第7話 幻想をまぜこぜにして

 そして、僕たちはアスの家に戻って来た。


 地平線に月が這う戌の正刻。

 ルティがなかなかコウさんを帰そうとせず、終わりの見えない抵抗の末、辿り着く頃には陽が沈んでしまっていた。彼はすぐさま休むために奥の部屋に消えた。


 あぁ、やっと歩かずに済む。クッションに腰かけ、棒になりそうな脚を伸ばし、アスが淹れてくれた甘めのカフェオレで喉を温めて、ぼちぼちと掻い摘みながら昼間の出来事を話すのだ。


 アスは特に、ルティの話を喜んで聞いた。

 うんうんと満足げに首肯を繰り返して、キラキラした目で僕に尋ねた。


「うむ、その様子じゃとルティには無事会えたのじゃな。どうじゃ、あやつは面白いやつじゃろう? ちと天真爛漫が過ぎるのが玉に瑕じゃが、傍にいるとつい撫でてやりたくなる可愛らしさを持っておる」


 同感だ。


「”バルティ”って名前はアスが付けたの?」


 ずっと気になっていたことを聞くと、アスは頷いた。


「きっちりと名付けの由来もある。

 じゃが、それを説明するにはちと早いのう」


 ゆらゆらとコップを回し、カフェオレを一口。

 味付けを間違えたと嘯いて、砂糖のスティックを三本ほど追加。

 アスは相当の甘党であったようだ。


「……ふむ、ミルクも足しておこうかの」


 満足げに微笑みながら飲み干して、小皿のクッキーに手を伸ばした。

 投げ込むように食べたかと思えば、”水分が足りない”と一言。


 彼女は椅子を立ちあがり、今度はドロドロで甘ったるげなフルーツのジュースをコップに注いできた。


「ええと、どこまで話したかの?」

「名前の由来を言うにはまだ早い…ってところまで」

「おお、そうじゃったの」


 クッキーをジュースに浸しながら食べるアス。

 特に言うことはない。


 それより、この直後に語られる事実の方が重要だ。


「もう聞いたと思うが、コウをこの世界に連れてきたのはルティじゃ。あやつが世界を跨いで、別世界の住民を呼び寄せた。むしろ、攫って来たと言った方が正しいかも知れんの」


 彼の話と同じだ。

 いよいよ信じるしか無いのかな。


 アスの真似事をして、カフェオレに浸して食べたクッキーは案外美味しかった。


「そんなことが出来たのは、あやつの持つ能力が理由じゃ」

「名前の由来に、その能力が関係あるってこと?」

「ほう、察しが良いの」

「だってソウジュだからねっ!」


 それまで静かに聞いていたクオが、突然しゃべった。

 不思議なことに誇らしげにしている。

 僕は素直にうれしいけど、クオはそれでいいのかなあ。


 くつくつとアスが笑った。


「お主もそこそこの実力者に見える。コウと戦ったらどうなるんじゃろうな?」

「いや、全然勝てるビジョンが見えないんだけど」


 だって、オーラがやばい。

 僕なんて一瞬で吹き飛ばされてしまいそうだ。


 …あ、でも一応、そうならない可能性も残されてはいるね。


 彼がたくさん手加減をしてくれたり、とかさ。

 まともに戦ったらもはや無理だと第六感が僕に囁いている。


「残念じゃ。面白くなりそうなのに」


 本気の溜め息をアスはつく。


「まあよい、ルティの話に戻ろうぞ」


 彼女がその恐ろしい考えをさっさと引っ込めてくれたことに、僕は心の底から安堵したのだった。



「既にコウから、ルティがキメラじゃと聞いたのか?」


 頷く。


「うむ。では、どんな生き物を組み合わせたキメラかは知っておるか?」


 首を振る。


「では、まずそこから教えるとするか」

「そんなに大事なことなの?」

「ぶっちゃけそこまでじゃ。じゃが、面白い話であることは保証するぞ」


 アスの返事を聞いて、クオの尻尾が振られ始める。


 面白さは大事。古事記にも書いてある。

 ルティの秘密が聞けると思って、僕も無性にワクワクしていた。


 天井を指した三本の指。


「ベヒモス、レヴィアタン、ジズ」


 その数に合わせてアスが、三つの謎の名前を並べ立てた。

 存在すら初めて聞くけど、なんだか強そうな気がする。

 いったい、どんな生き物なのだろう。


「ルティは、その三つの幻獣のキメラじゃ。

 ついでに言えば、ケルベルス座の輝きも身に備えておる」


 そうして、彼女はそれぞれについて説明をしてくれた。


 ベヒモスは陸の獣、象のような怪物。

 聖書の記述によると、その骨は金属のように硬く、尾は杉とおなじくらい太く、川の水をすべて飲み干すことができるという。


 レヴィアタンは海の獣。巨大な蛇と言われることもある。

 二重の鱗を持ち、鋭い歯を生やし、その背は盾の列でできており、鱗は互いに密接している。そして、鱗は堅くて剥がすことはできない。どんな武器を持ち出しても、藁くずのように無意味なのだという。


 ジズは空の獣、巨大な鳥だ。

 全ての鳥の王であり、巨大な足で立ち上がると頭は天にも届き、鷹揚な翼を広げると太陽すら覆い隠されてしまうという。


 余談だが彼ら三体は、世界の終わりの日を迎えた後に、生き延びた人々のための食物として供されるという言い伝えがあるらしい。こんなとんでもない生き物、よく食べようと思えるよね。



 次はケルベルス座だ。

 これは88星座に含まれない、正式には存在しない星座らしい。


 『存在しない星座』


 その言葉を聞いたとき、僕は何か、大事なことを忘れているような気がした。

 だけど肝心のそれが思い出せず、違和感は燻るばかり。


 ……って、ちょっと待って?


 どうしてアスが星座の輝きについて知ってるの?

 コウさんから又聞きをしたと考えたって、幾らなんでも早すぎるよ。


 あまりにも怪しい発言だったから、僕は彼女を問い詰めたんだけど、アスはニヤニヤと笑うばかりでまともに答えようとしなかった。


 ポツリと一言、「星占い」と。

 まさか、それで納得しろって言うの…?


 …まあ、今は吞み込むしかないか。



 閑話休題。



 ケルベルスについての説明は、アスがさらっとしてくれた。


「ルティが現れる時、扉を目にしたじゃろう?

 アレの由来は、冥府の番犬が守護するじゃ。扉を通って、あやつは世界を行き来することができる」


 あはは、そういう感じですか。


「当然、最初はわらわも、のことができるとは思っておらんかったがのう」


 だろうね。


 僕は今でも思っていない。


 というかあんな幼い子に、そんな大きな力を持たせて良いものだろうか。

 誰が与えたという訳でもなさそうだから、難しい話だね。


「精々、『テレポート』が限度じゃと思っとった」

「それでも十分だよ…」

「クオもテレポートしてみたいな~」


 『空を自由に飛びたいな』って感じのノリで呟いたのが聞こえると、程なくして横から視線の気配を感じる。果たして確かめるべきか否か。シュレーディンガーによると、観測によって結果が変化するのは奇妙なことであるらしい。


 栓無いことだ、では見てみよう。


「……クオ?

 僕を見ても、そういうのは無理だからね?」


 案の定だった。

 重畳だ、デジャヴに塗れていた。


「星座ぱわ~! で、なんとか…」

「出来る星座を持ってきて?」


 それこそケルベルス座、唯一つだろうね。

 クオがあの子を仕留めてこない限りは大丈夫だろう。


 ……しないよね?


「うーん…」


 何やら唸っている。

 しないでね…?


「くふふ。お主らとルティがお互いにどんな影響を与え合うのか、楽しみで仕方がないのう。願わくばあやつコウも、早く元の世界へと帰してやりたいものじゃが」


 剰えジュースにも砂糖を注ぎ込みながら、コップの中の液体とはひどく対照的な苦い顔を浮かべて、同じく液面に浮かべた氷を食んだアス。ガリッと低い破砕音が、どこか彼女の心情を暗示しているように思える。


「悪魔に魅入られてしまったのじゃよ」

「……え?」


 突拍子もなく出てきた言葉に、素っ頓狂な疑問が漏れ出た。


「バティン。もしくはマルティム。ソロモン72柱に属する悪魔で、どんなに長い距離でも一瞬で渡ってしまう地獄の大公爵。”バルティ”という名前は、二つの名前を組み合わせてわらわがあやつに与えた名じゃ」


 するべき説明を終えて、一息に砂糖の塊を飲み干したアス。

 ふぅ~…と、周囲に甘い匂いが漂ったのは気のせいじゃない筈だ。


「まさか本当に、地獄に誘われてしまわなければ良いがのう」


 彼女は身震いをする。

 果たして何割が冗談なのか。


 不吉な憂いを最後に、夜の歓談は終わりを迎えたのだった。




§




「……さて」


 月明かりがカーテンに十字を映す、ほの暗い寝室。


「すぅ、すぅ…」

「ふふ」


 クオが寝静まったのを確かめた僕は、虚空間から『鏡』を引き抜く。これまで数度にわたって、彼女の中にいるキュウビキツネの人格を表面に映し出した、とっても不思議な鏡である。


 けれど今夜は、これを使ってキュウビを呼び出す訳ではない。

 焦点を当てるのは、コウさんから貰った複数枚の石板。


 僕はこれから、この石板たちを形作っている星座の輝きの正体を、他でも無い『ウラニアの鏡』の力を通して白日の下に解き明かすのである。


「よし、始めよう」


 裏表紙から本を開いて、鏡の表面を空気に晒す。

 星空のような光が鏡から溢れ出し、プラネタリウムを浮かばせた。

 一応、この光でクオが目を覚ましていないか確認する。


「……すき」

「っ!?」

「…むにゃむにゃ……」


 よし、起きてはいないようだ。


(ただの寝言だし。『すき』ってしか言ってないし。ほら、夢の中で油揚げを食べているのかもしれないよね。クオったら食いしん坊さんなんだからさ。うん、そうに決まってる)


 さっさと終わらせて寝よう。

 普段と違って寝坊していられない。


(クオと二人きりだったら、少しは大目に見てもらえるんだけどね…)


 二度寝までなら許してくれる。

 なんなら添い寝もしてくれる。


 ご飯を温め直すのは手間だろうけど、文句の一つも言わずにやってくれるのだから有難くて仕方がない。


 だからつい、甘えちゃうんだよね……。


(…って、何を考えてるんだろう)


 観察だよ観察。

 さっさとやれって。


「じゃあ、一番上から…」


 そっと、鏡の上に石板を置く。

 じわりじわりと、飲み込まれていく。

 間もなく石板の姿は消えて、点と線の眩い模様が鏡の上に映り始めた。


 最初から結果は分かり切っていたけど、成功だ。


 あとはこれで、双子座の力を使って鏡と『同調』すれば、この中に入れた星座の正体を知ることが出来る。


「『Dracoりゅう』」

「『Monocerosいっかくじゅう』」

「『Camelopardalisきりん』」

「『Lupusおおかみ』」


 観測を終えたら鏡に手を突っ込み、石板を取り出して新しいものと入れ替える。


 そうして一つ一つ、中身を確かめていく。


 こうするメリットは実に単純で、疲れない。双子座の力だけでやろうとすると、どうしても集中力が必要になってしまうからね。火急の用でない限り、疲労は抑えたいものだ。


「よし、終わった……かな?」


 おおかみ座の石板を仕舞いながら、僕は首を傾げた。


 どうにもまだ続きがあるような気がする。

 でも、他に石板を持っていた覚えはない。


 ……気の所為、かもね。


 それが、しばらく悩んだ末に下した結論だった。


「じゃ、ちょっと遊んでみようかな」


 まずは戯れに、自分の髪の毛を鏡に溶かしてみる。

 すると石板を入れた時と同じように模様が浮かんで、『同調』すると当たり前だけど双子座であることが分かった。


 同調を解くと星は消えた。

 石板と違って、髪の毛を取り出せはしないようだ。


(……そうだ)


 あることを思いついた。


「ごめんね…」

「…っ」


 引っ張って、クオの髪の毛を抜いた。

 痛くしちゃってごめん。

 でも、好奇心が湧いちゃって…。


「ど、どうなるんだろう…?」


 そっと、星空に橙の川を落とす。

 やっぱりこぎつね座になるのかな。

 どんな模様が浮かび上がるのか、瞬きも忘れて注視する。


 そして。


「……えっ?」


 思わず、『同調』のために手が伸びた。


「っ!?」


 だが、すげなく指は弾かれた。


「どういうこと…?」


 見えた星はまぜこぜだった。

 どの星座ともつかず、乱雑な星空でもない。

 少なくとも二つの星座が混ざって、お互いの姿を覆い隠しているかのようだった。


(これがキュウビの言っていた、二つの大きな力……)


 ミルキーウェイはすぐ消える。

 謎だけ、脳裏に色を残した。


(クオ、君は…?)


 問うべき彼女は、夢の中。

 なれば僕も、夢に落ちよう。


 星空は白日の下に姿を消し、僕らは夜にしか見ることが出来ない。


 天理は、真実をひた隠しにした。

 まだ、知るべき時ではないのか。


 僕は瞼を閉じたまま、クオの寝言に耳を澄ます。


「……ふとんのうそつき」


 素直に眠りにくくなる寝言は、ちょっとやめてほしかった。

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