「やってみます」
試しに一度だけ。
他の遊び道具はその後でいいか。
肩ほどの高さに赤球を構えて、力任せに適当な方へと放る。
ガサゴソと木の葉を縫って消えていくボールを尻目に、もっと広い場所でやるべきだと感じた僕の直感は誤っていないだろう。
「次はクオだねっ」
「…やる気があるなら」
好きにすれば良い。
どうせ何も起こらない。
なんだろう、これではペットだ。
「コウさん。ルティとは、言葉は通じないんですか?」
「あの子自身は喋れないね。でも、俺たちの言葉は理解してると思う」
「そうですか…」
コウさんの帰還を目的と置く。
言葉での交渉は多分できる。
かなり人懐っこいし敵対的でもない。
なのに上手くいってないのは、ルティがコウさんに執着しているから?
ルティ本人に帰す気が毛頭ないなら、異なる世界を繋ぐ別の方法を考える他に方法は無くなってしまう。だけど、今のところ諦めた気配はなく、ルティの翻意を狙って接しているように見える。
誰か、説得が得意な子がいれば都合が良いのだが。
「ねぇ、クオはどう思う?」
「どうって?」
クオに尋ねる。
まずは身近な存在に知恵を求めるのが楽だろう。
好戦的な彼女から話し合いの妙案が出るのかと訊かれれば……まあ、やはり首を傾げざるを得ないが、試してみなくては分からない。
可能性はあると思う。
クオって、所々で鋭いし。
「クオがルティの立場に立ったと考えてみて。で……誰でもいいか。クオが気に入った誰かを自分の住処に連れ帰ったとしたら、その人に『帰りたい』って言われた時に帰らせてあげる?」
「ううん、絶対やだ」
即答。まさに寄る辺なし。
ルティとクオの思考が違っていることを祈る。
「ソウジュは絶対行かせないっ!」
「あっ、僕なんだ」
「どこにも行っちゃダメだからね?」
「分かってるよ」
上目遣いの念押しに、僕はハッキリと答えた。
「勝手に―――」
「行かないよ、安心してってば」
重ね重ねに、念を押す。
僕ってそんなに信用ないかな。
記憶に覚えている限り、クオと離れたことなんて殆どないんだけど。
「~っ!」
ボールをくわえて戻って来たルティを撫でてやる。
だけど口からボールは離れず、横に現れた扉に吸い込まれて消えていく。
あらら、もう球遊びには飽きちゃったのかな。
「うーん、次はどうしよう…」
「なら、別の遊びをやってみようか」
そう提案してきたコウさん。
しかしその語り口とは反面、彼はもうやる遊びを決めていた。
「鬼ごっこ、なんてどうかな」
それは鬼ごっこ。
逃げる人全員を鬼が捕まえたら勝ちのゲーム。
ルールが単純で理解しやすい遊び。
しかし、僕は感付いていた。
その単純な規則が故に、このゲームがとんでもない欠陥を抱えていることを。
それを確かめるため、僕はコウさんにあることを尋ねる。
「……鬼は?」
「ルティだ」
「逃げ切れる公算、あります?」
「ないね」
……コウさん。
「いいじゃないか。別に勝つのが目的じゃないし、得意分野を活かして大活躍出来たらルティも嬉しいはずだよ」
それもそうかあ。
「ルティっ! 鬼ごっこの時間だよっ!」
コウさんがぱんぱんと手を叩くと、木の幹を蹴ってルティが姿を現す。
鳥の羽の隙間に葉っぱが挟まるのも全く厭っていない辺り、彼への懐きようの凄まじさを感じる。
閑話休題。
コウさんの合図で鬼ごっこが始まった。
即座に散り散りに走り出して、ルティがそれを追い掛ける。
そんな楽しい追いかけっこは、およそ十数分にわたって行われた。
……え、結果?
みんなあっけなく捕まったよ?
コウさんが不思議な力でしばらく逃げ遂せていたけど、案外賢かったルティに扉で先回りされて捕まった。
やっぱりズルいってあの瞬間移動。
物質化した扉で進路を遮られることも含めて反則級だ。
「ぜぇ、ぜぇ……コウさん。
ルティのあの扉って、制限とかないんですか…!?」
「俺の知る限りでは、ない」
「そんな…」
やりたい放題じゃないか。
「でもまあ、ルティは楽しそうだよ」
…そうだね。
本懐は達しているから、問題はないんだろうけど。
「それで、説得の進捗はどうですか?」
「聞かないでくれ…」
別の方面では、問題が山積みのようだった。
§
ルティとの戯れも一区切り。
休憩をしていた僕はふと、あの子の住処である廃屋が気になってしまった。
崩れる前のあの建物には、いったい何があったのだろう。
一度そう考えると気になって仕方なく、気が付けば、もはやくぐれない入口の前に僕の両脚は立っていた。
中を確かめようと瓦礫の木片に手を掛けるが、存外に重くて持ち上がらない。
「『
勿体ない使い方だとは自分でも思う。
でもその程度の葛藤、明確な便利さには代えられないものなのだ。
どんな敵でも一撃の内に屠れるであろう圧倒的な力を手にした僕は、それを振るって廃屋の片付けを始めた。
最初は邪魔な物をどかすだけのつもりだったが、元々の配置を予測して戻すのが意外にも楽しく、いつしか僕は夢中になって崩れる前の建物の姿を再現しようと躍起になっていた。
「ソウジュ、何やってるの?」
「パズルみたいなものだよ。意外と楽しいんだ」
「ふーん…」
クオはあまり興味が無い様子。
何も言わず、じっと僕の作業を観察していた。
「……その星座はどうして?」
「あはは、力が足りなくってね…」
言い訳がましく聞こえるかもしれないけどさ。
ちゃんと他にも方法は考えていた。
例えば、妖術で筋力を向上させるとか。
でもね、断念してしまった。
そんな妖術は習得してないし、唐傘にも術式が刻まれているのか判らない。キュウビは一部しか教えてくれなかった。傘の総面積を考えると、刻んだ全ての妖術の十分の一にも満たないのではないだろうか。
だから、オリオン座を使うのは、実は合理的な手段なんだ。
安易に楽な方へ走った訳ではない……と、信じたい。
「…よし、こんなものかな」
納得できる出来になって、僕は『同調』を解いた。
雨を凌げる屋根もなく、家としては未完成も甚だしいけど、かつての姿を偲ぶには申し分ない姿になってくれたと思う。
「………『くっつけ』」
でも、やっぱり屋根は欲しい。
試しに言霊で強引に接着したら、結構いい感じになった。
片手を繋いだまま僕は得心する。
ありがとうクオ。
おかげで妖力が足りたよ。
『言霊』を詠唱しようとした瞬間に手を繋いできた彼女の早業に僕は驚嘆するしかない。打ち合わせなしでこの速度、正直に言うとちょっと怖い。
「よしよし」
「えへへ…♪」
まあ、かわいいから好いか。
「ふぅ……あ」
と、一通り満足して、僕は正気に戻った。
廃屋とはいえ勝手に家を改装してしまって、ルティは怒ったりしないだろうか。
僕は、おずおずとあの子の姿を探して、継ぎ接ぎな新居への反応を観る。
「…っ☆」
ルティは楽しそうに家の周りを跳び回っていた。
僕は安心して胸を撫で下ろした。
「すごいね、どうやったんだ?」
「妖術です」
「……ヒトなんだよね?」
「ふたごです」
「…そっか」
納得は得られたので、僕は組み立てた家の中に入る。
木漏れ日を更に遮って少し薄暗い空間。
人によっては落ち着くかもしれない。
そして建物としての出来は……期待しないで欲しい。
床材が完全に壊れていたせいで、地面は土が剥き出し。
他の建材も足りず、恐らく本来の家と比べると二回りほど小さくなっている。
でも、どうでもいい。
だって、目的はそれじゃないんだもん。
「あはは、やっぱり何かあった」
瓦礫の中に埋もれ、傷だらけになっていたラッキービーストを拾い上げり。
崩落に巻き込まれたのかな、頭をこつんと叩いても反応はない。
だけど、修理すれば中のデータから面白いものが見られるかもね。
……例えば、建物が崩れる瞬間とかさ。
そんな未来への妄想はさておき、一応他の物が無いか見回して確かめる。
「うん、まっさら」
他には何も無い。
だけど満足。
大袈裟な言い方をすればこれは、『廃墟の中に遺された記録物』だ。
ロマンを求める心を否応なく擽ってくるのも謂わば当然。
実際は本とか日記とか、もうちょっとアナログなモノが見つかると考えていたんだけど、思わぬ幸運が転がり込んできた。一瞬、データが破損してしまっている可能性も頭に浮かんだけど、その時は仕方ないだけだ。
「ソウジュ、楽しそう」
「うん、やっぱりそう見える?」
「尻尾を出したらわかりやすいよっ」
…またキツネになるの?
「それは今度ね」
「しょぼーん…」
わざとらしく落ち込んで見せたクオを、
そんなことも、思ったりした。
しかし僕は、早くに気付いておくべきだった。
ラッキービーストが故障した、本当の理由を。
この個体には明らかに、自然についたのではない傷があった。
尻尾の付け根から右の耳にかけて伸びていた、爪で抉られたような細い裂傷。
生き物以外に、こんな傷はつけられない。
それをもっと早く見つけていれば。
もう少し警戒していれば。
あんなことにはならなかった。
惨事は起こらなかった。
―――でも、本当にそうなっていたとしたら?
全てが終わり、全てに気づいて。
僕はどうしようもなく思うのだ。
起こるべくして起こったあの事件は。
彼の為にもやはり、起きるべきだったと言う他ないと。
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